2023年3月26日礼拝説教
『ルカが保存した至高のパウロ』
【ピレモン1~25、使徒28:23~31】
はじめに
年会を越えて4/9のイースター礼拝からは次の後任の先生が説教を担当します。私の説教はあと残り2回となりました。来週の4/2の棕櫚の聖日礼拝では十字架を目前に控えてエルサレムのすぐ近くにまで来られてエルサレムのために泣いたイエス様に注目しますから、パウロに注目するのは今日が最後ということになります。
今年1月から、ずっとパウロの生涯を分かち合って来ました。きょうは、パウロの生涯のシリーズの最後にふさわしく、最高にきよめられたパウロの信仰を皆さんとご一緒に分かち合いたいと思います。きょうの聖句は使徒の働き28章の30節と31節です。
そして、次の構成で話を進めて行きます(週報p.2)。
①背景:ルカはなぜパウロの生涯の全てを描かなかったのか?
②本題:a) 神の領域の壮大なエペソ書・ピリピ書・コロサイ書
b) パウロはイエス様のようにピレモンに赦しを説いた
c) 獄中のパウロのような広大な心が赦しを可能にする
③適用:平和のため、獄中のパウロの信仰に少しでも近づきたい
①背景:ルカはなぜパウロの生涯の全てを描かなかったのか?
きょうの聖句の使徒28:30~31(上記)にあるように、使徒の働きはローマで軟禁生活を送っていたパウロの姿を描いて閉じられています。この後、パウロがどこで何をして、どのように生涯を閉じたのか、はっきりしたことは分かっていません。様々な説がありますが、どれも決定的ではないようです。
ルカはなぜパウロの生涯を終わりまで描かなかったのでしょうか?一つの可能性として言えることは、ルカがこの使徒の働きを書いた時にはパウロがまだ生きていたということです。
しかし、このパウロがまだ生きていた説はほぼ無いでしょう。パウロがローマで軟禁生活を送っていたのは紀元60~62年頃です。そして、ルカはパウロがここローマに送られる時の船にも一緒にいましたし、パウロがローマに来てからも一緒にいました。その当時のルカに、ルカの福音書と使徒の働きを書く準備が出来ていたとは、とても思えません。
ルカはルカの福音書の最初に、テオフィロ様に宛てて次のように書いています。
ルカはイエス様について初めから綿密に調べました。だからこそ、マタイ・マルコ・ヨハネが書かなかった母マリアがイエス様を生んだ頃のことを詳細に書くことができました。これだけのことを調べるのに、当時は膨大な時間とお金が掛かったことでしょう。今ならパソコンの前に座ってキーボードを叩くだけで、かなりの事が調べられます。それでも、すべての情報がインターネット上にあるわけではありません。それゆえ歴史家などは自分の足を使ってあちこち訪ね歩いて資料を集めます。ルカの時代に資料を収集するには、本当に膨大な時間とお金が掛かったことでしょう。その資金面のサポートをしたのがテオフィロ様であろうと思います。
そうしてルカはまずルカの福音書を書き、次に使徒の働きを書きました。これだけの書を書くための資料集めをして書き上げることは、パウロと一緒にいた頃には無理だったでしょう。パウロが天に召されて初めて、資料の収集と福音書を書くための時間が出来たと考えるのが自然です。ですから、パウロがまだ生きていた説はほぼ有り得ないだろうと思います。
では、ルカはなぜ使徒の働きをこの場面で閉じたのでしょうか?よく言われるのは、使徒の働きは1世紀のこの時代だけで終わったわけではなく、2世紀以降も、そして21世紀の現代に至るまでずっと続いている、そのことを示すために、使徒パウロが現役で働いている姿でこの書を閉じたのだ、という説です。私もこの説に共感しています。イエス様は使徒の働き1章8節でおっしゃいました(週報p2)。
21世紀の現代もこの働きは続いていて、聖霊を受けた私たちはイエス様の証人として、まだイエス様とお会いしたことがない方々に、イエス様のことを宣べ伝えます。ですから、使徒の働きは現代に至るまで、ずっと続いています。それゆえルカはローマで軟禁生活を送っているパウロを描いて、この書を閉じたのだという説に私も共感しています。
そして、それに加えて今回のこのパウロの生涯の説教のシリーズを続けて来て感じていることは、ローマで軟禁生活を送っていた時のパウロは最高にきよめられていて、もうほとんどイエス様と同じくらいになっていたということです。ルカはそのようにイエス様に限りなく近づいたパウロの姿をここに書き留めておきたかったのではないか、そのようにも思うようになりました。きょうは、このイエス様に限りなく近いところまできよめられたパウロの信仰を、ご一緒に分かち合いたいと思います。
②本題:a) 神の領域の壮大なエペソ書・ピリピ書・コロサイ書
まずa) は、先週の復習になります。先週話したことは、ローマの獄中でエペソ書・ピリピ書・コロサイ書を書いた時のパウロは、それ以前にコリントでローマ書を書いた時のパウロよりも別次元のきよめられ方をされていて、神の領域に入っていたということです。コリントでローマ人への手紙を書いていた時のパウロはまだ人間の側にいるように感じますが、ローマで獄中書簡を書いていた時のパウロはもはや神の領域に入っていることを感じると、先週は話しました。それは、これらエペソ書・ピリピ書・コロサイ書からは宇宙スケールの壮大なキリストの愛を感じることができるからです。特にエペソ書はスケールの壮大さという面では際立っています。パウロはエペソ3章で天の父に祈りました。
これほどの文章が書けたパウロですから、パウロ自身が人知をはるかに超えたキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを知り、神の満ちあふれる豊かさにまで、満たされていたのでしょう。それはパウロが人間の領域からほとんど神様の領域に移っていたことを意味すると思います。と、先週はそのような話をしました。
b) パウロはイエス様のようにピレモンに赦しを説いた
これまで話して来たように、獄中書簡と呼ばれるエペソ書・ピリピ書・コロサイ書は壮大なスケールを感じる書です。一方で、ピレモンへの手紙もまた獄中書簡と呼ばれる書の一つですが、このピレモン書からは、スケールの大きさを感じることはありませんね。しかし、パウロがピレモンに対して奴隷のオネシモを赦して迎え入れてほしいと、赦しを説いている点で、これもやはり最高にきよめられたパウロだからこそ書けた手紙なのだろうと思わされます。
まず、このピレモン書が書かれた背後にどのようなことがあったのかを、簡単に見ておきましょう。まずピレモン書の1節と2節、
パウロはローマで囚人になっていましたから、パウロは自分のことを1節でキリスト・イエスの囚人と言っています。そして、ピレモンのことを同労者と呼んでいます。2節から分かるようにピレモンは自分の家を教会にして、地域の人々とイエス様の恵みを分かち合っていました。このピレモンの家の教会があったのはコロサイの町であったと考えられます。なぜなら、コロサイ書4章8節と9節に、次のような記述があるからです(週報p.2)。
これらから推測できることは、ピレモンはコロサイの町の自分の家を教会にして、キリスト者が集まる場にしていました。家を教会にするにはある程度の広さが必要ですから、ピレモンは裕福であったと考えられます。そして当時の裕福な家では奴隷を使っているのが普通でした。そのピレモンの家にオネシモという奴隷がいましたが、彼は主人のピレモンに損害を与えて逃げ出し、今はローマのパウロのもとにいました。そのオネシモをパウロは主人のピレモンのもとに送り返そうと、この手紙を書きました。ピレモン書17節と18節、
オネシモは裕福なピレモンの家から何か高価な物を盗んで逃げ出したのではないか、そのように推測できます。そしてオネシモは逃げ出した先でキリスト者と出会い、やがてローマのパウロのもとに導かれて、パウロの役に立つ者となっていたようです。パウロはピレモンに手紙を書いてオネシモを赦して迎え入れるように説いています。
奴隷とは、当時の考え方としては道具であって人ではない、従って役に立たない奴隷は殺してしまっても全然構わない、まして主人の家の物を盗んだような奴隷なら積極的に殺すべきだ、そんな風であったようです。ですから、もしオネシモをピレモンのもとに返したら、ピレモンはオネシモを殺しても全く構わない、というよりも当然殺されることになります。しかし、パウロは同じキリスト者として、ピレモンにオネシモを赦すようにと説いています。
このようにピレモンに赦しを説くパウロの姿には、イエス様の姿が重なります。たとえばペテロがイエス様に赦しについて尋ねた時のことです。ペテロはイエス様に尋ねました。
するとイエス様は言われました。
七回を七十倍するまで赦すとは、無限に赦すということです。
或いはまた、イエス様はご自分を十字架に付けた者たちを赦すようにと天の父に祈りました(週報p.2)。
ピレモンに手紙を書いてオネシモを赦すように説いたパウロは、イエス様に限りなく近づいていた、そんな印象を受けます。
c) 獄中のパウロのような広大な心が赦しを可能にする
普段の日常の言葉遣いの中に、「あの人は心が狭い」とか「あの人は心が広い」という言い方がありますね。「心が広い」は滅多に耳にする機会がないかもしれませんが、「心が狭い」は、たまに聞くことがあるように思います。
そういう心の狭さ・広さで言うと、獄中書簡を書いた頃のパウロの心の広さは「宇宙レベル」のような気がします。そして、人を赦すためには、そういう広大な心が必要なのだなということを、今回、エペソ書やピレモン書の思い巡らしを通じて改めて感じています。
心が狭いと、人を赦すことはできません。心が広い人であっても、人を赦すことはなかなか難しいことです。やはり、キリストの愛のような人知をはるかに超えた広さが必要なのでしょう。
オネシモは奴隷の身でありながら、主人に損害を与えて、逃げました。奴隷ではない、普通の人が何か物を盗んでも、それは赦し難いことでしょう。まして奴隷の身分の者が主人の物を盗むとは、とうてい赦し難いことです。でも、パウロはピレモンに手紙を書いて赦すようにと説きました。
果たしてピレモンは、パウロの説得に応じたでしょうか?人間的に考えたら、とても難しかっただろうと思います。しかし、クリスチャンは御霊によって一つにされた者同士です。そして、共に霊的な恵みをいただいている仲間です。パウロはピレモンに同じ御霊の恵みを受けている者同士として、オネシモを赦すように説いています。もしピレモンが御霊の恵みに満たされている者であったなら、パウロの説得に応じてピレモンを赦したことでしょう。
私たちは人知をはるかに超えたキリストの愛の大きさを、御霊によって感じます。そして私の罪を赦し、私の罪のために十字架に掛かって下さったキリストの大きな愛を御霊によって感じる時、人を赦すことが可能になります。七度を七十倍するほど無限に人を赦すことは、御霊の恵みに満たされて、初めて可能になることでしょう。
このように、御霊に満たされてイエス様に限りなく近づいていたパウロのすぐそばに、ルカはいました。ピレモン書24節、
パウロが天に召された後で使徒の働きを書いたルカの胸の内には、最高にきよめられていた時のパウロの姿が焼き付いていて、それゆえに使徒の働きをこの獄中のパウロの姿で締めくくることにしたのかもしれません。
③適用:平和のため、獄中のパウロの信仰に少しでも近づきたい
この3番目のパートの表題の「平和のため、獄中のパウロの信仰に少しでも近づきたい」は先週と全く同じです。先週は壮大なスケールの信仰について話しましたが、きょうは人を赦すという点においてのパウロの信仰に少しでも近づきたいと思います。そうでなければ、平和な世は決して訪れないだろうと思います。
人を赦すことは、とても難しいことです。それゆえ争い事が延々と繰り返されて来ました。イエス様はペテロに、そして私たちに、七度を七十倍するまで赦しなさいとおっしゃいます。それは、イエス様が十字架に掛かることで私たちの罪を赦して下さったからです。私たちの命を造って下さった神様に背を向けて、逆らうことは重大な罪です。それほどまでに重大な罪を、イエス様は十字架に掛かることで赦して下さいました。イエス・キリストの愛はそれほどまでに大きなものです。これほどの愛によって私たちは赦されましたから、私たちも赦すべきです、というのが聖書の教えです。
とは言え、やはり人を赦すことは難しいことでしょう。しかし、人は御霊によって少しずつきよめられていきます。たとえばパウロは第一次伝道旅行の始めの段階で離脱してしまったマルコを決して赦しませんでした。しかし、その後、パウロは様々なことによってきよめられて行き、ローマで軟禁生活を送っている頃にはマルコがすぐそばにいました。マルコがそばにいたことは先ほど読んだピレモン書24節から分かります。パウロはマルコを赦さなかったことを悔い改めて、もはや赦すとか赦さないという人間的な思いを超えて、御霊によって一つにされて、マルコと共に主のために働いていました。
人は、このように変えられて行きます。このように変えられたパウロのように、私たちもまた御霊によって、少しずつでも人を赦せるように、変えられて行きたいと思います。そのことを願いつつ、イエス様にお祈りしたいと思います。
しばらくご一緒にお祈りしましょう。
『ルカが保存した至高のパウロ』
【ピレモン1~25、使徒28:23~31】
はじめに
年会を越えて4/9のイースター礼拝からは次の後任の先生が説教を担当します。私の説教はあと残り2回となりました。来週の4/2の棕櫚の聖日礼拝では十字架を目前に控えてエルサレムのすぐ近くにまで来られてエルサレムのために泣いたイエス様に注目しますから、パウロに注目するのは今日が最後ということになります。
今年1月から、ずっとパウロの生涯を分かち合って来ました。きょうは、パウロの生涯のシリーズの最後にふさわしく、最高にきよめられたパウロの信仰を皆さんとご一緒に分かち合いたいと思います。きょうの聖句は使徒の働き28章の30節と31節です。
使徒28:30 パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、31 少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
そして、次の構成で話を進めて行きます(週報p.2)。
①背景:ルカはなぜパウロの生涯の全てを描かなかったのか?
②本題:a) 神の領域の壮大なエペソ書・ピリピ書・コロサイ書
b) パウロはイエス様のようにピレモンに赦しを説いた
c) 獄中のパウロのような広大な心が赦しを可能にする
③適用:平和のため、獄中のパウロの信仰に少しでも近づきたい
①背景:ルカはなぜパウロの生涯の全てを描かなかったのか?
きょうの聖句の使徒28:30~31(上記)にあるように、使徒の働きはローマで軟禁生活を送っていたパウロの姿を描いて閉じられています。この後、パウロがどこで何をして、どのように生涯を閉じたのか、はっきりしたことは分かっていません。様々な説がありますが、どれも決定的ではないようです。
ルカはなぜパウロの生涯を終わりまで描かなかったのでしょうか?一つの可能性として言えることは、ルカがこの使徒の働きを書いた時にはパウロがまだ生きていたということです。
しかし、このパウロがまだ生きていた説はほぼ無いでしょう。パウロがローマで軟禁生活を送っていたのは紀元60~62年頃です。そして、ルカはパウロがここローマに送られる時の船にも一緒にいましたし、パウロがローマに来てからも一緒にいました。その当時のルカに、ルカの福音書と使徒の働きを書く準備が出来ていたとは、とても思えません。
ルカはルカの福音書の最初に、テオフィロ様に宛てて次のように書いています。
ルカ1:1 2 私たちの間で成し遂げられた事柄については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人たちが私たちに伝えたとおりのことを、多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています。
3 私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。
3 私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。
ルカはイエス様について初めから綿密に調べました。だからこそ、マタイ・マルコ・ヨハネが書かなかった母マリアがイエス様を生んだ頃のことを詳細に書くことができました。これだけのことを調べるのに、当時は膨大な時間とお金が掛かったことでしょう。今ならパソコンの前に座ってキーボードを叩くだけで、かなりの事が調べられます。それでも、すべての情報がインターネット上にあるわけではありません。それゆえ歴史家などは自分の足を使ってあちこち訪ね歩いて資料を集めます。ルカの時代に資料を収集するには、本当に膨大な時間とお金が掛かったことでしょう。その資金面のサポートをしたのがテオフィロ様であろうと思います。
そうしてルカはまずルカの福音書を書き、次に使徒の働きを書きました。これだけの書を書くための資料集めをして書き上げることは、パウロと一緒にいた頃には無理だったでしょう。パウロが天に召されて初めて、資料の収集と福音書を書くための時間が出来たと考えるのが自然です。ですから、パウロがまだ生きていた説はほぼ有り得ないだろうと思います。
では、ルカはなぜ使徒の働きをこの場面で閉じたのでしょうか?よく言われるのは、使徒の働きは1世紀のこの時代だけで終わったわけではなく、2世紀以降も、そして21世紀の現代に至るまでずっと続いている、そのことを示すために、使徒パウロが現役で働いている姿でこの書を閉じたのだ、という説です。私もこの説に共感しています。イエス様は使徒の働き1章8節でおっしゃいました(週報p2)。
使徒1:8 「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
21世紀の現代もこの働きは続いていて、聖霊を受けた私たちはイエス様の証人として、まだイエス様とお会いしたことがない方々に、イエス様のことを宣べ伝えます。ですから、使徒の働きは現代に至るまで、ずっと続いています。それゆえルカはローマで軟禁生活を送っているパウロを描いて、この書を閉じたのだという説に私も共感しています。
そして、それに加えて今回のこのパウロの生涯の説教のシリーズを続けて来て感じていることは、ローマで軟禁生活を送っていた時のパウロは最高にきよめられていて、もうほとんどイエス様と同じくらいになっていたということです。ルカはそのようにイエス様に限りなく近づいたパウロの姿をここに書き留めておきたかったのではないか、そのようにも思うようになりました。きょうは、このイエス様に限りなく近いところまできよめられたパウロの信仰を、ご一緒に分かち合いたいと思います。
②本題:a) 神の領域の壮大なエペソ書・ピリピ書・コロサイ書
まずa) は、先週の復習になります。先週話したことは、ローマの獄中でエペソ書・ピリピ書・コロサイ書を書いた時のパウロは、それ以前にコリントでローマ書を書いた時のパウロよりも別次元のきよめられ方をされていて、神の領域に入っていたということです。コリントでローマ人への手紙を書いていた時のパウロはまだ人間の側にいるように感じますが、ローマで獄中書簡を書いていた時のパウロはもはや神の領域に入っていることを感じると、先週は話しました。それは、これらエペソ書・ピリピ書・コロサイ書からは宇宙スケールの壮大なキリストの愛を感じることができるからです。特にエペソ書はスケールの壮大さという面では際立っています。パウロはエペソ3章で天の父に祈りました。
エペソ3:16 どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。
17 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。
17 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。
これほどの文章が書けたパウロですから、パウロ自身が人知をはるかに超えたキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを知り、神の満ちあふれる豊かさにまで、満たされていたのでしょう。それはパウロが人間の領域からほとんど神様の領域に移っていたことを意味すると思います。と、先週はそのような話をしました。
b) パウロはイエス様のようにピレモンに赦しを説いた
これまで話して来たように、獄中書簡と呼ばれるエペソ書・ピリピ書・コロサイ書は壮大なスケールを感じる書です。一方で、ピレモンへの手紙もまた獄中書簡と呼ばれる書の一つですが、このピレモン書からは、スケールの大きさを感じることはありませんね。しかし、パウロがピレモンに対して奴隷のオネシモを赦して迎え入れてほしいと、赦しを説いている点で、これもやはり最高にきよめられたパウロだからこそ書けた手紙なのだろうと思わされます。
まず、このピレモン書が書かれた背後にどのようなことがあったのかを、簡単に見ておきましょう。まずピレモン書の1節と2節、
ピレモン1:1 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンと、
2 姉妹アッピア、私たちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。
2 姉妹アッピア、私たちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。
パウロはローマで囚人になっていましたから、パウロは自分のことを1節でキリスト・イエスの囚人と言っています。そして、ピレモンのことを同労者と呼んでいます。2節から分かるようにピレモンは自分の家を教会にして、地域の人々とイエス様の恵みを分かち合っていました。このピレモンの家の教会があったのはコロサイの町であったと考えられます。なぜなら、コロサイ書4章8節と9節に、次のような記述があるからです(週報p.2)。
コロサイ4:8 ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。
9 また彼は、あなたがたの仲間の一人で、忠実な、愛する兄弟オネシモと一緒に行きます。この二人がこちらの様子をすべて知らせます。
9 また彼は、あなたがたの仲間の一人で、忠実な、愛する兄弟オネシモと一緒に行きます。この二人がこちらの様子をすべて知らせます。
これらから推測できることは、ピレモンはコロサイの町の自分の家を教会にして、キリスト者が集まる場にしていました。家を教会にするにはある程度の広さが必要ですから、ピレモンは裕福であったと考えられます。そして当時の裕福な家では奴隷を使っているのが普通でした。そのピレモンの家にオネシモという奴隷がいましたが、彼は主人のピレモンに損害を与えて逃げ出し、今はローマのパウロのもとにいました。そのオネシモをパウロは主人のピレモンのもとに送り返そうと、この手紙を書きました。ピレモン書17節と18節、
ピレモン1:17 ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
18 もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。
18 もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。
オネシモは裕福なピレモンの家から何か高価な物を盗んで逃げ出したのではないか、そのように推測できます。そしてオネシモは逃げ出した先でキリスト者と出会い、やがてローマのパウロのもとに導かれて、パウロの役に立つ者となっていたようです。パウロはピレモンに手紙を書いてオネシモを赦して迎え入れるように説いています。
奴隷とは、当時の考え方としては道具であって人ではない、従って役に立たない奴隷は殺してしまっても全然構わない、まして主人の家の物を盗んだような奴隷なら積極的に殺すべきだ、そんな風であったようです。ですから、もしオネシモをピレモンのもとに返したら、ピレモンはオネシモを殺しても全く構わない、というよりも当然殺されることになります。しかし、パウロは同じキリスト者として、ピレモンにオネシモを赦すようにと説いています。
このようにピレモンに赦しを説くパウロの姿には、イエス様の姿が重なります。たとえばペテロがイエス様に赦しについて尋ねた時のことです。ペテロはイエス様に尋ねました。
マタイ18:21 「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」
するとイエス様は言われました。
22「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。」
七回を七十倍するまで赦すとは、無限に赦すということです。
或いはまた、イエス様はご自分を十字架に付けた者たちを赦すようにと天の父に祈りました(週報p.2)。
ルカ23:34 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」
ピレモンに手紙を書いてオネシモを赦すように説いたパウロは、イエス様に限りなく近づいていた、そんな印象を受けます。
c) 獄中のパウロのような広大な心が赦しを可能にする
普段の日常の言葉遣いの中に、「あの人は心が狭い」とか「あの人は心が広い」という言い方がありますね。「心が広い」は滅多に耳にする機会がないかもしれませんが、「心が狭い」は、たまに聞くことがあるように思います。
そういう心の狭さ・広さで言うと、獄中書簡を書いた頃のパウロの心の広さは「宇宙レベル」のような気がします。そして、人を赦すためには、そういう広大な心が必要なのだなということを、今回、エペソ書やピレモン書の思い巡らしを通じて改めて感じています。
心が狭いと、人を赦すことはできません。心が広い人であっても、人を赦すことはなかなか難しいことです。やはり、キリストの愛のような人知をはるかに超えた広さが必要なのでしょう。
オネシモは奴隷の身でありながら、主人に損害を与えて、逃げました。奴隷ではない、普通の人が何か物を盗んでも、それは赦し難いことでしょう。まして奴隷の身分の者が主人の物を盗むとは、とうてい赦し難いことです。でも、パウロはピレモンに手紙を書いて赦すようにと説きました。
果たしてピレモンは、パウロの説得に応じたでしょうか?人間的に考えたら、とても難しかっただろうと思います。しかし、クリスチャンは御霊によって一つにされた者同士です。そして、共に霊的な恵みをいただいている仲間です。パウロはピレモンに同じ御霊の恵みを受けている者同士として、オネシモを赦すように説いています。もしピレモンが御霊の恵みに満たされている者であったなら、パウロの説得に応じてピレモンを赦したことでしょう。
私たちは人知をはるかに超えたキリストの愛の大きさを、御霊によって感じます。そして私の罪を赦し、私の罪のために十字架に掛かって下さったキリストの大きな愛を御霊によって感じる時、人を赦すことが可能になります。七度を七十倍するほど無限に人を赦すことは、御霊の恵みに満たされて、初めて可能になることでしょう。
このように、御霊に満たされてイエス様に限りなく近づいていたパウロのすぐそばに、ルカはいました。ピレモン書24節、
ピレモン24 私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。
パウロが天に召された後で使徒の働きを書いたルカの胸の内には、最高にきよめられていた時のパウロの姿が焼き付いていて、それゆえに使徒の働きをこの獄中のパウロの姿で締めくくることにしたのかもしれません。
③適用:平和のため、獄中のパウロの信仰に少しでも近づきたい
この3番目のパートの表題の「平和のため、獄中のパウロの信仰に少しでも近づきたい」は先週と全く同じです。先週は壮大なスケールの信仰について話しましたが、きょうは人を赦すという点においてのパウロの信仰に少しでも近づきたいと思います。そうでなければ、平和な世は決して訪れないだろうと思います。
人を赦すことは、とても難しいことです。それゆえ争い事が延々と繰り返されて来ました。イエス様はペテロに、そして私たちに、七度を七十倍するまで赦しなさいとおっしゃいます。それは、イエス様が十字架に掛かることで私たちの罪を赦して下さったからです。私たちの命を造って下さった神様に背を向けて、逆らうことは重大な罪です。それほどまでに重大な罪を、イエス様は十字架に掛かることで赦して下さいました。イエス・キリストの愛はそれほどまでに大きなものです。これほどの愛によって私たちは赦されましたから、私たちも赦すべきです、というのが聖書の教えです。
とは言え、やはり人を赦すことは難しいことでしょう。しかし、人は御霊によって少しずつきよめられていきます。たとえばパウロは第一次伝道旅行の始めの段階で離脱してしまったマルコを決して赦しませんでした。しかし、その後、パウロは様々なことによってきよめられて行き、ローマで軟禁生活を送っている頃にはマルコがすぐそばにいました。マルコがそばにいたことは先ほど読んだピレモン書24節から分かります。パウロはマルコを赦さなかったことを悔い改めて、もはや赦すとか赦さないという人間的な思いを超えて、御霊によって一つにされて、マルコと共に主のために働いていました。
人は、このように変えられて行きます。このように変えられたパウロのように、私たちもまた御霊によって、少しずつでも人を赦せるように、変えられて行きたいと思います。そのことを願いつつ、イエス様にお祈りしたいと思います。
しばらくご一緒にお祈りしましょう。
使徒28:30 パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、31 少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
ピレモン1:17 ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
ピレモン1:17 ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。