平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

偶然の背後で働く神(2015.8.30 礼拝)

2015-08-31 08:47:42 | 礼拝メッセージ
2015年8月30日礼拝メッセージ
『偶然の背後で働く神』
【ルツ2:1~7】

はじめに
 先週の礼拝では民数記の学びを短くした後に、パワーポイントのスライドを用いて会堂問題のこれまでの経緯などについて説明をしました。きょうの礼拝メッセージも最後の方で会堂に関係したことを話しますが、きょうは少し趣向を変えて、「偶然」について、ご一緒に考えてみたいと思います。

偶然により導かれる信仰
 教会で救いの証を聞くと、昔はどこの教会でも路傍伝道をしていましたから、たまたま通りかかった道で伝道会のチラシを受け取り、それで教会に行ってみて信仰を持つようになったという証を聞くことがよくあります。或いはまた、ギデオンの聖書配布で聖書を受け取り、その時は開かずにそのまま本棚に直行したけれども、何年も経った後で本棚に入っていて聖書の背表紙が、ふとしたことで目に入って取り出して読み始めたら、いろいろと気になる箇所があったので、もっと聖書のことを知りたくなって教会に通い始めたなどという証も聞いたことがあります。このように、信仰を持つきっかけになったのは偶然によるという証をよく聞きます。
 一方、クリスチャンホームで育った方々は偶然で教会に通うようになるということはありません。そして、洗礼は実は信仰のことが、それほどわかっていなかった時に受けたということも聞きます。しかし、そのような証にはちゃんと続きがあって、ある時ふとしたことがきっかけで、急に神様を深く求めるようになったということを聞きます。クリスチャンホームに育った方々であっても、やはり何か偶然のようなことがきっかけで、急に信仰が深まるということがあるようです。
 これらの、ふとしたことというのは、ただの偶然なのでしょうか。それとも背後で神様が働いていらっしゃるのでしょうか。

聖書に描かれている偶然
 聖書にも、偶然のようにして起こったことについての記述がところどころにあります。たとえば創世記のヨセフに関する箇所には次のような記述があります。まず創世記37章14節をお読みします(旧約聖書p.67)。

37:14 また言った。「さあ、行って兄さんたちや、羊の群れが無事であるかを見て、そのことを私に知らせに帰って来ておくれ。」こうして彼をヘブロンの谷から使いにやった。それで彼はシェケムに行った。

 これはヨセフの父親のヤコブがヨセフに対して、兄たちの様子を見て来るように言った場面です。それでヨセフは野に出て行きました。15節から17節、

37:15 彼が野をさまよっていると、ひとりの人が彼に出会った。その人は尋ねて言った。「何を捜しているのですか。」
37:16 ヨセフは言った。「私は兄たちを捜しているところです。どこで群れを飼っているか教えてください。」
37:17 するとその人は言った。「ここから、もう立って行ったはずです。あの人たちが、『ドタンのほうに行こうではないか』と言っているのを私が聞いたからです。」そこでヨセフは兄たちのあとを追って行き、ドタンで彼らを見つけた。

 こうしてヨセフは兄たちを見つけることができたのですが、そこで兄たちにひどい目に遭ってヨセフは、その時にたまたま通り掛かった商人によってエジプトに連れて行かれることになってしまいました。ですから、もし15節でヨセフが野をさまよっている時に兄たちのことをたまたま見ていた人に出会わなければ、ヨセフがエジプトに行くことはなかったでしょう。すると、聖書の歴史はまったく異なったものになっていたことになります。
 今度は出エジプト記の2章を見てみましょう(旧約聖書p.97)。ここにはヘブル人の子として生まれたモーセが赤ちゃんの時にかごに入れられて、ナイル川の岸のアシの茂みの中に置かれたことが書かれています。そこにエジプトのパロの娘が水浴びにやって来ました。2章5節、

2:5 パロの娘が水浴びをしようとナイルに降りて来た。彼女の侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みにかごがあるのを見、はしためをやって、それを取って来させた。
2:6 それをあけると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をあわれに思い、「これはきっとヘブル人の子どもです」と言った。

 こうしてモーセはエジプトのパロの娘の息子になりました。子供時代をエジプトの王家で過ごしたことで、モーセは王家の様々な教育を受けることができました。それが後にイスラエル人のリーダーになるのに大きく役立ったことでしょう。ですから、もしこの時、モーセを見つけたのがパロの娘ではなくて、普通の庶民であったなら、モーセのその後は大きく異なっており、出エジプトの出来事も無かったかもしれません。ですから、パロの娘がモーセを見つけたのは一見すると偶然のようではありますが、その背後には神様の働きがあったと見るべきでしょう。

偶然によるルツとボアズの出会い
 次に、きょうの聖書箇所であるルツ記を開きますが、その前にマタイ1章の系図を見て、ルツという女性がイスラエルの歴史のどの辺りに位置しているかを確認しておきましょう。
 新約聖書の1ページ目のマタイ1章を見て下さい。1章1節、

1:1 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。

 このようにマタイ1章にはアブラハムからダビデ、そしてイエス・キリストまでの系図が記されています。この中でルツはどこにいるかというと、5節です。5節と6節をお読みします。

1:5 サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、
1:6 エッサイにダビデ王が生まれた。

 ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデ王が生まれました。つまりルツはダビデのひいおばあさんです。
 このダビデのひいおばあさんのルツのことが書かれているのが、ルツ記です。先ずルツ記の1章(旧約聖書p.458)を見て下さい。1章を読むと、ルツはイスラエル人ではなくてモアブの女性であったことがわかります。モアブの女性が一体なぜイスラエル人であるダビデのひいおばあさんになったのでしょうか。
 それは、ユダの地でききんがあった時にベツレヘムからモアブに逃れて来た家族がいたからでした。ルツはそのベツレヘムの家族の嫁になりました。しかし、不幸なことにこの家族の男性がすべて、亡くなってしまいました。それでベツレヘムからモアブに来ていたナオミという女性はベツレヘムに帰ることにしました。その時にルツもまたナオミと一緒にベツレヘムに来たのでした。そうしてルツ記は2章に入ります。
 2章の1節と2節、

2:1 ナオミには、夫の親戚で、エリメレクの一族に属するひとりの有力者がいた。その人の名はボアズであった。
2:2 モアブの女ルツはナオミに言った。「どうぞ、畑に行かせてください。私に親切にしてくださる方のあとについて落ち穂を拾い集めたいのです。」すると、ナオミは彼女に、「娘よ。行っておいで」と言った。

 ナオミがルツと共にベツレヘムに戻った時期は、ちょうど大麦の刈り入れの時期だったのですね。この、ちょうど刈り入れの時期だったということに、まず神様の導きを感じます。そして3節、

2:3 ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。

 ここに「はからずも」とあります。ルツはモアブの女性でしたから、ベツレヘムの畑については、どこが誰の畑なのか全く知りません。ですからルツがたまたま落穂拾いを始めた畑が図らずもボアズの畑だったわけです。しかし、ここにもまた神様の導きが感じられます。そして4節、

2:4 ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。「【主】があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「【主】があなたを祝福されますように」と答えた。

 そしてタイミング良く、ルツが落穂拾いをしている「ちょうどその時」に、ボアズがベツレヘムの町から郊外の畑にやって来ました。そして5節、

2:5 ボアズは刈る者たちの世話をしている若者に言った。「これはだれの娘か。」
2:6 刈る者たちの世話をしている若者は答えて言った。「あれは、ナオミといっしょにモアブの野から帰って来たモアブの娘です。

 こうしてモアブの女性のルツとベツレヘムの男性のボアズとが出会って二人は夫婦となり、子供が出来ました。4章13節をお読みします。

4:13 こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところに入ったとき、【主】は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。

 続いて17節、

4:17 近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた」と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。

 こうしてモアブの女性のルツが図らずもイスラエルのダビデ王のひいおばあさんになることになりました。そうして、ダビデの家系からイエス・キリストが人としてお生まれになりました。

偶然の背後にある神の働き
 聖書にとって、これほど重要な家系にモアブの女性のルツが絡んで来るということは、背後に神様の働きがあったことは間違いありません。もう一度ルツ記2章に戻ると、2章3節に「はからずも」という言葉があり、4節には「ちょうどその時」という言葉があります。これらは一見すると偶然の事柄のように見えますが、実は背後に神様の働きがあったということになります。
 私たちの一人一人が信仰を持つようになった経緯にも、様々な偶然の積み重ねがあったことと思います。それらの偶然の背後には、実は神様の働きがあったわけです。私の場合もそうです。私が14年前の2001年に出身教会の高津教会にたどり着くことができたのも、本当にたくさんの偶然の積み重ねがあったからです。
 きょうは私自身の証はあまり長く話すつもりはありませんので手短に済ませますが、私が高津教会に通うようになったきっかけは、たまたま私が住んでいたアパートの近くに高津教会があったからです。そのアパートに住むようになったのは、私が東京の大学で働くことになったからです。当初私は大学の寮に入ることを希望していましたが、入ることができませんでした。それで私はアパート探しをすることになったわけですが、大学に通勤できる範囲の場所なら、どこに住んでも良かったわけです。その当時に東京スカイツリーがあったら、私はスカイツリーの近くに住んだかもしれません。本当にどこでも良かったのです。そうして東京・神奈川地区の広大な通勤圏内の中で私が選んだアパートが、たまたま高津教会のそばにあったアパートでした。もし私が高津教会のそばに住まなかったら私はクリスチャンになっていなかった可能性が高いと思いますし、仮に別の教会でクリスチャンになっていたとしても、牧師になることはなかったでしょう。それが神様の不思議な導きで高津教会の教会員になり、そして牧師へと導かれました。そうして私が辿って来た道を振り返ってみると、それらは全部偶然の積み重ねのように見えますが、それらの一つ一つにちゃんと神様の備えが存在していたことがわかります。私が牧師になったのは、ある時、突然牧師になったわけではなく、一つ一つの備えがあって、それらのステップを踏みながら牧師になるに至ったわけです。ちゃんとした流れが存在するのですね。

新会堂建設への備え
 さて、ここからが今日の本題です。来週、私たちは臨時教会総会を開催して隣の土地を購入する件について諮り、議決します。ここまでの会堂問題の道のりを振り返ると、ここにもちゃんと神様が備えて下さった流れが存在しており、それらのステップを踏んで今に至っていることがわかります。このことを説明して、きょうのメッセージを閉じたいと思います。
 まず備えられていたことの一つ目は、私が神学生の2年生の時に夏期実習で静岡教会に派遣され、その時に静岡教会の皆さんと伝道会に出席するという形で、この沼津教会を訪れる機会があったということです。この伝道会で廣瀬先生が沼津教会は新会堂の建設を願っていることを熱心におっしゃっていましたから、沼津教会は新会堂を目指している教会なのだということが私の頭の中にしっかりとインプットされました。それで私が前任地で沼津教会への転任の内示をいただいた時に、自分はこれから沼津教会の新会堂の建設に取り組むのだということを強く意識しました。この備えはとても大きかったと思います。引越しの直前の引継ぎの時に新会堂を目指していることを聞くのと、その何ヶ月も前から知っていたのとでは大違いですから、まず、ここに神様の備えがあったと思います。
 そして二つ目の備えとして、私がインターン実習中に姫路教会において土地と建物の所有権移転の登記の手続きを経験していたということです。この経験がありましたから、沼津に来て、すぐに同様の手続きを始めることができました。この手続きが終わらない間は、新会堂の建設には踏み出すことができませんから、姫路教会で備えが為されていたことは大きかったと思います。さらに私は、この手続きを通して、どこの土地であっても登記簿を法務局で手数料を払って取得しさえすれば、地主が誰であるかを、一般の者でも知ることが出来ることを知っていました。今回の土地の地主がAさんであることも、登記簿を取得して知りました。もし私が、登記簿には地主の情報も書かれているのだということを知っていなければ、売りに出されていたわけではない土地の地主さんと接触することはなかっただろうと思います。
 三つ目の備えとして、地主さんの建物が教会と同じぐらい老朽化していたということです。私たちは地主さんの土地の一部を買える可能性があるかどうか知りたいと思っていたわけですが、その話を地主さんに切り出すのに、どういう話題から入って行ったら良いか、最初のうち私はわからないでいました。しかし、この同じぐらいに老朽化していたという事実が共通の話題になるであろうと思いました。そして、実際、地主さんも建物の老朽化が限界に来ていることで土地を売却することを考えていました。私たちと似た状況にあったわけです。
 そして四つ目の備えとして、ちょうど地主さんと接触したいと思っていた時期に、町内の懇親会がありました。町内では組長さんの任期が3月一杯で4月からは新しい組長さんになります。その引継ぎの時期の3月に、いつも懇親会が持たれます。私はこの懇親会で地主さんに会えるかもしれないと思いました。また、もし会えなくても地主さんと話しをしたいと思っていることを町内の人たちに懇親会の場で話せば、話が伝わるかもしれないと思いました。そして実際にその通りになりました。地主さんは懇親会を欠席しましたが、私が地主さんに会いたがっていることが町内の方を通じてちゃんと伝わり、地主さんと話し合いの時を持つことができるようになりました。
 そして五つ目の備えとして、いま組長さんの交代の時期が4月という話をしましたが、牧師も同様ですから懇親会と同じ時期に年会があります。ですから私は年会の直前に地主さんとお会いし、年会でそのことについて教団の先生方と相談する機会がありました。そしてまた、年会のメッセージで霊的に燃やされて沼津に戻って来ました。少し前の礼拝メッセージでも話しましたが、年会のプログラムと言うのは、牧師が霊的に燃やされるようにできています。そうして牧師は霊的に燃やされたところで新しい1年間の任命を受けて教会に戻って来ます。ですから、もし地主さんと会った時期と年会の時期とが重ならなかったら、私は今回のように熱心に地主さんとの交渉や教団への審査の申請に臨まなかったかもしれません。
 いま五つの備えがあったことを話しました。①私が既に神学生2年生の時に沼津に来ていて、新会堂建設を目指していることを知っていたこと、②私が姫路にいた時に土地と建物の所有権移転の手続きを経験していたために、登記簿を取得すれば誰でも地主さんを知ることができることを知っていたこと、③教会と隣の建物が同じくらいに老朽化していたこと、同じくらいに老朽化していたので、地主さんのほうでも土地を売ることを考えていました。④地主さんとの接触を考えていた時が組長の交代の時だったので、ちょうど町内の懇親会があったこと。そして、⑤町内の懇親会があったのと、ちょうど同じ時期に教団の年会もあったので、私が霊的に燃やされて沼津に戻って来たことです。その他にも、西村兄と山本兄が備えられていたことも大きかったと思います。

おわりに
 隣の土地の取得は、こういう備えの流れの中で準備されて来たことです。ですから、私たちは恐れることなく、主が作って下さった、この流れに沿って行くべきです。私たちの人間的な考えでこの流れを止めるべきではありません。先週の礼拝のメッセージで、主が約束の地に入るという流れを作っていて下さったのに、イスラエルの民はこの流れを止める選択をしたために、荒野を40年間も放浪することになったことを話しました。イスラエルの民は、主が作って下さった流れに素直に乗るべきだったのです。
 きょうのルツ記でも3章を読むと、ルツがナオミのアドバイスによって、大胆な行動を取ったことが書かれています。これも、神様が流れを作って下さったことを知ったナオミが、その流れに乗るように行動すべきと判断してルツにアドバイスしたことによります。
 ですから私たちも、恐れることなく主が作って下さった流れに乗って前進して行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。

2:3 ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。
2:4 ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。
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聖書丸ごとがイエス・キリスト

2015-08-27 15:46:22 | 祈り会メッセージ
2015年8月26日祈り会メッセージ
『聖書の丸ごとがイエス・キリスト』
【ヨハネ4:18】

ヨハネ4:18 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」

はじめに
 いま私は「Spiritual Jesus(霊的イエス)」(www.spiritual-jesus.com)というウェブサイトの作成を進めているということを、ここで何度か話をしました。先週はヨハネ3章のページを作成していて、今週はヨハネ4章のページを作成して追加しました。
 それで今日はヨハネ4章のサマリヤの女を取り上げることにしましたが、特にヨハネ4章18節に絞ろうかと思います。
 このヨハネ4章18節に出てくるサマリヤの女の五人の夫とは北王国のアハブ王以前の歴代の王たちのことであり、今一緒にいる男性の、夫ではない男性とはアハブ王のことであるということを、これまでにも皆さんに話したことがあります。しかし、私がそのように話しても聞く側の人は特に恵まれることはないようです。一方、私自身は大いなる恵みを感じています。ですから、もっと皆さんに恵みを感じていただける説明の仕方を工夫する必要があるのだろうと感じています。
 そこで今日は、この五人の夫がどうして北王国の歴代の王たちなのかの話は後回しにして、先ずはこの五人の夫が北王国の歴代の王たちだとすると、どういう風景が見えて来て、どのような恵みが感じられるかという話をして、皆さんとその恵みを分かち合うことができたらと願っています。

「聖書」にこだわるヨハネの福音書
 その前に、いくつか共有しておきたいポイントを話しておきたいと思います。始めに共有しておきたいことは、ヨハネの福音書は「聖書」に強烈にこだわった書であるということです。聖書というのは書物です。ヨハネは聖書という書物にこだわっています。
 その書物へのヨハネの強烈なこだわりの一端が見えるのが、「聖書が成就するためであった」という表現です。例えばヨハネ19章を見ると、「聖書が成就するためであった」、或いは「聖書のことばが成就するためであった」という表現がいくつか出て来ます。
 まず19章24節、

19:24 そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた」という聖書が成就するためであった。

 また28節、
 
19:28 この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。

 そして36節、

19:36 この事が起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない」という聖書のことばが成就するためであった。

 この「聖書のことばが成就するためであった」という表現を、マタイの場合は「主が預言者を通して言われた事が成就するためであった」という書き方をしています(マタイ1:22、2:15など)。
 このマタイとヨハネの違いはどこにあるかというと、マタイは預言者の「話し言葉」を重視しており、ヨハネは書物の「書き言葉」を重視していたことが見て取れます。なぜヨハネが書き言葉を重視していたかと言うと、これは私の考えですが、ヨハネの福音書が書かれたのが1世紀の末であることから、イエス・キリストの直接の目撃者がいなくなることが強く意識されていたからだと私は考えています。2世紀以降の人々は目撃者の話す言葉によってではなくて書物の書き言葉を通じてイエス・キリストを知って信じる必要があることを記者のヨハネが意識していたからであろうと私は考えます。その意識の表れがヨハネの福音書の最後の締めくくりの、

21:25 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。

という表現となって表れているのだと思います。

聖書丸ごとがイエス・キリスト
 そして、もう一つ、創世記の始めの頃の預言者がいなかった時代にもイエス・キリストがいたということをはっきりさせるため、ということが考えられると思います。アブラハムより前の時代には神のことばを預かる預言者がいませんでしたが、イエス・キリストは存在しました。イエスさまはご自身で、

8:58「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」

とおっしゃっています。
 ヨハネの福音書の冒頭部分の「初めに、ことばがあった」(ヨハネ1:1)という宣言は、そういう含みがあるのだと思います。つまりイエス・キリストのことを聖書が書いたというのではなく、初めからイエス・キリストは「ことば」として存在していて、それが書物という形になったということです。つまり聖書は丸ごとそのものがイエス・キリストであるというわけです。天地創造の時代、まだ預言者はいませんでしたが、そこにイエス・キリストがいたことは聖書に書かれていることからわかるというわけです。なぜなら聖書は丸ごとイエス・キリストだからです。聖書に書かれていることは全部イエス・キリストのことだというわけです。
 ヨハネ5:39でイエスさまは、

5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。

とおっしゃっていますが、聖書のすべてがイエス・キリストについて証言しています。
 以前、8章の説明をした時、20節と21節の説明をしました。8章20節と21節をご覧下さい。

8:20 イエスは宮で教えられたとき、献金箱のある所でこのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。
8:21 イエスはまた彼らに言われた。「わたしは去って行きます。あなたがたはわたしを捜すけれども、自分の罪の中で死にます。わたしが行く所に、あなたがたは来ることができません。」

 以前、ここの説明をした時、ここではイエスさまは律法の書であるという話をしました。悪王であるマナセ王の時代、マナセは律法を軽視していましたから、いつの間にか律法の書はどこかに行ってしまいました。それがヨシヤ王の時代に献金箱から律法の書が出て来ました(Ⅱ列王22章)。このヨハネ8章20節と21節は、その律法の書が献金箱の中に隠れてしまう状況を描いているのだと私は説明しました。20節でイエスさまは献金箱のある所で話されたとあり、21節でイエスさまは「わたしは去って行きます」とおっしゃいました。それはイエスさまご自身が丸ごと聖書であるから、律法の書もまたイエスさまご自身であるというわけです。

いつの時代も人々と共にいるイエス・キリスト
 ここで注意したいのは悪王の時代で律法の書がどこにあるのかわからなくても、イエス・キリストはちゃんと存在していたということです。聖書が記述するすべての時代にイエス・キリストは存在しています。
 ですから、ヨハネ4章の背後に描かれているアハブ王以前の歴代の北王国の王たちの時代にもイエス・キリストは存在していました。もうあまり詳しく説明する時間が無くなりましたが、ヨハネ1章の背後にある旧約聖書の時代は創世記の時代であり、ヨハネ2章の背後にあるのはイスラエルの民がモーセに率いられてエジプトを脱出する時代、ヨハネ3章はイスラエルの民が律法を与えられる時代、そして民数記のモーセが蛇を上げた時代、さらにヨシュアに率いられてヨルダン川を渡る時代、そしてダビデの時代と足早に進みます。そうしてヨハネ4章でイエスさまがサマリヤの女に水を所望する場面は、列王記第一17章でエリヤがやもめの女に水を所望する場面(Ⅰ列王17:10)と重ねられています。エリヤは聖霊が注がれた預言者ですから、イエスさまはエリヤと共にいました。エリヤの時代はアハブ王の時代でした。ですから、きょうの聖書箇所の4章18節でイエスさまが、

4:18 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」

と言った時、今いっしょにいる夫ではない男性とはアハブ王のことであり、過去の五人の夫とは歴代の北王国の悪王たちのことです。アハブ王以前の北王国の王は6人いるので一人足りませんが、それはジムリ王を除外しているためと私は考えます。イスラエルの民はジムリ王を自分たちの王として認めていないからです(Ⅰ列王16:16)。
 過去に5人の夫がいて、今は夫ではない男性と一緒にいるサマリヤの女は不幸でしたが、その不幸なサマリヤの女とは、不幸な北王国の民のことです。悪王たちを王に持った北王国の民は不幸でした。しかし、そんな不幸な時代にであったとしても御子イエス・キリストは御父と共に人々を見守っていたのだということを思う時、私は大きな恵みを感じます。列王記には悪王たちが主の道を歩まなかったために主の怒りを引き起こしたことが書かれています。御父は悪王たちの行いをすべてご覧になっていました。その御父と共にイエス・キリストも北王国の民のすべての営みを見ておられました。イエス・キリストは1世紀の始め頃の30年間だけ存在していたのではなく、天地創造より前の初めの時代から、終わりの日のその後の時代まで、ずっと存在していて私たちと共にいて下さいます。そういう永遠というスケールで見る時、きょうの聖書箇所のヨハネ4章18節からも、サマリヤの女の短い一生だけでなく、もっと長い北王国の歴代の王たちの時代が見えて来ます。これがヨハネの福音書の醍醐味であり、大きな恵みです。なぜなら、この永遠の時間の中でヨハネの福音書の各場面を読むことができるようになるなら、永遠の命が私たちに与えられたことを私たちは確信することができるからです。

おわりに
 もう一度おさらいすると、 聖書は丸ごとそのままイエス・キリストです。2世紀以降、イエスさまについての証言を目撃者から聞くことができない私たちは聖書のことばからイエスさまを信じる必要がありますが、聖書丸ごとがイエスさまですから、聖書のどこを開いてもイエスさまがそこにおられます。このことを私たちはヨハネの福音書を通じて知ることができます。列王記の時代、北王国には悪王たちしかいませんでしたから、そこにはイエスさまはいなかったように感じられるかもしれませんが、そんな北王国にも、ちゃんとイエスさまはおられました。イエスさまはいつの時代にも私たちと共にいて下さいます。聖書丸ごとがイエスさまだということが分かれば、イエスさまはいつも共にいて下さることが一層強く感じることができ、私たちに永遠の命を与えられていることも確信することができます。
 この素晴らしい恵みを是非多くの皆さんと分かち合うことができるよう、お祈りしたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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ヨシュアとカレブの信仰(2015.8.23 礼拝)

2015-08-24 06:19:23 | 礼拝メッセージ
2015年8月23日礼拝説教
『ヨシュアとカレブの信仰』
【民数記13:1~3、25~31】

はじめに
 きょうの礼拝は総会準備礼拝としました。9月6日に予定している臨時教会総会では、私たちが新たに礼拝堂を建設するための土地を取得する件について諮り、承認の決議を行います。承認されれば、地主さんと契約を結び、2016年に1年ぐらい掛けて礼拝堂の設計を行い、2017年になったら着工して2017年の秋に献堂式を行うというスケジュールを考えています。2012年に掲げた目標である、設立50周年の年の2017年に新会堂の献堂式を行うという目標が現実のことになります。
 一方、教会総会で否決された場合はどうなるでしょうか。一般論としては他の物件を探して他の土地に移るということになるのだと思います。しかし、一般論としてはそうであっても、私たちの教会の場合はどうでしょか。私たちは聖書信仰を基にして動いています。聖書を開くなら、いたる所に人間の考えではなく主の御心を第一にしなければならないことが書かれています。そうして恐れることなく主の御心に従うよう書かれています。もし今回の物件が主の御心ではないなら、主はきっと他の物件を用意して下さっていることと思いますが、では今の奇跡的な勢いは何によってもたらされているのでしょうか。主の御心であるからこそ、勢いを持って進めて来られたのではないでしょうか。この勢いを一旦止めた場合、再び勢いを取り戻すことができるでしょうか。
 今回の物件を主の御心ではないとして見送った場合は、一般論としては中古物件を見つけて、他の土地に移ることになるのでしょう。ちなみに今の私たちの財力では他の離れた土地に新築の会堂を建てるのは無理です。いま隣の土地で新築を考えているのは隣接地であるという好条件があるからです。隣接地は他の場所の土地に比べて様々に有利な点が生まれます。まず何よりも第一に挙げるべきは聖別された礼拝堂を建てることができるという点です。神は聖なるお方です。その聖なるお方を礼拝するのに聖別された礼拝堂で礼拝を行うのが最もふさわしい礼拝の行い方です。もし私たちが他の土地に移るなら新築の会堂を建てるのは財政的に到底無理な話ですが、隣の土地に建てるなら、今の会堂を牧師館として引き続き使用しながら礼拝堂だけを建てることができます(他の土地に礼拝堂だけを建てて、ここに住み続ける場合、ここへの固定資産税が発生する可能性が大きいですし、あまり離れてしまうと管理の問題も発生します)。それから駐車場の問題が無いこと(他の土地に移るなら駐車場の確保が大きな問題になります)、近所や片浜駅から通っている方々が引き続き同じように通えること(CS生のAちゃんを含む)、今の土地を売却することを考えなくてよいこと、地域の方々との関係を一から築く必要がないこと(教会は地域と良い関係を築くことが必須です)、等々の様々に有利な点があります。もちろん海が近いことによる津波の心配や塩害などの不利な点もいくつかあります。私自身は津波は大丈夫だと思っていますが、それらの不利な点を心配して今回の物件は主の御心ではないと考える方もいるかもしれません。
 しかし、きょう私が先ず皆さんと分かち合いたいことは、今回の物件がどういう点で有利だとか、どういう点で不利だとかという問題以前に、ここまでどういう流れでここに至ったのかということです。それを後でパワーポイントのスライドを使って説明します。
 先日の礼拝でも話しましたが、2年と5ヶ月前に私が引継ぎを受けた時、会堂の積立金額は**、月々の積立金額は**でした。つまり年間の積立金額は**でした。これが2013年の春のことです。2013年の春の時点でこれだけの財力で2017年に新しい会堂が建つとは到底思えません。人間的な考えでは建つはずがなく、もし建つとすれば奇跡です。それが2年5ヵ月後の今、2017年に新しい会堂を建てることを見通せるところまで来ました。まさに奇跡的なことです。しかも地主さんとの接点ができたのも、たまたま町内の懇親会があったからであり、偶然の要素が大きいものでした(ルツ記が好例ですが神様は偶然を装って働かれます)。ですから、ここには明らかに神様の御業が働いています。神様が2017年に献堂式を行うことができるよう、動いて下さっています。
 そのように神様が動いて下さっている中、私たちが今回の件を見送ったらどうなるでしょうか。きょうは先ず民数記を開いて短く学んでから、今回の会堂問題についての説明をすることにしています。この民数記13章は、6月10日の祈祷会でも一度開いています。6月に私はできれば礼拝で開きたいと思っていましたが、それは控えて祈祷会で開くにとどめました。ここを開くと、今回の物件を皆さんに有無を言わさずに押し付ける印象を与えてしまうかもしれないと思ったからです。6月の段階では教団の承認も得られていない段階でしたから、控えました。しかし、今や教団の承認も得られましたし、何と言ってもこの民数記の13章そして14章は、今の物件の話が浮上してから、ずっと私の心の中にあった箇所でした。ですから、きょうの大切な総会準備礼拝では、是非とも皆さんとこの民数記13章と14章を分かち合いたいと思います。

約束の地に入ることを恐れたイスラエル人たち
 始めに、13章の1節から3節までをお読みします。

13:1 【主】はモーセに告げて仰せられた。
13:2 「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。父祖の部族ごとにひとりずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。」
13:3 モーセは【主】の命によって、パランの荒野から彼らを遣わした。彼らはみな、イスラエル人のかしらであった。

 これはイスラエルの民がモーセに率いられてエジプトを脱出してから1年と少しが経った時点のことです。主はいよいよイスラエルの民を約束の地カナンに導き入れようとしていました。その前に主はイスラエルの民にカナンの地を偵察するように仰せられました。それで3節にあるように、モーセはイスラエルの部族の族長たちをパランの荒野からカナンに遣わしました。その遣わされて者たちの名前が4節から15節までに載っています。
 さて今日は先を急ぎますから、25節へ飛びます。25節、

13:25 四十日がたって、彼らはその地の偵察から帰って来た。

 彼らは偵察から帰って来てモーセに報告しました。27節と28節、

13:27 彼らはモーセに告げて言った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこにはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。
13:28 しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。

 偵察して来たカナンの地は、乳と蜜が流れる本当に良い所だったけれども、そこに住む民は力強いので占領するのは、とても無理だというわけです。しかし、カレブの意見は違いました。30節、

13:30 そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」

 しかし31節、

13:31 しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」

 続いて14章に行きましょう。1節、

14:1 全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。

 こうしてイスラエルの民はすっかり意気消沈してエジプトに帰ろうと言い出しました。

ヨシュアとカレブの信仰
 そのようにエジプトに帰ろうと言うイスラエルの民に対してヨシュアとカレブは約束の地カナンに入って行くべきだと主張しました。6節から9節、

14:6 すると、その地を探って来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブとは自分たちの着物を引き裂いて、
14:7 イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。
14:8 もし、私たちが【主】の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。
14:9 ただ、【主】にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし【主】が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」

 このように主張するヨシュアとカレブをイスラエルの民は石で打ち殺そうとしました。10節、

14:10 しかし全会衆は、彼らを石で打ち殺そうと言い出した。そのとき、【主】の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエル人に現れた。

 きょうは、もう聖書をじっくり読む時間がありませんから、この民数記の13章と14章を皆さんは後でじっくりと読んでいただきたいと思います。主は激しく怒り、結局イスラエルの民は荒野を40年間放浪することになってしまいました。それはヨシュアとカレブを除いて、この時点で成人だった男子が死に絶えるまででした。
 主はエジプトで奴隷になって苦しんでいたイスラエル人を憐れみ、エジプトの地から脱出させて下さいました。この時、数々の奇跡が行われました。そして荒野に出てからは岩から水を出し、天からマナを降らせてイスラエルの民を養って下さいました。そうして、いよいよ約束の地カナンに導き入れて下さろうとしていました。それをイスラエルの民は拒んだのでした。
 カナンに偵察に行った時、その地の人々はとても強そうに見えましたから、人間的な考えでは確かに無理なことです。しかし、主が導いて下さっているのですから恐れることはなかったのです。ヨシュアとカレブはそのような信仰を持っていました。

会堂問題の経緯
 今回の会堂問題で隣接地が有力な候補として浮上した時、私の頭の中を巡ったのは、この民数記13章と14章でした。今回の物件に会堂を建てることは人間的な考えでは私たちには難しいことと思えるかもしれません。しかし、主が導いて下さるとしたら恐れることはありません。私たちは昨年の8月から物件探しを始めましたが、今年の3月までは、有力な物件はありませんでした。それが3月になって町内の懇親会という偶然のきっかけで地主さんとの接点ができて今の物件が急浮上しました。そして、2年半前の2013年には到底無理だと思えた2017年の献堂が現実になろうとしています。この物件の取得へと進んで行くことが、今日の聖書箇所の民数記13章と14章から学ぶべきことではないでしょうか。このことを一層よく理解していただくために、次にパワーポイントのスライドを使って、今回の会堂問題の経緯を説明して行きます。

(パワーポイントによる説明)

 お祈りいたしましょう。(民数記14:8)

民数記14:8 もし、私たちが【主】の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。
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"Spiritual Jesus"(霊的イエス)

2015-08-18 21:18:50 | 折々のつぶやき
 8月6日の広島の原爆の日に英語のウェブサイトの"Spiritual Jesus"(霊的イエス)

 http://www.spiritual-jesus.com/

を立ち上げました。
 英語でのページ作りが一段落したら日本語のページの作成も考えています。
 よろしくお願いします。
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神の霊の豊かな供給と注ぎ出し(2015.8.16 礼拝)

2015-08-17 01:51:03 | 礼拝メッセージ
2015年8月16日礼拝メッセージ
『神の霊の豊かな供給と注ぎ出し』
【エレミヤ20:7~9/ヨハネ7:37~39】

はじめに
 先週の礼拝は8月9日の長崎の原爆の日に当ったため、それに因んだ説教をしました。今週はまた会堂についての説教とさせていただきます。
 きょうは聖書交読を含めて聖書の箇所を三箇所開きました。詩篇42篇とエレミヤ20章、ヨハネ7章です。これらの箇所は三つとも、神の霊の供給と注ぎ出しということに関係しています。詩篇42篇は、神の霊の供給が止まってしまっている状況です。次のエレミヤ20章は、神の霊は供給されていますが注ぎ出されていない状況です。そしてヨハネ7章は、神の霊が豊かに供給され、且つ注ぎ出される状況です。
 言うまでもなくヨハネ7章の状態になることが私たちに必要とされていることです。ですから私たちが建設を目指す礼拝堂も神の霊が私たちに豊かに供給され、且つ私たちから豊かに注ぎ出されて行くものでなければなりません。ですから、きょう最も心に留めるべきはヨハネ7章ですが、同時に詩篇42篇とエレミヤ20章も学ぶことで、ヨハネ7章の状態がどのようなものであるかが、より一層よくわかるようになると思いますから、きょうはこれら3つの箇所を順番に見て行きたいと思います。

神の霊の供給が途絶えた詩人
 まず詩篇42篇です(旧約聖書p.946)。1節と2節をお読みします。

42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
42:2 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。

 ここには神の霊の供給が途絶えている状況がつづられています。2節に、「いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか」とあります。この時、詩篇42篇の詩人はエルサレムの神殿から遠く離れた場所にいました。旧約の時代においては神の霊、すなわち聖霊は預言者と聖書の記者に豊かに注がれていました。詩篇も聖書に収められていますから、詩篇の詩人にも聖霊が注がれていました。
 しかし、詩篇42篇を読むと、聖霊が注がれている詩人であっても、いつでもどこでも聖霊の供給があるわけではないことがわかります。神様は遍在しておられ、あまねく存在しておられますから、詩人が神殿の近くにいなくても聖霊を注ぐことは可能なはずです。しかし、やはり神殿という聖別された場所に身を聖めて入って行く者に対して神様は格別に豊かに神の霊を注いで下さるようです。詩篇の詩人といえども神殿から離れた場所にいるなら神の霊がたっぷりと注がれることは無かったのですね。
 それは神様が聖なるお方、聖いお方だからでしょう。神様は聖なるお方ですから、身と心を聖めて厳かに神の領域に近付く者に対して、神様は格別に多くの霊を注いで下さるのだということが詩篇42篇から読み取れます。
 神様とはどのようなお方かを一言で言うなら、神様は聖なるお方です。その他にも神様には様々なご性質があります。神様は愛のお方です。神様は正しいお方です。神様は憐れみ深いお方です。神様がどのようなお方であるか、このように様々に言い表すことができます。しかし、一言で言い表わすとしたら神様は聖なるお方です。「聖である」、英語で「Holy」(ホーリネスのholy)とは、きれいだとか汚くないという意味ももちろん含みますが、そもそもは分離された存在という意味を持ちます。
 いのちのことば社の『聖書神学辞典』の「聖・聖化」という項目で次のように書かれています。

【聖・聖化】
「聖・聖化の概念は聖書全体に一貫して流れており、旧約・新約神学における中心的主題の一つである。聖化の元来の意味は「分離する」である。神のために日常・俗から分離されたものは、聖なるものとなる。つまり聖は、神に所属するもの、神の領域の中にあるもので、俗や汚れと区別されるものである。これは、きよめる、汚れるとも密接な関係があり、領域の広い概念である。」

 このように聖なる神様は私たちの俗的な日常とは全く異なる分離された領域におられますから、神殿のような聖別された空間に身も心も整えて立ち入る時、神の霊はより一層豊かに供給されることになります。
 詩篇42篇に戻ります。神の霊の供給を受けられないでいた詩篇42篇の詩人は神の霊に飢え渇いていました。もう一度1節と2節をお読みします。

42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
42:2 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。

 このような神の霊に対する飢え渇きは、自分には神の霊が不足しているという自覚が無ければ感じることはありません。しかし飢え渇きが無くても、すべての人は神の霊を必要としています。それは、喉が乾かなくても人が水分を必要としているのと同じです。熱中症で死亡するのが多くの場合、高齢者であるのは、高齢になると自分に水分が不足していることに気付きにくいからだと言われます。喉が乾いていても乾いていなくても、どちらであっても体が必要とする水分が体に供給されないなら、人は死に至ります。
 霊的な領域のことにおいても同様です。人は神の霊の供給が無ければ霊的には死んでいます。体の水分がすべての人に必要なことと同様に、神の霊もすべての人に必要です。

神の霊を求めている私たち
 ヨハネの福音書のイエス・キリストの第一声は、
「あなたがたは何を求めているのですか。」(ヨハネ1:38)
であり、第二声は
「来なさい。そうすればわかります。」(ヨハネ1:39)
です。
 私たちは心の奥深い領域で何を求めているのでしょうか。それは神の霊である、というのが一番正しい答なのでしょう。私たちは平和を求めていると答えることもできますし、私たちは愛を求めていると答えることもできます。しかし、平和も愛もどちらも神の霊が注がれることによって初めて得られます。ですから、「あなたがたは何を求めているのですか。」「来なさい。そうすればわかります。」とおっしゃるイエスさまに付いて行ってわかることは、自分は神の霊を求めていたのだということです。
 旧約の時代の人々の場合には神の霊は預言者以外には注がれませんでした。その神の霊に代わるものとして、神様は人々に律法のことばを与えて下さいました。人々はこの律法のことばに慣れ親しむことで神の霊が注がれるのと同じ恵みに与ることができました。しかし、旧約の時代の多くの人々はこのことを理解できずに神様から離れてしまいましたから、新約の時代になって神様は私たちのすべてに直接、神の霊を注いで下さるようになりました。但し、聖い神の霊が汚れた私たちに直接注がれるためにはイエス・キリストの十字架という尊い犠牲が必要でした。私たちは、このことを霊的にしっかりと理解できる者たちでありたいと思います。

破裂寸前になっていたエレミヤ
 次に、エレミヤ20章を見ましょう(旧約聖書p.1279)。エレミヤも預言者ですから神の霊が注がれていました。そうして神から与えられたことばを人々に伝えていました。20章の手前の19章の最後の2節の14節と15節から見て行きます。

19:14 そこでエレミヤは、【主】が預言のために遣わしたトフェテから帰って来て、【主】の宮の庭に立ち、すべての民に言った。
19:15 「イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。『見よ。わたしはこの町と、すべての町々に、わたしが告げたすべてのわざわいをもたらす。彼らがうなじのこわい者となって、わたしのことばに聞き従おうとしなかったからである。』」

 ここでエレミヤは、主がエルサレムの人々に災いをもたらすと仰せられたことをエルサレムの人々に告げ知らせました。続いて20章の1節と2節、

20:1 祭司であり、【主】の宮のつかさ、監督者であるイメルの子パシュフルは、エレミヤがこれらのことばを預言するのを聞いた。
20:2 パシュフルは、預言者エレミヤを打ち、彼を【主】の宮にある上のベニヤミンの門にある足かせにつないだ。

 エレミヤは主のことばを人々に伝えたことで迫害を受けてしまいました。それでエレミヤは非常に戸惑い、嘆きました。7節と8節には、そのエレミヤの戸惑いと嘆きが書かれています。7節、

20:7 【主】よ。あなたが私を惑わしたので、私はあなたに惑わされました。あなたは私をつかみ、私を思いのままにしました。私は一日中、物笑いとなり、みなが私をあざけります。

 エレミヤが受けたのは人々のあざけりだけでなく暴行も受けました。8節、

20:8 私は、語るごとに、わめき、「暴虐だ。暴行だ」と叫ばなければなりません。私への【主】のみことばが、一日中、そしりとなり、笑いぐさとなるのです。

 このように人々から笑われ、そして迫害を受けるためにエレミヤは人々に神のことばを伝える気力が失せてしまいます。しかし9節、

20:9 私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。

 エレミヤはもう人々の前で神のことばを伝えたくないのですが、そんなエレミヤに神様は霊を注ぎ続けました。すると注ぎ出されて行かない神の霊はエレミヤの中でパンパンに膨れ上がって破裂寸前の袋のようになってしまいました。これが神の霊の性質です。神の霊はいったん人の中に入り、そして注ぎ出されて行くものです。それがヨハネ7章に書いてあるのですね。

生ける水の川となって溢れ出る聖霊
 今度はヨハネ7章を見ましょう(新約聖書p.190)。37節から39節までを、ここは交代で読みましょう。

7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

 新約の時代の私たちはイエス・キリストを信じるなら誰にでも神の霊である聖霊が注がれます。38節に、「その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」とありますから、聖霊は人の心の奥底に注がれ、そこから流れ出て行きます。
 どのような形で流れ出るかは、人それぞれです。以前、「御霊の賜物」の話をしました。「御霊の実」のことも話をしましたから、こんがらがるかもしれませんが、「御霊の実」というのはイエスさまに似た者にされるための「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:22,23)ですね。一方、「御霊の賜物」というのは教会を建て上げるために一人一人に与えられる力です。ある人には音楽の賜物が与えられ、ある人には料理の賜物が与えられ、ある人にはCS教師としての賜物が与えられ、ある人には自分の周囲の人を教会に導く賜物が与えられ、ある人には教会の役員としての実務の賜物が与えられ、ある人には教会を設計する賜物が与えられ、ある人には教会の修繕を行う賜物が与えられます。これらは皆、ヨハネ7章38節にあるように、流れ出る生ける水の川です。この生ける水の川が周囲の人々に向けて注ぎ出されて行きます。
 周囲の人々に向けて注ぎ出される生ける水の川は、牧師には最も必要とされるものですが、もちろん牧師だけでなく教会の皆さんにも必要とされるものです。私たちには神の霊が豊かに供給される必要があり、そうして受けたものを今度は注ぎ出して行く必要があります。

神の霊が不足することもある私たち
 そのために、先ずは私たちが神の霊に対する飢え渇きを感じることもまた必要でしょう。私たちがいつもいつも聖霊に満たされているのであれば神の霊に対する飢え渇きは感じないのでしょうが、普通はそんなことはありません。
 13日と14日、私はCSキャンプに参加しました。とても恵まれたキャンプでした。そして14日の午後から私は家族と合流して富士サファリパークの近くに家族と一泊して昨日は朝から夕方までずっと富士サファリパークの中にいました。そうして私は昨日の晩、教会に戻って来ましたが、疲れていてすぐに寝て今朝早くに起きて感じたことは、私には神の霊が不足していて神の霊に飢え渇き、神の霊の注ぎを強烈に求めていることでした。富士サファリパークは楽しかったですが、神の霊の供給を受ける状況にはありませんから、今朝の私は神の霊に飢え渇いていました。
 このように、私たちはいつも聖霊に満たされているわけではありませんから、私たちには神の霊が不足する時があります。その時には神の霊の供給を受ける必要があります。そうして今日の学びの中で特に覚えていただきたいことは、神の霊の注ぎは、自分の飢え渇きが癒される程度に受けられれば良いのではないということです。この神の霊の供給が、今度は生ける水の川となって私たちの中から溢れ出すほどに注がれる必要があるということです。伝道しなければエレミヤのように破裂寸前になってしまうぐらいに神の霊が供給される必要があります。
 いま私たちは、どれぐらい伝道に励んでいるでしょうか。私が言っているのは従来型の伝道方法のこととは限りません。従来型でも従来型でなくても、どちらでも構いませんが、伝道は私たちに与えられた使命です。私自身は8月6日の広島の日に「Spiritual-Jesus」という英語のウェブサイトを立ち上げ、ホームページの形式で霊的なイエスさまに付いて世界中に発信することを始めました。英語のホームページ作りが一段落したら日本語のホームページも作成するつもりです。この働きは従来型とは異なる新しい働きです。ですから従来型でも従来型でもどちらでも良いのです。どちらでも良いですから、私たちは伝道する必要があります。もし伝道が十分にできていないとしたら、それは神の霊の供給が十分ではないからと言えるのではないでしょうか。自分一人分の霊の供給だけで満足していて、自分の中から生ける水の川が溢れ出すことが無い状態だと言えるのではないでしょうか。
 いま私たちは新会堂の建設に向けて歩んでいます。新しく建てる礼拝堂は、私たちが神の霊の供給をたっぷりと受けられ、そして私たちの内から生ける水の川が豊かに流れ出るものでありたいと思います。そのためにチャレンジするように神様は励まして下さっていると私は感じます。自分一人の魂が満足するだけの少量の神の霊の注ぎで満足するのでなく生ける水の川が溢れ出すほどの神の霊の注ぎを受けなさい、そして伝道しなさいと神様は私たちに大胆にチャレンジする機会を与えて下さっていると感じます。

おわりに
 きょう話したことを、もう一度短く繰り返します。まず私たちには神の霊の供給が必要です。神の霊の注ぎが無ければ私たちは霊的には死んだ者です。ですから私たちには神の霊の供給が必要ですが、私たち一人一人の魂の渇きが癒される程度の少量の注ぎで満足していてはなりません。それでは、イエス様の福音を十分に伝えて行くことができません。もし伝道しないでいるならエレミヤのようにパンパンに破裂寸前になるぐらいに私たちに神の霊が供給される必要があります。そうして私たちの内から生ける水の川がこの沼津の地域の方々に向けて溢れ出て行く必要があります。
 そのための神の霊の豊かな供給と豊かな注ぎ出しがある場として、聖別された礼拝堂を建設するように神様は私たちを励ましていて下さると私は感じています。教会の健全な成長のためには神の霊の豊かな供給と豊かな注ぎ出しが欠かせません。そのような教会になることができるよう、私たちはもう一段階ステップアップする必要があります。
 私たちは霊的に一つになって聖別された新しい礼拝堂を建設して、健全な教会の成長を目指して行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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見つかった銀貨(2015.8.12 祈り会)

2015-08-12 16:24:28 | 祈り会メッセージ
2015年8月12日祈り会メッセージ
『見つかった銀貨』
【ルカ15:1~10】

15:1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。
15:2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」
15:3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
15:4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
15:5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
15:6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。
15:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。
15:8 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。
15:9 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。
15:10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」

はじめに
 先週、祈祷会はお休みをいただきました。このお休みをいただいている間の先週の8月6日の広島の原爆の日に、私は「Spiritual Jesus (霊的イエス)」(www.spiritual-jesus.com)という英語のウェブサイトを立ち上げました。既に公開しています。ただ、既に公開していますが、まだあまり積極的には宣伝していません。と言うのは、まだ内容が乏しいからです。公開の初日を広島の原爆の日にしたいという強いこだわりがありましたから公開していますが、積極的に宣伝するのは、もう少し内容が充実してからにしたいと思います。まだ内容が充実していなくても良いから見てみたいという方は、www.spiritual-jesus.comを覗いて見ていただけたらと思います。

ホームページの利点
 このウェブサイトを立ち上げてみてわかったことは、ヨハネの福音書の霊的イエスのことを多くの人々にわかってもらうには、このホームページの形式が一番良さそうだということです。例えば本だと、本を買ってもらう必要がありますし、本はだいたいは順番に読んでもらうように書きますから、よほど上手く書かないと途中で飽きられてヨハネの福音書の霊的イエスのことをわかってもらう前に投げ出されてしまうかもしれません。また、教会のブログにはヨハネの福音書の霊的イエスについての説教がたくさん載っていますが、ブログ上できちんと整理できているわけではありませんし、説教の中では霊的なイエスとは直接関係ないこともたくさん話しています。ですからヨハネの福音書の霊的イエスをわかっていただくという絞り込んだ目的のためには、ブログも今一つだと思います。
 ホームページの良いところは、ヨハネの福音書の霊的イエスの特徴をいくつか並べて、読者が読みたい場所から入って行ってもらえるように設計できる点です。あちこち、ちょっとずつ、つまみ食いしてもらった後で、興味があれば、もっと詳しく読んでもらう、そんなふうな構成にしたつもりです。そんなに上手い設計になっていないとしても、後でレイアウトを変えることもできます。アクセス状況など様子を見ながら改善して行きたいと思います。そうして英語で発信することで、できるだけ多くの方々にヨハネの福音書の霊的イエスのことを知っていただき、平和の働きのために貢献したいと私は願っています。
 日本語で日本人だけにしか読んでもらえないと、どうしても限界があることを私はブログやfacebookでの経験から学びました。英語にすれば世界中の人々に読んでもらえます。
 ただし問題は私の英語力が今一つなことです。私は英語でキリスト教の説明をすることに慣れていませんから、かなり大変です。それで最初は日本語のホームページを作って、日本語のホームページを少し作っては、それと同じ英語のホームページを作るという方式を考えてみました。しかし、これだとあまりに効率が悪いことがわかりました。はじめに考えた日本語に引っ張られて、余計に英語が出て来なくなります。それで思い切って日本語のホームページは後回しにして、始めから英語だけで作ることにしました。英語が下手なことは、この際もう気にしないでドンドン作ることにしました。作って行く過程で英作文にも慣れて段々とペースが上がって行くことを今は期待しています。英語の下手なのは気にしないで、どんどん作り込んで行きたいと思います。そうして英語のホームページの作成が一段落したら日本語のホームページにも取り組みたいと思います。

見つかった鍵
 さて、きょうはもう一つ、前回の祈祷会からきょうまでの、この2週間足らずの間に起きたことを、お証ししたいと思います。
 先日の礼拝の後の報告の時間に、私は最近玄関の鍵を紛失したという話をしました。実はおととい、その鍵が見つかりました。それで今日の聖書箇所をルカの15章にしたのですが、この2週間の間に起きたことを話したいと思います。
 鍵を無くしたのは2週間前の7月30日の木曜日でした。この日、私は屋根に上がってアクリル樹脂のペンキ塗りをしました。そして夕方、この日の作業を終えてハシゴから降りた時に、ふと東側の雑草が長く伸び放題になっているのが気になって、引っこ抜こうとしました。容易に抜けなかったので、力を入れて引っ張っていたら突然、顔面の下唇の所に激しい衝撃を感じました。一瞬何が起きたかわからなかったのですが、すぐその後で、目の前にアシナガバチが飛んでいるのが見えたので、ハチに刺されたとわかりました。それで私は動転してしまいました。そして、ただちに建物の中に戻りました。腕や足に刺されたなら刺された部位が見えますが、顔面ですから、どんな様子になっているか全然わかりません。それで大急ぎで玄関の鍵を開けて中に入り、洗面所に直行しました。私は屋根に上がる時はいつも玄関の鍵を掛けてから屋根に上がりますから、鍵を開けて入る必要がありました。そうして洗面所の鏡を見たら幸い、まだ腫れはありませんでした。とりあえず水で洗い、毒を絞り出す真似事だけして、次にインターネットで応急処置の方法を調べました。すると抗ヒスタミン成分の入った薬を塗ると書いてあり、たいていの虫さされの薬にはその成分が入っていると書いてあったので、とりあえず虫刺されの薬を塗り、様子を見ることにしました。もし腫れが出るようだったら医者に行こうと思い、どこに行こうか医者も検索しましたが、とくに腫れも出なかったので、少し安心して、とりあえず医者に行くのはやめて、ペンキ塗りの後片付けをすることにしてハシゴも撤収しました。それらの一連の後片付けを終えた時点でハチに刺されてから1時間以上が経っていましたが、特に刺された場所が大きく腫れることもありませんでしたから、医者に行くのはやめて夕食の買い物に行くことにしました。そうして玄関に鍵を掛けて買い物に出るために鍵を探しましたが、鍵が見当たりませんでした。ハチに刺された時に私は動転していたので、鍵を開けてから鍵をどうしたか、全然思い出せませんでした。だいぶ探しましたが、見つからなかったので、とりあえずスペアの鍵で玄関の鍵を掛けて買い物に出て、帰って来てからまた探しましたが、結局、見つかりませんでした。
 そして次の金曜日も探しましたが見当たらないので、とりあえずスペアの鍵の合鍵を作ることにしました。鍵が一つしかないと、それを無くしたら本当に困りますから、合鍵を作りました。そして無くした鍵が思わぬ所から出てくることを期待してお祈りしました。ただ、一つだけ心配なことがありました。鍵が建物の中のどこかにあって見当たらないだけなら良いのですが、私が玄関の鍵を開けた時に動転していたので、玄関の外で落としていたり、鍵を鍵穴に差したままでいたりして不審者に鍵を持って行かれてしまったという可能性も否定できませんでした。その場合、防犯上、大変に困ることになります。それで、玄関のドアノブを交換することにしました。もともと、2年前の4月に廣瀬先生から玄関の鍵を引き継いだ時、ドアノブの鍵は壊れていてドアノブの上の補助鍵しか使っていない状態でした。今回、無くしたのは上の補助鍵でした。それでドアノブを交換してドアノブの鍵を使用するようにすれば、たとえ補助鍵を誰かに持ち去られていても玄関を開けられることはありません。それで、8月2日の日曜日の午後、礼拝後にカインズホームに行ってドアノブを買って新しいものに交換しました。今はインターネットで調べれば大抵のDIYのことはわかるので本当に便利ですね。取り付け用のボルトの径が合わないなどの多少のトラブルはありましたが、もう1回カインズホームに行ってワッシャーを買って来て、無事に新しいドアノブを取り付けることができました。
 こうして、もし誰かに鍵を持って行かれていたとしても、一応は大丈夫なことになったわけです。しかし、それでも私は思わぬところから無くした鍵が出てくることを期待してお祈りしていました。すると、おととい、本当に思わぬ所から鍵が出て来ました。
 私はここのところ、もう2ヶ月近く、車を洗っていませんでした。今週の木曜日には車でCSキャンプに行くことになっていますから、あまり汚い車だとみっともないので、おととい車を洗うことにしました。それで車を洗う時に使うバケツとスポンジを出したら、何とその洗車用のバケツの底に鍵がありました。バケツにはスポンジも一緒に入っていましたから、鍵はスポンジに隠れて見えない状態になっていました。どうして鍵が洗車用のバケツの中に入ったのかは、全くわかりません。想定外の場所でしたから、バケツの中は探していませんでした。本当に不思議なことがあるものです。

無くしたことで良くなった
 しかし、今回、鍵が一時的に無くなったことで玄関のドアノブを替えてドアノブの鍵が使えるようになりましたから、却って良かったと思っています。このことが無かったら、ドアノブの鍵は使えないままだったと思います。今回、ドアノブの鍵が使えるようになり、また無くした補助鍵も誰かの手に渡ったわけではないことがわかりましたから、本当に良かったと思います。ハチに刺された場合、2度目が危ないということが言われ、ネット上にもアナフィラキシー・ショックのことが書いてありますが、1回目に刺された時に症状が重かった人が2回目も症状が重くなるケースが多いようです。私の場合は下唇を刺されましたが腫れはほとんどありませんでした。刺されたというよりは、ただの体当たりだったのかもしれません。ネット上には下唇をアシナガバチに刺された人の写真も載っていましたが、タラコのようにパンパンに腫れ上がっている写真が載っていました。私の場合は、本当に全然たいしたことがありませんでしたから、今後、なるべくハチに近付かないように気を付けていればほとんど心配はないと思います。
 そうすると、今回の鍵を無くした一件は、玄関のドアノブを交換でき、無くしていた鍵も見つかり、ハチに2回目に刺されることによるショックの心配もそんなにしなくて良いようですから、一時的に鍵を無くして、却って良かったのだと思います。

おわりに
 目を転じて教会のことを思う時、いま教会から離れている方々が何人かおられます。それらの方々がまた戻って来て下さることを私は祈っていますが、戻って来て下さった時には、教会を離れる前よりも、その方々との関係がもっと良くなることを期待しながら私は祈っています。「雨降って地固まる」という日本の諺もありますから、以前よりも良い関係になることができるよう、これからも祈って行きたいと思います。
 最後にルカ15章の8節から10節までを読んで終わりたいと思います。

15:8 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。
15:9 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。
15:10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」

 お祈りいたしましょう。
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被爆地のイエス(2015.8.9 礼拝)

2015-08-09 14:15:05 | 礼拝メッセージ
2015年8月9日礼拝メッセージ
『被爆地のイエス』
【マタイ25:31~40】

はじめに
 今日の8月9日は長崎に原爆が投下された日です。3日前の8月6日は広島に原爆が投下された日でした。きょうは、この広島・長崎の被爆地にもイエス・キリストがおられたのだという話をします。単にそのように思うというのではなく、聖書を丹念に読むなら、イエス・キリストは戦争の被害で苦しむ弱い人々の中で同じように苦しみを共にしておられるということに導かれます。

弱い者たちの中にいるイエス
 始めに、きょうの聖書箇所を見ておきましょう。司会者にマタイ25章の31節から40節までを読んでいただきました。有名な箇所ですから皆さんのほとんどはご存知だと思いますが、簡単に、この箇所の全体を振り返っておきましょう。
 まず31節、

25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。

 これは終わりの日にイエス・キリストが再臨した時に何が行われるかについて語られた箇所です。32節と33節、

25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。

 これは終わりの日に「最後の審判」が行われることを示していますね。

25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。

 右に置かれた羊は天国に行きます。一方、左に置かれた山羊は地獄に行くことがきょうの聖書箇所の後ろを読むとわかります。続いて35節と36節、

25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

 右に置かれた正しい者たちは、困っている弱い人々を助けてあげたのですね。しかし、この正しい者たちはイエスさまに親切にした覚えはありませんでしたから、次のように聞きました。37節から39節、

25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』

 そこでイエスさまは答えられました。

25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

 この弱くて小さい者たちにしたことはイエスさまにしたことと同じことなのだとイエスさまは答えられました。この空腹で渇き、裸で病気であった者たちは、イエスさまであったということです。

弱い者たちが犠牲になる戦争
 戦争でも弱くて小さな者たちが犠牲になります。今年は戦後70年の節目の年ということでテレビでは戦争に関係した番組が多く放送されています。6月には沖縄の地上戦で実際にあった出来事についての放送がされていました。アメリカ軍が沖縄に上陸して来た時には、人々は隠れ場所に息を潜めて隠れました。その時にすぐに泣いてしまうような幼子を連れた母親は隠れ場所に入れてもらえなかったということです。或いは入れてもらえても、幼子が泣きそうになった時には鬼になって幼子の口を塞いで窒息させたというようなことも言われていました。
 8月6日の前後には広島の原爆に関する放送がされていました。広島に原爆が落とされた時に広島にいたのも、ほとんどが兵隊以外の一般市民でした。軍隊に行く年齢の男性は皆ほとんどが戦地や国内の基地にいましたから、広島の市街地に残っていた者たちの多くは女性と子供、そして高齢者たちでした。広島の中心部の上空で原爆を炸裂させれば、そのような弱い者たちの多くが犠牲になることをアメリカ軍は当然知っていましたが、知った上で原爆を投下しました。
 3日前の8月6日の夜の7時半からNHKで『きのこ雲の下で何が起きていたのか』という番組が放送されました。この番組では、原爆の熱線によって人の皮膚がどのような状態になるのかということを生々しく伝えていました。ご覧になった方もおられると思います。
 この番組では原爆投下の3時間後に撮られた被爆者の写真を詳しく解析した結果を、この写真に写っている人々の証言と共に伝えていました。この写真は松重美人(まつしげよしと)という新聞社のカメラマンによって撮られたもので、爆心地から2.3kmの地点にある御幸橋という橋の辺りにいた人々の様子を写したものです。この写真は広島の原爆資料館にも大きく引き伸ばして展示してありますから、私もこれまで良く見ていた写真です。私は原爆資料館には数え切れないほど足を運んでいます。特に2005年から2008年に掛けては年に2,3回広島に行き、大抵は2、3日滞在しました。そして3日間滞在すれば3日間とも原爆資料館に足を運びました。それは、前に話したことがあると思いますが、原爆資料館のロビーには私の名前を刻んだタイルがあるため、私は原爆資料館には特別な思いがあります。そういうわけで、この御幸橋での被爆者の写真もこれまで数え切れないぐらい何度も見ましたが、この写真についての詳細は今回のNHKの番組で初めて知りました。
 さて、爆心地から2km以内では火災も起こって壊滅的な状態になりしたが、この写真が撮られた2.3kmの地点はその2km圏内の少し外側に当り、火災が起きていない地域でした。それで2km以内で被爆した人々がこの外側の地域に逃れて来ていました。しかし逃れる途中で息が絶えた人々もいたという証言があり、そしてこの2.3kmの御幸橋まで逃れて来た人々の多くも、そこでうずくまり動かなくなった人々もいたということでした。
 この番組では人の皮膚が強い熱線を浴びることで、どのようになるかについての解説も為されていました。爆心地付近で強い熱線を浴びた者の皮膚の水分が瞬間的に沸騰して気泡ができることで、ズルッとむけやすい状態になってしまうのではないかという専門の医師の説明がありました。すると皮膚がズルッとむけた箇所では痛みを感じる神経細胞がむき出しの状態になるので、恐らくは人間が感じる痛みの中で最大の痛みを被爆者たちは感じていたのではないかという話でした。

苦しんでいるイエスに思いを巡らす
 私たちは、この苦しむ人々の中にイエス・キリストもいたのだということを覚えたいと思います。きょう聖書のマタイの箇所から学びたいことは弱い人々を助ける者は天国に行くという話ではなく、苦しんでいる弱い人々の中にはイエス・キリストもおられて共に苦しんでいるということです。きょうは、そのことに思いを巡らしたいと思います。
 イエス・キリストが戦争の被害者の中で苦しんでおられるのは戦争があるからです。その戦争は人間が起こすものです。イエス・キリストは人々が起こした戦争の中で苦しんでおられます。すると、これは2000年前に人々がイエス・キリストを十字架に付けて苦しめたのと同じではないかということに思い至ります。つまり戦争をしている者たちはイエス・キリストを十字架に付けているのと同じことをしているということになります。
 イエス・キリストは弟子たちに「互いに愛し合いなさい」と言いました。しかし、私も含めて私たちのほとんどは互いに愛し合うことができていません。この互いに愛し合うことができていないことが、イエス・キリストを十字架に付けてしまっています。つまりクリスチャンである私たちも未だにイエス・キリストを十字架に付けていることになります。
 では、どうすれば私たちは互いに愛し合うことができるようになるのでしょうか。それには、やはり私たちはもっと霊的なイエスに親しむことが必要なのだろうと思います。私たちの多くは無意識の中では霊的イエスに親しんでいるのだと思います。だからこそ私たちは信仰を持つに至り、毎週日曜日にはこのように教会に集まり、主を賛美し、礼拝を捧げます。しかし私たちは、この無意識にできていることを、もっと意識できるようにすべきだと私は考えます。私たちは霊的なイエス・キリストとの親しい交わりの中に入れられているのだということを、無意識の中でぼんやりと感じるだけではなく、もっとハッキリと感じる必要があるのだと思います。ぼんやりと感じているだけなので、私たちは未だにイエスさまを十字架に付けて苦しめることになってしまっているのだと思います。

イエスの愛弟子である私たち
 その霊的イエスに親しむための準備として、先月は涙を流している霊的イエス、疲れている霊的イエス、寂しい霊的イエスについて話をしました。きょうは最後の晩餐の、イエスさまが弟子たちの足を洗う場面を見ることを示されています。ヨハネの福音書13章の1節から7節までを交代で読みましょう。

13:1 さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。
13:2 夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、
13:3 イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が神から出て神に行くことを知られ、
13:4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
13:5 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。
13:6 こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」
13:7 イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」

 この弟子たちの中には私たちもいます。なぜなら、この中にイエスの愛弟子も含まれているからです。イエス・キリストは私たちの足を洗って下さり、13章34節で、このように言われました。

13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

 もう一度、1節から7節のイエスさまが私たちの足を洗って下さった場面に戻ります。イエスさまは私たちの足を洗って下さり、そしてペテロに7節のように言いました。

「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」

 「あとで」というのは「十字架のあとで」いうことですね。この十字架を私たち愛弟子は十字架のすぐ近くで目撃しています。

イエスとマリヤの両方の苦しみを共有する
 イエス・キリストの十字架の場面もご一緒に見ましょう。19章の25節から27節までを交代で読みましょう。27節はご一緒に読みます。

19:25 兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。
19:26 イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます」と言われた。
19:27 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。

 この愛弟子とは私たちであり、愛弟子はイエス・キリストの十字架を間近で見て、且つ母のマリヤを自分の家に引き取りました。これはマリヤの心の痛みを共有することだと私は捉えたいと思います。私たちはイエス・キリストの痛みと苦しみだけでなく、マリヤの痛みと悲しみも共有すべきなのだと思います。もちろん、私たちはその一部しか共有できません。しかし、出来るだけ多くを共有できるように霊性を整えること、それが霊的イエスに親しむことなのだと思います。男性である私は母親であるマリヤの痛みと悲しみを十分には共有できません。しかし、私は牧師になって教会を率いる立場に置かれてからは以前よりもイエス・キリストの痛みと苦しみがわかるようになりました。職場でリーダー的な地位に付いている主(おも)に男性の方々は、職場においてイエス・キリストの痛みと苦しみを共有できることも多いでしょう。一方、女性は職場においてリーダー的な地位に就くことが男性に比べれば少ないかもしれませんが、マリヤの痛みと悲しみは男性よりも遥かによくわかるでしょう。イエス・キリストの十字架のそばにマリヤと愛弟子がいて、愛弟子がマリヤを自分の家に引き取ったということの背後には、私たちがイエス・キリストとマリヤの両方の苦しみを、できるだけ多く共有すべきだという教えが含まれていると私は感じます。

私たちがイエスを十字架に付けた
 そして私たちは、イエス・キリストとマリヤがなぜ苦しまなければならなかったかにも思いを巡らせなければなりません。それは私たちが互いに愛し合うことができていないからです。互いに愛し合うことができていない私たちがイエス・キリストを十字架に付けて苦しめてしまっています。
 私が神学生の2年生の時、まだヨハネの福音書にのめり込むようになる前のことですが、その時私はまだ罪のことがよくわかっていませんでした。そのことを、実習先の教会で、自分はまだ罪のことがよくわかっていないようだと正直に話した時、その実習先の先生が憐れんで下さったのか、「罪がわかるとは自分がイエスさまを十字架に付けたと自覚することだ」と教えて下さいました。当時、そのように教えて下さったことを感謝しましたが、それでも自分がイエスさまを十字架に付けたという自覚を私はなかなか持つことができないでいました。しかし、ヨハネの福音書のイエスさまが「互いに愛し合いなさい」とおっしゃっているのに私たちが互いに愛し合うことができずにいることが次第にわかって来て、互いに愛し合うことがいかに難しいかを思い知らされ、確かに自分はイエスさまを十字架に付けているのだと感じるようになりました。

おわりに
 きょうは長崎の原爆の日です。この原爆投下により、多くの市民が苦しみを受けました。その苦しんでいる人々の中にイエス・キリストもいました。戦争は私たちが互いに愛し合うことができないから起きます。互いに愛し合うことができないから戦災によって弱い人々を苦しめることになります。それはイエス・キリストを十字架に付けて苦しめるのと同じことです。そしてそれは戦争のことだけではありません。日常的なことにおいても私たちの周囲には争いごとが溢れています。互いに愛し合うことができるようになるよう、私たちはもっと霊的イエスに親しまなければならないのだと思います。
 私たちが互いに愛し合うことができるよう、そして、このための働きに用いられるよう、お祈りしたいと思います。
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イエスが行われたしるし(2015.8.2 礼拝)

2015-08-04 00:55:02 | 礼拝メッセージ
2015年8月2日礼拝メッセージ
『イエスが行われたしるし』
【ヨハネ21:25】

 きょうは聖書を開く前に、私がこの沼津教会に着任した前後に遡って、ここまでの会堂問題の流れを振り返ってみたいと思います。
 私がこの沼津教会に着任したのは2年ちょっと前の2013年の4月です。そして最初の1年間は準備の期間であったと思います。この準備の期間も、この教会にとっては重要な期間であったと思います。この最初の1年に、私はA兄の協力を得て、この教会の土地と建物の所有権の移転を行いました。今はこの教会の土地と建物の所有権は教会にありますが、それまでは銀行から受けていた融資の関係で前任の先生の所有物になっていました。融資の返済が完了した時点で所有権を教会に移す必要がありましたが、まだ手続きがされていませんでした。それで先ずは、この会堂の土地と建物の所有権の移転が完了しないことには新会堂に取り組めないわけです。
 幸い、私は前にいた教会でも土地と建物の所有権移転の手続きを経験していて、どんな手続きが必要かを知っていましたから、2013年にこの教会に着任して直ちにこの手続きに取り組むことにしました。私は前の教会で取り組んだ時には手続き全体の流れがなかなか理解できなくて大変に苦労しました。教団からの指示書には、まず法務局に行って相談すること、それから県庁の手続きも進めるとあるのですが、なぜ法務局と県庁の両方に行かなければならないのか、最初は理解できていませんでした。他の多くの教会の牧師先生にとっても同様だったと思います。いちおう法務局に相談に行くのですが、手続きの流れがよく理解できなくて後回しにしているうちに、手続きされないまま月日が経ってしまうのです。前の教会がそうであり、沼津教会もまたそうでした。
 いま教会の土地と建物の所有権移転の手続きの話をしていますが、なぜこんな話をしているかというと、今の私たちの会堂問題の下地となる準備作業は2年前から始まっていたのだということを話したいわけです。2年前というよりも、もし私が前の教会で手続きを経験していなかったら、沼津教会の手続きは大幅に遅れたことと思いますから、私が前の教会に滞在していた4年前から既に沼津教会の会堂問題の準備が始まっていたとも言えるのかもしれません。
 いま思い出しても本当に大変だったなと思うのは、沼津教会の場合は前の教会の場合よりもさらに手間が掛かったことでした。前の教会の場合は法人格を持っていませんでしたから、元牧師の所有になっていた土地と建物は教団本部に移転させました。この時の経験で私は、移転を受ける側の組織の規則を県庁に提出する必要があることを知っていました。この所有権の移転が組織の規則に則って行われているかを県庁が審査するためです。そして県庁の審査を通れば、法務局で所有権移転の登記をする際に発生する登録免許税の非課税証明書を県庁が発行してくれます。この非課税証明が得られないと、例えば1千万円の価値がある不動産の所有権移転登記では20万円の登録免許税が掛かります。
 さて、前の教会の土地と建物の本部への所有権移転の場合は、本部の規則がしっかりしていましたから、問題はありませんでした。しかし、沼津教会の場合は宗教法人格を持っていますから土地と建物は本部ではなくて沼津教会に移転することになります。その場合、県庁に提出する規則は本部の規則ではなくて沼津教会の規則です。そして私が引き継いだ沼津教会の規則は、現状とは異なる古い規則のままになっていました。ですから、土地と建物の所有権を移転する手続きの前に、先ずは教会の規則を現状に合ったものに変更する必要がありました。これは私も前の教会では経験しておらず初めてのことでしたから、大変なことになったなと思いました。幸いA兄が全面的に協力して下さり、A兄は東京の本部と静岡の県庁にも足を運んで下さって、規則の変更の仕方についてアドバイスを受けて来て下さいましたから、本当に感謝なことでした。この規則の変更だけで約半年間掛かりました。
 次に問題となったのが、先週も少し話しましたが、この教会の土地は本体の土地にプラスして小さな土地が2つくっ付いていたことでした。土地の本体は32年前に前任の先生が購入したものであり、小さな土地は15年前に隣の地主さんから所有権が移転されたものです。このように取得した経緯の異なる土地を法務局が一括して所有権移転の登記をしてくれるのかという問題がありました。そして非課税証明を発行する県庁の担当者も法務局の細かい手続きのことまでは知りませんから、私が法務局提出用に準備している書類の書式を見て、これで本当に所有権が移転できる見込みがあるのですかと私は聞かれました。もし、これで確実に所有権移転ができる見込みがないなら県庁としては非課税証明書は発行できないとのことでした。それで私は県庁に非課税証明願を出す前に法務局に何度も足を運んで小さな土地と本体の土地の両方を一括して所有権移転の申請をする書類のチェックを受け、何度か作成し直して、ようやくこれで大丈夫という段階になって、改めて県庁に非課税証明の発行願いを申請して非課税証明を得ることができました。そして年が明けて2014年の1月にようやく沼津教会のこの土地と建物の所有権の移転が完了しました。
 私たちの教会が新会堂の取得に向けて第一歩を踏み出したのは去年の7月ですが、こうして振り返って見ると、それ以前にも準備作業が随分と積み重ねられていたのだなと思うことです。
 この所有権移転が完了した2014年の1月の教会総会で私たちは2012年に掲げた2017年に献堂式を行うという目標を改めて確認しました。そのためには2014年は非常に重要な年になるということを私は申し上げました。そして翌月の2月から会堂祈祷会をスタートさせました。
 そうして、昨年の5月に屋根に上がった時に屋根の腐食の進行が思っていたよりも深刻であることがわかり、幹事会で報告しました。その時に与えられたみことばが、出エジプト25章8節の、

出25:8 彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。

でしたから、このみことばを報告書に添えました。
 私は聖別された空間である聖所を造る必要を感じていました。今のこの会堂は残念ながら聖別された空間ではありません。普段は日常生活の場として使っているこの部屋を日曜日に礼拝堂として使っています。そうではなくて私たちの霊性がより整えられるためには聖別された空間を持つ必要があると感じていました。それで、昨年の7月の会堂建設委員会では、今のこの会堂をリフォームして礼拝堂として使い続けるのではなく、新しい会堂を取得することを提案して決めました。中古であれ、建て替えであれ、新築であれ、とにかく、この礼拝堂を使い続けることはしない決定をしました。これが新たな第一歩でありました。
 この7月の会堂建設委員会の日の礼拝で開いた箇所が、きょうの聖書交読でご一緒に読んだヨシュア記3章です。実はこの7月の少し前の6月に、私はB先生に励まされていました。6月に静岡教区と東関東教区合同の1泊2日の牧師研修会がありました。この研修会中の食事の時に静岡教区のB先生とゆっくり話す機会があったのですが、B先生はこのヨシュア記3章を引きながら、まず私たちの側で一歩を踏み出すのでなければ奇跡は行われないのだというアドバイスをいただきました。或いはまた東関東教区のC先生からも、頭で計算している間はどうしたってできないのだ。しかし踏み出せば主が助けて下さるのだというアドバイスを受けました。これもヨシュア3章と同じですね。
 ヨシュア記3章をご一緒に見てみましょう。まず3章1節、

3:1 ヨシュアは翌朝早く、イスラエル人全部といっしょに、シティムを出発してヨルダン川の川岸まで行き、それを渡る前に、そこに泊まった。

 このヨシュア記3章には、ヨシュアに率いられたイスラエルの民がいよいよヨルダン川を渡って約束の地のカナンに入って行ったことが記されています。それまでイスラエルの民はモーセに率いられて40年間荒野を放浪しました。モーセは約束の地に入ることが許されず、イスラエルの民を率いるリーダーの役割はヨシュアに引き継がれました。そうして、このヨシュア3章でいよいよヨルダン川を渡ります。少し飛ばして5節、

3:5 ヨシュアは民に言った。「あなたがたの身をきよめなさい。あす、【主】が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。」

 ヨシュアは民に、「主が不思議を行われる」と言いました。主が不思議を行われる方であることは、私たちもよく知っていますね。私たちは皆、生まれも育ちも違いますが、今こうして一つの所に集まって神の家族として共に礼拝しているなんて、実に不思議なことだと思います。この不思議なことをされる主が、イスラエルの民がヨルダン川を渡る時にも不思議を行おうとしていました。6節、

3:6 ヨシュアは祭司たちに命じて言った。「契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って渡りなさい。」そこで、彼らは契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って行った。

 ヨシュアは先ず祭司たちに神の箱をかついで民の先頭に立つように命じました。そして、13節のように言いました。13節、

3:13 全地の主である【主】の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。」

 この時、ヨルダン川の水量は歩いて渡るには無理なほどでした。特に大勢いた女性や子供たちが渡るには危険を伴いました。そのヨルダン川の水を主が止めて下さるのを待ってから渡るのでなく、ヨシュアは祭司に先ずは水の中に足を浸すように命じました。そうすれば水がせきとめられると言うのですね。14節から17節までは交代で読みましょう。

3:14 民がヨルダン川を渡るために、天幕を発ったとき、契約の箱をかつぐ祭司たちは民の先頭にいた。
3:15 箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、──ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが──
3:16 上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。
3:17 【主】の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真ん中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

 15節と16節にあるように、神の箱をかつぐ祭司たちの足が水に浸った時に、水はせきとめられ、民はヨルダン川を渡ることができました。このように人間の側で先ず第一歩を踏み出すことで神さまは不思議を為して下さいます。
 1年前の7月、私たちは神さまがこのような不思議を為して下さることを信じて新会堂の建設に向けて一歩を踏み出しました。そして、1年が経ち、これは本当のことだったのだなと今改めて思っています。お金の細かい話をするのは、どうかとも思いますが、神さまが為して下さった不思議の証として次に述べさせていただきます。
(中略)
 これらは、主の不思議としか言いようがありません。私たちの側で一歩を踏み出すなら主が不思議を為して下さるというのは本当だったのだなあと、改めてしみじみと思うことです。
 週報にも書きましたが、先週、関西の方からもご支援がありました。これも私はそれまで全く予期していないことでしたから、これも主の為された不思議と思い、御名を崇めました。主が為された不思議なこととは、主イエスが為されたことと同じです。
 最後に、きょうの聖書箇所のヨハネ21章25節についてお話しして、きょうのメッセージを閉じたいと思います。

21:25 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。

 ヨハネの福音書は、ご承知の通り、イエスが行われたしるしについて書かれた書でもあります。ヨハネ2章11節には、「最初のしるし」について、次のように書いてあります。

2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

 またヨハネ4章54節には、「第二のしるし」について次のように書いてあります。

4:54 イエスはユダヤを去ってガリラヤに入られてから、またこのことを第二のしるしとして行われたのである。

 この「最初のしるし」と「第二のしるし」の他にもヨハネの福音書のイエスさまはベテスダの池にいた病人を癒し、五千人の給食の奇跡を行い、盲人の目を開け、また死んだラザロをよみがえらせたりしました。そして、このヨハネの福音書の最後は、きょうの聖書箇所の、

21:25 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。

で締めくくられています。
 世界も書かれた書物を入れることはできまいとはどういうことか、それは私たちに対してもイエスさまはたくさんの奇跡を行って下さっているからです。私たちの教会にこの1年に起こった不思議なこともそうです。先ほどの話をもう一度簡単に繰り返します(中略)。これらを奇跡と言わずして何と言うべきでしょうか。まさに奇跡だと思います。そして、D兄という良き働き人が備えられていたことも奇跡のようなことだと言えると思います。D兄はわずか2週間足らず短い間に奇跡のような働きぶりをして下さいました。
 イスラエルの民がヨルダン川を渡る時、神の箱をかついだ祭司の足が水の中に浸って初めて奇跡が起きたように、私たちの側で先ず一歩を踏み出さなければ奇跡は起きないのだということは本当のことだったのだなと改めて思うことです。これらは皆、イエスさまがして下さったことです。
 信仰の喜びというのは、私たちに永遠の命が与えられて死んだ後によみがえることができるという喜びももちろん大きいですが、私たちの目の前でこのような奇跡が行われることを実際に本当に見ることができるというのも大きな喜びだと思います。
 イエスさまは、これからも私たちに多くのことをして下さることでしょう。そのイエスさまを信頼して、イエスさまを中心にして一つになって歩んで行くことができる私たちでありたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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