●ヨハネ6:22-66 最後の晩餐と北王国の滅亡
イエスによる「いのちのパン」の話が長く続くこの箇所は、「使徒の時代」のパウロ編がまだ続いている。ここにはパウロがまだイエスに会っていない時代の「最後の晩餐」のことが重ねられていて、イエスは「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」を何度も繰り返す。
このイエスのことばを「ひどい話だ」(60節)と言って、「弟子たちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった」(66節)。記者ヨハネは、この弟子たちがイエスから離れ去ったことを、「旧約の時代」に北王国が滅亡してイスラエルの民がアッシリアに捕囚として引かれて行ったことと重ねている。列王記第二には次のように書かれている。
南王国が滅亡する時にバビロンに捕囚として引かれて行ったエルサレムの民は約70年後に帰還して神殿と城壁を再建した。しかし、アッシリアに引かれて行った北王国の民は戻ることがなかったので「失われた十部族」などと呼ばれている。それゆえ列王記の記者は「今日もそのままである」と書き、ヨハネの福音書の記者も「弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった」(ヨハネ6:66)と書いたのである。
22 その翌日、湖の向こう岸にとどまっていた群衆は、前にはそこに小舟が一艘しかなく、その舟にイエスは弟子たちと一緒には乗らずに、弟子たちが自分たちだけで立ち去ったことに気づいた。23 すると、主が感謝をささげて人々がパンを食べた場所の近くに、ティベリアから小舟が数艘やって来た。24 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないことを知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り込んで、イエスを捜しにカペナウムに向かった。25 そして、湖の反対側でイエスを見つけると、彼らはイエスに言った。「先生、いつここにおいでになったのですか。」26 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。27 なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」28 すると、彼らはイエスに言った。「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」29 イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」30 それで、彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じられるように、どんなしるしを行われるのですか。何をしてくださいますか。31 私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『神は彼らに、食べ物として天からのパンを与えられた』と書いてあるとおりです。」32 それで、イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。モーセがあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。わたしの父が、あなたがたに天からのまことのパンを与えてくださるのです。33 神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものなのです。」
34 そこで、彼らはイエスに言った。「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。36 しかし、あなたがたに言ったように、あなたがたはわたしを見たのに信じません。37 父がわたしに与えてくださる者はみな、わたしのもとに来ます。そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。38 わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。39 わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。40 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」
41 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から下って来たパンです」と言われたので、イエスについて小声で文句を言い始めた。42 彼らは言った。「あれは、ヨセフの子イエスではないか。私たちは父親と母親を知っている。どうして今、『わたしは天から下って来た』と言ったりするのか。」43 イエスは彼らに答えられた。「自分たちの間で小声で文句を言うのはやめなさい。44 わたしを遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできません。わたしはその人を終わりの日によみがえらせます。45 預言者たちの書に、『彼らはみな、神によって教えられる』と書かれています。父から聞いて学んだ者はみな、わたしのもとに来ます。46 父を見た者はだれもいません。ただ神から出た者だけが、父を見たのです。47 まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。48 わたしはいのちのパンです。49 あなたがたの先祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがありません。51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
52 それで、ユダヤ人たちは、「この人は、どうやって自分の肉を、私たちに与えて食べさせることができるのか」と互いに激しい議論を始めた。53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。58 これは天から下って来たパンです。先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」59 これが、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。
60 これを聞いて、弟子たちのうちの多くの者が言った。「これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか。」61 しかしイエスは、弟子たちがこの話について、小声で文句を言っているのを知って、彼らに言われた。「わたしの話があなたがたをつまずかせるのか。62 それなら、人の子がかつていたところに上るのを見たら、どうなるのか。63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。64 けれども、あなたがたの中に信じない者たちがいます。」信じない者たちがだれか、ご自分を裏切る者がだれか、イエスは初めから知っておられたのである。65 そしてイエスは言われた。「ですから、わたしはあなたがたに、『父が与えてくださらないかぎり、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのです。」
66 こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった。
34 そこで、彼らはイエスに言った。「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。36 しかし、あなたがたに言ったように、あなたがたはわたしを見たのに信じません。37 父がわたしに与えてくださる者はみな、わたしのもとに来ます。そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。38 わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。39 わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。40 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」
41 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から下って来たパンです」と言われたので、イエスについて小声で文句を言い始めた。42 彼らは言った。「あれは、ヨセフの子イエスではないか。私たちは父親と母親を知っている。どうして今、『わたしは天から下って来た』と言ったりするのか。」43 イエスは彼らに答えられた。「自分たちの間で小声で文句を言うのはやめなさい。44 わたしを遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできません。わたしはその人を終わりの日によみがえらせます。45 預言者たちの書に、『彼らはみな、神によって教えられる』と書かれています。父から聞いて学んだ者はみな、わたしのもとに来ます。46 父を見た者はだれもいません。ただ神から出た者だけが、父を見たのです。47 まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。48 わたしはいのちのパンです。49 あなたがたの先祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがありません。51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
52 それで、ユダヤ人たちは、「この人は、どうやって自分の肉を、私たちに与えて食べさせることができるのか」と互いに激しい議論を始めた。53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。58 これは天から下って来たパンです。先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」59 これが、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。
60 これを聞いて、弟子たちのうちの多くの者が言った。「これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか。」61 しかしイエスは、弟子たちがこの話について、小声で文句を言っているのを知って、彼らに言われた。「わたしの話があなたがたをつまずかせるのか。62 それなら、人の子がかつていたところに上るのを見たら、どうなるのか。63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。64 けれども、あなたがたの中に信じない者たちがいます。」信じない者たちがだれか、ご自分を裏切る者がだれか、イエスは初めから知っておられたのである。65 そしてイエスは言われた。「ですから、わたしはあなたがたに、『父が与えてくださらないかぎり、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのです。」
66 こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった。
イエスによる「いのちのパン」の話が長く続くこの箇所は、「使徒の時代」のパウロ編がまだ続いている。ここにはパウロがまだイエスに会っていない時代の「最後の晩餐」のことが重ねられていて、イエスは「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」を何度も繰り返す。
このイエスのことばを「ひどい話だ」(60節)と言って、「弟子たちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった」(66節)。記者ヨハネは、この弟子たちがイエスから離れ去ったことを、「旧約の時代」に北王国が滅亡してイスラエルの民がアッシリアに捕囚として引かれて行ったことと重ねている。列王記第二には次のように書かれている。
主は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれた。今日もそのままである。(Ⅱ列王17:23)
南王国が滅亡する時にバビロンに捕囚として引かれて行ったエルサレムの民は約70年後に帰還して神殿と城壁を再建した。しかし、アッシリアに引かれて行った北王国の民は戻ることがなかったので「失われた十部族」などと呼ばれている。それゆえ列王記の記者は「今日もそのままである」と書き、ヨハネの福音書の記者も「弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった」(ヨハネ6:66)と書いたのである。