平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

苦しみの頂点からパラダイスへ

2024-04-27 07:56:22 | 折々のつぶやき
2024年4月26日静岡朝祷会・奨励

苦しみの頂点からパラダイスへ

 いつもお祈りをありがとうございます。きょうまた静岡朝祷会の奨励の機会が与えられたことを感謝しています。きょうの聖句は新約聖書のルカの福音書23章43節です。きょうは十字架の話です。

ルカ23:43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

 神奈川県の川崎市にあるインマヌエル高津教会に私が導かれたのは2001年の8月12日です。以来、十字架を見ると心が和むようになりました。最初の頃は聖書をほとんど知らなかったのに、それでも心が和みました。そのため、なぜ十字架を見ると心が和むのか、ずっと不思議に思って来ました。それは神学生になり、そして牧師になってからも続きました。十字架を見ると心が和むのはなぜなのか、その理由を人に尋ねると、「それは罪が赦されたからですよ」と教えてくれます。それはそうなんだろうなと思いますが、理由はそれだけではない気がずっとしていました。そして、この沓谷(くつのや)の地に来て、段々とその理由が分かって来たような気がしています。

 去年の3月にアパート探しをして、この教会(朝祷会の会場の静岡その枝キリスト教会)のすぐ近くの沓谷1丁目のアパートに導かれました。最初は子供の頃にいた大岩に住みたいと思って大岩のアパートへの入居の手続き進めていました。しかし、ちょっとしたトラブルがあったために大岩をあきらめ、再びアパート探しをして、この沓谷の地に導かれました。まさに神様の導きであったと感じています。

 沓谷に来て、近所を散歩して抱いた最初の感想は、随分と墓地が多い地域だなということでした。沓谷霊園や愛宕霊園だけでなく、長源院や蓮永寺、元長寺などのお寺にそれぞれ墓地があって、谷津山のこちら側の一帯は本当にお墓だらけだなと思いました。でも、ぜんぜん嫌な気はせず、むしろ心の平安を感じました。子供の頃は墓地を気味の悪い場所だと思っていましたが、沓谷に導かれて、お墓に平安を感じました。なぜだろうと思いを巡らし、次のように思いました。人は、この世にいる間は神様に逆らって悪いことばかりしているけれど、死んでこの世を去れば皆、神様の支配のもとで誰も逆らわずにいるからだろう、ここに葬られている者の大半が神様によって魂の平安を得ているからだろう、と思いました。

 そうして近所を散歩する時は私も心の平安を得ていましたが、仕事が決まるまでの間は本当に大変で、桜やツツジを楽しむ余裕などぜんぜんありませんでした。ハローワークに登録して自宅のパソコンで毎日、新着の求人情報をチェックする日々でした。そして、この仕事ならやってみたいと思う求人があるとハローワークに行って先方に連絡を取ってもらって面接に臨みました。でも、結果は不採用の連続で、連戦連敗の状態が続きました。

 しかし幸いにして今の職場に採用されて、7月から働き始めることができました。でも思っていた以上に大変な職場で、苦労の連続です。特に感じているのが、自分自身の「老い」の問題です。うっかりミスが私はとても多いです。若い頃は今ほどはミスをしませんでした。たとえミスをしても人が気付く前に自分で気付きましたから、修正することができました。今は毎日のように人からミスを指摘されて、情けなく思います。ただ、それでもまだ何とか仕事ができていますから良いのですが、親の老いは、いまどんどん進行していて、深刻な領域に入りつつあります。障害がある兄弟の状態も、かなり悪いです。でも多分まだまだ良いほうなのでしょう。これから先は、もっともっと大変になって行きます。家族の介護の大変さは、人から聞いてはいましたが、しょせんは他人事でした。それがいよいよ自分事になって来たのだと感じています。

 そうして、やがて家族の介護の期間が終わった頃には、今度は自分自身の老いの問題が深刻になっていることでしょう。神様が私を何歳まで生かして下さるのか分かりませんが、今でも自分の老いを職場で日々感じていますから、これからのことを思うと、とても不安になります。そうして思ったことは、人は生きて年を重ねて行くと、いろいろな事ができなくなって苦悩がどんどん増して行くものなのだな、ということです。これが最近の私の偽らざる実感です。

 ヨハネの福音書のイエス様は、21章でペテロに言いました。

ヨハネ21:18 まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」

 これはペテロに限らず、私たちのほとんどに当てはまることではないでしょうか。人は皆、長く生きれば生きるほど生きて行くことが大変になり、自分で出来ることが少なくなり、苦しみが多くなる。家族の状態は今でも大変ですが、この先、もっともっと大変になって行きます。この大変さを思う時、人生とは、十字架に向かって歩んでいるようなものではないかと、ふと、思いました。生きれば生きるほど苦しみが増し、その苦しみの頂点が死の直前にあるとすれば、それはまさしく十字架です。でも、その苦しみの頂点でイエス様がすぐ隣にいて、

ルカ23:43 「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

と言っていただけます。何と幸いなことでしょうか。この気付きが与えられた時、私は家族の老い、そして自分自身の老いの問題の重荷がスッと軽くなるのを感じました。そうして、その時以来、世の中を見る目が一変しました。人は皆、全員、老いも若きも、イエス様を信じる人も信じない人も一人残らず、十字架に向かって歩んでいて、そうして苦しみの頂点である人生の最後にイエス様がすぐ隣にいて下さり、魂の平安を得ます。

 では私はどちらの側の十字架にいるのでしょうか?イエス様の右と左には、イエス様と同じように十字架に付けられた犯罪人がいました。この二人の犯罪人の一人はイエス様をののしりました。

ルカ23:39 十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。

 私はこの39節のイエス様をののしる側でしょうか?それとも43節でイエス様に、

ルカ23:43 「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

と言っていただける側でしょうか?自分は後者であると思いたいですが、もしかしたら前者の、ののしる側になっているのかもしれません。老いの苦しみが増すに連れて不信仰に陥り、ののしる側に回っていることも有り得ます。でも大丈夫です。44節に、次のように記されているからです。

ルカ23:44 さて、時はすでに十二時ごろであった。全地が暗くなり、午後三時まで続いた。

 つまり、イエス様をののしった犯罪人には、悔い改めのための時間がなお3時間も与えられていました。彼はイエス様ともう一人の犯罪人との会話を聞いていたはずです。そして、もう一人がイエス様に、

ルカ23:43 「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

と言っていただけたのを聞いて、きっと心を動かされた筈です。苦しみの頂点の中にあって、このイエス様のことばに心を動かされない者がいるでしょうか?そうしてイエス様をののしったことを悔い改めるなら、彼は赦されてパラダイスに行けます。すると、十字架を見ると心が和むことも、お墓を見ると平安を感じることにも合点がいきます。人は誰もが皆全員、十字架に向かって歩んでいて、苦しみの頂点である死の直前にはイエス様が隣にいて、「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と言っていただけます。たとえイエス様をののしったとしても、悔い改めのための時間が与えられます。

 でも人によっては事故や事件、災害や戦争で即死する人もいるでしょう。では即死すると、悔い改めの時間が与えられないのでしょうか?しかし、即死というのは健康な人間の普段の時間感覚であって、死を目前にした者には、もっと長い時間が与えられているでしょう。人は死を目前にすると走馬灯のように自分の人生を振り返る時間が与えられると言われますね。この時間は看取る側にとっては一瞬でも、看取られる側にとっては永遠に近い長い時間ではないかと思います。なぜなら神様は永遠の中におられて、イエス様の十字架も永遠の中にあるからです。そうして、人は死の直前に悔い改めのための時間が与えられます。そのことがルカ23章44節の「時はすでに十二時ごろであった。全地が暗くなり、午後三時まで続いた」から読み取れると思います。

 こうして、ほとんどの者がパラダイスに行き、神様の平安に包まれます。23年前の2001年に高津教会に導かれた私が、まだ聖書をよく知らなかったのに十字架を見ると心が和んだのも、昨年この沓谷の地に導かれてお墓を見ると平安を感じたのも、人は誰でも十字架に向かって歩み、地上生涯を終えた者の大半がパラダイスに行って神様の平安に包まれている、そのメッセージが十字架から発信されているからではないか、と思わされています。

 このことを、これからなお深めて行くことができたらと願い、きょう皆様と分かち合うことにさせていただきました。お祈り致します。

ルカ23:43 「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
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みことばのお風呂

2024-04-15 06:12:41 | 折々のつぶやき
2024年4月14日城北教会説教

みことばのお風呂

 昨年の9月に続いて再び城北教会の礼拝でみことばの奉仕の機会をいただけたことを、とても感謝に思っています。きょうの説教のタイトルは資料にある通り「みことばのお風呂」で、きょうの聖句は

「神よ  私にきよい心を造り 揺るがない霊を 私のうちに新しくしてください。」

です。この聖句は新共同訳では詩篇51篇の12節ですが、新改訳では10節です。きょうは新改訳を引用しますので、詩篇51篇10節ということで、お願いします。

 さて先月の3月24日の日曜日、私は高津教会の礼拝に久し振りで出席しました。高津は神奈川県の川崎市にあります。23年前の2001年に私はこの高津教会に導かれて洗礼を受け、その7年後の2008年に教会の皆さんに送り出されてインマヌエルの神学校の神学生になりました。神学校というのは牧師を養成する学校のことです。そして翌年の2009年に教団の印刷物の教報7月号に寄せて「みことばのお風呂」というタイトルの文章を書きました。

 先月、出身教会の礼拝に出席したことで、私はこの「みことばのお風呂」のことを久し振りで思い出しました。そうして、神学生だった頃の初々しい気持ちも思い出すことができて感謝でした。そこで、きょうの礼拝では、まずこの文章を共有してから、話を進めたいと思います。ちなみに、この文章にある寮の風呂場は、けっこう広かったです。

教報2009年7月号原稿:
 私の神学生生活も二年目に入りました。私の好きな奉仕の一つに寮のお風呂掃除があります。洗い場の床のタイルをデッキブラシでゴシゴシとこすり、湯を抜いた後に浴槽の底に残る汚れをきれいに洗い流すと、清々しい気分になります。そして、きれいになった浴槽に湯を満たし、体を浸すと本当に幸せな気分になります。お湯で体が温められると同時に水の浮力により体が軽くなり、日々の様々な重荷から解放されるからです。

「彼女(マルタ)にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、 みことばに聞き入っていた。」(ルカ10・39)

 この時のマリヤはきっと深刻な顔ではなく、お風呂に入っているような幸せそうな顔をしていたのだと思います。私はこれを「みことばのお風呂」と呼びたく思います。そして、近頃思うことは、教会は「みことばの風呂屋」ではないか、ということです。風呂屋の亭主が客にきれいな湯をたっぷりと提供するように、牧師も神様の聖なるみことばを来会者にたっぷりと提供し、主の平安にどっぷりと浸ってもらいます。こんなことを考えるようになったのは、私自身が一年目の緊張から解放され、イエス様との距離も縮まり、神学校でのみことば漬けの生活の恩恵に浴しているからだと思います。
 私たちにこのような心の癒しと平安がもたらされるのはイエス様の打ち傷により(イザヤ53・5)、それは私たちの咎ゆえであることをしっかりと心に留めつつ、今の私の理想の牧師像である「みことば湯」の亭主への道を追求していけたらと思っています。
(後略)

 この文章にあるように、神学生の頃の私は教会とはお風呂屋さんのような場所だと思っていました。でも、牧師になってからはいつの間にかこのことを忘れて、教会の皆さんに対しては、あまり心地良くない説教もしていたかもしれません。私自身にとっては心地良くても、伝え方を誤ると、聞く側にとっては心地良くありません。いま私は牧師職から離れています。この職から離れている期間中に、神学生の頃の初心に返るようにと神様に促されているように感じます。

 そういうわけで、この城北教会の礼拝説教も「みことばのお風呂」というタイトルでお話をさせていただくことにしました。そうして、聖書箇所をどこにするか思いを巡らしていたところ、詩篇51篇10節が与えられました。

詩篇51:10 神よ 私にきよい心を造り 揺るがない霊を 私のうちに新しくしてください。

 神学生の時の文章にはありませんが、お風呂と教会が似ている点が他にもあります。この説教の前に讃美歌を歌いました。その時に思いましたが、お風呂でも歌を歌いたくなります。そして、お風呂で体を洗うと汚れが落ちてきれいになります。同じように、教会では心が洗われてきれいになりますね。きょうはこの、心がきれいになることの方に注目したいと願っています。10節にある「きよい心」とはどんな心なのか、そして「揺るがない霊を私のうちに新しくして下さい」とはどのようなことなのか、ご一緒に思いを巡らしたいと思います。

 では、まずは詩篇51篇の最初の部分を見ることにします。詩篇51篇の表題には、次のようにあります。
 
詩篇51篇 指揮者のために。ダビデの賛歌。ダビデがバテ・シェバと通じた後、預言者ナタンが彼のもとに来たときに。

 ダビデが人妻のバテ・シェバと通じたこと、そしてそのことを神様が預言者ナタンを通して厳しく咎(とが)めたことは、旧約聖書のサムエル記第二の11章と12章に詳しく書かれています。まず、その経緯を簡単に紹介します。

 この時、ダビデは既にイスラエルの王様になっていましたが、隣の国との戦いはまだ続いていました。それで兵士たちは戦場にいました。しかし、ダビデはエルサレムの王宮にいました。そして、ある夕暮れ時に、王宮の屋上から外を見ると美しい女性が体を洗っている様子が見えました。それがバテ・シェバでした。ダビデは人を送って、この女性について調べさせて彼女が人妻であることを知りましたが、かまわず王宮に呼んで彼女と寝室を共にしました。その後、バテ・シェバが身ごもったことを知ると、ダビデはこのことをもみ消すために、彼女の夫のウリヤを戦場からエルサレムに呼び戻します。そして、彼に家に帰るよう命じました。しかし、ウリヤは家に帰りませんでした。彼の上司の将軍ヨアブや仲間の兵士たちが皆、戦場で野営しているのに、自分だけ家に帰るわけにはいかないと言いました。ウリヤはとても真面目で軍に忠実な兵士だったんですね。それでダビデは次の手を打って、ウリヤに飲み食いさせて彼を酔わせました。酔えば家に帰るだろうというわけです。しかし、それでもやっぱりウリヤは家に帰りませんでした。困ったダビデは将軍のヨアブに命じてウリヤを戦場の最前線に送って殺すことにしました。今度はダビデの思い通りになり、ウリヤは戦場で死にました。そしてダビデはバテ・シェバを自分の妻にしてしまいました。神様はこのことに怒り、預言者ナタンを通してダビデを厳しく咎(とが)めました。ダビデは自分が罪を犯したことを知りました。そうして詠まれた悔い改めの詩が詩篇51篇です。1節と2節、

1 神よ 私をあわれんでください。あなたの恵みにしたがって。私の背きをぬぐい去ってください。あなたの豊かなあわれみによって。
2 私の咎を 私からすっかり洗い去り 私の罪から 私をきよめてください。

 お風呂に入って体を洗えば、体の汚れはきれいになります。でも、心の汚れ、すなわち「罪」は簡単にはきれいになりません。体の汚れは自分で落とすことができますが、心の汚れは自分ではきれいにできず、神様にきよめていただく必要があるからです。それゆえダビデは、神様に自分の罪をきよめてくださいと願い、祈りました。

 人妻のバテ・シェバと寝て、その罪をもみ消すために夫のウリヤを殺し、さらにその人妻を自分の妻にしてしまうという、何重にも罪を重ねたダビデの罪深さは、非常に分かりやすいと思います。でも、こんなに分かりやすい罪にも関わらず、自分では意外と気付きにくいものなんですね。マタイの福音書のイエス様もおっしゃっていますね。

マタイ7:3 あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。
マタイ7:3(新共同訳) あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。

 イエス様がおっしゃる通り、私たちは他人の小さな欠点はよく見えるのに、自分の大きな罪にはなかなか気付かないものですね。ダビデも預言者ナタンを通じて神様から厳しく咎(とが)められたことで、初めて気付きました。そして、私自身の内にも、自分では気付いていない罪があります。

 昨年9月にここで話した通り、いま私は防災関係の職場で働いています。そして上司や同僚から自分の至らない点をほとんど毎日のように指摘されています。牧師をしていた頃は、教会の皆さんは遠慮して牧師の私に対して、よほどのことがない限り寛容に接して下さり、欠点を指摘されることはあまりありませんでした。でも今の職場では、かなりいろいろなことを指摘されます。けっこう落ち込みますが、いろいろ注意されることは感謝なことでもあります。自分には至らない点がこんなにもたくさんあるのだと日々、教えられています。

 中でも、これは大きな罪だなと思わされているのが、私の心の中には上司や同僚のアドバイスに逆らいたくなる性質が根強くあるということです。私の主な職務は来館者に展示物の説明することです。自然災害について説明し、それらにどう備えたら良いかを説明しますが、そのためのマニュアルがあります。マニュアルに沿って説明することが求められていますが、一言一句違わずに話すことまでは求められていないので、話しやすいように少し自分流に言い換えたりします。また、見学者が小学生であれば簡単な表現に換えたりします。このように少し換えることは許されているのですが、私の場合かなり逸脱してしまっていました。少しのつもりがいつの間にか、大きく入れ換わってしまっていました。自分では、そんなに大きく換えているつもりはなかったのですが、マニュアルをチェックすることを怠っている間に、いつの間にか大きくそれてしまっていたのですね。ある時、そのことを厳しく咎められました。それで改めてマニュアルを読み返してみたら、本当に大きく逸脱していました。

 聖書、特に旧約聖書を読むと、神様の教えである律法に背いている人々がたくさん出て来ます。ダビデもその一人ですが、きっと皆、自分ではそんなに大きく背いているつもりはなかったんだろうと思います。これが罪の恐ろしい点です。人はいつの間にか神様の教えに背くようになってしまうんですね。そうして、指摘されて初めて気付きます。ダビデの場合は預言者ナタンを通して、自分の罪深さを知りました。続いて詩篇51篇の3節と4節、

3 まことに 私は自分の背きを知っています。私の罪は いつも私の目の前にあります。
4 私はあなたに ただあなたの前に罪ある者です。私はあなたの目に 悪であることを行いました。

 これはダビデの罪の告白ですが、私自身の罪の告白でもあります。私の中には上の人の命令や助言に逆らいたくなる性質が根強くあり、それは神様に対しても同じです。この背きの罪は、神様によってしか、きよめられません。もっと言えば、イエス様の十字架の血によってしか、きよめられません。少し飛ばして7節をお読みします。

7 ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば 私は雪よりも白くなります。

 7節に、ヒソプという植物の名前が出て来ます。このヒソプは、モーセの時代にイスラエルの民がエジプトから脱出した時に用いられました。

出エジプト12:21 それから、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び、彼らに言った。「さあ、羊をあなたがたの家族ごとに用意しなさい。そして過越のいけにえを屠りなさい。22 ヒソプの束を一つ取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血を鴨居と二本の門柱に塗り付けなさい。

 この夜、エジプト全土の長子、すなわち後継ぎの長男たちが主によって打たれて死にました。エジプトの王のファラオの長子も打たれました。しかし、鴨居と門柱にヒソプで羊の血を塗り付けたイスラエル人の家は主が過ぎ越して行ったので守られました。そうして、長子を打たれたファラオがイスラエルの民にエジプトから出ることを許したので、イスラエルの民は奴隷の苦しみから救い出されました。この過越の羊の血は、イエス様が十字架で流した血の予表、予め表れたものであると言われていますね。イスラエルの民は羊の血によって救い出され、私たちはイエス様が十字架で流した血によって、罪から救い出されました。

 このヒソプは、イエス様の十字架の場面でも用いられています。

ヨハネ19:28 それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。29 酸いぶどう酒がいっぱい入った器がそこに置いてあったので、兵士たちは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝に付けて、イエスの口もとに差し出した。30 イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。

 つまり、詩篇51篇7節の、

詩篇51:7 ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります。

のみことばは、人の罪はイエス様の十字架によってしかきよめられないことを、ダビデが預言したことばと言っても良いと思います。そうして、きょうの聖句の10節を見ましょう。

10 神よ 私にきよい心を造り 揺るがない霊を 私のうちに新しくしてください。

 「きよい心」とは、どんな心でしょうか?

 いろいろな言い方があると思いますが、今日ご一緒に見て来たことを振り返るなら、「きよい心」とは神様に真正面から向き合う態度であると言えるのではないでしょうか。罪の中にある時、私たちは自分のことしか考えていません。或いは人間しか見ていません。神様のことがぜんぜん見えなくなります。そのようにではなく、「きよい心」とは神様しか見ておらず、御心にすべてを委ねて全面的に従おうとする態度のことではないでしょうか。

 御心に従うことの一番のお手本は十字架のイエス様ですね。十字架に掛かる前、イエス様はゲッセマネの園で悩み苦しみました。マルコの福音書から引用します。イエス様は祈りました。

マルコ14:36 「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」

 そうしてイエス様は天の父がお望みになった通りに十字架に掛かり、血を流しました。このイエス様に私たちも倣い、天の父の御心にすべてをお委ねして従いたいと思います。とはいえ、それは容易なことではありませんね。ですから、私たちは「揺るがない霊を私のうちに新しくしてください」と祈ります。聖霊によって、しっかりと神様とつながることで、私たちは何があっても神様から離れず、揺るがずに神様と真正面から向き合い、御心にすべてを委ねて従うことができるようになるのではないでしょうか。そうして私たちはきよくされ、新しくされます。

 きょうのメッセージを閉じるにあたり、改めて詩篇51篇10節を味わいたいと思います。

10 神よ 私にきよい心を造り 揺るがない霊を 私のうちに新しくしてください。

 お風呂屋さんに行くと、体が温まり、硬くなっていた筋肉がほぐれ、そして体に付いた汚れを洗い流すことで、とても清々しい気分になります。そうして、また新しい一歩を踏み出すことができます。教会も同じですね。教会の礼拝に出席すると心が温まり、硬くなっていた心がほぐれ、そして心に付いた汚れを神様に洗い流していただき、きよめていただくことができます。そうして清々しい気分になれたことを神様に感謝し、神様との関係が揺るぎないものになるなら、聖霊に満たされて新しくされ、また新しい一歩を踏み出すことができます。教会って、本当に素晴らしい所だなと思います。

詩篇51:10 神よ 私にきよい心を造り 揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。

 このような気持ちを持って教会に集い、神様によって日々新しくされ続ける私たちでありたいと思います。お祈りいたします。
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心を静めて主の声を聞く

2024-03-21 06:19:42 | 折々のつぶやき
Ⅰサムエル3:9 それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。
10 が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。

ルカ10:38 さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。
10:39 彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。
40 ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」
41 主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
42 しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

ヨハネ20:21 イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
22 こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」

 きょうは上記のサムエル記第一3章9~10節とルカの福音書10章38~42節、そしてヨハネの福音書20章21~23節を味わいつつ、「心を静めて主の声を聞く」ことについて思いを巡らしたいと思います。

 サムエル記は、高津教会の今年の礼拝で開かれている書です。職場の地震棒材センターは日曜日も開館していて勤務がありますから、私は休館日の月曜日に高津教会のサイト(http://www.tkchurch.com/)を訪れて説教を読むようにしています。そうして、今年の聖句の「お話しください。しもべは聞いております」(Ⅰサムエル3:10)の信仰について学んでいます。祈る時、私たちは自分の願望を一方的に神様に向かってぶつけがちです。でもそうではなくて、まずは「主よ、お話しください」と言って、御声に耳を傾け、主の言われたことに従う姿勢が大切であることを学んでいます。

 さて、そのように「主よ、お話ください。しもべは聞いております」と祈っていたところ、最近ふと私の大好きな箇所のルカ10:38~42と重なりました。

ルカ10:39 彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。

とあるように、マルタの妹のマリアは主イエスのことばに聞き入っていました。一方、姉のマルタは忙しくバタバタと働いていました。このマルタとマリアの対照的な姿が、今月のブログ記事に書いている「水蒸気」と「聖霊」とも重なって来ました。

 空気中には多くの水蒸気が含まれていますが、人の息にはさらに大量の水蒸気が含まれています。それゆえガラス窓に息を吹きかけると、水蒸気が細かい水滴になってガラスは曇ります。ヨハネ20:22で弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言ったイエスの息にもまた、大量の水蒸気が含まれていたことでしょう。

 この水蒸気のような聖霊を、どうしたら私たちはしっかりと受け取ることができるでしょうか?そうして主の御声に耳を傾けることができるようになるでしょうか?コップの中の水の温度にたとえて考えてみましょう。

 水の温度が高い時、水の分子はコップの中で活発に動いています。これは姉のマルタの状態です。一方、水の温度が低い時、水の分子はコップの中で静まっています。これは妹のマリアの状態です。そうして冷えた水が入ったコップの表面にはたくさんの水滴が付きます。しかし、忙しい姉のマルタのコップの表面には水滴が付きません。

 主イエスはマルタに言いました。

ルカ10:41 「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
42 しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

 ですから、まず私たちはマリアのように静まって主の御声に耳を傾けたいと思います。そうして、その後にマルタのように働きたいと思います。それは、主イエスの証人としての働きです。水面から湯気が立つぐらいに働ければ幸いですね。
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「我に返る」ことができる幸い

2024-03-15 05:39:29 | 折々のつぶやき
 このブログでは今月(2024年3月)から、「水蒸気」を使って「聖霊」を理解することを試み始めています。私たちを取り巻く空気中には大量の水蒸気が含まれています。それは氷を入れたコップの表面に水滴が付くことや、上空に昇った水蒸気が雲を作って大雨を降らせることからも分かります。しかし、普段の生活の中で私たちは水蒸気の存在にほとんど気付いていません。同様に、すぐ近くにいる聖霊の存在にも気付いていません。それでも聖霊は、いつも私たちの心のドアをノックしています。

黙示録3:20 「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

 私たちは、このノックの音にもなかなか気付かずにいます。それでも聖霊は粘り強くドアをノックし続けますから、やがて気付くことができます。このことを聖書では「我に返る」(申命記30:1、Ⅰ列王8:47、Ⅱ歴代6:37、ルカ15:17)という表現で表しています。たとえば「放蕩息子の帰郷」の物語で有名なルカ15章では、イエスが次のように言っています。

ルカ15:17 「しかし、彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。』」

 そうして、放蕩息子は父親の家に帰って行きました。

ルカ15:20 「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。」



 このルカ15章でイエスは、羊と銀貨のたとえ話も「放蕩息子の帰郷」の前にしています。

ルカ15:4 「あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
5 見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、
6 家に戻って、友だちや近所の人たちを呼び集め、『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。
7 あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。
8 また、ドラクマ銀貨を十枚持っている女の人が、その一枚をなくしたら、明かりをつけ、家を掃いて、見つけるまで注意深く捜さないでしょうか。
9 見つけたら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『一緒に喜んでください。なくしたドラクマ銀貨を見つけましたから』と言うでしょう。
10 あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。」

 羊も銀貨も捜した人によって見つけられ、元の場所に戻りました。しかし放蕩息子の場合、父親は捜しには行かずに家で待っていました。羊・銀貨と放蕩息子とでは何が違うのでしょうか?それは羊・銀貨は「我に返る」ことができないけれど、放蕩息子は「我に返る」ことができる、という違いがあるのではないでしょうか。聖霊による心のドアへのノックに反応して「我に返る」ことができるのは放蕩息子だけです。羊も銀貨も「我に返る」ことはできないでしょう。

 そうして我に返って心のドアを開けるなら、神が内に入って来て下さいます。ヨハネの手紙第一はこのことを次のように表現しています。

Ⅰヨハネ4:13 神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。

 聖霊は水蒸気のようにいつも私たちと共にいますから、私たちは神の内にいます。そして、心のドアを開けて神を内に迎え入れるなら、神は私たちの内にとどまって下さいます。神は私たちの内にも外にもおられます。そうして私たちは聖霊に満たされます。

 私たちの体の約8割は水分だそうですから、水蒸気に囲まれている私たちは内も外も水分で満たされています。同様に、内にも外にも聖霊がいるのが私たちの本来のあるべき姿です。私たちの内に聖霊がいないなら前々回の記事で引用したエゼキエル37章の「干からびた骨」になってしまいます。

エゼキエル37:1 主の御手が私の上にあった。私は主の霊によって連れ出され、平地の真ん中に置かれた。そこには骨が満ちていた。
2 主は私にその周囲をくまなく行き巡らせた。見よ、その平地には非常に多くの骨があった。しかも見よ、それらはすっかり干からびていた。
3 主は私に言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるだろうか。」私は答えた。「神、主よ、あなたがよくご存じです。」
4 主は私に言われた。「これらの骨に預言せよ。『干からびた骨よ、主のことばを聞け。
5 神である主はこれらの骨にこう言う。見よ。わたしがおまえたちに息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。
6 わたしはおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちのうちに息を与え、おまえたちは生き返る。そのときおまえたちは、わたしが主であることを知る。』」

 羊や銀貨と違って私たちには「我に返る」幸いが与えられていますから、心のドアを開けて神を内に迎え入れたいと思います。
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「水蒸気」は「聖霊」のたとえに使えそう?

2024-03-11 10:00:27 | 折々のつぶやき
 前回と前々回の記事に書いたようなこと、すなわち空気に含まれる「水蒸気」と「聖霊」とを絡めることを考えるようになったのは、勤務先での経験がきっかけになっています。

 先月(2月)の半ばに職場の地震防災センターで親子イベントが開かれて、小学生の子どもたちと実験をいくつか行いました。その中の一つに、「雲を作る実験」がありました。以下の3枚の写真は、同様の実験の紹介をしている HugKumのサイト のものです。



 まずペットボトルの中に少量のエチルアルコールを入れて内部の圧力を上げます。



 そしてフタを開けて減圧すると中が白く曇ります。



 圧力を上げることで内部の温度が上がり、減圧することで温度が下がるからです。温度が下がると気化していたアルコールが液化して目に見えるようになります。空の雲も、アルコールを水に置き換えれば同じことが起きています。水蒸気が上空で冷やされると液化して水になり、雲が出来るのです。実験の詳細を知りたい方は、HugKumのサイト をご覧下さい。

 この「水蒸気」を「聖霊」と絡めることは、聖書の内容をもっと知ってもらえるようにするために、けっこう使えそうな気がしています。思い付くままに、その理由をいくつか挙げてみます。

・大雨の被害が増えているので空気中の水蒸気量への関心が高まっている。
・水蒸気も聖霊も身近な存在だが、目に見えないので気付きにくい。
・気体の水蒸気は目に見えないが、液体の水は目に見える。霊の聖霊は目に見えないが、肉のイエスは目に見える。
・水蒸気は体を守り、聖霊は心を守る。
・聖書も「水」を「聖霊」の別表現として用いている(ヨハネ4:14、ヨハネ7:38など)。

 これらのほとんどについては前回と前々回の記事に既に書いていますが、まだまだ他にもありそうな気がします。これからも引き続き、「水蒸気」と「聖霊」とを絡めた記事を書いて行けたらと思います。

 世界が平和な方向に向かうためには、聖書をもっと深く知る必要があると思います。そして聖書を理解するためには、聖霊の力が必要です。その聖霊について、もっと深く知ることができるようになりたいと思います。
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渇いた魂を潤す神の霊

2024-03-09 13:49:35 | 折々のつぶやき
 来月の4月に市内の教会で礼拝の説教をすることになり、少し前から準備を始めています。この教会では、昨年も礼拝説教の機会を与えていただきました。当時は地震防災センターでの勤務を始めてから間もない頃で、聖霊に満たされてゆったりとした気分になることを、高層ビルが長周期地震動でゆっくり揺れることにたとえました。次の礼拝説教も防災に絡めて、温暖化によって空気中に含まれる水蒸気が増えていることと聖霊とを結び付けて話そうかと思っています。前回の「国際宇宙ステーションの時代の水と霊」は、その説教のための思い巡らしの中で示されたものです。今回は、その続きです。

 前回書いた通り、空気中には大量の水蒸気が含まれています。私たちの体は、この水蒸気に守られています。生まれる前の私たちは母の胎の中で羊水に包まれて守られていましたが、生まれてからは空気に含まれる水蒸気に守られています。例えば、空気が乾燥するとウイルスや細菌に感染するリスクが高くなります。喉や鼻の粘膜は、空気中に存在するウイルスや菌の侵入を予防する役目があり、空気が乾燥してしまうと、鼻や喉の粘膜を保護しているバリア機能が低下して感染症にかかりやすくなるそうです(京都工場保健会HPより)。ですから、冬には多くの家庭や職場で加湿器が使われています。

 人の吐く息には、さらに多くの水蒸気が含まれています。寒い冬の日に吐く息が白くなるのは、息に含まれる水蒸気が空気で冷やされて細かい水滴になるからです。暖かくて息が白くならなくても、ガラス窓に息を吹きかければ曇ります。ガラスが息よりも冷たければ、息の中の水蒸気が冷やされて水滴になるからです。

 さて、十字架の死から復活して弟子たちの前に現れたイエスは、弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言いました。

ヨハネ20:21 イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
22 こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」

 イエスが弟子たちに吹きかけた息も、水分をたっぷりと含んでいたことでしょう。まさに聖霊にふさわしいと思います。聖書で「水」が「神の霊」の別表現として用いられている例として、前回はヨハネ7章37~39節を引用しましたが、ヨハネの福音書ではイエスがサマリアの女に次のように言った4章の箇所も有名です。

ヨハネ4:13 イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。
14 しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

 このように、「水」は「神の霊」(或いは「聖霊」、「御霊」)の別表現として用いられることが多いですから、水分をたっぷりと含む「息」もまた、「神の霊」の別表現と言えるでしょう。この「息」は、エゼキエル書37章の次の箇所にも見られます。

エゼキエル37:1 主の御手が私の上にあった。私は主の霊によって連れ出され、平地の真ん中に置かれた。そこには骨が満ちていた。
2 主は私にその周囲をくまなく行き巡らせた。見よ、その平地には非常に多くの骨があった。しかも見よ、それらはすっかり干からびていた。
3 主は私に言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるだろうか。」私は答えた。「神、主よ、あなたがよくご存じです。」
4 主は私に言われた。「これらの骨に預言せよ。『干からびた骨よ、主のことばを聞け。
5 神である主はこれらの骨にこう言う。見よ。わたしがおまえたちにを吹き入れるので、おまえたちは生き返る。
6 わたしはおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちのうちにを与え、おまえたちは生き返る。そのときおまえたちは、わたしが主であることを知る。』」

 干からびた骨は、神から離れていた人々の魂の状態です。人は神から離れると、魂の潤いを失います。人の鼻や喉の粘膜が乾燥するとウイルスや細菌に感染しやすくなるように、魂が潤いを失くすと悪魔の誘惑に簡単に負かされて、ますます神から離れて行きます。そうして魂はカラカラに乾燥して、死んでしまいます。しかし神は、死んだ魂でも息を吹き入れることで生き返らせることができます。イエスも、弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言いました。もう一度、ヨハネ20章21~23節を見てみましょう。

ヨハネ20:21 イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
22 こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」

 神から離れて潤いを失った魂は枯れていて、御霊の実を結ぶことができません。

ガラテヤ5:22 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。

 人の罪を赦すには御霊の実を結ぶ必要があります。御霊の実を結んだ魂には平安があり、寛容になることができ、それゆえ人を赦すことができます。この世が平和な方向に向かうためには、聖霊を受けて心の平安を得て、御霊の実を結ぶ必要があります。聖霊の水は既に私たちの周りを包んでいますから、あとは聖霊を心の内に迎え入れれば良いのです。イエスは、いつも私たちの心のドアをノックしていますから、あとはドアを開くだけで良いのです。

黙示録3:20 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

 心の扉を開いてイエスを迎え入れ、内も外も聖霊で満たされて、いつも魂の潤いを保っている私たちでありたいと思います。
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国際宇宙ステーションの時代の水と霊

2024-03-04 13:20:55 | 折々のつぶやき
国際宇宙ステーションの時代の水と霊
~21世紀の目に映る天地創造2日目とは~

はじめに
 昨年の『どうする家康』もそうでしたが、これまでNHKの大河ドラマでは戦国時代や幕末が何度も繰り返し描かれて来ました。その度に新しい解釈が示されて、最初は違和感を覚えつつも次第に馴染んで行くということを視聴者の私は、繰り返して来ました。そうして歴史的な人物や出来事に関する解釈の仕方は一つではなく、様々であることを見る度に思わされています。そこがまた、大河ドラマの大きな魅力の一つなのでしょう。

 聖書もまた、様々な解釈が為されて来ました。多くの教派があることが、そのことを如実に示しています。教派間の戦争すらあるので能天気なことは言えないのですが、一歩引いた位置から眺めるなら、様々な解釈が可能なこともまた聖書の魅力の一つなのだろうと思います。しかし、この魅力に富んだ聖書のことが、日本ではあまり知られていません。そのことを私は聖書の読者の一人として、とても残念に思います。

 そこで聖書の魅力を少しでも分かってもらうために、旧約聖書の天地創造2日目に関して、これまでとは違った解釈を示してみたいと思います。その前に、天地創造の1日目について、少し触れておくことにしましょう。聖書の冒頭には、次のように書かれています(新改訳2017)。

創世記1:1 はじめに神が天と地を創造された。
2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。

 これが天地創造の第1日目のことです。3節にあるように、神が「光、あれ」と言って、光が造られました。この「光、あれ」を宇宙の初めの「ビッグバン」と結び付けて考える人も少なくないと思います。しかし、「ビッグバン」ということばが登場したのは20世紀の半ばのことですから、それ以前は「光、あれ」を「ビッグバン」と結び付けて考える人は誰もいませんでした。それが今は、結び付ける人が少なからずいます。このように、聖書は時代とともに新しい解釈が登場します。この新しさを失わないところがまた、聖書の大きな魅力なのだろうと思います。

1.水は空気中にも大量に存在する
 それでは、本題の天地創造2日目に進みましょう。第二日には、次のことがありました。

創世記1:6 神は仰せられた。「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。」
7 神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。
8 神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。

 7節の「大空の下にある水」と「大空の上にある水」を普通に解釈するなら、それぞれ「海の水」と「雨の水」ということになるでしょう。海水と雨水が大空によって分けられました。しかし、現代人にはよく知られているように、水は空気中にも大量に存在します。たとえば夏に冷えた飲み物をコップに注ぐと、コップの表面は水滴で覆われて、少し後にはテーブルを濡らすほどになります。これは空気中に含まれていた気体の水蒸気がコップの表面で冷やされて液体の水に戻ったためです。水の分子は気体としてバラバラの状態にある時は小さすぎて私たちの目には見えません。しかし液体になって、ある程度の数量の分子が集まると目に見えるようになります。つまり水は大空の下の海から上空の雲に至るまで連続して存在していて分け目はありません。海では液体として、空気中では気体として、雲の中ではまた液体として、あるいは固体の氷として水は存在しています。気体、液体、固体という状態の違いはありますが、どれも同じ水です。

 空気中にどれほど大量の水蒸気が存在するかは、近年になって頻繁に起きるようになった豪雨の被害からも良く分かります。地球が温暖化していることで海水の温度も上がり、蒸発する水の量が増えています。そうして気体の水蒸気が上昇して上空で冷やされると液体に戻って雨雲を作り、大量の雨を降らせます。私が住む静岡市でも一昨年の秋には台風15号の通過時に豪雨の被害がありました。空気中に含まれる水蒸気の量は半端ではないのです。

2.21世紀の目で見た聖書の【大空】は宇宙?
 このように、現代の目で聖書の創世記1章6~8節を改めて読み返してみると、水が存在しない分け目の【大空】とは大気圏外の「宇宙」ではないか、ということが見えて来ます。人類が初めて宇宙を飛行したのは1961年、ガガーリンが乗ったソ連のボストーク1号でした。また1969年にはアメリカのアポロ計画によって人類は初めて月面に降り立ちました。当時、私は小学4年生で、この時に家族と一緒に見たテレビ中堅のことは今でもよく覚えています。そして21世紀の現代では、国際宇宙ステーション(ISS)に人が常駐しています(NASAのサイトの写真を貼り付けます)。



 ISSの搭乗員たちはSNSを通じて宇宙から見た地球の様子を頻繁に発信してくれていて、私たちは気軽にそれらを見られるようになっています。これらの画像からは、地球には多くの水が存在していることが分かります。そして、これもNASAのサイトの写真ですが、日の丸が見える日本の実験棟「きぼう」の下には大量の雲があります。これらの雲は皆、液体の水滴または固体の氷の粒です。



 この水がどこからもたらされたのかは、まだよく分かっていないそうです。水は月にも存在します。火星にも水が流れた痕跡が残っています。小惑星にも水は存在するようです。もしかしたら水は、太陽系外からもたらされたのかもしれません。宇宙は広大です。地球がある太陽系は銀河系にあり、私たちの銀河の外にはアンドロメダなどの無数の銀河があります。この大宇宙を神は創造して、支配しています。それゆえ天は太陽系も銀河系も超えた所にあるのでしょう。この大宇宙に目を向けるなら、水の分け目の【大空】とは宇宙であるとも読み取れるのではないでしょうか。つまり私たちは【大空】の下の水の中で暮らしています。水蒸気も水ですから、私たちは水にいつも包まれています。

3.聖書の水は、しばしば「神の霊」を表す
 水は聖書では「神の霊」の別表現として、しばしば用いられます。たとえば新約聖書のヨハネの福音書7章には次のような記述があります。

ヨハネ7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
39 イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。

 この例のように聖書では多くの場合、「水=神の霊」です。念のために申し添えると、そうではない場合もあるので注意が必要です。しかし、水が神の霊を表す聖書の箇所はたくさんあります。すると、地上で水蒸気に囲まれて暮らす私たちは、神の霊に包まれていると考えることも可能でしょう。つまり、神は私たちとともにおられます。そして、このことは私たちの実感とも良く合います。キリスト教に限らず、信仰は霊的な雰囲気を感じるところから始まると言っても良いでしょう。たとえば四国のお遍路さんが巡るのは八十八ヶ所の「霊場」です。また、富士山・白山・立山を「日本三霊山」と呼ぶそうです。富士山を眺める時や、お寺や神社の境内に身を置く時に霊的な雰囲気を感じるのは、私たちがいつも神の霊に包まれているからである、とも言えるかもしれません。

4.神の呼び掛けに応答する
 ただし、神の霊は多くの場合、私たちの外側にとどまっていて私たちの内に入って来ることはありません。それは私たちが、神が内に入ることを拒んでいるからです。それゆえ神はいつも私たちの心の扉をノックしています。

黙示録3:20 「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

 この神のノックに応答して心の扉を開けるなら、神は私たちの内に入って来て下さいます。或いはまた、イエス・キリストは「あなたがたは何を求めているのですか?」と言って私たちに近づいて来ます。

ヨハネ1:35 その翌日、ヨハネは再び二人の弟子とともに立っていた。
36 そしてイエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の子羊」と言った。
37 二人の弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
38 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳すと、先生)、どこにお泊まりですか。」
39 イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすれば分かります。」そこで、彼らはついて行って、イエスが泊まっておられるところを見た。そしてその日、イエスのもとにとどまった。時はおよそ第十の時であった。

 イエスに「あなたがたは何を求めているのですか?」と問われても、私たちはすぐには答えられません。人生において自分が何を求めているのかは難しい問題です。金持ちになりたい、というような浅い願望ではなく、心の深い領域に関することは、すぐに答えられるようなものではありません。それゆえ私たちは戸惑い、「先生、どこにお泊りですか?」などと逆に質問をしたりします。するとイエスは「来なさい。そうすればわかります」と私たちを招きます。この招きに素直に応じるなら、神であるイエスは私たちの心の扉の内側に入って来て下さいます。そうして、自分が心の奥底で本当は何を求めているのかが段々と分かるようになります。

おわりに
 私自身が教会に通うようになったのは2001年のことで、41歳の時でした。後から考えると、それまでもイエスは常に「あなたは何を求めているのですか?」と私に声を掛け続けて下さっていたのだと思います。私たちは神の霊に包まれて生活しています。このことを国際宇宙ステーションと地球の写真を見ると、しみじみと感じます。そうして、神はいつも私たちの心の扉をノックして、応答するように促し、招いています。
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1870年前後の化学とE.W.クラーク

2024-02-20 08:51:35 | 折々のつぶやき
【1870年前後の化学とE.W.クラーク】

 クラーク先生が静岡学問所の化学の授業に使った教科書を読む機会を得たので、次のような論考を書いてみました。

 1871年10月、E.W.クラーク(Edward Warren Clark 1849~1907)は日本へ向かう太平洋航路の蒸気船の中にいました。彼は静岡学問所で化学を教えることになっており、教科書にはG.F.バーカー(George Frederick Barker 1835~1910)の ”A Text-Book of Elementary Chemistry”(1870)を使用するつもりでいました。船上で書いた友人宛ての手紙の中でクラークは「これまで見た化学の教科書の中では、ただ一つ完全に満足できるものだ」と、バーカーの教科書を絶賛しています。それゆえバーカーの教科書を見れば、静岡学問所でのクラークの化学の授業がどのようなものであったかの一端を知ることができるでしょう。



 この教科書からクラークが何を学び、静岡学問所の若者たちに何を伝えようとしたのかを、次の二段階に分けて考えてみたいと思います。

 A.1870年前後の化学とバーカーの教科書
 B.クラークがバーカーから学んで伝えたこと

A.1870年前後の化学とバーカーの教科書
 エール大学教授のバーカーの教科書は1870年に出版されました。化学の発展史の中で1870年頃は、どのような時代だったのでしょうか?メンデレーエフ(1834~1907)が「周期表」の学説を発表したのは1869年のことだそうです。しかし、研究者の間で広く認知されるようになったのは、ずっと後の話です。バーカーの教科書も周期表説には触れていません。また同じ頃に、陰極線に関係する重要な発見が物理学でありましたが、電子の発見に至るまでにはさらに約30年を要しました。そして20世紀に入ってプランクらの物理学者によってようやく量子力学の扉が開かれ、ラザフォードが原子核を発見したのはさらに10年後の1911年のことです。周期表の理解には量子力学の原子構造の知識が必要ですから、1907年に没したメンデレーエフ自身も存命中は周期表の理解には至っていなかったことになります。これらのことを考えると、1870年の段階では原子についての理解はまだまだ乏しかったと言えるでしょう。

 そのような中ですが、バーカーの教科書は個々の元素の原子の化学的性質を深く理解することに重点を置いています。以下、あまり自信がありませんが目次を和訳してみます(誤訳があったら申し訳ありません)。



第一部 理論化学
Ⅰ.はじめに
 第1節 物質の物理的および化学的性質
Ⅱ.基本的な分子と原子
 第1節 分子についての一般論
 第2節 基本的な分子
 第3節 原子の性質
 第4節 原子の表記
Ⅲ.複合分子
 第1節 二原子分子
 第2節 2価原子が結合した三原子分子
 第3節 3価原子が結合した三原子分子
Ⅳ.分子の体積関係
 第1節 原子量と密度との関係
 第2節 原子量と気体の拡散との関係
 第3節 体積の組み合わせ
Ⅴ.化学量論
 第1節 化学反応式
 第2節 化学量論的計算
第二部 無機化学
Ⅰ.水素
Ⅱ.負の1価原子
 第1節 塩素
 第2節 臭素、ヨウ素、フッ素
 第3節 ハロゲン族の性質
Ⅲ.負の2価原子
 第1節 酸素
 第2節 硫黄
 第3節 セレン、テルル
Ⅳ.負の3価原子
 第1節 窒素
 第2節 リン
 第3節 ヒ素、アンチモン
 第4節 ビスマス
 第5節 窒素族の関係
Ⅴ.ホウ素
Ⅵ.負の4価原子
 第1節 炭素
 第2節 ケイ素
 第3節 スズ
Ⅶ.鉄族
 第1節 クロム
 第2節 マンガン
 第3節 鉄
 第4節 ニッケル、コバルト
Ⅷ.正の4価原子
 第1節 鉛、インジウム
 第2節 白金
 第3節 アルミニウム
Ⅸ.正の3価原子
 第1節 金
 第2節 タリウム
Ⅹ.正の2価原子
 第1節 銅
 第2節 水銀
 第3節 亜鉛、カドミウム
 第4節 マグネシウム
 第5節 カルシウム
 第6節 ストロンチウム、バリウム
Ⅺ.正の1価原子
 第1節 銀
 第2節 リチウム
 第3節 アンモニア
 第4節 ナトリウム
 第5節 カリウム
 第6節 ルビジウム、セシウム

 バーカーの教科書は大まかに言えば第一部は理論、第二部は実験という構成になっています。第二部には各元素の性質の説明に加えて、それぞれの元素やその化合物を実験室で得るための細かい方法が説明されています。例えば「水素」の章では、水にナトリウムを入れることで水素が得られることなどが記されています。

 1870年の時点で元素は63種類が発見されていて、第一部のⅡ章3節には各元素の記号と原子量が表で示されています。



 この表に載っている元素を現代の周期表と照らし合わせてアンダーラインを引いた図を作成しましたので、ご覧下さい。



 1870年の段階では希ガス(ヘリウム、ネオン、アルゴン、クリプトン、キセノン、ラドン)のすべてとランタノイド元素の大半が発見されていなかったことが目に付きます。トリウムとウランの原子量が半分になっていることも気になります。その他、現在では元素と認められていないものも、いくつか含まれています(Cb、Ro、E、Gなど)。また、教科書本文には金属や塩化ナトリウム(NaCl)の「分子」についての記述がありますが、これらは分子ではありません(金属の結晶は金属結合、塩の結晶はイオン結合で、分子ではありません)。或いはまた、水素と窒素と酸素は液化しないことが書かれていますが、後には液体酸素と液体窒素が(1877)、さらに液体水素も得られるようになりました(1898)。

 これらのことから、1870年前後の化学は現代から見ればまだまだ発展途上であったことが分かります。しかし、これはいつの時代においても同じです。現代の2024年の科学も後世から見れば、まだまだ発展途上ということになるでしょう。例えば、宇宙に存在するとされるダークマター(暗黒物質)やダークエネルギー(暗黒エネルギー)は現代の観測技術では正体不明ですが、いずれは明らかになることでしょう。

B.クラークがバーカーから学んで伝えたこと
 今回、私はバーカーの教科書を読む機会を得たことで、E.W.クラークが静岡学問所の若者たちに伝えたかったことは、単に化学の表面的な知識ではなく、その根底にあるものではないかと考えるようになりました。

 バーカーの教科書の「まえがき」を要約すると、おおよそ次のようなことが書かれています。

「過去10年間に、化学は著しい変革を遂げた。単に新しい化合物や反応式を発見しただけではなく、これらに法則性があることを発見したのだ。この発見によって化学という自然科学の様相は一変した。この法則性の発見の重要性はいくら評価しても評価し過ぎることはない。あらゆる元素が形成するすべての化合物を確実に予測することができるようになったのだ。今や化学は様々な事実の寄せ集めではなく、堅固な哲学に基づいた真の科学になったのだ。」

 日本に向かう船の中でクラークが書いた友人宛ての手紙では、さらに何冊かの化学の教科書に言及しています。私はまだそれらを読んでいないので比較できませんが、クラークがバーカーの教科書を他の教科書よりも絶賛する理由は、この「まえがき」にあるような気がします。そしてクラークは静岡の若者たちには表面的な知識の習得ではなく、物事の本質を追究する姿勢を身に着けて欲しいと願っていたのではないかという気がします。クラークは静岡に到着して早々に聖書を学ぶ会も始めていますが、これも聖書に関する表面的な知識を伝えるというよりは、聖書の根底に流れる真理を静岡の若者と共に追究したかったのかもしれません。そしてクラークは明治政府による教育の中央集権化に抗議して「諸県学校ヲ恵顧スルコトヲ勧ムル建議」を静岡で書きます。当時の東京は目まぐるしく変化していました。その変化に目を奪われることなく、物事の本質をじっくりと追究するには地方で学ぶことが一番であるとクラークが考えた背後には、もしかしたらバーカーの「まえがき」の影響があったのかもしれません。

 そうして50代の半ばでクラークは勝海舟の小伝の『勝安房』を書きます。この書の中でクラークは勝海舟という人物の根底を探るだけでなく、徳川の時代から明治の世に移った日本の根底には何があったのかを探っています。この姿勢はクラークが静岡に着任した若い頃から身に着けていたものだと言えるでしょう。
 日本からアメリカに帰国してからのクラークは幻灯機を用いた講演会を全米各地で300回以上も開いたとのことですから、これまで私はクラークに対してやや軽い印象も実は少し持っていました。しかし、クラークは日本という異国の表面の姿をアメリカ人に面白く伝えたかったのではなく、日本人の根底にある善良な魂のことを伝えたかったのかもしれません。

 バーカーの教科書を少し読んだぐらいで想像を膨らませ過ぎだとは思いますが、クラークにとってこの教科書との出会いは、聖書と勝海舟との出会いと同じくらいに彼の精神形成に深い影響を及ぼしたような気がします。
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荘子とヨハネは似た者同士

2024-02-14 06:16:39 | 荘子と聖書
 荘子とヨハネは、とても良く似ています。例えば、前回の記事で説明したヨハネ4章1~5節の「イエス」が実は「弟子たち」であること、これは『荘子』の「胡蝶(こちょう)の夢」の話と似ていると思います。中公文庫のカバーの蝶の絵は、「胡蝶の夢」が題材です(写真)。



 この「胡蝶の夢」の話は『荘子 内篇』の斉物論篇の最後に出て来ます。今回は岩波文庫の金谷治氏の訳と注を引用します。「荘周(そうしゅう)」とは、荘子本人のことです。

【訳】むかし、荘周は自分が蝶になった夢を見た。楽しく飛びまわる蝶になりきって、のびのびと快適であったからであろう、自分が荘周であることを自覚しなかった。ところが、ふと目がさめてみると、まぎれもなく荘周である。いったい荘周が蝶となった夢を見たのだろうか、それとも蝶が荘周になった夢を見ているのだろうか。荘周と蝶とは、きっと区別があるだろう。こうした移行を物化(すなわち万物の変化)と名づけるのだ。

【注】この章は「胡蝶の夢」として古来有名な章である。「物化」すなわち万物の変化とは要するにこうしたもので、因果の関係は成立せず、荘周と胡蝶との間には一応の分別相違はあっても絶対的な変化というべきものはない。荘周が胡蝶であり、胡蝶が荘周だという境地、それがここで強調される世界である。(金谷 治・訳注『荘子 第一冊[内篇]』岩波文庫 p.89)

 「荘周が胡蝶であり、胡蝶が荘周だという境地」に達するなら、敵味方や彼我の区別なく皆が平和に暮らせるのではないでしょうか。ジョン・レノンの『イマジン』の世界にも通じるものがあります。

 『ヨハネの福音書』においても弟子たちがイエスであり、イエスが弟子たちです。ヨハネはバプテスマのヨハネであり、使徒ヨハネであり、記者ヨハネであり、証人であり、愛弟子です。私たち読者も愛弟子であり、証人ですから、私たちもまたヨハネです。私たちは罪人であると同時に神の子でもあります。私たちは塵(ちり)や埃(ほこり)のような小さな存在であると同時に大鵬のようなスケールの大きな存在でもあります。

 聖書には堅苦しいイメージがあるかもしれません。しかし聖書を深く知れば知るほど、様々な束縛から解放されて自由になります。中でも『ヨハネの福音書』は『荘子』と同じで頭抜けて自由な書です。次回以降も、ヨハネが荘子と同じようにいかに自由人であるかを紹介して行きます。(つづく)
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木を見て森も見る

2024-02-12 07:38:00 | 荘子と聖書
 職場の地震防災センターの館内では、木造住宅の耐震性が補強の有無で大きく異なることを示す動画を流しています。左の家は「補強なし」、右の家は「補強あり」です。この二棟を起震台に載せて揺らすと、「補強なし」の家は倒壊してしまいます。



 この家が小さな模型ではなくて実際の大きさの家であることは、後方にいる見学者たちが一緒に写っていることで分かります。もしヘルメット姿の見学者たちが大きければ、家は小さな模型ということになるでしょう。しかし、ヘルメット姿の見学者たちが小さいので、家は実際の大きさの住宅であることが分かります。



 このように背景を併せ見ることで家の大きさを正しく認識することができます。ヘルメット姿の見学者たちを見なければ、「木を見て森を見ず」になってしまいます。
 聖書も背景を併せて読むこと、すなわち「森も見る」ことが大切です。例えば『ヨハネの福音書』4章1~5節には、次のように記されています。

ヨハネ4:1 パリサイ人たちは、イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている、と伝え聞いた。それを知るとイエスは、
2 ──バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが──
3 ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれた。
4 しかし、サマリアを通って行かなければならなかった。
5 それでイエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近い、スカルというサマリアの町に来られた。

 2節は不可解です。「バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが」とは、何を意味するのでしょうか?まず押さえておきたい重要な背景は、マタイ・マルコ・ルカの福音書では、バプテスマを授けていたのはバプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)だけだったということです。イエスも弟子たちもバプテスマを授けてはいませんでした。また、さらに重要な背景として、ヨハネ2章~4章の流れがあります。

 ヨハネ2章ではガリラヤ人の弟子たちがイエスを信じて、次いでユダヤ人たちもイエスを信じました。そしてヨハネ3章では、聖霊についての教えに戸惑うユダヤ人ニコデモの姿が描かれています。そして、ヨハネ4章ではサマリア人たちと異邦人たち(王室の役人と家の者たち)がイエスを信じました。このヨハネ2章~4章の流れは『使徒の働き(使徒言行録)』の2章~10章の流れと同じです。使徒たちの時代においても、人々はガリラヤ人→ユダヤ人→サマリア人→異邦人の順にイエスを信じて聖霊を受けました。そして、このことに戸惑うユダヤ人たちが怒り、弟子たちを迫害するようになりました。

 これらの背景を併せ読むなら、ヨハネ4章1~5節のイエスは十字架・復活の後に天に昇った「天国のイエス」であることが分かります。五旬節の日(使徒2章)以降、「天国のイエス」は地上の弟子たちに聖霊を遣わして、聖霊を通して様々なことばを天国から伝えました。弟子たちは天のイエスのことばを人々に語ってバプテスマを授けていたので、弟子たちの内にはイエスがいました。つまりヨハネ4章2節の「バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが」は、五旬節の日以降に、エルサレムの教会が急成長していた時期の状況を示しています。

 そうしてステパノ殉教をきっかけに激しい迫害が起きて、弟子たちはエルサレムから散らされて行きました。散らされた弟子の一人のピリポはサマリア人たちに伝道しました(使徒8章)。ヨハネ4章5節の「それでイエスは、・・・サマリアの町に来られた」とは、ピリポの内にいるイエスのことです。

 『荘子』の大鵬のように地上から飛び立ち、九万里の上空の視座からも聖書を読むことをお勧めしているのは、地上からの視座だけでは「木を見て森を見ず」になってしまうからです。それゆえ、地上と天上の両方の視座から聖書を読みたいと思います。すると、天国との距離がぐっと縮まり、死後まで待たなくても天国に近づくことができて、心の深い平安が得られるようになります。(つづく)
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天上から?地上から? ~聖書の読み方のコペルニクス的転回~

2024-02-08 11:43:43 | 荘子と聖書
【天上から?地上から?】

 視座の違いが聖書の読み方にもたらすコペルニクス的転回について、今回は書きます(前回からの続きです)。

 九万里の上空を飛翔する『荘子』の大鵬のように、天上からの視座で聖書を読んでみましょう。

 新約聖書の『ルカの福音書』の最終盤の24章50~51節には、イエスが「天に上げられた」ことが書かれています(写真)。



ルカ24:50 それからイエスは、弟子たちをベタニアの近くまで連れて行き、手を上げて祝福された。
51 そして、祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた。

 つまりイエスは大鵬のように九万里の上空に飛び立ちました。読者の私たちもイエスとともに飛び立ちましょう。そうして『ルカの福音書』から『ヨハネの福音書』に移ります。一般的な聖書の読み方では、この時点で読者の視座はまた地上に降り立ちます。しかし、私たちはこのまま天上を飛び続けましょう。すると、ヨハネ1章6~8節が、従来とは全く異なる光景で目に映ります。

ヨハネ1:6 神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。
7 この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。
8 彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。

 天上から『ヨハネの福音書』を読むなら、上記1章6節の証人の「ヨハネ」とは、この福音書を書いた記者のヨハネです。そして読者の私たちは九万里の上空を飛んでいますから、この福音書の最後の締めくくりの箇所も視界に入ります。

ヨハネ21:24 これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。
25 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。

 前回、『ヨハネの手紙第一』の記者のヨハネが、私たちを天上の「御父また御子イエス・キリストとの交わり」(Ⅰヨハネ1:3)に招いていることを書きました。この交わりに入れられた者は皆、イエスの弟子であり、証人です。つまり、ヨハネ1:6の証人の「ヨハネ」とは、天上での神様との交わりに入れられた者たち全員であり、この皆がヨハネ21:24~25に記されている『ヨハネの福音書』の記者です。1世紀から21世紀に至るまで弟子たちの数は膨大ですから、「世界もその書かれた書物を収められない」とは決して誇張ではなく、事実です。

 このように『ヨハネの福音書』を天上からの視座で読むなら、この福音書のイエスは、降誕する前と昇天した後の「天上のイエス」です。一方、地上からの視座で読むなら、イエスはマタイ・マルコ・ルカが描いたのと同じ紀元30年頃の「地上のイエス」です。

 『ヨハネの福音書』のイエスを「地上のイエス」として読んでも良いと思います。しかし現状では、専ら「地上のイエス」としてのみ、読まれています。それゆえ、もう一方の「天上のイエス」も分かち合えるようになることを強く望みます。なぜなら「天上のイエス」との交わりによって、より深い平安が得られるからです。世界が平和に向かうためには、この読み方は不可欠でしょう。

 今回は『ヨハネの福音書』の冒頭の1章と締めくくりの21章しか紹介しませんでした。次回は4章について書き、この福音書のイエスが「天上のイエス」であるとヨハネが明記していることを明らかにします。(つづく)
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大鵬のように地上の縛りから離れる

2024-02-05 08:05:25 | 荘子と聖書
 今回から天国や極楽浄土の話を織り交ぜて行きます。

 4~5年前の60歳前後の頃、同年代の友人・知人の何人かが亡くなり、自分の余命もそんなに残されていないかもしれないと思いました。60歳にして漸くその心境に至ったのですが、寿命がもっと短かった時代には、「死」はもっと若い頃から意識されたことでしょう。世界では戦争・疫病・災害・貧困などによって現代においても寿命が短い地域があります。日本でも年明け早々の能登半島地震や羽田空港での衝突事故などを通じて、「死」は身近であることを改めて思い知らされています。

 最近、企業爆破事件の容疑者が「最期は本名で死にたい」と名乗り出たことが報道されて、とても考えさせられました。この世の汚れや罪や偽りから解放されて平安の中で最期を迎えたいという思いは誰の内にもあるでしょう。それが適わなくても普段から神や仏にすがることで「死後」は天国や極楽浄土で安らかに憩うことができると信じる人も多いと思います。

 その一方で『荘子』は、この世の汚れや罪や偽りからの解放が「現世」においても可能であることを説いています。「死後」まで待たなくても、何ものにもとらわれない自由な境地に至るなら、九万里の上空を飛翔する大鵬のように悠然と過ごすことができます。前回引用した『荘子』の冒頭の逍遥遊篇の書き出しの続きを引用します。

 地上には野馬(かげろう)がゆらぎたち、塵埃(ちり)がたちこめ、さまざまな生物が息づいているのに、空は青一色に見える。あの青々とした色は、天そのものの本来の色なのであろうか。それとも遠くはてしないために、あのように見えるのであろうか。おそらくは後者であろう。とするならば、あの大鵬が下界を見おろした場合にも、やはり青一色に見えていることであろう。

 そもそも水も厚く積もらなければ、大舟を浮かべるだけの力がない。杯の水を土間のくぼみに落としただけでは、芥(あくた)が浮かんで舟になるのがせいぜいであり、杯をおいても地につかえるであろう。水が浅くて、舟が大きすぎるからである。とするならば、風も厚く積もらなければ、鵬の大きな翼をささえるだけの力はない。だから九万里の高さにのぼって、はじめて翼にたえる風が下にあることになる。

 こうしていまこそ、大鵬は風に乗って上昇しようとする。背に青天を背負うばかりで、さえぎるものもない。こうしていまこそ、南をさして飛びたとうとする。(森三樹三郎・訳注『荘子 内篇』中公文庫 1974)

 このように「現世」においても様々な縛りから解放され得ることを『荘子』が説く一方、キリスト教では「死後」に可能になると一般的には理解されていると思います。

 しかし実は聖書も、「現世」においてそれが可能であることを説いています。たとえばヨハネの手紙第一1章1~4節です(写真)。



Ⅰヨハネ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。
2 このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。
3 私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。
4 これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです。

 3節に「私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです」とありますが、これは天の神様との交わりです。この手紙が書かれた時代、イエスは地上ではなく天にいます。つまり読者は『荘子』の大鵬のように九万里の上空を飛翔して、天の御父と御子と交わるのです。私たちは様々なことに縛られていますが、それらから少しずつ解放されるなら、やがては天の神様との交わりに「現世」においてでも、入れていただくことができます。

 地上の縛りは強烈ですから大鵬のように飛び立つことは容易ではありません。それゆえ聖書も地上からの視座で読まれがちです。しかし地上から離れた視座で聖書を読むなら、どれほど素晴らしい恵みに浸ることができるかを、次回は書きます。(つづく)
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九万里の上空を飛翔する大鵬

2024-02-05 07:59:29 | 荘子と聖書
 静岡出身の横山芳介氏が作詞した「都ぞ弥生」の歌詞の1番を前回紹介しましたが、2番も紹介します。

豊かに稔れる石狩の野に 雁(かりがね)遥々沈みてゆけば
羊群(ようぐん)声なく牧舎に帰り 手稲の嶺(いただき)黄昏こめぬ
雄々しく聳ゆる楡(エルム)の梢 打振る野分に破壊(はえ)の葉音の
さやめく甍(いらか)に久遠(くおん)の光
おごそかに 北極星を仰ぐかな

 北大キャンパスに隣接する農場の西には手稲山が見えました。毎日の通学では農場の東端を通りましたから、広大な農場と手稲山がセットになって私の目に焼き付いています。当時の北大生は大きな事ばかり考えている者が多かったですが、校訓のようになっている「青年よ大志を抱け」の精神だけではなく、目に見える形で広大なキャンパスと農場があり、その中で日々を過ごしていたことが大きく影響していたと思います。

 私も大きな事ばかり考えていました。そして大学2~3年の頃は『荘子』の壮大なスケールに憧れを抱いていました。読み始めたきっかけは、『荘子』がノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹氏の愛読書であることを知り、どんな書か興味を抱いたからでした。『荘子』の冒頭の逍遥遊篇の書き出しを、当時読んでいた森三樹三郎・訳注の中公文庫から引用します。



 北のはての暗い海にすんでいる魚がいる。その名を鯤(こん)という。鯤の大きさは、幾千里ともはかり知ることはできない。やがて化身して鳥となり、その名を鵬(ほう)という。鵬の背のひろさは、幾千里あるのかはかり知られぬほどである。ひとたび、ふるいたって羽ばたけば、その翼は天空にたれこめる雲と区別がつかないほどである。この鳥は、やがて大海が嵐にわきかえるとみるや、南のはての暗い海をさして移ろうとする。この南の暗い海こそ、世に天池とよばれるものである。

 斉諧(せいかい)というのは、世にも怪奇な物語を多く知っている人間であるが、かれは次のように述べている。「鵬が南のはての海にうつろうとするときは、翼をひらいて三千里にわたる水面をうち、立ちのぼる旋風(つむじかぜ)に羽ばたきながら、九万里の高さに上昇する。こうして飛びつづけること六月、はじめて到着して憩うものである。」(森三樹三郎・訳注『荘子 内篇』中公文庫 1974)

 北海道に住んでいた私は自分を魚の鯤(こん)であると思い、いつか鳥の大鵬に化身して南に向かって羽ばたき、九万里の上空を飛翔することを夢想していました。この『荘子』を愛読していたことが、後に出会った聖書の読み方に大きく影響していると思います。(つづく)
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北の大地への憧れ

2024-02-05 07:25:32 | 荘子と聖書
 少し前からFacebookの私のタイムラインで、荘子と聖書について書き始めました。このブログでは当面の間は、Facebookの記事をこちらに転載することにします。小説はマニアックな方向に進んで行きそうなので、しばらく休載して練り直すかもしれません。Facebookでは、まずは「都ぞ弥生」の歌碑から話を始めました。



 いま住んでいる沓谷(くつのや)1丁目には長源院があり、このお寺の境内には「都ぞ弥生」の歌碑があります。「都ぞ弥生」は北大の恵迪寮(けいてきりょう)の明治45年度の寮歌です。作詞者の横山芳介氏が静岡出身で、この寺にお墓があるという縁があるとのこと。



 たとえ歌えなかったとしても、北大生で「都ぞ弥生」を一度も聞いたことがない者はいないでしょう。それほど愛されている寮歌です(最近のことは定かではありませんが)。歌詞は5番までありますが、歌碑には1番が刻まれています。



都ぞ弥生の雲紫に 花の香漂ふ宴遊(うたげ)の筵(むしろ)
尽きせぬ奢に濃き紅や その春暮ては移らふ色の
夢こそ一時青き繁みに 燃えなん我胸想ひを載せて
星影冴かに光れる北を
人の世の 清き国ぞとあこがれぬ


 上記の1番の歌詞には、北の国にあこがれる、まだ北海道に行く前の若者の心情が綴られています。そして私も、北に憧れて北海道に行きました。中学生の頃、図書館(今は歴史博物館がある所)に通って畑正憲さんのムツゴロウシリーズを読み漁っていましたから、北の大地への憧れはかなり大きなものでした。

 そして北海道で学生時代を過ごしたことが、私の聖書の読み方に大きな影響を及ぼすことになりました。今回は、ここまでにしておきます😊
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旧約聖書の神の声は、イエスの声(小説『荘子と聖書』4)

2024-01-29 05:49:11 | 荘子と聖書
旧約聖書の神の声は、イエスの声(小説『荘子と聖書』4)

コトリ「心の容量が大きくなるって、どういうこと?もうちょっと具体的に教えてくれない?」
ジョン「時間を長い単位で考えるようになるということかな。わたしたちは毎日をあくせく苦労しながら暮らしているから、どうしても短い単位、たとえば数時間単位とか数日単位で時間を考えがちだよね。長い人でも数年単位、数十年単位じゃないだろうか?」
コトリ「人は長くても百歳ぐらいまでしか生きられないから、どうしてもそうなるよね。」
ジョン「しかし、聖書は数千年間のことを書いているから、少なくとも数千年単位で時間を考える必要があると思うよう。さらに21世紀の現代の科学は宇宙の誕生を137~138億年前、地球の誕生を45~46億年前と推定しているから、できれば時間を万年、億年の単位で考えて欲しいな。それが、心の容量が大きくなることにつながると思うな。」
コトリ「なるほど、『荘子』の時間のスケールも、空間のスケールと同じくらい壮大だもんね。」

 『荘子 内篇』の逍遥遊篇は、大鳳(大鵬)が九万里の上空を飛翔する様子を描いた後で、次のように記している。前回と同じく金谷治 訳の『荘子 内篇』(岩波文庫)から引用する。

 蜩(ひぐらし)と学鳩(こばと)とがそれ(大鳳の飛翔)をあざ笑っていう、「われわれはふるいたって飛びあがり、楡(にれ)や枋(まゆみ)の枝につきかかってそこに止まるが、それさえゆきつけない時もあって地面にたたきつけられてしまうのだ。どうしてまた九万里もの上空に上ってそれから南方を目ざしたりするのだろう。〔おおげさで無用なことだ。〕と。郊外の野原に出かける人は三食の弁当だけで帰ってきてそれでまだ満腹でいられるが、百里の旅に出る人は人晩かかって食糧の米をつき、千里の旅に出る人は三か月もかかって食糧を集め〔て準備をす〕る。この小さな蜩や学鳩には〔大鳳の飛翔のことなど〕いったいどうして分かろうか。

 狭小な知識では広大な知識は想像もつかず、短い寿命では長い寿命のことは及びもつかない。どうしてそのことが分かるか。朝菌(ちょうきん)〔朝から暮までの命で〕夜と明け方を知らず、夏ぜみは〔夏だけの命で〕春と秋とを知らない。これが短い寿命である。楚(そ)の国の南方には冥霊(めいれい)という木があって、五百年のあいだが生長繁茂する春で、また五百年のあいだが落葉の秋である。大昔には大椿(たいちん)という木があって、八千年のあいだが生長繁茂の春で、また八千年のあいだが落葉の秋であった。〔これが長い寿命である。〕ところが、今や彭祖(ほうそ)は〔わずか八百年を生きたというだけで〕長寿者として大いに有名で、世間の人々は〔長寿を語れば必ず〕彭祖をひきあいに出す、何と悲しいことではないか。(逍遥遊篇)

ジョン「聖書も、心の中で大鳳が飛翔するくらいに心を広くして読まれることを願っているよ。」
コトリ「ジョンが書いた『ヨハネの福音書』も、「初めにことばがあった」(ヨハネ1:1)で始まるから、時間の単位が宇宙スケールだね。」
ジョン「うん。ぜひ、旧約聖書の『創世記』1章を思い浮かべながら読んで欲しいね。」

 もう一度、創世記1章の出だしを引用する。

創世記1:1 はじめに神が天と地を創造された。
2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。

コトリ「この『創世記』1章を思い浮かべながらジョンのヨハネ1章を読むと、『光、あれ』で始まる旧約聖書の神のことばは、すべてイエスのことばであったことが見えて来るんだね。」
ジョン「うん。」
コトリ「それから、僕がものすごく面白いと思ったのは、ジョンが【公】ということばを使って旧約聖書を表していることだよ。」
ジョン「ふふふ、面白いでしょ?」
コトリ「このことが分かった時は、聖書って本当に面白いなと感動に浸ったよ。」

 ここで、コトリが言った【公】とは何のことか、解説しておこう。

 『ヨハネの福音書』の1~11章の深層部には旧約聖書の『創世記』~『マラキ書』が時代順に存在する(詳しくは小島 聡「『ヨハネの福音書』と『夕凪の街 桜の国』」(ヨベル新書 2017)を参照していただきたい)。ちなみに『マラキ書』は旧約聖書の最後の書だ。

 まずヨハネ1章の出だしは『創世記』1章の「天地創造」を表す。

ヨハネ1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。

 そして、次のヨハネ11章の記述は旧約聖書が『マラキ書』で閉じられたことを表している。

ヨハネ11:54 そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を【公】然と歩くことをせず、そこから荒野に近い地方に去って、エフライムという町に入り、弟子たちとともにそこに滞在された。

 なぜ、「イエスはもはやユダヤ人たちの間を【公】然と歩くことをせず」が『マラキ書』で旧約聖書が閉じられたことを表すのか?それは、イエスが「ことば」だからだ(ヨハネ1:1)。旧約の時代に語られた神のことばは、すべてイエスのことばだ。そして、イエスのことばの中で旧約聖書に記されたものが【公】のことばなのだ。それ以外にも、もちろんイエスは多くのことばを発したはずだが、それらは【非公式】のことばということだろう。

 【公】が旧約聖書の記述を表すことは、ヨハネ7章の記述からも分かる。

ヨハネ7:3 イエスの兄弟たちがイエスに言った。「ここを去ってユダヤに行きなさい。そうすれば、弟子たちもあなたがしている働きを見ることができます。
4 自分で【公】の場に出ることを願いながら、隠れて事を行う人はいません。このようなことを行うのなら、自分を世に示しなさい。」

 このヨハネ7章の最初の1~9節では、イエスはまだ北方のガリラヤにいた。しかし、その後10節で南方のユダヤのエルサレムに上って行った。

ヨハネ7:10 しかし、兄弟たちが祭りに上って行った後で、イエスご自身も、表立ってではなく、いわば内密に上って行かれた。

 このヨハネ7章10節のイエスの北から南への移動は、旧約聖書の記述の舞台が北王国から南王国に移動したことを示す。イエスは「ことば」であるから、イエスのいる場所が聖書の記述の舞台になるのだ。イエスがヨハネ7章で北から南へ移動したのは、手前の6章で北王国が滅亡したからだ。ヨハネは6章66節に次のように記して、北王国の民がアッシリアに捕囚として引かれて行ったことを伝えている。

ヨハネ6:66 こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった。

 このヨハネ6:66は、旧約聖書の列王記第二17章の次の記事に対応するものだ。

Ⅱ列王17:6 ホセアの第九年に、アッシリアの王はサマリアを取り、イスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせた。
7 こうなったのは、イスラエルの子らが、自分たちをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王ファラオの支配下から解放した自分たちの神、に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、
8 がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習にしたがって歩んだからである。
(中略)
22 イスラエルの人々は、ヤロブアムが行ったすべての罪に歩み、それから離れなかったので、
23 は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれた。今日もそのままである。

 上記の列王記第二17章の記述から分かることは、北王国の民自身が神(イエス)から離れて行ったということだ。神から離れたくないのに無理やり引き裂かれたのではなく、彼らが自ら不信仰の道を歩んで神から離れて行ったのだ。それゆえヨハネはそれを6:66の表現で書き表したのだ。もう一度、引用しよう。

ヨハネ6:66 こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった。

 そうして北王国が滅亡したことで、聖書からは北王国についての記述が途絶えた。列王記第二18章以降のイスラエルについての記述は専ら南王国のことだけになる。聖書の舞台が北王国から南王国に移動したのだ。ヨハネ7章のイエスの北から南への移動は、以上のように聖書の記述の舞台の北から南への移動に伴うものだ。

コトリ「この北王国の滅亡は、天の父とイエスにとっては本当に悲しいことだったことが、ジョンのヨハネ6:67から分かるね。」

ヨハネ6:67 そこで、イエスは十二弟子に言われた。「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」(新改訳第3版)

ジョン「うん。人の心が離れ去って行くことは、神にとっては本当につらいことなんだ。『荘子』の大鳳(大鵬)のスケールで聖書を読むなら、このヨハネ6:66~67のイエスの深い悲しみは北王国滅亡の時の悲しみだということが分かると思うよ。」
コトリ「聖書の読者の多くが、これらのことが分かるようになる日が、早く来ると良いね。」
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