平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

古い自分の打破(2017.3.26 礼拝)

2017-03-28 19:16:19 | 礼拝メッセージ
2017年3月26日礼拝メッセージ
『古い自分の打破・・・「深海聖書館」(例)』
【ヨハネ5:1~9】

はじめに
 いま私たちの教会は、大変な困難の中を通っていますから、『使徒の働き』の連講は中断して、その時その時に示された箇所からメッセージを取り継いでいます。ただし、なるべく『使徒の働き』から離れないようにはしているつもりです。例えば、この1ヶ月間でヨハネの福音書4章の最後の箇所である、王室の役人の息子が癒された「第二のしるし」の箇所を2回開きました。ここは、使徒10章で異邦人のコルネリオとその家族、そして知人たちが聖霊を受けた場面と重ねられています。このように、なるべく何らかの形で『使徒の働き』から離れないようにしてはいるつもりです。
 さて、きょうはヨハネ5章を見ることにしていますが、このヨハネ5章もまた、『使徒の働き』と関係があると私は考えています。具体的には、使徒15章のエルサレム会議の箇所です。それから『使徒の働き』には記されていませんが、紀元70年のローマ軍の攻撃によって神殿が焼失したことも重ねられていると私は考えています。『ヨハネの福音書』の魅力は、単にここに書かれている文章を通してだけでなく、その深層部にある他の聖書箇所を重ねて読むことで、聖書のメッセージをより深く受け取ることができる点にあると思います。そして、この深い所からの聖書のメッセージを受け取ることで、いま困難の中にある私たちが失望することなく歩んで行く上での力をいただきたいと願っています。

的外れな受け答えをした病人
 それでは早速、ヨハネ5章の1節から読んで行くことにします。まず1節、

5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。

 4章の終りでは、イエスさまは北方のガリラヤのカナにいましたが、祭りに参加するために南方にある都のエルサレムに上京しました。2節と3節、

5:2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。
5:3 その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。

 そして、4節がなくて5節に飛ぶのですが、下に脚注があって、異本には3節後半と4節として、次のように書いてあるとあります。

「彼らは水の動くのを待っていた。
 主の使いが時々この池に降りて来て、水を動かすのであるが、水が動かされたあとで最初に入った者は、どのような病気にかかっている者でもいやされたからである。」
 
 この脚注からは、この4節の部分がヨハネの福音書の元々の原典に含まれていたかどうかは別にして(恐らくは無かった可能性が高いということで4節を削除しているのだと思いますが)、当時の人々はこのように考えていたようだ、ということがわかります。そして、5節、

5:5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
5:6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」

 この6節のイエスさまの「よくなりたいか」は、とても重要な一言ですね。病気の人で良くなりたくないと思う人は、恐らく一人もいないでしょう。病人なら誰でもみんな、良くなりたいと思っているはずです。この38年間病気に掛かっていた人も、当然、良くなりたいと思っていたでしょう。
 ですから、この病人は単純に、「主よ、私の病気を治して下さい」と言ってイエスにすがれば良かったのです(マタイ・マルコ・ルカの「長血の女」参照)。ところが、この病人はイエスさまに次のように言いました。7節です。

5:7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」

 このような病人の、信仰の本質の的を外した的外れなことばを聞いたら、イエスさまでなければ、こんな風に答えるかもしれませんね。「あ、そう。あなたは良くなりたくないのですね。では、さようなら。」
 しかし、イエスさまは、この病人を見捨てたりはしませんでした。8節と9節、

5:8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
5:9 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。

 このように的外れな受け答えをした病人は、どこか私に似ているのかもしれません。私は何か困った事態に遭遇した時でも、まずイエスさまに「助けて下さい」と懇願すれば良いのに、まず自分の力で何とかしようとして的外れで頓珍漢なことをしている場合がけっこうあるような気がします。それでもイエスさまは私を見捨てたりはしませんから、本当に感謝なことだと思います。

形式に囚われていた割礼派
 さて、最初の方で私は、このヨハネ5章は『使徒の働き』15章のエルサレム会議と、それから紀元70年のエルサレムの神殿の焼失と重ねられていると考えていると話しました。エルサレム会議では何が問題になり、何が議論されていたのかを、次に簡単に見ましょう。『使徒の働き』15章(新約聖書p.258)を開いて下さい。1節と2節を交代で読みましょう。

15:1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。
15:2 そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。

 1節に、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」とあります。ここにある「あなたがた」とは異邦人のことです。異邦人はユダヤ人ではありませんから、割礼を受けていませんでした。そして、この1節の主張をする人々は、「割礼派」と呼ばれる人々です。彼らは、「割礼を受けなければイエス・キリストを信じても決して救われない」と主張していました。一方、パウロやバルナバは、「イエス・キリストを信じる信仰のみが大切なのだ。その信仰によって義と認められるのだから割礼は必要ない」と主張していました。この両者との間に激しい対立と論争が生じたので、エルサレムで会議が開かれることになったのでした。そして、皆さんご承知の通り、異邦人は割礼を受けなくても救われるということが確認されました。それゆえ割礼の慣習のない私たち日本人もまた、イエス・キリストを信じる信仰があれば救われるのですね。
 ここに登場した割礼派の人々は、ヨハネ5章の病人と同じだと言えるでしょう。病人は目の前にイエスさまがいました。ですから、イエスさまを救い主と信じさえすれば救われるのに、彼は自分を池に入れてくれる人がいないと嘆いていました。この病人は、「池に入る」という形式に囚われていたという点で、割礼という形式に囚われていた割礼派の人々と同じです。

神殿礼拝という形式
 このように割礼という形式に囚われていた人々はまた、神殿礼拝という形式にも囚われていたことでしょう。イエスさまはヨハネ4章でサマリヤの女に対して言いました。21節から24節までを交代で読みましょう。

4:21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。
4:22 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。
4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
4:24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

 21節でイエスさまは女に、父を礼拝するのはエルサレムでない、そういう時が来ます、と言い、23節で真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です、と言いました。21節のエルサレムというのはエルサレムの神殿のことです。神殿礼拝という形式に囚われていた人々は、神殿で礼拝するのでなければ「真の礼拝」とは言えないと考えていました。しかしイエスさまは、霊とまことによって礼拝するのが「真の礼拝」であって、場所は関係ないとおっしゃいました。
 しかし、エルサレムの神殿が存在している間は、ユダヤ人のクリスチャンは神殿礼拝の形式から離れるのが困難だっただろうと思います。ところが紀元70年にローマ軍の攻撃によって神殿が焼失しました。それで、ようやくこの心の縛りから解き放たれることになったのだろうと思います(心の整理には長い時間を要したと思いますが)。
 古い慣習は、本当に強く私たちの心を縛るのだということを、ヨハネ5章の病人の記事は教えてくれています。そして私はこのことを、決して他人事ではないと考えます。私たちもまた、必ずしも必要ではない古い考え方に縛られている場合が多いのではないかと思います。戦後の日本ではキリスト教ブームの時期があったのに結局は根付かなかったのは、キリスト教を日本人に伝えた欧米の宣教師が、欧米流の考え方に縛られていたことにも一因があると言われています。
 イエスさまやパウロは、当時の古い考え方からしたら驚愕的なことを言いました。キリスト教とは、そもそも、このように非常に斬新な教えが出発点になっていました。
 ですから私たちも守るべきことはもちろん守らなければなりませんが、変えても構わないことは発想の転換をして変えて行くべきなのだと思います。
 きょう、このような話をしているのは、いま私たちが直面している問題は、大胆に発想を変えないと、なかなか乗り切れないと私は感じているからです。
(後略)

 お祈りいたしましょう。

5:6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
5:7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
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「本来の自分との出会い」の助け人(2017.3.12 礼拝)

2017-03-13 09:26:03 | 礼拝メッセージ
2017年3月12日礼拝メッセージ
『「本来の自分との出会い」の助け人』
【ヨハネ1:35~40】

はじめに
 一昨日、私は聖宣神学院の卒業式に出席して来ました。高津教会出身の神学生の兄弟が卒業生の一人でしたから、高津教会の皆さんと共に祝うためと、もう一つ、教団の先生方と話をするためでした。教団の先生方とは、もっとコミュニケーションを良くする必要があることを、6日に教団の先生方をお迎えして話し合った時に痛感したからです。この会堂問題の件に関しては、礼拝後の勉強会で話すこととして、まず卒業式に出席して私が感じたことから、話を始めたいと思います。

原点への回帰
 おとといの卒業式には高津教会の皆さんもたくさん出席していました。それで私は、チャペルは異なりますが、久しぶりで高津教会の礼拝に一人の信徒として出席しているような気分になりました。3年前のいずみ先生が卒業した時の卒業式には、私はいずみ先生の出身教会の沼津教会の牧師として出席しましたし、高津の教会員はほとんどいませんでしたから、そういう気分にはなりませんでした。また5年前に私自身が卒業した時は、高津教会の皆さんはたくさんいたものの、式では卒業生は会衆席の一番前に座りますから、高津の皆さんは私の席からは見えません。それに卒業生は卒業証書を受け取ったりコワイヤを歌ったりで壇上にも上がりますから、一信徒として礼拝に出席しているという気分には当然なりません。また、神学生の時と牧師になってからも、通算で何回か高津教会の礼拝に出席しましたが、神学生の時には神学生としての役割がありましたし、牧師の時には牧師としての役割がありましたから、やはり一信徒として礼拝に出席するという感じではありませんでした。
 しかし、おとといは違いました。私には何の役割も与えられておらず、ただ出掛けて行って会衆席に座り、高津教会の皆さんと一緒に賛美歌を歌ったりメッセージを聞いたりするだけで良いわけですから、本当に高津教会の一信徒であった頃に戻ったようで、あまりに懐かしくて涙が出てしまいました。そうして、私が高津教会に導かれた頃のことを懐かしく振り返ることができました。そして、そのことによって、人が教会に導かれるとはどういうことか、また、イエス・キリストと出会うとはどういうことかについて、原点に戻って改めて考えることができましたから、とても感謝なことでした。

現代のヨハネであるべき私たち
 ここから先は、きょうの聖書箇所と、私自身の経験とを絡めながら話を進めて行くことにします。まずヨハネ1章の35節から37節までを交代で読みましょう。

1:35 その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
1:36 イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊」と言った。
1:37 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。

 ここでヨハネは、二人の弟子をイエスさまに引き合わせる働きをしました。この二人のうちの一人がアンデレであったことが40節に書かれています。40節、

1:40 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。

 このように、二人のうちの一人はアンデレでした。では、もう一人は誰でしょうか。それは、この福音書の性質を考えるなら、読者である私たちと取るべきでしょう。私たち読者がヨハネの導きによってイエスさまと出会うということです。そして読者はイエスさまと旅を続けながら次第に成長して「愛弟子」(イエスが愛した弟子)になります。ヨハネの福音書で「愛弟子」が13章からしか登場しないのは、そのためだと私は考えます。
 さて、1章の二人のうちの一人がこの福音書の読者なのですから、このヨハネがどのヨハネかということも、人間のイエスさまが宣教を開始した時はバプテスマのヨハネだったかもしれませんが、イエスさまが天に昇って霊的な存在になって以降は、この福音書を書いたヨハネであると考えるべきでしょう。私たちはこの福音書を書いたヨハネの導きによって霊的なイエスさまと出会います。或いは私たちもまた現代のヨハネになって、誰かを教会に連れて来て、その人とイエスさまが出会うことができるようにもします。これから私たちは伝道活動を積極的に展開しなければなりませんから、このことはとても大切なポイントです。

イエスと出会うとはどういうことか
 では、イエスさまと出会うとは、どういうことでしょうか。今度はそのことを考えてみましょう。教会に来ればイエスさまと出会える可能性は大きくなります。しかし教会に来れば必ずイエスさまに出会えるとは限りません。或いはまた、聖書を読めばイエスさまと出会える可能性は大きくなります。しかし聖書を読めば必ずイエスさまに出会えるとは限りません。それは21世紀の私たちにとってイエスさまは霊的な存在だからです。
 イエスさまと出会うとはどういうことか、私はそれを、「良い心(いわゆる良心ですね)を持つ本来の自分と出会うこと」であると言いたいと思います。私たちは良い心を持って生まれ、他の人を幸せにする力を持っています。生まれたばかりの赤ちゃんの笑顔は、ただそれだけで人を幸せにします。赤ちゃんは存在自体が人を幸せにする力を持つ存在です。しかし、成長過程でさまざまな歪みが加わって行くのが人の常です。
 一番わかりやすいのは、アメリカの大統領のトランプさんではないでしょうか。トランプさんは、絶えず人をののしっているという印象があります。そんなトランプさんも、幼い頃には良い心が表に出た良い子の時代があったのではないかと思います。それが、様々な経験を積むに従って、良い心が次第に心の奥のほうに隠されて行ってしまったのではないかと思います。しかし、それは隠れてしまっただけで、決して失われたわけではないと思います。きっとトランプさんの心の奥には良い心がしっかりと存在しているはずです。イエスさまに出会うとは、そういう心の奥のほうに隠れてしまった、自分が本来持つ良い心と出会うことであると言いたいと思います。
 皆さんが良くご存知の『靴屋のマルチン』も、そのような流れになっていると言えるでしょう。靴屋のマルチンは、いろいろと不幸な経験が重なって、人付き合いの悪い老人になってしまいました。しかし、本来のマルチンは、寒い日に外で凍えている人がいれば家の中に入れてあげて親切にしてあげることができる、良い心を持った人でした。イエスさまは、マルチンの心の奥に隠れてしまっていた、そのような良い心を上手に引き出して下さいました。

心の奥深い所にいるイエス
 イエスさまは、私たちが生まれた時から私たちの中にいて下さり、成長して悪人になったとしても、いつも私たちの心の内から声を掛けて下さっていると言えるでしょう。しかし、良い心の部分は心の奥深い片隅に押しやられてしまっていますから、そんなにハッキリと聞くことはできません。ほとんど聞こえないぐらいの微かなレベルのものです。それが聖霊を受けると奥深い片隅から解き放たれますから、もっと良く聞こえるようになり、聖霊に満たされると全身でイエスさまを感じることができるようになりますから、とても良く聞こえるようになります。そうして聖霊に満たされて自分と共にいるイエスさまの声を常にはっきりと聞くことができるなら、私たちは平安でいられます。
 ヨハネ1章38節で、イエスさまは弟子たちに「あなたがたは何を求めているのですか」と聞きました。そして39節で、「来なさい。そうすればわかります」とおっしゃいました。
 私たちが心の奥底で何を求めているのか、イエスさまに付き従って行くと、やがてわかるようになります。私たちが心の奥底で求めているもの、それは平安であり、それは私たちの内にいるイエスさまと出会うことで得られます。それはつまり、ゆがんでいない、本来の自分らしい自分と出会うことだと言えるでしょう。

奥深い声に忠実に生きる
 どうして私がきょう、このようなことを言っているかというと、日本においてはキリスト教というと、どうしても西洋の宗教であるというイメージがあるからです。キリスト教は西洋人の宣教師によって日本に伝えられました。そして人々が思い描くイエスさまの姿も、やはり西洋人風です。そうすると、やはり日本人としてはどうしても仏教の仏像のほうに親しみを感じるのは仕方のないことだと思います。私はキリスト教の牧師ですが、今でも仏像の穏やかな顔を見ると、心が癒されます。これはもちろん信仰とは違います。誤解されないように言い添えると、私はイヌやネコの穏やかな顔を見ても、やはり心が癒されます。イヌやネコで癒されると言っても、イヌやネコを信仰の対象にしているわけではもちろんありません。ですから私の場合はたとえ仏像を見て心が癒されても、別に仏像を信仰の対象にはしていません。しかし、多くの日本人は仏像を信仰の対象にします。それは日本人にとっては西洋人風のイエス・キリストよりも東洋人風の仏像のほうが心の深い部分で親しみを感じるからだと思います。そういう日本において人々にイエス・キリストを信じましょうと訴えても、なかなか難しいように思います。
 そんな日本人をイエスさまへと導く上で有効なのが、自分の中の奥深い声に耳を傾け、その奥深い声に忠実に生きることを勧めることではないかと思います。それは私自身の体験がそうだからです。私は高津教会に導かれる10年前から、なるべく自分の中の奥深い声に耳を傾けたいと願い、そのことを心がけるようにしていました。そして、このことで私は教会に導かれました。自分の中の奥深い声というのは、つまりイエスさまの声です。私はイエスさまのことをぜんぜん知りませんでしたが、実はイエスさまの声に導かれて教会にたどり着き、信仰に導かれたのでした。
 高津教会に導かれる10年前、私は名古屋にいて、この『自己愛とエゴイズム』(講談社現代新書)という本と出会いました。この本のことを、この沼津教会でも紹介したことがあるかもしれませんが、これはハビエル・ガラルダというカトリックのイエズス会の神父さんが書いた本で、日本人のために日本語で書かれた本です。一般の日本人にもわかるように、この本の中には聖書の話はほとんで出てきません。大部分は有名な映画や小説、そして身近な出来事を題材にしながら、「自己愛」と「エゴイズム」の違いを説明しながら、自分の中の奥深い声に忠実に生きることを勧めています。「自己愛」とは本来の良い心の自分を愛することで、これは推奨される良いことです。一方の「エゴイズム」とは偽りの自分を愛することで、これは排除すべき悪いことです。トランプさんのような人は、今のゆがんだ自分を自分ではカッコイイと思い、そういう自分を愛していると思いますが、それはエゴイズムです。悪い自分ではなくて良い自分を愛することができるようになるためには、奥深い声に耳を傾ける必要があります。そして、これは実は聖書のメッセージだったのだということを教会に導かれた後で知りました。

奥深い声に導かれて教会にたどり着いた私
 高津に導かれる前の名古屋にいた頃の私は大学の助手をしていましたが、だいぶ無理をしていました。研究室の教授はその分野では世界的に認められていた先生でした。それで私も世界的に認められたいと願って頑張っていたわけですが、それが本当に自分のやりたい事なのかは、疑問を持っていました。それで私はいつも心の中にモヤモヤを感じながら研究を続けていました。それで、教授に付いて行くことに限界を感じていた時に、この『自己愛とエゴイズム』という本の勧めに従って、奥深い自分の声に忠実に生きようと思い、とにかく職場を辞めることにしました。とは言え、次に何をしたら良いかは、すぐにはわかりませんでした。そうして色々と悩んだ結果、日本語教師になろうと決め、そのための勉強を開始して、名古屋の大学を辞めてから1年半後に東京の大学の留学生センターという部署に日本語の教員として就職することができました。そうして、その大学の通勤圏内なら、どこに住んでも良かったわけですが、不思議な導きで高津教会の近くに住むことになり、そこに住み始めてから6年後に父の死をきっかけにして、高津教会へと導かれました。高津教会に導かれるまでの高津での6年間においても、私はこの『自己愛とエゴイズム』を折に触れて読んでいました。そうして奥深い自分の声に忠実に生きることをなるべく実践したいと思っていました。そういうわけで、私にとってこの本は聖書と同じくらいに大切な書物です。教団の『つばさ』誌に「私の一冊」という連載がありますね。もし私に原稿依頼が来たら、この本を紹介するだろうと思います。
 おととい聖宣神学院の卒業式に出席して、高津教会に導かれた頃のことを懐かしく思い出し、この『自己愛とエゴイズム』のこともまた考える機会となりましたから、感謝でした。きのう私はこの本を改めて少し読み返しました。それで私にとってのヨハネ、つまり私をイエスさまに引き合わせてくれたヨハネは、実はこの本だったのかもしれないと思いました。私に教会へ行くことを最初に勧めてくれたのは韓国人であったことは既に証ししていると思います。ですから、この韓国人が私にとってのヨハネであることに変わりはありませんが、この本もまた私にとってのヨハネであると言っても良いのかなという気がしています。

おわりに
 これから私たちは伝道に本当に一生懸命に取り組まなければなりません。なぜなら、新しい人が与えられなければ、この教会を維持することができないからです。少し前まで私は新しい会堂が建ったら頑張ろうと暢気なことを考えていましたが、もはやそういう悠長なことは言っていられなくなりました。
(中略)
 最後に、ヨハネの福音書1章の35節から37節までを、もう一度交代で読みましょう。

1:35 その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
1:36 イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊」と言った。
1:37 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。

 ここでヨハネは二人の弟子にイエスさまのもとに行くように特に勧めたわけではありません。ヨハネが「見よ、神の小羊」と言ったら、それを聞いた弟子たちが自発的にイエスについて行きました。このような導き方を、私たちは神様に祈り求めながら、様々に考えて行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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私たちが見た「しるし」(2017.3.5 礼拝)

2017-03-06 14:24:24 | 礼拝メッセージ
2017年3月5日礼拝メッセージ
『私たちが見た「しるし」』
【ヨハネ4:46~54、20:30~31】

はじめに
 先週は使徒の働き10章を開き、異邦人のコルネリオと、コルネリオの家族・親族・知人たちが聖霊を受けたことについて、ご一緒に学びました。
 きょうはまた、使徒の働きの学びを一旦中断してヨハネの福音書を開くことにしますが、実はきょうのヨハネ4章の王室の役人の箇所と使徒10章のコルネリオの箇所とは、密接な関係があります。このことを学んだ上で、話し合いの時に向けての備えとしたいと思います。

「最初のしるし」と「第二のしるし」
 きょうのヨハネ4章の王室の役人の箇所の最後54節に、まずは目を留めたいと思います。ご一緒に読みましょう。

4:54 イエスはユダヤを去ってガリラヤに入られてから、またこのことを第二のしるしとして行われたのである。

 ここに「第二のしるし」とあります。どうして、この奇跡が「第二のしるし」なのでしょうか。私がヨハネの福音書への理解を急速に深めたのは2011年でしたが、それ以前には、この「第二のしるし」のことがずっとわからないでいました。注解書を調べても、なぜ「第二のしるし」なのか不可解である、などと解説してあります。なぜなら、このヨハネ4章で王室の役人が見た「しるし」は、ヨハネの福音書の中では二番目の「しるし」ではないからです。
 そのことを確認しましょう。まず「最初のしるし」は、ヨハネ2章11節にありますね。ご一緒に読みましょう。

2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

 これはイエスさまがガリラヤのカナの婚礼で、水をぶどう酒に変えた奇跡です。この奇跡をヨハネは「最初のしるし」としました。そして、きょうの4章の「第二のしるし」までは、「しるし」についての記述が無いのかと言えば、そんなことはありません。2章の23節を見ていただきますと、

2:23 イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた。

とあって、ここに「しるし」についての記述がありますから、4章の「しるし」は二番目の「しるし」ではありません。
 では、なぜ4章の「しるし」をヨハネは「第二のしるし」としたのでしょうか。私は、2011年に、ヨハネの福音書が人間のイエスさまが活動した時代だけを描いているのではなく、「旧約の時代」と「使徒の時代」も重ねていることに気付いた時に、この問題が解けたと思いました。「最初のしるし」と「第二のしるし」は、人々が聖霊を受けたことと重ねられているからです。
 これまで何度も説明して来ましたが、ヨハネ2章のカナの婚礼でイエスさまが水をぶどう酒に変えた奇跡は、ペンテコステの日にガリラヤ人の弟子たちが聖霊を受けた出来事と重ねられています。これが「最初のしるし」です。
 次いで、いまさっき見たヨハネ2:23で、エルサレムの人々が御名を信じたと書いてあるのは、同じペンテコステの日にエルサレムのユダヤ人たちがイエスさまを信じて聖霊を受けたことと重ねられています。また、ヨハネ4章でサマリヤの町の人々がイエスさまを信じた場面は、使徒の働き8章でサマリヤ人たちが聖霊を受けたことと重ねられています。そうして、きょうのヨハネ4章の王室の役人の場面は、使徒10章でコルネリオたちが聖霊を受けた場面と重ねられています。

異邦人が聖霊を受けたことが「第二のしるし」
 では、なぜユダヤ人とサマリヤ人が聖霊を受けたことを飛ばして、異邦人が聖霊を受けたことが「第二のしるし」なのでしょうか。それは、異邦人が聖霊を受けたことが本当に画期的な出来事だからなのだと思います。
 まず「最初のしるし」の、ガリラヤ人たちが聖霊を受けたことは、正真正銘の本当に画期的な出来事でした。「旧約の時代」においては、ごく限られた預言者たちだけが聖霊を受けました。それが「新約の時代」のペンテコステの日以降は、イエスが神の子キリストと信じる者は誰でも聖霊を受けることができるようになりました。これは本当に素晴らしい恵みです。聖霊は神様です。その神様が私たちの内に直接入って下さるのです。そして内から様々なことを教えて下さり、導いて下さいます。これは本当に素晴らしい恵みです。
 この最初に聖霊を受けたガリラヤ人のペテロたちは、イエスさまがガリラヤ出身で、いちおうユダヤ人と区別していますが、ガリラヤの人々もユダヤ人ですから、わざわざユダヤ人と区別しなくてもいっこうに構わないと思います(大阪出身の人を大阪人と呼ぶようなものでしょう。大阪人はもちろん日本人です)。また、サマリヤ人も外国人の血が混じった混血の民族ではありますが、もともとはユダヤ人と同じイスラエル人を祖先に持ちます。
 一方、異邦人はユダヤ人とは異なるルーツを持つ民族です。その異邦人たちが聖霊を受けたのですから、これは本当に画期的な出来事でした。それゆえヨハネは、この異邦人が聖霊を受けた出来事を「第二のしるし」と呼んだのだと私は解釈して納得しています。

コルネリオの記事と重ねられている王室の役人の記事
 では、ヨハネの4章の王室の役人の箇所が、使徒10章のコルネリオの場面と、どんな風に重なるのか、もう少し詳しく見てみましょう。
 まず4章26節、

4:46 イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にされた所である。さて、カペナウムに病気の息子がいる王室の役人がいた。

 この王室の役人がいたカペナウムとはどういう場所かと言うと、週報のp.3に載せたように、マタイ8:5に「イエスがカペナウムに入られると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、・・・」とありますから、ローマの軍隊が駐留していた町であることがわかります。つまり、このカペナウムは百人隊長のコルネリオがいたカイザリヤと重なります。このようにヨハネの福音書では、ピタリとは一致させないで中身を微妙に変えていますから、気付きにくいのですが、ヨハネが王室の役人と使徒10章のコルネリオとを重ねていることは間違いありません。ですから、この王室の役人もまた異邦人です。この異邦人の王室の役人の息子は病気でした。
 続いて47節、

4:47 この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところへ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。息子が死にかかっていたからである。

 ここでイエスさまがカペナウムの近くのカナの町に来ました。これはペテロがカイザリヤの近くのヨッパの町に来たことと重ねています。そして、王室の役人は本人がイエスさまを訪ねてカナまで出掛けて行きましたが、コルネリオの場合は部下をペテロの所に遣わしました。このような違いがあるので、なかなか気付きにくいのですが、王室の役人とコルネリオが重ねられていることは確かです。
 次いで48節から52節は、コルネリオの場合とはかなり違いますが、最後の53節はまた、コルネリオの場合と似た描写になっています。
 48節から53節までを、交代で読みましょう。

4:48 そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」
4:49 その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」
4:50 イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。
4:51 彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。
4:52 そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、「きのう、第七時に熱がひきました」と言った。
4:53 それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。

 この53節で、王室の役人自身と彼の家の者がみな信じたことは、コルネリオの場合と非常によく似ていますね。そして54節をご一緒に読みましょう。

4:54 イエスはユダヤを去ってガリラヤに入られてから、またこのことを第二のしるしとして行われたのである。

 この第二のしるしの奇跡を行う前に、イエスさまは48節で王室の役人に、「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない」とおっしゃいました。これはなかなか厳しいことばですが、神様は目に見えませんから、仕方がないことだとも言えます。モーセもギデオンも、「しるし」を見ることで初めてリーダー役に就く決心ができました。 

「しるし」を見ることで確信できる

 私たちは「しるし」を見ることで、神様は確かにいらっしゃるということを確信し、また神様の御心をはっきりと知ることができます。使徒の働き10章の異邦人の救いを例に言えば、それまでペテロは、まさか異邦人が救われて聖霊を受けるとは思ってもいませんでした。それが、自分の目の前で異邦人たちが聖霊を受けた様子を見たので、神様は偏ったことはなさらずにユダヤ人でも異邦人でも、イエスが神の子キリストと信じる者は誰でも聖霊を受けるということを知りました。このように、人は「しるし」を見ることで神様から大切なことを学びます。
 そしてヨハネは、この福音書の執筆目的で、「しるし」を見ることに言及しています。きょうのもう一つの聖書箇所の、ヨハネ20章30節と31節を、交代で読みましょう。

20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

 本当は「しるし」が無くても信じるのが一番なのだと思いますが、なかなかそういうわけにはいきませんから、ヨハネの福音書は読者がイエスさまを信じることができるように、「しるし」について書きました。
 こうして私たちは、ヨハネの福音書、或いはまたマタイ・マルコ・ルカの福音書に記されているイエスさまが行ったしるしを読んで、イエスさまが神の子キリストと信じます。そしてまた、神様が確かにいらっしゃることを信じます。
 旧約聖書のモーセの時代にも、イスラエルの人々は出エジプトの出来事という「しるし」を通じて神様を信じました。週報のp.3に載せた通り、出エジプト記には次のような記述があります。

出14:31 イスラエルは主がエジプトに行われたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。

 そして、このような「しるし」は、私たちもまた、会堂問題で見せていただいています。この会堂の南側にある駐車場は、私たちの教会の土地です。このように広い土地が与えられたことは、まさに奇跡です。この土地の取得経緯から、私たちは神様が確かにおられることを実感しています。私たちは、まずはこの「しるし」のことを、しっかりと心に刻んでおきたいと思います。そして、このように神様が「しるし」を見せて下さっているのですから、新しい礼拝堂も神様が必ず与えて下さることを信じなければなりません。この確信を持って話し合いの時に臨むなら、神様は必ず新しい礼拝堂を与えて下さるでしょう。

ヨハネの福音書の重層構造から注ぎ出される分厚い神の愛
 ただし、新しい礼拝堂を建てても、新しい人が与えられるかどうかは不安な面がどうしてもあります。このことについては、どう考えたら良いでしょうか。私は、次のように考えていただけたらと思っています。
 きょうヨハネ4章の最後の「第二のしるし」は、異邦人が聖霊を受けた使徒の働き10章のコルネリオの場面と重ねられていることを説明しました。ヨハネの福音書は、このような重層構造になっていて、ここから神様の分厚い愛が豊かに注ぎ出されています。複数の時代が重ねられているヨハネの福音書から注ぎ出される神の愛は、単独の時代のみについて記した書とは比べものにならないくらいに豊かなものです。この豊かな神の愛の注ぎを、私たちは世界に先駆けて感じることができています。これは素晴らしい恵みです。いつの日か、全世界にこの恵みが広がると私は確信していますが、今はまだ私たちだけしか、この素晴らしい恵みに与っていません。
 こんな素晴らしい恵みに与っている私たちの教会なのですから、是非多くの方々に集っていただこうではありませんか。そのために私が書いた本も、今年の中ごろには出版されます。そしてさらに私は第二弾、第三弾の本も出して行きたいと願っています。そうしてヨハネの福音書の恵みを広げて行きたいと願っています。その最初の拠点が、この沼津教会です。

おわりに
 隣に広い土地が与えられたこと、そしてヨハネの福音書から注ぎ出される分厚い神の愛をたっぷりと感じる素晴らしい恵みを世界に先駆けていただいていること、これらの「しるし」を見ている私たちですから、恐れることなく会堂の建設を目指して力強く前進して行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。

20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
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