平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

渇いた魂を潤す神の霊

2024-03-09 13:49:35 | 折々のつぶやき
 来月の4月に市内の教会で礼拝の説教をすることになり、少し前から準備を始めています。この教会では、昨年も礼拝説教の機会を与えていただきました。当時は地震防災センターでの勤務を始めてから間もない頃で、聖霊に満たされてゆったりとした気分になることを、高層ビルが長周期地震動でゆっくり揺れることにたとえました。次の礼拝説教も防災に絡めて、温暖化によって空気中に含まれる水蒸気が増えていることと聖霊とを結び付けて話そうかと思っています。前回の「国際宇宙ステーションの時代の水と霊」は、その説教のための思い巡らしの中で示されたものです。今回は、その続きです。

 前回書いた通り、空気中には大量の水蒸気が含まれています。私たちの体は、この水蒸気に守られています。生まれる前の私たちは母の胎の中で羊水に包まれて守られていましたが、生まれてからは空気に含まれる水蒸気に守られています。例えば、空気が乾燥するとウイルスや細菌に感染するリスクが高くなります。喉や鼻の粘膜は、空気中に存在するウイルスや菌の侵入を予防する役目があり、空気が乾燥してしまうと、鼻や喉の粘膜を保護しているバリア機能が低下して感染症にかかりやすくなるそうです(京都工場保健会HPより)。ですから、冬には多くの家庭や職場で加湿器が使われています。

 人の吐く息には、さらに多くの水蒸気が含まれています。寒い冬の日に吐く息が白くなるのは、息に含まれる水蒸気が空気で冷やされて細かい水滴になるからです。暖かくて息が白くならなくても、ガラス窓に息を吹きかければ曇ります。ガラスが息よりも冷たければ、息の中の水蒸気が冷やされて水滴になるからです。

 さて、十字架の死から復活して弟子たちの前に現れたイエスは、弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言いました。

ヨハネ20:21 イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
22 こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」

 イエスが弟子たちに吹きかけた息も、水分をたっぷりと含んでいたことでしょう。まさに聖霊にふさわしいと思います。聖書で「水」が「神の霊」の別表現として用いられている例として、前回はヨハネ7章37~39節を引用しましたが、ヨハネの福音書ではイエスがサマリアの女に次のように言った4章の箇所も有名です。

ヨハネ4:13 イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。
14 しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

 このように、「水」は「神の霊」(或いは「聖霊」、「御霊」)の別表現として用いられることが多いですから、水分をたっぷりと含む「息」もまた、「神の霊」の別表現と言えるでしょう。この「息」は、エゼキエル書37章の次の箇所にも見られます。

エゼキエル37:1 主の御手が私の上にあった。私は主の霊によって連れ出され、平地の真ん中に置かれた。そこには骨が満ちていた。
2 主は私にその周囲をくまなく行き巡らせた。見よ、その平地には非常に多くの骨があった。しかも見よ、それらはすっかり干からびていた。
3 主は私に言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるだろうか。」私は答えた。「神、主よ、あなたがよくご存じです。」
4 主は私に言われた。「これらの骨に預言せよ。『干からびた骨よ、主のことばを聞け。
5 神である主はこれらの骨にこう言う。見よ。わたしがおまえたちにを吹き入れるので、おまえたちは生き返る。
6 わたしはおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちのうちにを与え、おまえたちは生き返る。そのときおまえたちは、わたしが主であることを知る。』」

 干からびた骨は、神から離れていた人々の魂の状態です。人は神から離れると、魂の潤いを失います。人の鼻や喉の粘膜が乾燥するとウイルスや細菌に感染しやすくなるように、魂が潤いを失くすと悪魔の誘惑に簡単に負かされて、ますます神から離れて行きます。そうして魂はカラカラに乾燥して、死んでしまいます。しかし神は、死んだ魂でも息を吹き入れることで生き返らせることができます。イエスも、弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言いました。もう一度、ヨハネ20章21~23節を見てみましょう。

ヨハネ20:21 イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
22 こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」

 神から離れて潤いを失った魂は枯れていて、御霊の実を結ぶことができません。

ガラテヤ5:22 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。

 人の罪を赦すには御霊の実を結ぶ必要があります。御霊の実を結んだ魂には平安があり、寛容になることができ、それゆえ人を赦すことができます。この世が平和な方向に向かうためには、聖霊を受けて心の平安を得て、御霊の実を結ぶ必要があります。聖霊の水は既に私たちの周りを包んでいますから、あとは聖霊を心の内に迎え入れれば良いのです。イエスは、いつも私たちの心のドアをノックしていますから、あとはドアを開くだけで良いのです。

黙示録3:20 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

 心の扉を開いてイエスを迎え入れ、内も外も聖霊で満たされて、いつも魂の潤いを保っている私たちでありたいと思います。
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