2017年4月30日礼拝メッセージ
『パウロの異邦人伝道への備え』
【使徒11:1~4】
はじめに
きょうは、ここまで3曲の賛美歌を歌いました。これらの3曲の賛美歌は、いずれも3年前の4月30日、K兄の告別式において賛美された曲です。K兄は長い闘病期間を経た後の3年前の4月27日に天に召され、29日に前夜式を行い、そして30日に告別式を行いました。
あれから3年を経て、K姉にも色々と感慨がお有りかと思いますが、本日は恐縮ですが、牧師の私の立場から3年前を振り返らせていただきたいと思います。
葬儀の司式の経験
3年前の4月の時点で、私はまだ牧師としての経験を2年間しか積んでいませんでした。私が4年間の神学校での学びを終えて牧師になったのは2012年の4月で、それから姫路教会で1年間牧師としての経験を積み、それから2013年にこの沼津教会の牧師になりました。そして、この2012年と2013年の2年間で私は葬儀の司式を一度も経験しませんでした。ですからK兄のご葬儀が私が牧師になって始めて行う葬儀でした。それで、3年前の4月27日にK兄が天に召された時、ついに来るべき時が来たなと思いました。と言いますのは、葬儀を執り行うことが牧師にとってどれだけ大変かということを、私はBTCの神学生の時に実習先の教会の葬儀の裏方のお手伝いをして学んでいたからです。教会員が天に召されたら、牧師にはやらなければならないことがたくさんあります。中でも重要なのが、葬儀のプログラムを作ることと説教の原稿を作ることです。しかも葬儀は前夜式と告別式の2回ありますから、2つの葬儀の準備を短期間でしなければなりません。ですから睡眠時間も十分に取ることはできません。神学生時代に実習先の教会の葬儀の裏方のお手伝いをした時、司式の牧師先生が、葬儀の参列者の前では疲れた顔を見せなくても、裏方では、ひどく疲れた表情をしていたことを、今でも鮮明に思い出すことができます。
それゆえ3年前にK兄のご葬儀を執り行うことになった時、遂に来るべき時が来たと思ったのでした。そして、葬儀がすべて終わった時には私も本当に疲れ切っていました。しかし、同時に牧師として大切な役割を果たすことができた充実感も覚えていました。教会の皆さんのご協力で無事に2回の葬儀を執り行うことができ、K姉からも御礼の言葉をいただくことができ、経験が浅かった私が多くの方々に支えられて無事に葬儀を行うことができたことは本当に感謝なことでした。そして、このことを通して、牧師としてやっていけそうだという、ささやかな自信が与えられました。
会堂問題に取り組むための備え
これが3年前の4月の終わりの出来事でした。そうしてそれからわずか1ヵ月足らずの後、すなわち3年前の5月の下旬に、この会堂の屋根の鋼板の腐食が思っていたよりも深刻であることがわかって、会堂問題への本格的な取り組みが始まりました。この会堂問題に関しては、私が沼津に着任した最初の1年目にこの会堂の土地と建物の所有権移転の登記、すなわち廣瀬先生の所有になっていたものを教会の所有に移転する登記の手続きを行ったことが、会堂問題に取り組むための良い備えとなったということは何度か皆さんに話して来ました。それに加えて今回、教会のご葬儀があったこともまた備えになっていたのだということに気付かされました。土地と建物の所有権移転の手続きに関しては、関わっていたのは西村兄と私の二人だけでしたが、ご葬儀ではもっと多くの皆さんが関わりました。
神様は、こうして一つ一つ踏むべきステップを備えていて下さり、それらのステップを一段一段上って行くことで高い所にも到達できるようにして下さるということを感じます。ですから私たちは、神様が備えて下さったステップを踏み外すことなく、一歩一歩、歩みを進めて行けば良いのだと思います。
パウロの異邦人伝道への備え
さて、きょうからまた『使徒の働き』の学びに戻ります。これまで『使徒の働き』の10章までをご一緒に学んで来ました。そして、きょうから11章の学びを始めます。これまでの10章までの振り返ると、パウロが異邦人伝道を開始するまでに神様が使徒たちに備えのステップを一歩一歩用意して下さっていたことを感じます。11章の25節と26節を見ていただくと、ここにバルナバがサウロを捜しにタルソへ行き、そしてサウロに会ってアンテオケに連れて来たことが書いてあります。こうして、サウロ、後のパウロはアンテオケで異邦人伝道を始めました。そして、これ以降、『使徒の働き』の記述はパウロの異邦人伝道のことが中心になります。それゆえ、『使徒の働き』の10章までの記述は、パウロの異邦人伝道のための準備が、神様によってどのように整えられて行ったかについての記述だと言っても過言ではないという気がします。
三度繰り返された主のメッセージ
それでは、11章を始めから、きょうは11章の前半までを見ることにします。『使徒の働き』の学びは少し間が空いて久し振りですから、普通ならその前の10章の復習をするべきですが、実は11章の前半はほとんど10章の出来事の繰り返しになっています。10章では異邦人のコルネリオたちへの聖霊の注ぎの出来事がカイザリヤでありましたが、11章ではペテロがそのことをエルサレムの人々に報告しています。まず11章1節、
11:1 さて、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のみことばを受け入れた、ということを耳にした。
カイザリヤでの出来事はエルサレムにいる使徒たちや兄弟たちにも、すぐに伝わったようです。そこで2節と3節、
11:2 そこで、ペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を受けた者たちは、彼を非難して、
11:3 「あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした」と言った。
当時のユダヤ人たちにとって、異邦人は汚れた存在でしたから、そのような者たちと一緒に食事をしたということでペテロは非難されました。そこで4節、
11:4 そこでペテロは口を開いて、事の次第を順序正しく説明して言った。
続く5節以降の記述は、10章の繰り返しになります。まず5節から8節までを交代で読みましょう。
11:5 「私がヨッパの町で祈っていると、うっとりと夢ごこちになり、幻を見ました。四隅をつり下げられた大きな敷布のような入れ物が天から降りて来て、私のところに届いたのです。
11:6 その中をよく見ると、地の四つ足の獣、野獣、はうもの、空の鳥などが見えました。
11:7 そして、『ペテロ。さあ、ほふって食べなさい』と言う声を聞きました。
11:8 しかし私は、『主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません』と言いました。
この天から降りて来た大きな敷布のような入れ物には、食べてはならないと律法のおきてに書いてある汚れた物も含まれていたのですね。天からの声はペテロにそれらの汚れた物をも、ほふって食べなさいと命じました。それでペテロは8節のように「主よ。それはできません」と主に答えました。そして、9節と10節を交代で読みます。
11:9 すると、もう一度天から声がして、『神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない』というお答えがありました。
11:10 こんなことが三回あって後、全部の物がまた天へ引き上げられました。
先ほどのやり取りが三回繰り返されたとペテロは言っています。今回私はこの、「こんなことが三回あって」という箇所を読んでいて、ペテロがイエスさまから「あなたはわたしを愛しますか」と三度聞かれたヨハネの福音書の場面を連想しました。
その場面も、ご一緒に読むことにしたいと思います。ヨハネの福音書21章の15節から17節までを、交代で読みましょう。
21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
21:16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
21:17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
ここでイエスさまはペテロに三度、「わたしの羊を飼いなさい」とおっしゃったことに目をとめたいと思います。イエスさまにとっては異邦人もまた「わたしの羊」でした。その羊を飼うようイエスさまはペテロに三度言いました。先ほどの使徒の働きのペテロの見た幻とヨハネ21章のイエスさまとペテロとの三度のやり取りと、どことなく関係があるように私には感じられました。いずれにしても両者が関係あるなしに関わらず、同じことが三回繰り返されるということは、よほど大切なことであるということです。
異邦人への聖霊の注ぎ
続いて使徒の働き11章の11節から14節までを交代で読みましょう。
11:11 すると、どうでしょう。ちょうどそのとき、カイザリヤから私のところへ遣わされた三人の人が、私たちのいた家の前に来ていました。
11:12 そして御霊は私に、ためらわずにその人たちといっしょに行くように、と言われました。そこで、この六人の兄弟たちも私に同行して、私たちはその人の家に入って行きました。
11:13 その人が私たちに告げたところによると、彼は御使いを見ましたが、御使いは彼の家の中に立って、『ヨッパに使いをやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。
11:14 その人があなたとあなたの家にいるすべての人を救うことばを話してくれます』と言ったというのです。
すでに10章で学んだように、カイザリヤにいた異邦人のコルネリオは、ヨッパにいたペテロの所に使いをやってペテロをカイザリヤに招きました。続いて15節と16節、
11:15 そこで私が話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです。
11:16 私はそのとき、主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる』と言われたみことばを思い起こしました。
こうして異邦人のコルネリオたちに聖霊が注がれました。そして17節と18節、交代で読みましょう。
11:17 こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」
11:18 人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。
使徒の働き11章の学びは、きょうはここまでとしますが、今見て来たように、11章のここまでは、ほとんど10章に書かれていたことの繰り返しでした。10章の直後に再び同じ内容を繰り返し記述するということから、この異邦人への聖霊の注ぎが、いかに画期的な重要な出来事であったかということが、よくわかると思います。
あらゆる国の人々を弟子とする
先週の火曜日に静岡教区会がありました。この教区会の最初にあったディボーションではマタイの福音書の最後にある宣教大命令の箇所が開かれました。この宣教大命令でイエスさまは弟子たちに、「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」とおっしゃいました。この場面もご一緒に読みましょう。マタイ28章の18節から20節までです。
28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
19節でイエスさまは弟子たちに「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」とおっしゃいました。異邦人に聖霊が注がれないのなら、あらゆる国の人々を弟子とすることはできませんから、異邦人に聖霊が注がれることは、神様の側からすれば、予め決まっていたことです。
しかし、そもそも旧約の時代には、聖霊は預言者たちという、ごく限られた者たちにしか注がれませんでした。ユダヤ人たちでさえ、一般の者たちに注がれることはありませんでした。ですから、まずはユダヤ人たちだけであったとしても、イエス・キリストを信じる者には誰にでも聖霊が注がれるということは画期的なことでした。これだけでも驚くべきことでしたから、まして異邦人までもが聖霊が注がれる対象になろうとは、途方もない想像を絶することであったでしょう。
それゆえ神様は、まずはガリラヤ人の弟子たちに聖霊を注ぎ、次いでエルサレムのユダヤ人たちに聖霊を注ぎ、それからサマリヤ人たちに聖霊を注ぐというように、ペテロたちに一歩一歩ステップを踏ませて学ばせて行きました。そうした備えがあったからペテロたちは、主が異邦人をも救いの対象にしているのだということが理解できたのですね。こうして、いよいよパウロが異邦人伝道も始めるための準備が整えられました。神様のご計画というのは、本当にすごいなあと思うことです。
おわりに
私たちの会堂問題も、ここまで様々な備えが為されて来ました。先週の礼拝メッセージでは「
へいわ深海聖書館」の構想について、お話ししました。そして、先週の午後の幹事会では、この「
へいわ深海聖書館」の準備室を設置することが承認されました。ここに至るまで、様々なことがありましたが、それらは皆、これからのことのために主が備えて下さったものであると私は確信しています。ここまでの備えが為されて、建物を何も建てずに終わるということは、まったく有り得ないことです。来週の礼拝後の会堂問題勉強会では、この「
へいわ深海聖書館」の構想について、改めてお話ししたいと思っています。
(中略 船橋教会の献堂式での出来事)
パウロの異邦人伝道についても、そして私たちの会堂建設についても、主は一つ一つ備えのステップを準備して下さっています。ですから私たちこれからも一歩一歩、主が備えて下さった道を前進して行きたいと思います。お祈りいたしましょう。
28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。