平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

ルカが保存した至高のパウロ(2023.3.26 礼拝)

2023-03-27 04:57:18 | 礼拝メッセージ
2023年3月26日礼拝説教
『ルカが保存した至高のパウロ』
【ピレモン1~25、使徒28:23~31】

はじめに
 年会を越えて4/9のイースター礼拝からは次の後任の先生が説教を担当します。私の説教はあと残り2回となりました。来週の4/2の棕櫚の聖日礼拝では十字架を目前に控えてエルサレムのすぐ近くにまで来られてエルサレムのために泣いたイエス様に注目しますから、パウロに注目するのは今日が最後ということになります。

 今年1月から、ずっとパウロの生涯を分かち合って来ました。きょうは、パウロの生涯のシリーズの最後にふさわしく、最高にきよめられたパウロの信仰を皆さんとご一緒に分かち合いたいと思います。きょうの聖句は使徒の働き28章の30節と31節です。

使徒28:30 パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、31 少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

 そして、次の構成で話を進めて行きます(週報p.2)。

 ①背景:ルカはなぜパウロの生涯の全てを描かなかったのか?
 ②本題:a) 神の領域の壮大なエペソ書・ピリピ書・コロサイ書
     b) パウロはイエス様のようにピレモンに赦しを説いた
     c) 獄中のパウロのような広大な心が赦しを可能にする
 ③適用:平和のため、獄中のパウロの信仰に少しでも近づきたい

①背景:ルカはなぜパウロの生涯の全てを描かなかったのか?
 きょうの聖句の使徒28:30~31(上記)にあるように、使徒の働きはローマで軟禁生活を送っていたパウロの姿を描いて閉じられています。この後、パウロがどこで何をして、どのように生涯を閉じたのか、はっきりしたことは分かっていません。様々な説がありますが、どれも決定的ではないようです。

 ルカはなぜパウロの生涯を終わりまで描かなかったのでしょうか?一つの可能性として言えることは、ルカがこの使徒の働きを書いた時にはパウロがまだ生きていたということです。

 しかし、このパウロがまだ生きていた説はほぼ無いでしょう。パウロがローマで軟禁生活を送っていたのは紀元60~62年頃です。そして、ルカはパウロがここローマに送られる時の船にも一緒にいましたし、パウロがローマに来てからも一緒にいました。その当時のルカに、ルカの福音書と使徒の働きを書く準備が出来ていたとは、とても思えません。

 ルカはルカの福音書の最初に、テオフィロ様に宛てて次のように書いています。

ルカ1:1 2 私たちの間で成し遂げられた事柄については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人たちが私たちに伝えたとおりのことを、多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています。
3 私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。

 ルカはイエス様について初めから綿密に調べました。だからこそ、マタイ・マルコ・ヨハネが書かなかった母マリアがイエス様を生んだ頃のことを詳細に書くことができました。これだけのことを調べるのに、当時は膨大な時間とお金が掛かったことでしょう。今ならパソコンの前に座ってキーボードを叩くだけで、かなりの事が調べられます。それでも、すべての情報がインターネット上にあるわけではありません。それゆえ歴史家などは自分の足を使ってあちこち訪ね歩いて資料を集めます。ルカの時代に資料を収集するには、本当に膨大な時間とお金が掛かったことでしょう。その資金面のサポートをしたのがテオフィロ様であろうと思います。

 そうしてルカはまずルカの福音書を書き、次に使徒の働きを書きました。これだけの書を書くための資料集めをして書き上げることは、パウロと一緒にいた頃には無理だったでしょう。パウロが天に召されて初めて、資料の収集と福音書を書くための時間が出来たと考えるのが自然です。ですから、パウロがまだ生きていた説はほぼ有り得ないだろうと思います。

 では、ルカはなぜ使徒の働きをこの場面で閉じたのでしょうか?よく言われるのは、使徒の働きは1世紀のこの時代だけで終わったわけではなく、2世紀以降も、そして21世紀の現代に至るまでずっと続いている、そのことを示すために、使徒パウロが現役で働いている姿でこの書を閉じたのだ、という説です。私もこの説に共感しています。イエス様は使徒の働き1章8節でおっしゃいました(週報p2)。

使徒1:8 「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」

 21世紀の現代もこの働きは続いていて、聖霊を受けた私たちはイエス様の証人として、まだイエス様とお会いしたことがない方々に、イエス様のことを宣べ伝えます。ですから、使徒の働きは現代に至るまで、ずっと続いています。それゆえルカはローマで軟禁生活を送っているパウロを描いて、この書を閉じたのだという説に私も共感しています。

 そして、それに加えて今回のこのパウロの生涯の説教のシリーズを続けて来て感じていることは、ローマで軟禁生活を送っていた時のパウロは最高にきよめられていて、もうほとんどイエス様と同じくらいになっていたということです。ルカはそのようにイエス様に限りなく近づいたパウロの姿をここに書き留めておきたかったのではないか、そのようにも思うようになりました。きょうは、このイエス様に限りなく近いところまできよめられたパウロの信仰を、ご一緒に分かち合いたいと思います。

②本題:a) 神の領域の壮大なエペソ書・ピリピ書・コロサイ書
 まずa) は、先週の復習になります。先週話したことは、ローマの獄中でエペソ書・ピリピ書・コロサイ書を書いた時のパウロは、それ以前にコリントでローマ書を書いた時のパウロよりも別次元のきよめられ方をされていて、神の領域に入っていたということです。コリントでローマ人への手紙を書いていた時のパウロはまだ人間の側にいるように感じますが、ローマで獄中書簡を書いていた時のパウロはもはや神の領域に入っていることを感じると、先週は話しました。それは、これらエペソ書・ピリピ書・コロサイ書からは宇宙スケールの壮大なキリストの愛を感じることができるからです。特にエペソ書はスケールの壮大さという面では際立っています。パウロはエペソ3章で天の父に祈りました。

エペソ3:16 どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。
17 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。

 これほどの文章が書けたパウロですから、パウロ自身が人知をはるかに超えたキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを知り、神の満ちあふれる豊かさにまで、満たされていたのでしょう。それはパウロが人間の領域からほとんど神様の領域に移っていたことを意味すると思います。と、先週はそのような話をしました。

b) パウロはイエス様のようにピレモンに赦しを説いた
 これまで話して来たように、獄中書簡と呼ばれるエペソ書・ピリピ書・コロサイ書は壮大なスケールを感じる書です。一方で、ピレモンへの手紙もまた獄中書簡と呼ばれる書の一つですが、このピレモン書からは、スケールの大きさを感じることはありませんね。しかし、パウロがピレモンに対して奴隷のオネシモを赦して迎え入れてほしいと、赦しを説いている点で、これもやはり最高にきよめられたパウロだからこそ書けた手紙なのだろうと思わされます。

 まず、このピレモン書が書かれた背後にどのようなことがあったのかを、簡単に見ておきましょう。まずピレモン書の1節と2節、

ピレモン1:1 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンと、
2 姉妹アッピア、私たちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。

 パウロはローマで囚人になっていましたから、パウロは自分のことを1節でキリスト・イエスの囚人と言っています。そして、ピレモンのことを同労者と呼んでいます。2節から分かるようにピレモンは自分の家を教会にして、地域の人々とイエス様の恵みを分かち合っていました。このピレモンの家の教会があったのはコロサイの町であったと考えられます。なぜなら、コロサイ書4章8節と9節に、次のような記述があるからです(週報p.2)。

コロサイ4:8 ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。
9 また彼は、あなたがたの仲間の一人で、忠実な、愛する兄弟オネシモと一緒に行きます。この二人がこちらの様子をすべて知らせます。

 これらから推測できることは、ピレモンはコロサイの町の自分の家を教会にして、キリスト者が集まる場にしていました。家を教会にするにはある程度の広さが必要ですから、ピレモンは裕福であったと考えられます。そして当時の裕福な家では奴隷を使っているのが普通でした。そのピレモンの家にオネシモという奴隷がいましたが、彼は主人のピレモンに損害を与えて逃げ出し、今はローマのパウロのもとにいました。そのオネシモをパウロは主人のピレモンのもとに送り返そうと、この手紙を書きました。ピレモン書17節と18節、

ピレモン1:17 ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
18 もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。

 オネシモは裕福なピレモンの家から何か高価な物を盗んで逃げ出したのではないか、そのように推測できます。そしてオネシモは逃げ出した先でキリスト者と出会い、やがてローマのパウロのもとに導かれて、パウロの役に立つ者となっていたようです。パウロはピレモンに手紙を書いてオネシモを赦して迎え入れるように説いています。

 奴隷とは、当時の考え方としては道具であって人ではない、従って役に立たない奴隷は殺してしまっても全然構わない、まして主人の家の物を盗んだような奴隷なら積極的に殺すべきだ、そんな風であったようです。ですから、もしオネシモをピレモンのもとに返したら、ピレモンはオネシモを殺しても全く構わない、というよりも当然殺されることになります。しかし、パウロは同じキリスト者として、ピレモンにオネシモを赦すようにと説いています。

 このようにピレモンに赦しを説くパウロの姿には、イエス様の姿が重なります。たとえばペテロがイエス様に赦しについて尋ねた時のことです。ペテロはイエス様に尋ねました。

マタイ18:21 「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」

 するとイエス様は言われました。

22「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。」

 七回を七十倍するまで赦すとは、無限に赦すということです。

 或いはまた、イエス様はご自分を十字架に付けた者たちを赦すようにと天の父に祈りました(週報p.2)。

ルカ23:34 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」

 ピレモンに手紙を書いてオネシモを赦すように説いたパウロは、イエス様に限りなく近づいていた、そんな印象を受けます。

c) 獄中のパウロのような広大な心が赦しを可能にする
 普段の日常の言葉遣いの中に、「あの人は心が狭い」とか「あの人は心が広い」という言い方がありますね。「心が広い」は滅多に耳にする機会がないかもしれませんが、「心が狭い」は、たまに聞くことがあるように思います。

 そういう心の狭さ・広さで言うと、獄中書簡を書いた頃のパウロの心の広さは「宇宙レベル」のような気がします。そして、人を赦すためには、そういう広大な心が必要なのだなということを、今回、エペソ書やピレモン書の思い巡らしを通じて改めて感じています。

 心が狭いと、人を赦すことはできません。心が広い人であっても、人を赦すことはなかなか難しいことです。やはり、キリストの愛のような人知をはるかに超えた広さが必要なのでしょう。

 オネシモは奴隷の身でありながら、主人に損害を与えて、逃げました。奴隷ではない、普通の人が何か物を盗んでも、それは赦し難いことでしょう。まして奴隷の身分の者が主人の物を盗むとは、とうてい赦し難いことです。でも、パウロはピレモンに手紙を書いて赦すようにと説きました。

 果たしてピレモンは、パウロの説得に応じたでしょうか?人間的に考えたら、とても難しかっただろうと思います。しかし、クリスチャンは御霊によって一つにされた者同士です。そして、共に霊的な恵みをいただいている仲間です。パウロはピレモンに同じ御霊の恵みを受けている者同士として、オネシモを赦すように説いています。もしピレモンが御霊の恵みに満たされている者であったなら、パウロの説得に応じてピレモンを赦したことでしょう。

 私たちは人知をはるかに超えたキリストの愛の大きさを、御霊によって感じます。そして私の罪を赦し、私の罪のために十字架に掛かって下さったキリストの大きな愛を御霊によって感じる時、人を赦すことが可能になります。七度を七十倍するほど無限に人を赦すことは、御霊の恵みに満たされて、初めて可能になることでしょう。

 このように、御霊に満たされてイエス様に限りなく近づいていたパウロのすぐそばに、ルカはいました。ピレモン書24節、

ピレモン24 私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。

 パウロが天に召された後で使徒の働きを書いたルカの胸の内には、最高にきよめられていた時のパウロの姿が焼き付いていて、それゆえに使徒の働きをこの獄中のパウロの姿で締めくくることにしたのかもしれません。

③適用:平和のため、獄中のパウロの信仰に少しでも近づきたい
 この3番目のパートの表題の「平和のため、獄中のパウロの信仰に少しでも近づきたい」は先週と全く同じです。先週は壮大なスケールの信仰について話しましたが、きょうは人を赦すという点においてのパウロの信仰に少しでも近づきたいと思います。そうでなければ、平和な世は決して訪れないだろうと思います。

 人を赦すことは、とても難しいことです。それゆえ争い事が延々と繰り返されて来ました。イエス様はペテロに、そして私たちに、七度を七十倍するまで赦しなさいとおっしゃいます。それは、イエス様が十字架に掛かることで私たちの罪を赦して下さったからです。私たちの命を造って下さった神様に背を向けて、逆らうことは重大な罪です。それほどまでに重大な罪を、イエス様は十字架に掛かることで赦して下さいました。イエス・キリストの愛はそれほどまでに大きなものです。これほどの愛によって私たちは赦されましたから、私たちも赦すべきです、というのが聖書の教えです。

 とは言え、やはり人を赦すことは難しいことでしょう。しかし、人は御霊によって少しずつきよめられていきます。たとえばパウロは第一次伝道旅行の始めの段階で離脱してしまったマルコを決して赦しませんでした。しかし、その後、パウロは様々なことによってきよめられて行き、ローマで軟禁生活を送っている頃にはマルコがすぐそばにいました。マルコがそばにいたことは先ほど読んだピレモン書24節から分かります。パウロはマルコを赦さなかったことを悔い改めて、もはや赦すとか赦さないという人間的な思いを超えて、御霊によって一つにされて、マルコと共に主のために働いていました。

 人は、このように変えられて行きます。このように変えられたパウロのように、私たちもまた御霊によって、少しずつでも人を赦せるように、変えられて行きたいと思います。そのことを願いつつ、イエス様にお祈りしたいと思います。

 しばらくご一緒にお祈りしましょう。

使徒28:30 パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、31 少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

ピレモン1:17 ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
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世界を救うキリストの愛(2023.3.19 礼拝)

2023-03-19 13:56:35 | 礼拝メッセージ
2023年3月19日礼拝説教
『世界を救うキリストの愛』
【エペソ人への手紙3:14~21】

はじめに
 今週は、「世界の救い」についての大きな話をさせていただきます。

 聖書には「世界の救い」のことと「個人の救い」のことの両方が書かれていますが、教会では「個人の救い」のことが語られることが多いと思います。それは当然であって、一人一人の個人が救われてこそ、世界の救いへと向かって行くことができます。ですから、先ずは「個人の救い」が語られます。しかし、聖書が語る究極のゴールは「世界の救い」です。このゴールが見えていないと、たとえば「ウサギとカメ」のウサギのように、途中で居眠りをするようなことになってしまうかもしれません。私たちの信仰の歩みは、カメのように遅いものであって構いませんから、ゴールを見ながらの歩みでありたいと思います。そうでなければ、平和な世界への道は、いつまで経っても見えて来ないでしょう。

 きょうの聖句はエペソ人への手紙3章18節と19節です。

エペソ3:18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。

 そして、次の構成で話を進めて行きます。

 ①背景:壮大なスケールのエペソ書・ピリピ書・コロサイ書
 ②本題:a) 人間の側から神の領域に入ったパウロのきよめ
     b) 旧約聖書の土台の上に築かれているパウロの信仰
     c) 新約聖書のゴールは旧約聖書と同じ「世界の救い」
 ③適用:平和のため、獄中のパウロの信仰に少しでも近づきたい

①背景:壮大なスケールのエペソ書・ピリピ書・コロサイ書
 礼拝説教ではこれまで、パウロの生涯を眺めつつ、パウロのどのような経験が彼をきよめて行ったのだろうか、ということを分かち合って来ました。パウロは激しい性格の持ち主でしたが、様々な迫害に遭い、また病気が与えられ、アジアではみことばを語ることを禁じられるなどの苦難を経験することで、きよめられていったのでしょう。そしてヨーロッパではリディア、アキラとプリスカ、フィベのような善い協力者たちに恵まれました。善き協力者の彼ら・彼女らはパウロに不足している優れた面も持っていたことでしょう。この善き協力者たちとの交わりが、パウロをさらにきよめることにもつながったことでしょう。そして、ローマ人への手紙をコリントで書いた時は、パウロのきよめは一つの到達点に達したように思います。パウロはローマの教会員たちに書きました(週報p.2)。

ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

 このようなことが書けるのは、パウロ自身がきよめられていたからこそだと思います。本人がきよめられていなければ、こういうことは、なかなか書けるものではないでしょう。

 さてしかし、獄中書簡と呼ばれるエペソ書、ピリピ書、コロサイ書、ピレモン書をローマで書いた時のパウロは、さらに、もっとずっときよめられているという印象を受けます。ローマ人への手紙をコリントで書いた時に比べると、別次元のきよめられ方であるという気がします。

 俳句の夏井いつきさんや梅沢富美男さんたちが出演して人気番組になった6チャンネルの『プレバト』という番組がありますね。俳句の他にも、水彩画や色鉛筆画など、いろいろなジャンルがあって、出演者たちが才能を競い合う番組です。そうして、特待生になると昇格試験があります。作品の出来が良いと、「1ランク昇格」とか「2ランク昇格」になり、稀には「3ランク昇格」もあります。

 パウロのきよめられ方を見るなら、「ローマ人への手紙」をコリントで書いた頃のパウロと比べると、その後で捕らえられてローマに送られ、獄中書簡を書いた頃のパウロのきよめられ方は、「5ランク昇格」と言えるぐらいに、「別次元」のきよめられ方であるように感じます。

 では、どのように「別次元」なのかを、これから見て行くことにします。これまで、この礼拝説教では、人は「御霊の実」を結ぶことできよめられて行くと話して来ました。

ガラテヤ5:22 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。

 しかし、獄中書簡のエペソ書・ピリピ書・コロサイ書からは別次元の壮大なスケールを感じます。ピレモン書はスケールの大きな手紙ではありませんが、パウロが壮大なスケールできよめられていたからこそ、ピレモンへの手紙のような一点の曇りもないきよい手紙が書けたのだと思います。ピレモン書は来週の礼拝説教で分かち合うことにして、きょうはエペソ書・ピリピ書・コロサイ書のスケールの大きさを、まずは分かち合いたいと思います。

②本題:a) 人間の側から神の領域に入ったパウロのきよめ
 本題に入って、まずコロサイ書の壮大なスケールの箇所をご一緒に見ましょう。コロサイ1章(週報p.2)、

コロサイ1:15 御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。
16 なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。
17 御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。

 ローマ人への手紙を書いていた頃のパウロは、十分にきよめられていたとは言え、まだ人間の側にいるという印象を受けます。しかし、コロサイ人への手紙を書いているパウロは神様の領域に入っていることを感じます。もうほとんど神様と一体化している、それほどの領域に達していることをコロサイ1章15節から17節までの箇所から感じます。

 次にピリピ人への手紙を見ましょう。2章5節から11節です。

ピリピ2:6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
10 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
11 すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。

 ピリピ2章6節でパウロは「キリストは、神の御姿であられる」と書いています。この神の御姿とはコロサイ1章16節の万物を造られた御子のことです。御子はすべての造られたものより先に生まれ、万物を創造して支配されておられます。その御子が、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、人となって十字架の死にまで従われました。

 十字架は人間サイズです。人となられたイエス様が磔(はりつけ)にされた人間サイズのものです。しかし、ここに釘付けにされたイエス様は宇宙を創造された宇宙サイズの神様です。十字架は人間サイズですが、実は宇宙サイズの神様がここにギュッと凝縮されています。パウロはこの十字架に、天地万物を創造された宇宙サイズの神様の姿を見ていました。

 囚われの身となってローマで不自由な軟禁生活を送っていたパウロは、神の領域の側に入れられるまでにきよめられて、宇宙スケールの壮大な手紙を書くに至りました。それが最も良く表れているのが、きょうの聖書箇所のエペソ人への手紙3章だと思います。この箇所からは、本当に宇宙サイズの壮大なスケールを感じます。まず3章16節、

エペソ3:16 どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。

 パウロはまず御父に、私たちの内に御霊が働いて強めてくださるようにと祈っています。そして17節で、私たちの心のうちに御霊の働きによってキリストが住むようにと祈っています。このことで、人知をはるかに超えたキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになって、神の満ちあふれる豊かさにまで、私たちが満たされるようにと祈っています。パウロ自身はきっとこの人知をはるかに超えたキリストの愛を理解して、神の豊かさに満たされていたのでしょう。それゆえ、これほどの壮大なスケールの手紙を書くことができたのでしょう。

 繰り返しますが、十字架は人間サイズですが、ここに磔(はりつけ)にされた御子イエス・キリストは万物を創造された宇宙サイズのお方です。それゆえ、キリストの愛も宇宙サイズです。夜の星空を見上げる時、私は自分とこの地域一帯がキリストの愛ですっぽりと覆われていることを感じます。特に夏の夜には、真上にハクチョウ座の巨大な十字架が見えます。この巨大な十字架を見上げる時、イエス様の十字架の愛に完全に覆われていることを強く感じます。そうして、神の満ちあふれる豊かさにまで、満たされるような感覚を味わいます。この田町の地域は、少し歩けば安倍川の河川敷に出て、夜の星空を見上げるのには好都合です。沼津の教会も海岸に近かったので星空を見上げるには良い場所でした。そして、安倍川に近いこの教会も、星空を見上げるには良い場所でしたから、とても感謝でした。

b) 旧約聖書の土台の上に築かれているパウロの信仰
 パウロがこれほどまでに神の豊かさに満たされるようになったのは、パウロの信仰の土台が旧約聖書によって、しっかりと据えられていたからでしょう。福音書やパウロの手紙などの新約聖書の信仰は、旧約聖書の信仰の土台の上に築かれています。新約聖書には「聖書」ということばが50回以上使われていますが、新約聖書が言う「聖書」とは、旧約聖書のことです。新約聖書は、旧約聖書の土台があってこその書物です。この土台があるからパウロの信仰の頂は高い所にあります。富士山にたとえるなら、旧約聖書の土台とは、富士山の五合目から下に広がる、広大な裾であると言えるでしょう。

 富士川付近を通過する時の新幹線の車窓から見える富士山の姿に人気があるのは、この広大な裾のほぼ全体が見えるからですね。私の友達には、新幹線の車窓から見える富士山の写真をSNSにアップしている人が何人もいます。富士山は山頂付近が見えているだけでも、うれしくなりますが、やはり五合目から下の裾までがしっかりと見えると、感動の度合いがぜんぜん違います。それはスケール感がぜんぜん違うからです。五合目から下の裾の部分がしっかりと見える富士山は、本当に壮大で美しいと思います。そして、聖書の旧約聖書とは、五合目から下の裾の土台の部分であると言えるでしょう。

 パウロが人知をはるかに超えたキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解していたのは、パウロの信仰の土台に旧約聖書があるからこそでしょう。

 きょうの聖書交読ではイザヤ書65章を交読しました。ここに「新しい天と新しい地」ということばが出て来ました。その部分をお読みします。イザヤ書65章の17節から19節まで(旧約p.1278)、

イザヤ65:17 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。
18 だから、わたしが創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。
19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない。

 これが旧約聖書が示している「世界の救い」のゴールです。そして、新約聖書のゴールも、究極的には「世界の救い」です。

c) 新約聖書のゴールは旧約聖書と同じ「世界の救い」
 これまでの礼拝説教で何度か引用したように、ヨハネの黙示録21章の1節と2節には、このように書かれています(週報p.2)。

黙示録21:1 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。

 イエス様は十字架で死なれた後に復活して、また天に帰られました。ですから、天におられるイエス様は宇宙サイズのお方です。その天のイエス様が終末の時には再び天から降って来られます。そうして、新しい天と新しい地が地上に創造されます。それが神の王国です。ヨハネは続いて、次のように書いています。黙示録21章の3節と4節です。

3 私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
4 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」

 イザヤ書65章の預言と同じですね。つまり、新約聖書のゴールもまた、旧約聖書と同じ「世界の救い」です。私たちは、このことのために地上を整える役割を与えられています。私たちは五タラントや二タラント、一タラントなど、それぞれの能力に応じてイエス様からタラントを預けられている、しもべです。イエス様はいずれ天から地上に帰って来られますから、その時までに地上をできるだけ平和にしておくように働くことが期待されています。

 コロナ禍や戦争、むごたらしい殺人事件、大地震や地震による津波、温暖化による大雨など、気が滅入ることが多い今の世ですが、人知をはるかに超えたキリストの愛が私たちをすっぽりと覆っていることを感じるなら、その愛によって力づけられて、イエス様のために働くための力が与えられます。

③適用:平和のため、獄中のパウロの信仰に少しでも近づきたい
 2月の24日で、ウクライナでの戦争が始まって1年になりました。この2月24日を挟むようにして、その前と後に、パウロのきよめの過程をご一緒に分かち合って来ました。私は何週間か前に、ローマ人への手紙を書いた頃のパウロが、きよめの一つの到達点であり、そこが私たちの目標ではないか、というような話をしたと思います。獄中書簡のパウロは、私たちたちには遠く及ばないほどのきよめられ方だと感じていたからです。或いは、私たち自身には当面は投獄されるような経験はしないだろうと思ったからです。

 でも、このシリーズを今週まで続けて来て思うことは、この獄中書簡のパウロに少しでも近づくのでなければ、世界はなかなか平和にならないであろう、ということです。

 来週は、同じ獄中書簡の一つのピレモンへの手紙をご一緒に見たいと願っています。このピレモンへの手紙は、エペソ書、ピリピ書、コロサイ書を書いたパウロだからこそ書けた手紙であると感じます。かつてマルコが第一次伝道旅行の始めの段階で離脱したことを巡ってバルナバと激しい口論をした挙句に喧嘩別れをしたような時期のパウロであったら、決してピレモンへの手紙のようなきよい手紙は書けなかったでしょう。

 そうして思うことは、このピレモンへの手紙を書いた時のパウロに少しでも近づくことができるように祈り、御霊にきよめていただくのでなければ、戦争を繰り返す世の中に終わりは来ないで、このひどい世の中が続いて行くのではないか、ということです。せめてもう少し、この地上が平和になるように整えられなければ、なかなか新しいエルサレムは地上に降って来ないのではないか。それがいつのことかは天の父がお決めになることですから私たちには分かりませんが、私たちが預けられているタラントをもっと有効に使って、「よくやった、良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」(マタイ25:21、23)と言っていただけるようにならなければ、主人であるイエス様は、この世に帰って来て下さらないのではないかという気がしています。

 そういうことを思いながら、来週はピレモンへの手紙をご一緒に見てみたいと思います。今週は駆け足でしたが、コロサイ書、ピリピ書、エペソ書の壮大なスケールの箇所を共に読みました。これらの手紙を書いたパウロに少しでも近づくことができれば、と思います。そのことに思いを巡らしながら、しばらくご一緒にお祈りしましょう。

エペソ3:18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。
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平和への道をあきらめない(2023.3.16 祈り会、3.17 静岡朝祷会)

2023-03-17 09:50:08 | 祈り会メッセージ
2023年3月16日祈り会説教、3月17日静岡朝祷会奨励
『平和への道をあきらめない』
【ヨハネ8:24、44、9:5~7、10:1、40、11:6~7、32~35】

 きょうはヨハネの福音書の8章から11章までを見渡すことにします。先週の祈り会でE.W.クラーク先生の『Katz Awa(勝安房)』を紹介する中で平和の大切さを改めて感じたからです。

 勝海舟は幕末には軍艦奉行として、また明治の世になってからは海軍卿として、日本の海軍の基礎を築きました。この勝海舟が築いた基礎があったから日本の海軍、そして陸軍を含む日本の軍隊は短い期間の間に軍事力を高めて日清戦争に勝ち、日露戦争でも善戦するほどになったとクラーク先生は『Katz Awa』の中で勝海舟を絶賛しています。

 先週はこのことを紹介した後で、次のような話をしました。

 明治の世に日本が富国強兵で軍事力を高めて行ったのは、当時の世界情勢の中では仕方のないことだったのかもしれません。しかし、日本も世界もいつまで同じことを繰り返すのでしょうか。特に日本は第二次世界大戦で敗戦国となって軍事力を放棄し、且つ日本国憲法第九条に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記しました。それにも関わらず陸海空の軍事力を自衛隊によって着々と高めていて、ここ10年ではそれが加速しています。

 そうして日本も世界も戦争を繰り返しては相手を滅ぼし、或いは相手に滅ぼされ、壊滅的な戦災を被っても、またしても軍事力を高めてはまた戦争することを繰り返しています。その時々の情勢、また昨今の世界情勢では、それも仕方がないという考える人も多いでしょう。しかし、私たちはこの戦争の繰り返しを一体いつまで続けるつもりでしょうか?

 21世紀の今はこういう悲しい状況の中にありますが、私はまだ平和への道をあきらめていません。聖書を部分的に読むのではなく、聖書全体を理解しようと努めるなら、天の父とイエス様が戦争を繰り返す愚かな人間のことをどんなに悲しみ、涙を流しているかが、分かるからです。この天の父とイエス様の深い悲しみを共有するなら、世界は必ず平和な方向へと向かって行くはずです。

 では何故、まだそれが出来ていないのか、それはキリスト教会の多くが「個人の救い」を重点に置いているからだと考えます。教会が「個人の救い」に重点を置くのは当然ですが、「世界の救い」にも少しは目を向けるべきだと思います。

 聖書には「世界の救い」と「個人の救い」の両方のことが書かれています。旧約聖書は明らかに「世界の救い」の方に重点を置いて語っています。まずイスラエルの民が救われて、そうしてエルサレムに世界の国々から人々が集まって来て、終わりの日には新しい天と新しい地が創造されて(イザヤ書65~66章)、世界が救われます。

 新約聖書は、この旧約聖書が土台になっています。新約聖書では「聖書」ということばが50回以上使われています。新約聖書が言う「聖書」とは旧約聖書のことです。新約聖書は、この旧約聖書を土台にして書かれています。そうして新約聖書の最後に収められているヨハネの黙示録は、イザヤ書で預言されている新しい天と新しい地は、天から新しいエルサレムが地上に降って来ることで完成することを明らかにしています(黙示録21~22章)。つまり、新約聖書も究極的には「世界の救い」が語られている書です。でも、その過程においてはもちろん、一人一人の個人の救いがあります。使徒たちも個人伝道を多くしていました。そうして、多くの個人が救われることで、「世界の救い」へと向かって行きます。ですから、教会が「個人の救い」を重点に置くことは当然であって、そうすべきです。

 しかし、「個人の救い」にばかり目を向けていると、「世界の救い」が見えなくなってしまいます。新約聖書も究極的には「世界の救い」を語っているのですから、それが見えなくなるのは、とても残念です。そのために、いつまでも戦争がなくならないのだと思います。

 きょうはこれから駆け足でヨハネの福音書が旧約聖書を土台にしていて、「個人の救い」だけではなく「世界の救い」についても語っている書であることを、分かち合いたいと思います。1章から見たいところですが、時間が限られていますから、8章から見て行きます。

 まずヨハネ8章24節、

ヨハネ8:24 それで、あなたがたは自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。わたしが『わたしはある』であることを信じなければ、あなたがたは、自分の罪の中で死ぬことになるからです。」

 この『わたしはある』の所には星印(*)があって、下の注を見ると次のように書いてあります。

*「エゴー・エイミ」。出エジプト記3:14の「わたしは『わたしはある』という者である」という神の自己顕現の表現に由来。

 つまりイエス様は、自分と父とは一つの存在であると、この8章24節でおっしゃっています。そして、この「エゴー・エイミ」 ―― 英語で言えば「I am」 ―― を使って、イエス様は「わたしは~です」と何度もおっしゃっています。

「わたしはいのちのパンです」(6:48)、「わたしは世の光です」(8:12)、「わたしは門です」(10:9)、「わたしは良い牧者です」(10:11)、「わたしはよみがえりです。いのちです。」(11:25)、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(14:6)、「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です」(15:5)。

 これらの「わたしは~です」を通して、イエス様は繰り返し「エゴー・エイミ」と言って、ご自身が父と一つであることを示しています。すなわち、「わたしは門です」であれば、「わたしは『わたしはある』であり、且つ門です」とイエス様はおっしゃっており、「わたしはよみがえりです。いのちです」であれば、「わたしは『わたしはある』であり、且つよみがえりです。いのちです」とおっしゃっているのだと思います。このようにして、イエス様はご自身が「わたしはある」である、すなわち父と一つの存在であることを何度も示しています。次に8章44節、

【マナセ王・アモン王の時代】ヨハネ8:44 あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。

 ここでなぜ「悪魔」が出て来るかと言うと、8章のイエス様はマナセ王の悪魔の時代にいるからです。旧約の時代、イエス様は父と共に天にいて、天から聖霊を地上の預言者たちに遣わして父のことばを伝えていました。

 ヨハネ1章は【アブラハム・イサク・ヤコブの時代】、ヨハネ2章は【モーセの時代】、ヨハネ3章は【モーセ、ヨシュア、サムエル、ダビデの時代】、ヨハネ4章は【エリヤの時代】、ヨハネ6章は【エリシャ、ホセア】の時代、ヨハネ7章は【イザヤの時代】です。

 しかし、イザヤが預言していた【ウジヤ王からヒゼキヤ王までの時代】の「次」の【マナセ王とアモン王の時代】は預言者が不在です。マナセ王が預言者を殺してしまったからです。イザヤもマナセに殺されたという言い伝えがあります。ですから、マナセ王とアモン王の時代は悪魔の時代でした。続いて9章5節と6節、

【ヨシヤ王の時代】ヨハネ9:5 「わたしが世にいる間は、わたしが世の光です。」
9:6 イエスはこう言ってから、地面に唾をして、その唾で泥を作られた。そして、その泥を彼の目に塗って、
9:7 「行って、シロアム(訳すと、遣わされた者)の池で洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。

 ここでイエス様はヨシヤ王の時代に言及しています。悪魔のマナセ王の孫で、アモン王の子であるヨシヤ王は、とても善い王でした。そしてマナセ王とアモン王の時代に荒れてしまった神殿の修理をしたことが列王記と歴代誌(列王記第二22章、歴代誌第二34章)に書かれています。その神殿の修理中に律法の書が発見されました。ヨシヤ王たちは、そもそも「律法の書」があることすら知りませんでした。それで、ヨシヤ王は、この律法の書のことばを聞いた時に衣を引き裂きました。それほどのショックだったとうことですね。こうしてヨシヤ王の霊的な目が開かれました。この霊的な目の開眼が、ヨハネ9章5節の「わたしが世の光です」と盲人の開眼によって表されています。続いて10章1節では、ヨシヤ王の良い時代が過ぎて南王国は再び不信仰の時代になっていました。10章1節、

【エホヤキム王たちの時代】ヨハネ10:1 「まことに、まことに、あなたがたに言います。羊たちの囲いに、門から入らず、ほかのところを乗り越えて来る者は、盗人であり強盗です。」

 これはエレミヤの警告です。天のイエス様は地上のエレミヤに聖霊を遣わして、繰り返し、不信仰を改めるようにエルサレムのエホヤキム王や人々に警告しました。不信仰を改めないならバビロン軍などの外国軍を送って滅ぼすという警告です。しかし、エルサレムの人々が耳を傾けなかったために、遂に外国軍が城壁を乗り越えてエルサレムに侵入して略奪しました(列王記第二24章)。これが10章1節の「羊たちの囲いに、門から入らず、ほかのところを乗り越えて来る者は、盗人であり強盗です」で表されています。

 そして、エルサレムの人々はバビロンに捕囚として引かれて行きました。10章40節、

【バビロン捕囚の時代】ヨハネ10:40 そして、イエスは再びヨルダンの川向こう、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた場所に行き、そこに滞在された。

 バビロンはヨルダン川の東側にあります。ここに預言者のエゼキエルが引かれて行きました。そしてダニエルもバビロンにいました。エゼキエルやダニエルなどの預言者たちの内には聖霊がいますから、それはイエス様が内にいるのと同じことです。イエス様もまたバビロンに引かれて行きました。そして、バビロン捕囚が始まってから、その後でエルサレムが滅亡しました。そしてバビロン捕囚から約70年後に人々はエルサレムの再建のために帰還を始めます。ヨハネ11章6節と7節、

【エルサレム滅亡・エルサレム帰還の時代】ヨハネ11:6 しかし、イエスはラザロが病んでいると聞いてからも、そのときいた場所に二日とどまられた。
11:7 それからイエスは、「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われた。

 ここで病んでいるラザロとは、滅亡寸前のエルサレムのことです。そしてラザロが死んで、エルサレムは滅亡しました。そうして預言者たちの中のイエス様は廃墟のまま放置されていたエルサレムに戻って来ました。ヨハネ11章32節から35節、

【戦災で廃墟になったエルサレムを見て涙を流すイエス】ヨハネ11:32 マリアはイエスがおられるところに来た。そしてイエスを見ると、足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
11:33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった。そして、霊に憤りを覚え、心を騒がせて、
11:34 「彼をどこに置きましたか」と言われた。彼らはイエスに「主よ、来てご覧ください」と言った。
11:35 イエスは涙を流された。

 イエス様はエレミヤを通して何度も、エルサレムの人々に不信仰を改めて主に立ち返るように繰り返し警告しました。その警告を無視したからエルサレムは滅ぼされました。それなのにマリアが「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言って泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になって霊に憤りを覚えました。イエス様は、ちゃんとエレミヤの中にいて、人々に警告していました。それを彼らが分かっていないことに憤りを覚えました。そして、イエス様は涙を流されました。

 エルサレムが滅亡して廃墟になったことはイエス様と天の父にとって、涙を流すほど悲しいことでした。

 最初の話に戻ると、「個人の救い」だけに目を向けていると、こういう旧約聖書の大きな流れが新約聖書の中に埋め込まれていることが読み取れなくなります。そうして、旧約聖書の土台の上に新約聖書があることも忘れてしまいます。世界が平和に向かうためには、新約聖書は旧約聖書の「世界の救い」の土台の上にあることを、もっと意識する必要があるでしょう。

 とは言え、教会が「個人の救い」に重点を置くことは当然のことです。地域にいる方々のお一人お一人を教会は救いに導かなければなりません。私たちは教会の一員として「個人の救い」に重点を置いて伝道します。しかし、同時に「世界の救い」のことも心の片隅で意識していなければならないと思います。天の父とイエス様が、戦争によって都市が廃墟になることを、どんなに悲しんでおられるのか、このことが分からなければ、延々と戦争を繰り返すことになるでしょう。

 「個人の救い」に重点を置きつつも、「世界の救い」のことも忘れずに、イエス様と共に歩む私たちでありたいと思います。お祈りいたします。

ヨハネ11:35 イエスは涙を流された。
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神のすべての武具を身に着ける

2023-03-15 04:46:43 | 礼拝メッセージ
2023年3月12日礼拝説教
『神のすべての武具を身に着ける』
【エペソ6:10~19】

はじめに
 今年の礼拝説教では、これまでパウロの生涯を見て来ました。そしてパウロのどのような経験がパウロをきよめて行ったのだろうか、ということを考えて来ました。私たちの一人一人もパウロの経験とは違いますが、それぞれが様々な経験を通して、御霊の実を結んで、きよめられる恵みをいただいています。そうして、少しずつきよめられて行くなら、少しずつ神様が見えて来るようになります。

 すると、新たな疑問が生まれます。神様は確かにいらっしゃる。それなのに、どうして世界はこんなに悲惨で、痛みと悲しみに満ちているのだろうか?そのような疑問です。

 きょうは、このことをご一緒に分かち合ってみたいと思います。きょうの聖句はエペソ人への手紙6章11節です(週報p.2)。

エペソ6:11 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。

 そして、次の構成で話を進めて行きます。

 ①背景:神様は確かにいる。ではなぜ世界は悲惨なのか
 ②本題:a) 世の人々が神様を知ることを妨害する悪魔
     b) 神の武具を身に着けて、悪魔の攻撃を防ぐ
     c) 神のことばは御霊の剣。御霊によって祈る
 ③適用:御霊の実を結ぶなら御霊により祈れるようになる

①背景:神様は確かにいる。ではなぜ世界は悲惨なのか
 いつも話していますが、パウロはとても激しい一面を持っていて、その激しさは恩人のバルナバと口論して喧嘩別れするほどでした。しかし、伝道旅行を続ける中で様々な経験をしてきよめられて行き、いわゆる獄中書簡と呼ばれるエペソ書、ピリピ書、コロサイ書、ピレモン書を書いた頃には、すっかりきよめられているという印象が手紙から感じられます。きょう開いているエペソ人への手紙も、その一つですね。獄中書簡というのは、パウロが囚人として囚われの身であった時にローマで書いた手紙です。

 人は、きよめられると、その分、神様がよく見えるようになります。それは、イエス様が山上の説教で、次のようにおっしゃったことから分かります(週報p.2)。

マタイ5:8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。

 人はきよめられる過程で、神様に逆らう罪が段々となくなって行きますから、その分、神様がよく見えるようになります。きっとパウロもきよめられて行く中で、神様のことがどんどんよく見えるようになって行ったのだと思います。

 でも、そうして神様がよく見えるようになればなるほど、別の新たな疑問が生じて、その疑問がどんどん大きく膨らむようになります。

 神様は確かにいらっしゃる。そうして私たちと共にいて下さり、守って下さっている。それなのに、どうして、この世の中は悲惨なことで満ちているのだろうか?という疑問です。この悲惨な世の中で苦しみ、悲しんでいる方々がたくさんいます。

②本題:a) 世の人々が神様を知ることを妨害する悪魔
 神様は、確かにいらっしゃる。それなのに、なぜこの世の中は、こんなに悲惨なのか、それは、きょうの聖書箇所のエペソ6章のパウロのことばが明らかにしています。エペソ6章10節と11節を、お読みします。

エペソ6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
11 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。

 悪魔がいて、悪魔が私たち人間と神様との関係を断ち切ろうとするから、この世の中は悲惨なことが多いのですね。ここでパウロは「悪魔の策略」ということばを使っていますが、パウロには悪魔の策略がよく見えていたのだと思います。きよめられて神様のことがよく見えるようになって来ると、それと同時に悪魔のこともよく見えるようになるのだと思います。

 悪魔は策略を練って、実に巧妙に人を神様から引き離そうとします。それは、創世記3章で蛇がアダムの妻のエバを誘惑したことからも、よく分かりますね。ここで創世記3章をご一緒に見てみたいと思います。旧約聖書のp.4です。創世記3章1節、

創世記3:1 さて蛇は、神であるが造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」

 ここで悪魔は蛇の姿になってアダムの妻のエバに近づきました。これも悪魔の策略です。神様が、善悪の知識の木の実から食べてはならないと命じたのは、アダムに対してでした。創世記2章の16節と17節、

創世記2:16 神であるは人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

 神様はアダムに対してこう言いました。妻のエバはこのことをアダムからは聞いていましたが、神様から直接聞いたわけでは多分ないでしょう。その分、脇が甘くなっていて悪魔から見れば、そこにつけ入る隙がありました。そうして3章1節で蛇はエバに「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか」と聞きました。この聞き方も本当に巧妙ですね。蛇にこう聞かれれば、エバが2節のように答えたのは当然でしょう。2節、

2 女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。」

 蛇はエバにこう言わせて、食べたくなるように仕向けて行きました。そして、さらにエバにこう言わせます。

3 「しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」

 蛇はエバにこう言わせた上で、彼女に言いました。4節、

4 すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。」

 これも、実に巧妙ですね。確かに、この後でエバが実を食べてしまった後、直ちには死にませんでした。しかし、霊的な命を失い、永遠の命を失ってしまいました。そういう霊的な観点からは神様の言われた通り、死んでしまいました。そうして、人は神様と豊かに交わる恵みをいただくことができなくなりました。

 このようにして、悪魔は巧妙に人に近づいて、人と神様との間の関係を断ち切ってしまいます。すると、人は神様に顔を隠し、背を向けるようになります。イエス様が十字架に付いたことで、この神様に背を向ける重い罪は赦されますが、悪魔の暗躍は使徒たちの時代でも、なお続いており、現代においても続いています。それゆえ今でも、世の中は悲惨なことで満ち溢れています。

b) 神の武具を身に着けて、悪魔の攻撃を防ぐ
 この悪魔の策略から身を守るために、神の武具を身に着けるようにとパウロは書いています。次のb) に移って、もう一度、エペソ6章10節と11節をお読みします。

エペソ6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
11 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。

 神のすべての武具を身に着けるなら、大能の力によって強められるのですね。
 12節以降も、読んで行きましょう。12節、

12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。

 この暗闇の世界の支配者たちが暗躍しているから、この世は悲惨なことで満ちているのですね。13節、

13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。

 この邪悪な日は、様々な解釈ができると思いますが、邪悪さの度合いが強まったり弱まったりしながら、この二千年間ずっと続いていると解釈することもできると思います。特に、この数年間は邪悪さの度が増し加わっているように感じます。新型コロナウイルスの世界流行、温暖化による大雨の被害、ロシアとウクライナの戦争、5万人以上が亡くなったと言われるトルコとシリアの地震など、これらはもっと被害を小さくとどめることもできたんだろうと思います。でも悪魔の策略につけ入る隙を与えてしまっているために、被害が大きくなって、しまっているのだと思います。

 そうして、「こんな悲惨なことが起きる世の中には、神なんていないんだ」と思う人も少なくないでしょう。しかし、これでは、悪魔の思うツボです。神様は確かにいらっしゃるのに、「神なんかいない。いたら、この悲惨な状況を放っておく筈がないではないか」、と思ってしまうように仕向ける、これが正に悪魔の策略です。この悪魔の策略に対抗できるように、神のすべての武具を取って身に着けるよう、パウロは勧めています。14節から16節、

14 そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。

c) 神のことばは御霊の剣。御霊によって祈る
 この14節から16節に書かれている武具は、身を守るための武具ですね。しかし、17節の「御霊の剣」の「剣」は、防御も兼ねますが、攻撃にも用いられる武具です。次のc) に移って、17節、

17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。

 御霊の剣は「神のことば」なのですね。神のことばは悪魔の策略から身を守るだけでなく、悪魔を撃退する攻撃的な要素を持つということでしょう。聖書によって神のことばをたくさん身に着けるなら、それはすなわち悪魔をこの世から退散させることにつながります。

 逆に言えば、聖書の神のことばが疎かにされているから、世の中はこんなにも悲惨な状況になっている、と言うこともできるでしょう。私たちは神のことばを広くお伝えすることで、悪魔を退散させて行くことができたらと思います。

 そしてパウロはまた、「御霊によって祈りなさい」と書いています。18節と19節、

18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。
19 また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。

 祈る時は、御霊によって祈ることが大切なのですね。御霊によって祈ることで天の父と御子イエス様に祈りが届けられて、応えていただくことができます。闇雲に祈るのではなく、御霊によって祈ることが大切であることを、パウロはエペソ人たちに、そして私たちに伝えています。

③適用:御霊の実を結ぶなら御霊により祈れるようになる
 では、どうすれば御霊によって祈れるようになるのか、ということになりますね。どういう祈りが御霊による祈りなのでしょうか?一つ確かなことは、世の中の多くの祈りは御霊による祈りではない、ということだろうと思います。多くの祈りが御霊による祈りであれば、こんな悲惨な世界にはなっていないのだろうと思います。

 御霊による祈りとは、どういう祈りなのか、御霊の実が結ばれるのなら、段々と分かって来るのではないでしょうか。パウロがガラテヤ人への手紙に書いたように、

ガラテヤ5:22 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。

 御霊の実が結ばれて、愛と喜びと平安に満たされて、そのことに感謝しつつ祈るなら、御霊によって祈ることができるのではないでしょうか。単なる愛や喜びや平安ではなくて、この愛と喜びと平安は御霊によって与えられたのだと自覚しながら祈る時、それは御霊による祈りになるのではないでしょうか。

 御霊は私たちの心の内に入って下さり、御霊の実が結ぶように働いて下さり、きよめて下さいます。その御霊の働きを自分の内に感じつつ祈ること、それが御霊による祈りであろうと思います。

 そうして神様と豊かに交わる恵みを私たちはいただくことができます。しかし、悪魔はそんなことをさせまいと妨害します。それはとても巧妙な策略による妨害ですから、本当に神のすべての武具を身に着けなければ防ぐことは難しいでしょう。もう一度、エペソ6章の10節と11節をお読みします。

エペソ6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
11 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。

 私たちがきよめられて神様に近づけば近づくほど、悪魔の妨害も激しくなります。それは蛇がアダムの妻のエバを誘惑したように巧妙な策略によって為されます。私たちは神様のすべての武具を身に着けて、それを防ぎ、主イエス様と共に信仰の道を歩んで行きたいと思います。しばらくご一緒にお祈りしましょう。
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いまだ遠い平和への道のり(2023.3.9 祈り会)

2023-03-13 05:17:37 | 祈り会メッセージ
2023年3月9日祈り会説教
『いまだ遠い平和への道のり』
【イザヤ2:1~4、マタイ5:9】

イザヤ2:1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見たことば。
2 終わりの日に、の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。
3 多くの民族が来て言う。「さあ、の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムからのことばが出るからだ。
4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

 「静岡のクラーク先生」や「もう一人のクラーク先生」とも呼ばれる、エドワード・ウォーレン・クラーク先生のことを私は絶賛していますから、私がこのクラーク先生のことを全面的に肯定していると思っている方もいらっしゃるかもしれません。でも、それは誤解で、私は必ずしも全肯定はしていません。それは当然で、どんな人にも、それはちょっとどうなの?という点はありますよね。きょうは、そういう点を見たいと思います。ただし、私がクラーク先生について、首をかしげる点があるのは21世紀の現代の視点で見ているということもあると思います。クラーク先生は19世紀の後半から20世紀の初めまでを生きた人ですから、当時としては、それが当たり前だったということもあるでしょう。

 きょう注目したいのは、クラーク先生の平和への意識です。まずは周辺的なことから話を始めます。

 クラーク先生は幅広い分野の学問に通じていましたが、専門は化学でした。クラーク先生がいかに化学に通じていたかを示す、こんなエピソードがあります。下記は、クラーク先生が静岡学問所に着任してから4ヶ月ほど経った時期に、アメリカの知人宛てに書いた手紙の一部です。

数週間前、黒っぽい液体が私の許に送られて来て、彼らの地方[静岡県中部の相良]のある土地の水がこの液体で覆われていて、その正体は何なのか知りたいとのことだった。少し分析しただけで、私はこれがかなりの割合で良質の石油からなることが分かった 。その一部にいわゆる「分別蒸留」のプロセスを施したところ、それぞれ特別の性質を持った四つ別々の物質を得ることができた。これらの液体を私は注意深く試験管に入れ、その地方に送り返したのだが、そこには神秘的に見える化学式を書いておいたので、きっと彼らにはエジプトのヒエログリフ[古代エジプトの象形文字]のように映ったことだろう。(今野喜和人・訳)

 クラーク先生は当時23歳で、その若さでこれだけのことができたのは、今の目で見るとすごい事だと思います。

 この手紙でクラーク先生は黒っぽい液体を分析したと書いています。実は静岡学問所はクラーク先生のために立派な実験室を作りました。そこで分析を行ったのでしょう。そして、『Katz Awa』には、クラーク先生が火薬を使った実験を行っていたことが書かれています(恐らく学生たちの前で実験して見せたのだと思います)。引用します。

この実験室私は下条[クラークの通訳]と(予備的な爆発物の)綿火薬、ニトログリセリン、ダイナマイト、水銀雷管、アームストロング砲の信管を作った。これらはすべて改良されて実戦で使用されたと聞く。もし、これらが実験室で我々が見たような威力を実戦でも発揮していたなら、ロシア人が残っているだろうか!

 この『Katz Awa』は日露戦争中の1904年に書かれたもので、クラーク先生は30年前の若い時に自分が化学の実験室で行った火薬の実験を回想して、このように書いています。火薬は少量でもすごい威力の爆発力を見せたのでしょう。そして、クラーク先生は、この実験室で見せた威力を実戦の日露戦争でも発揮していたら、ロシア人は一人も生き残っていないだろう、と書いています。クラーク先生は日本軍の勝利を願い、このような書き方をしたのだと思いますが、日本の勝利を願いすぎる余り、つい筆が滑った感もあります。

 この文章が、クラーク先生が20代の頃の文章であれば、分からないでもありません。でも、これはクラーク先生が55歳の時の文章です。50代のクラーク先生の中にまだまだ好戦的な気持ちがたっぷりとあることに少々驚きます。クラーク先生は勝海舟が江戸城無血開城のために尽力したことを絶賛しています。ですから、全体的な基調としてはクラーク先生は平和を愛している人だということが分かります。しかし、同時に日本軍がいくつかの戦いでロシア軍を打ち負かすほどの戦果を挙げていることを高く評価しています。そして、日本が日清戦争と日露戦争の頃にはかなり強力な軍事力を持つに至ったのは勝海舟がその基礎を築いたからだと書いています。クラーク先生は、勝海舟が江戸城無血開城のために尽力したことを高く評価していただけではなく、勝海舟が日本の軍隊、特に海軍の基礎を築いたことを高く評価しています。

 それは当時としては当然のことなのでしょう。アジアの多くの地域が西洋諸国によって植民地化されていった中で、日本は免れました。それは当時の日本が高い軍事力を持っていたからではなく、日本を狙っている西洋諸国がたくさんあって、互いににらみ合っていたからだという幸運もあったのだろうと思います。そういう危険な状況の中で、日本は外国に対抗できる軍事力を高めて行きました。そして、日清戦争と日露戦争の頃には日本の軍隊が外国と対等以上に戦える軍事力を持ったことをクラーク先生は、高く評価しています。

 きょう私が、この祈祷会で何を皆さんと分かち合いたいかというと、当時はそれが仕方のないことであったとしても、日本も世界もいつまで同じことを繰り返し続けるのだろうかということです。そして、こんな世界のことを神様はきっと悲しい目をして見ておられるだろうということです。

 クラーク先生が『Katz Awa』を書いた1904年の10年後の1914年に第一次世界大戦が始まって1918年まで続きました。そして、このような悲劇が起こらないようにと国際連盟が1920年に発足します。しかし、その甲斐なく約20年後には第二次世界大戦が起きます。そして第二次世界大戦後に今度は国際連合が発足しましたが、戦争は絶えることがなく、国連の安保理事会はロシアとウクライナの戦争を止めることができずにいます。

 日本も1945年に全面降伏して軍事力をすべて放棄して、日本国憲法にもそれを明記しましたが、自衛隊という名の軍隊の軍事力を強化し続けています。特にこの10年は法律面でも予算面でも軍事力強化が加速しています。

 今回私は『Katz Awa』を読んで、人間は懲りずに同じことを延々と繰り返すのだなと、思いました。きょうの祈祷会の最初にイザヤ書2章をご一緒に読みました。これは『Katz Awa』には引用されていませんが、共にこの聖句を今一度味わいたいと思いましたから、開くことにしました。お読みします。

イザヤ2:1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見たことば。
2 終わりの日に、の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。
3 多くの民族が来て言う。「さあ、の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムからのことばが出るからだ。
4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

 イザヤは終わりの日には平和が訪れて、「国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない」と預言しました。このイザヤの預言はまだ北王国が滅ぶ前の預言で、概ね紀元前750年前後のことでしょう。それから2700年が経った現代でも、未だにこの平和な光景が訪れる気配は全くありません。神様は、この状況をどのように見ておられるでしょうか。きっと悲しんでおられることだろうと思います。

 イエス様は、

マタイ5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。

 とおっしゃいました。私たちはイエス様を信じた者は神の子どもとされると教わっていますね。でも私たちはそのように「神の子ども」と呼ばれるにふさわしい平和をつくる働きがほとんどできていません。イエス様は棕櫚の聖日にエルサレムに入京する直前に、やがて滅びるエルサレムを見て泣きました(ルカ19:41)。

 なかなか平和をつくることができない人々を見て、イエス様は今も涙を流しておられるのではないかと思います。早く平和な日々が訪れますように祈りたいと思います。お祈りします。

イザヤ2:4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

マタイ5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。
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パウロの役割・願い・悲しみ(2023.3.5 礼拝)

2023-03-07 04:24:13 | 礼拝メッセージ
2023年3月5日礼拝説教
『パウロの役割・願い・悲しみ』
【ローマ9:1~5、10:1】

はじめに
 今年の礼拝説教では、パウロの生涯に注目しています。パウロは激しい一面を持ち、その激しさは恩人であるバルナバと口論して別れてしまうほどでした。そんなパウロでしたが、アジア・ヨーロッパへの伝道旅行を続ける中で、きよめられて行ったように見えます。伝道旅行中の何がパウロをきよめて行ったのか?そのことを見て来ています。

 先週と先々週は、パウロに与えられた良き協力者の存在が、パウロのきよめにもつながって行ったのではないか、そんな話をしました。主はパウロの協力者として紫布の商人のリディア、パウロの手紙をコリントからローマに運んでくれた奉仕者のフィベ、そして同じ天幕職人のアキラとプリスカなどを与えて下さいました。そして、パウロは彼ら・彼女らの中に自分に足りない優れた面を見て互いに尊敬し合うようになり、御霊の実を結んで行ったのではないか、そんな話をしました。

 きょうはローマ人への手紙の9~11章に注目します。ローマ9~11章は、同胞のユダヤ人の救いを願うパウロの強い気持ちが、高く上がる噴水の水のように噴出しています。公園などにある噴水は、水の高さが数メートル程度の噴水もあれば、数十メートル上がるような、すごい噴水もありますね。日本一の噴水は何と百メートルを超えるそうです。世界一の噴水は二百メートルを超えるそうです。


広島・平和記念公園の噴水(2022年8月24日 筆者撮影)

 パウロがユダヤ人の救いを願う強い気持ちは、百メートル超えの噴水のように、噴出している、そんな風に感じます。この強烈な気持ち、でもそれが適わない悲しみ、それがパウロのきよめに関係しているように思いますから、きょうはそのことを分かち合いたいと思います。本日の聖句は、ローマ人への手紙11章13節です。

ローマ11:13 そこで、異邦人であるあなたがたに言いますが、私は異邦人への使徒ですから、自分の務めを重く受けとめています。

 そして、次の構成で話を進めて行きます。

  ①背景:伝道旅行を続ける中できよめられたパウロ
  ②本題:a) 同胞のユダヤ人の救いを願い祈るパウロ
      b) 呪われてもよいと思うほどの強烈な願い
      c) 同胞の救いが自分の役割ではない無力感
  ③適用:自分の強く願うことが役割になるとは限らない。
      私の役割は何だろうか?

①背景:伝道旅行を続ける中できよめられたパウロ
 ここでは、年表を見ながら、パウロの手紙がどの順番で書かれたかを見ておきたいと思います。後(のち)の手紙になるほど、パウロがきよめられているという印象を受けます。パウロの手紙は、概ね次の順番で書かれたと考えられています。

 ガラテヤ書、Ⅰテサロニケ、Ⅱテサロニケ、Ⅰコリント、Ⅱコリント、ローマ書、獄中書簡(ピリピ書・エペソ書・コロサイ書・ピレモン書)、Ⅰテモテ・テトス書、Ⅱテモテ


②本題:a) 同胞のユダヤ人の救いを願い祈るパウロ
 では、きょうの本題に入って行きます。まずローマ人への手紙10章1節、

ローマ10:1 兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らの救いです。

 パウロは彼らの救いを願い、祈っていました。この「彼ら」とは、同胞のユダヤ人、すなわちイスラエル人です。パウロは9章に書いています。9章4節と5節、

ローマ9:4 彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものです。
5 父祖たちも彼らのものです。キリストも、肉によれば彼らから出ました。キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神です。アーメン。

 パウロは、栄光も契約も律法の授与も礼拝も約束、彼らのものであると書きました。ここからは、ルカ15章の放蕩息子のお兄さんの「兄息子」への父のことばを思い出しますね。ルカ15章31節です(週報p.2)。

ルカ15:31 「父は彼に言った。『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。』」

 このルカ15章の兄息子のように、ユダヤ人たちは父に背を向けていました。すべてが天の父から与えられているにも関わらず、背を向けて父の家に入ることを拒んでいました。

b) 呪われてもよいと思うほどの強烈な願い
 そんな風に天の父に背を向ける同胞のユダヤ人たちのことをパウロは、とても悲しく思い、救われることを願っていました。ローマ9章の1節から3節、

ローマ9:1 私はキリストにあって真実を語り、偽りを言いません。私の良心も、聖霊によって私に対し証ししていますが、
2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。
3 私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています。

 ここでパウロはまず、自分はキリストにあって真実を語り、偽りを言わないと述べた後で、「私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがある」と書いています。つまり、この悲しみと心の痛みは真実であって、偽りではないということです。パウロは同胞のユダヤ人たちが天の父に背を向けていることを悲しんでいました。そして、3節はもっと強烈です。

3 私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています。

 この悲しみの気持ちの噴出は、百メートル級の噴水のようだと思います。同胞たちが救われるためなら、パウロは自分がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っていると書いています。これは強烈ですね。私自身は、のろわれた者となって良いなどと、決して思いません。そんな恐ろしいことは考えたくもありません。でもパウロは違いました。イスラエル人が救われるなら、自分がのろわれることさえ厭いませんでした。何と強い気持ちでしょうか。私には想像すらできない強烈な気持ちだと思います。
 
c) 同胞の救いが自分の役割ではない無力感
 しかし、同胞が救われてほしいという願いがこれほどまでに強烈なのに、パウロに与えられている役割は同胞を救うことではなくて、異邦人を救うことでした。きょうの聖句のローマ11:13です。

ローマ11:13 そこで、異邦人であるあなたがたに言いますが、私は異邦人への使徒ですから、自分の務めを重く受けとめています。

 パウロは、自分が異邦人の救いのために遣わされていることを、よく自覚していました。使徒の働き22章でパウロは次のように証言しています(週報p.2)。

使徒22:21 「すると主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす』と言われました。」

 このように、パウロは自分に与えられた役割が異邦人を救うことであると、よく自覚していました。でも、そのことは、自分は同胞のユダヤ人を救うためには召されていないと自覚することでもあります。パウロの同胞の救いへの思いが強ければ強いほど、自分はそのためには召されていないと自覚することはパウロにとっては悲しいことであったと思います。主が力を与えて下さるのでなければ、私たちは何もできません。主が力を与えて下さるからこそ、私たちは何かをすることができます。主は私たちに役割を与え、その役割を果たすための力を与えて下さいます。

 パウロには同胞を救いたいという強烈な願いがありました。でも、そのための力を主は与えて下さらない。主が力を与えて下さらなければ自分は何もできないことをパウロはよく分かっていましたから、パウロは無力感に打ちひしがれたのではないかと思います。でも、この無力を自覚する時が、主を最も近くに感じる時でもあります。そうして、主を近くに感じることで御霊の実が結ばれて、パウロはますますきよめられて行ったのではないか、そのように感じます。

③適用:自分の強く願うことが役割になるとは限らない。私の役割は何だろうか?
 このパウロの事例は、自分が強く願っていることが、そのまま自分の役割になるとは限らないことを意味します。

 自分のことを考えると、私自身は平和への思いがかなり強くあります。でも、今回、このローマ9章から11章に掛けてのパウロの強い思いにも関わらず、主はパウロの願いのためには召し出しておられないのだということを示されて、改めて自分に与えられた役割とは何だろうか、主の御心を的確にとらえるように促されていると感じています。

 主の御心を的確に把握することは本当に難しいと思います。パウロでさえ、アジアの異邦人たちへの伝道が自分の役割だと思っていましたが、主はそれを禁じてヨーロッパへの道をパウロに示しました。それはパウロが次第にきよめられて行ったからこそ、主の細い声でも聞こえるようになったから、ということのように思います。主は、パウロをダマスコ途上で召し出した時には強烈な方法で、ご自身を現わしました。でも主は、いつもその様に強烈な方法で現れるわけではありません。大半は細い声でしか語り掛けて下さいません。それは、もっときよくなって、神の細い声が聞こえるようになりなさい、という励ましでもあると思います。

 イエス様は山上の説教でおっしゃいました。

マタイ5:8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。

 「神を見る」は、「見る」だけでなく御声を「聞く」ことをも含むでしょう。何が神様の御心に適うことなのか、神様の細い御声を聞くことができる者は、心がきよめられた者です。

 主が自分に本当に与えて下さっている役割は何なのだろうか、その御声をさやかに聞くために、私たちは御霊の実を結んできよめられたいと思います。

 パウロが同胞のユダヤ人たちが救われていないことを悲しみ、その救いを願い、祈っていました。その思いの強さは、もし同胞が救われるなら自分が呪われる者になってもかまわないとさえ思うほどでした。これほど強烈な願いを持ちながらも、それは自分の役割ではないことも同時にパウロは自覚していました。それがしっかりと自覚できていたのは、パウロがきよめられて神様の御声がよく聞こえていたからでしょう。きよめられていない間は自分の強い思いで行動をしがちです。でも、パウロはきよめられていて、自分の役割をよく自覚していました。パウロには神様の姿がよく見え、御声がよく聞こえていたのでしょう。

おわりに
 私たちも、神様の姿を見て、御声を聞きたいと願っています。

 今年の私たちの標語聖句は、ここに掲げているように、エペソ1:17です。

「どうか主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を与えてくださいますように」

 私たちも、このエペソ人への手紙を書いたパウロのように神様を知り、そして自分に与えられている役割をよく知ることができるよう、お祈りしたいと思います。

ローマ11:13 そこで、異邦人であるあなたがたに言いますが、私は異邦人への使徒ですから、自分の務めを重く受けとめています。
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貧困に苦しむ人々を支援した勝海舟とクラーク(2023.3.2 祈り会)

2023-03-07 04:19:42 | 祈り会メッセージ
2023年3月2日祈り会説教
『貧困に苦しむ人々を支援した勝海舟とクラーク』
【マタイ25:41~46】

マタイ25:41 それから、王は左にいる者たちにも言います。『のろわれた者ども。わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。
42 おまえたちはわたしが空腹であったときに食べ物をくれず、渇いていたときに飲ませず、
43 わたしが旅人であったときに宿を貸さず、裸のときに服を着せず、病気のときや牢にいたときに訪ねてくれなかった。』
44 すると、彼らも答えます。『主よ。いつ私たちは、あなたが空腹であったり、渇いていたり、旅人であったり、裸でいたり、病気をしていたり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
45 すると、王は彼らに答えます。『まことに、おまえたちに言う。おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。』
46 こうして、この者たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」

 E.W.クラークが書いた『Katz Awa(勝安房)』の私訳を最近終えたので、3月の祈り会では部分的に引用しながら、クラークの信仰と勝海舟の信仰を紹介したいと思います。

 今ご一緒に読んだマタイ25章は、クラークが『Katz Awa』の中で引用している箇所です。この前の段落の、有名な40節「これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」もクラークは引用していますが、その後の41節以降は忘れられがちとして、45節も引用しています。

 この『Katz Awa』の存在は一部では知られていましたが、一般にはほとんど知られていません。この本はもっともっと知られるべきだと思います。特に日本のクリスチャンには、もっと知ってほしいと思います。この『Katz Awa』という本の良さは、一言では言い表せないので、今日を含めて3回に亘って紹介できたらと思います。そうして、この説教の準備を通して、私自身も『Katz Awa』が日本の伝道にも役に立つことを確認したいと願っています。もし日本の伝道の役に立つとしたら、クラークは静岡学問所の教師だった人ですから、静岡の伝道には、もっと役に立つことと思います。

 きょうはクラークが、この『Katz Awa』を神様から強い促しを受けて書いたこと、そして、そんなクラークに、勝海舟についての取っておきの情報を提供した者がいたことなどを紹介したいと思います。

 その前に、『Katz Awa』全体の簡単な説明をしておきます。『Katz Awa』は全部で95ページの小さな本で、1章から4章まであります。1章は序文で、2章は勝海舟の若い時期について、3章は勝海舟が日本の海軍の基礎を築いたこと、また幕末に江戸城の無血開城に尽力した時のことなどが記されています。そして、最後の第4章には、勝海舟が静岡から東京に移って以降のこと、特に家庭生活と、晩年に彼がキリスト教の信仰を受け入れたことなどが書かれています。

 この『Katz Awa』は全体を通して興味深い箇所があちこちにありますが、最後の方は特に印象に残る箇所がいくつもありました。最終盤で勝海舟は亡くなり、葬儀に関することが書いてあります。勝海舟の葬儀は国葬で、明治天皇がこの葬儀のために多額の費用を送ったが、勝の遺言で葬儀は必要最低限の質素なものとして、残った費用は貧しい人々に与えられたのだそうです。クラークがそう書いているので、事実かどうか調べました。実は『Katz Awa』にはクラークの記憶が曖昧で、ところどころで不正確な記述があるからです。すると、勝海舟の葬儀に関して、当時の東京朝日新聞の記事を紹介しているネットのサイトがありました。記事には次のように書いてあります。

「その儀式は先生平生の遺言により総て質素を旨とし生花造花放鳥等の寄贈を謝絶するは勿論新聞紙への広告等も一切なさず、又会葬者の弁当及び車夫等への弁当料をも一切廃して其の費用を赤坂区内の貧民救助の一端となし其の手続きを赤坂区役所に一任したり。」
[明治32年(1899年)1月23日付東京朝日新聞]

 このように勝海舟は、貧しい人々のことを、とても気に掛けていました。クラークの『Katz Awa』によれば、勝は大晦日には変装して貧しい人々の家を訪ねて、お金が入った包みを黙って手渡していたそうです。その包みには正月用のお餅を買って、なお少し余るぐらいの金額のお金が入っていたそうです。

 クラークがどうしてこんなことまで知っていたかと言うと、彼はアメリカ人同士の独自の情報網を持っていました。当時、東京の勝海舟の屋敷の敷地内には、アメリカ人のホイットニーの一家が住んでいたそうです。ホイットニーは務めていた学校との契約が打ち切りになって困窮していたのを見かねた勝海舟が屋敷の敷地内に住居を与えたそうです。そして、勝が変装して貧しい人々にお金を配っていたことはホイットニーの娘のクララが少女時代にそれを目撃していて、クララがクラークに情報提供したものでした。

 クラークがこの『Katz Awa』を書いて出版したのは1904年です。当時は日露戦争が始まって多くの戦死者が出ていて、戦死者の未亡人と孤児たちが困窮しているという話を聞いてクラークは心を痛めて、本の売り上げをその未亡人と孤児たちの支援団体に寄付するために、この『Katz Awa』を書きました。その際に、クララ・ホイットニーにも情報提供の協力を求めたようです。クララは少女時代から勝海舟の身近にいて彼のことを良く知り、また大人になってからは海舟の三男と結婚しました。その後、勝の死後に子供たち、すなわち海舟の孫たちとアメリカに戻りました。孫にはアメリカで教育を受けさせたいという勝の希望もあったようです。そういうわけで、クララ・ホイットニーはアメリカ人でありながら、一般の日本人では知り得ない海舟の家庭での姿をよく知っていたんですね。

 クラークは『Katz Awa』の最終章の4章で、この本を書くことにした時の思いを、マタイ25章を引用しながら、次のように書いています。

ここで主人ははっきりと宣言している。「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」(マタイ25:40)。一方、この聖句に続く次のことばは、忘れられがちだ。「おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。」(マタイ25:45)この警告を無視すれば,泣き叫び,歯ぎしりすることになることを主は示されたのだ(マタイ25:30参照)。

 日露戦争で戦死した兵士の家族が苦しんでいるのを見て、何もしないとしたら、それは冒頭のマタイ25章41~46節のような者になってしまう、とクラークは強く思い、試みられていると感じます。それゆえ、クラークは勝海舟についての小さな伝記を書く承諾を勝の生前に得ていたので、今こそがその時であると奮い立ったのですね。主に強く促されたと言っても良いでしょう。そうして、かつて東京の勝海舟の屋敷の敷地内で暮らしていたことがあるクララ・ホイットニーにも協力を求めたということのようです。

 勝海舟が大晦日に変装して貧しい人々の家を訪ねて正月用のお餅を買うためのお金を配って歩いていたことをクララが情報提供したのも、日露戦争で困っている人々を助けるという目的に共鳴して、このようなエピソードが出て来たのだろうと想像します。別の目的であれば、また勝についての別のエピソードが出て来たのだろうと思います。

 クラークは、この本の冒頭で、勝海舟について、次のように書いています。

(勝安房は)、確かにクリスチャンではない。それにも関わらず、へりくだったナザレ人(イエス・キリストのこと)の本質的な人間性が彼の中にはある。私はこれまで世界を3周したが、このような人に出会ったことがない。
 勝安房の柔和と忍耐、言い表せないほどの自己犠牲、誤解されがちで不人気な道義への献身、危険な中での勇敢さ、苦難の中での沈黙、死を恐れず、それでいて慎重な統率、云々・・・

 このように、クラークは勝海舟の中にイエス様の姿を見ていました。このクラークが日露戦争で戦死した兵士の家族を助けるために書いた本の『Katz Awa』が、もっと多くの日本人に、とりわけ静岡の方々には広く知られるようになって欲しいと思います。お祈りします。

マタイ25:45 すると、王は彼らに答えます。『まことに、おまえたちに言う。おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。』
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