goo blog サービス終了のお知らせ 

一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

霊と魂の熱力学

2022-06-01 09:00:00 | 霊と魂の熱力学
『霊と魂の熱力学
~カルノーサイクルで巡る聖書の物語~

(※本稿はサイエンス・フィクションです。)



目次
はじめに ~ 霊と魂の可視化~
低温低圧の旧約と高温高圧の新約
神の御子イエスの励まし
旧約と新約をつなぐカルノーサイクル
①堕落(断熱膨張)
②旧約の時代(等温膨張)
③十字架(断熱圧縮)
④新約の時代(等温圧縮)
新天新地の創造
おわりに ~僕たちが造る新天新地の平和への道~

はじめに ~ 霊と魂の可視化~
 霊も魂も目に見えない。しかし、それは確かに存在することを僕たちの多くは感じて知っている。「全身全霊」、「闘魂」などの言葉が日常的に使用されていることからも、それが分かる。また、戦争や事故・災害などで犠牲者が出た現場には「慰霊」や「鎮魂」の碑が建てられている。霊も魂も確かに存在するのだ。ただし、霊も魂も目に見えないために、その存在を疑う者もいる。そこで、このサイエンス・フィクション(以下SF)では、霊と魂の可視化を試みる。


図1 気体が入ったシリンダー(左)とP-V図(右)

 空気も目に見えない。例えば、図1の左図のシリンダーの中に空気が入っているかどうかは、見た目だけでは判断できない。しかし、ピストンを押し込んで中の容積を小さくした時に圧力が上昇するなら、シリンダーの中に気体が存在することが分かる。この時の気体の「圧力P」と「体積V」との関係をグラフで表すと図1の右図のようになる。

 このグラフは、気体が確かにシリンダーの中に存在することを示している。窒素やヘリウムなどの特定の気体を充填していないなら、中にあるのは空気だ。このように、空気は目に見えないが、実験結果のグラフは空気の存在を可視化している。

 さて、このグラフは、気体の「体積V」が「圧力P」に反比例することを示している。この関係は17世紀にロバート・ボイルが発見したので「ボイルの法則」と呼ばれていて、中学の理科で習うことになっている。そして、この反比例の関係は次のようにも書ける。

圧力P × 体積V = 一定

 本SFでは、霊と魂を気体にたとえて、このボイルの法則を霊と魂に適用する。また、「シャルルの法則(気体の体積は温度に比例する)」とカルノーサイクルの考え方も導入しつつ、聖書の視点からP-V図の曲線を眺めることにする。特にカルノーサイクルのP-V図は複雑な聖書の救済史を見事に単純化して分かりやすい形で伝えていると思う。聖書に収められている66巻の書(旧約聖書39巻と新約聖書27巻)は複雑に絡まり合っている。それゆえ聖書になじみが薄い日本人にとっては、聖書は難解な書物であると思われている。しかし、カルノーサイクルに置き換えて見るなら、とてもすっきりする。

 聖書が分かりにくいもう一つの理由は、聖書が霊的な書物であることだ。霊も魂も目に見えないので、聖書の霊・魂に関する記述は慣れない者にとっては極めて分かりにくい。僕も教会に通い始めたばかりの頃は、ほとんど何も理解できていなかった。本SFのP-V曲線の図は、霊・魂を可視化しているので、この点でも聖書を分かりやすくしていると思う。ぜひ多くの方々に、旧約と新約の聖書全体の物語の大きな流れを、本SFのP-V曲線によって知っていただきたいと思う。

※なお、聖書では人間の「霊」と「魂」に明確な区別は見られない。多くの場合、両者は同じような存在として同義語的・並列的に使われている(『新エッセンシャル聖書辞典』の「たましい」と「霊」の項目参照)。それゆえ、以降は霊と魂をまとめて「霊・魂」と表記することにする

低温低圧の旧約と高温高圧の新約
 では早速、気体のP-V図を霊・魂に置き換えてみよう。図2の左図のように、人の心にシリンダーがあり、その中に霊・魂が入っていると考えることにする。「人」とは①「人類全体」の場合と、②「個人」の場合とがあるが、この違いは後でまた考えることにしよう。


図2 人の霊・魂のシリンダー(左)とP-V図(右)

 ここでは、人の霊・魂もまた右のグラフで示すように、気体のP-V曲線と同じようなカーブを描くと仮定する。ただし、縦軸と横軸は気体の場合とは少し違って、

P(縦軸):人の霊・魂の気圧
V(横軸):父の家との距離の3乗

である。グラフの横軸の「距離」の肩にある小さな3は、「3乗」を示す指数だ。距離の3乗は体積である。

 「父の家」とは、新約聖書のルカの福音書15章の「放蕩息子の帰郷」の兄息子と弟息子の父親の家のことであり、父とは神のことだ。弟息子は家出して放蕩した後に帰郷して父の家に戻って来た。「父の家との距離」とは神との精神的な距離のことなので、たとえ神殿の中にいても心が神から離れていれば距離は大きくなる。ルカ15章の「放蕩息子の帰郷」では父の家に住んでいた兄息子が、これに当たる。

 さてここで、次の二つの聖句から、旧約と新約の時代の霊・魂の状態の違いを比べてみよう。

旧約:「私のたましいは 私のうちで うなだれています。」(詩篇42:6)

新約:「霊に燃え、主に仕えなさい。」(ローマ人への手紙12:11)

 旧約聖書の詩篇42篇の詩人の霊・魂は、うなだれている。つまり霊的にとても低調だ。旧約の時代の人々のほとんどは霊・魂を燃やしたくても、容易には燃えない状況にあった。一方、使徒パウロが書いたローマ人への手紙は、新約の時代の人々は霊的に熱く燃えることが可能であることを示している。

 この二つの聖句が示すように、一般的に旧約の時代の人の霊・魂は低温の状態にあり、新約の時代の人の霊・魂は高温の状態にある。この両者の違いを表したのが下の図3だ。ここでT1は低温側の温度、T2は高温側の温度である。この図では、「気体の体積は温度に比例する」という「シャルルの法則」も取り入れている。


図3 霊・魂が低温低圧の旧約と高温高圧の新約

 霊・魂の気圧と温度が旧約よりも新約の方が高い側にあるのは、新約の時代の人々には聖霊が注がれるからだ。旧約の時代には、聖霊は預言者など限られた者だけにしか注がれなかった。それゆえ人の霊・魂は容易には燃えなかった。しかし、新約の時代には「イエスは神の子キリストである」と信じる者には誰にでも聖霊が注がれるようになった。そうして聖霊が内に入った者は霊・魂が燃えやすくなったのだ。

神の御子イエスの励まし
 聖書によれば、人は神から離れやすい性質を持つ。旧約聖書にはイスラエルの民が神からどんどん離れて行った歴史が描かれている。時には神に立ち返ることもあるが、それは長くは続かず、すぐまた神から離れて行く、という不信仰を旧約の民は繰り返した。この霊的に低調で人がすぐに神から離れて行く状況を顕著に表しているのが旧約聖書のイザヤ書53章だ。

私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。(イザヤ書53:6)

 このように旧約の時代の人々は神から離れて勝手な方向に向かって行った。そうして図4の「旧約」のP-V曲線が示すように、人は神である父の家からどんどん離れて行った。そうして離れれば離れるほど霊・魂の気圧が下がって霊的な緊張感を失って行った。これが旧約の民がたどった時間経過である。


図4 時間とともにに坂を下る旧約、坂を上る新約

 一方、「新約」の時代には時間経過と共に父の家との距離が縮まる。新約聖書のゴールはヨハネの黙示録21章と22章に記されている「新天新地」だからだ。「新天新地」は帰るべき故郷、つまり父の家だ。黙示録21章の冒頭の4つの節には次のように記されている。「私」とは新しい天と新しい地(新天新地)の幻を見たヨハネのことだ。

1 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
3 私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
4 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」(ヨハネの黙示録21:1-4)

 それにしても、聖霊が注がれる新約の時代の人の霊・魂が、旧約とは逆の高圧の方向に向かうことができるのは何故なのだろう?

 それは、イエスを信じた人の内に入る聖霊もまた神だからだ。聖書の神は父・御子イエス・聖霊の三位一体の神だ。神である聖霊が内に入るから、父の家に近づいて行くことができるのだ。それを示したのが図4の新約の時代のP-V曲線だ。

 さらに、新約の時代においては「イエスの励まし」があることも大きい。イエスは「最後の晩餐」の祈りの場で皆が一つになるように、天の父に祈った。

「父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。」(ヨハネの福音書17:21)

 このようにイエスは、人々が父の家から離れてバラバラでいるよりも、皆が父の家の方向に向かって行って一つになれるようにと父に祈った。そして、そのことの旗振り役となる一番弟子のペテロに対しては、次のように言って励ました。

「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカの福音書22:32)

 この励ましは、21世紀の僕たちも受けている。イエスの祈りと励ましによって、僕たちは父の家で一つになる方向に向かっている。なかなか一つになれずに戦争が絶えない悲惨な世を今の僕たちは生きているが、イエスが僕たちのために祈りつつ励ましていることを忘れてはならない。

旧約と新約をつなぐカルノーサイクル
 さてしかし、低温低圧の旧約の時代と高温高圧の新約の時代とは、どのようにつながるのだろうか?これを解決するのがカルノーサイクルだ。カルノーサイクルを参考にして「断熱」の過程を間に挟めば、旧約と新約がつながる。この「断熱」は聖書に当てはめるなら、神の愛が断絶した状態ということだろう。だとすれば、アダムとエバの「堕落」とイエスの「十字架」が「断熱」の過程に相当するであろう。

 この神の愛の断絶を説明する前に、カルノーサイクルとは何か?を簡単に見ておこう。

 朝永振一郎の『物理学とは何だろうか・上』(1979)では、次のような書き出しでカルノーの考察をやや長く紹介している。

 熱が機械力を生む時、その過程のなかにどんな自然法則がひそんでいるだろうか。この探究に実質的な一歩をふみ入れた最初の人はフランス人サディ・カルノー(1796-1832)だといえるでしょう。彼は28歳のとき『火の動力についての省察』(1824)という論文で自分の考えを発表しましたが、あまりにも独創的な内容のせいか、当時のおえらがたたちもその価値に気づかず、カルノーの死後、発表から10年ほどたって、やっと同国人クラペイロンの目にとまりました。この人はその10年間に得られた多くの実験データを用いて『省察』の内容を補強し、カルノーが言葉だけで述べた考えを数式化することによって非常に明確な形にしたのです。とくにカルノーが文字どおり「省察」に重きをおいたのに対し、実験データによる裏づけを相当程度行なっていることは注目するべきことなのです。

 それにもかかわらず、クラペイロンの仕事もまた時勢に先だちすぎていたのでしょうか、なお人々の注目を引くことがなく、しばらく日の目をみることがなかった。しかし、カルノーの『省察』のなかには非常に重要な考えかたが含まれていました。そしてやがて彼の死後20年ほどたって、急にこのことが人々の目を引くようになったのです。(『物理学とは何だろうか・上』p.153-154)

 朝永によれば、カルノーサイクルを物理の教科書でおなじみのP-V図で可視化したのもクラペイロンの仕事だそうだ。言葉だけだったカルノーの省察を分かりやすい形にしたのがクラペイロンだ。図5に、カルノーサイクルのP-V図を示す。


図5 カルノーサイクルのP-V図

 カルノーサイクルは次の4つの過程からなる。

a→b:等温膨張
b→c:断熱膨張
c→d:等温圧縮
d→a:断熱圧縮

 「等温」の過程では気体の温度は接している熱源と同じ温度に保たれる。一方、「断熱」の過程においては中の気体がシリンダーの外と熱のやり取りをしない。その場合、「断熱膨張」では中の気体の温度が下がるので圧力が急激に下がる。また、「断熱圧縮」においては気体の温度が上がるので圧力が急激に上昇する。
 
 霊・魂に話を戻そう。霊・魂の断熱過程とは神の愛の熱の伝達が断絶した状態であるとすれば、アダムとエバの「堕落」とイエスの「十字架」がこの「断熱」の過程に相当するであろう、と上で書いた。アダムとエバが蛇にそそのかされて禁断の木の実を食べてしまって神から身を隠した時(創世記3章)、神と人との関係が一時的に断絶した。また、十字架のイエスは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46、マルコ15:34)と叫んで死んだ。この時も、地上の人間と神との関係が断絶した。

 以上をまとめて「堕落」、「旧約の時代」、「十字架」、「新約の時代」の4つの過程をカルノーサイクルで表したものが図6だ。この図6は、図5と大きく異なる点が二つある。

一、図5が時計回りであるのに対して、図6は反時計回りの「逆向き」である。
二、図5がぐるぐる回り続けるサイクルであるのに対して、図6は「1回限り」である(だから厳密にはサイクルと呼べないかもしれない)。


図6 聖書の救済史の逆カルノーサイクル

 この「1回限り」であることは、新約聖書のヘブル人への手紙が強調していることだ。

イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。(ヘブル人への手紙10:10)

 この図6においては、「天地創造」、「楽園追放」、「イエスの裁判」、「復活」、「新天新地」という情報も付け加えてある。これらについての個々の説明は、後で行う。カルノーの4つの過程に相当する聖書の過程は下記の①~④である。

①堕落(断熱膨張)
②旧約の時代(等温膨張)
③十字架(断熱圧縮)
④新約の時代(等温圧縮)


図7 聖書の物語のカルノーサイクル(逆回り)のシリンダー図

 これらの4つの過程をシリンダーの図で示したものが上の図7だ。以下、一つ一つを説明していくことにしよう。

①堕落(断熱膨張)・図8


図8 第1の過程:堕落(断熱膨張)
 
 聖書の冒頭の書き出しは、次のことばで始まる。

はじめに神が天と地を創造された。(創世記1:1)

 ここから神による「天地創造」の業が始まった。神は天と地、太陽と月と星、植物と動物を造り、最後に人を造った。そして、創世記1章の最後である31節には、次のように記されている。

神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。(創世記1:31)

 はじめはすべてが非常に良かったのだ。人の霊・魂は高温高圧で、霊的な状態も非常に良かった。しかし、蛇(悪魔)の巧みな話術に引っ掛かったアダムとエバは、神が食べてはならないと命じていた木の実を食べてしまい、二人は神から身を隠した(創世記3章)。このことで神の愛が断絶して二人に届かなくなり、断熱の状態で神から離れてしまった。これは悪魔が企んだことなので「悪魔の断熱」だ。この断熱膨張で霊・魂の温度が下がって冷えてしまい、気圧が急激に下がった。これが①の「堕落」の過程だ。

 こうして神の命令を守らなかったアダムとエバは「楽園追放」となって、エデンの園の外に出されてしまった。

②旧約の時代(等温膨張)・図9


図9 第2の過程:旧約の時代(等温膨張)

 この逆カルノー過程では「旧約の時代」の区間を「楽園追放~イエスの裁判」とする。エデンの園からの追放以降の旧約の時代の人々の霊・魂の状態は一貫して低調であった。温度は低く、気圧も低かった。モーセやイザヤのような預言者たちの霊・魂には聖霊が注がれていたために高温高圧であったが、一般の人々の霊・魂は低調であった。旧約の民の大半は預言者たちから間接的に神のことばを受けていた。間接的であるがために、どうしても受ける熱量が低くなってしまうのだ。旧約の民は預言者を通して神の奇跡を見て神を信じ、十戒・律法を与えられて神と共に歩むべきことを教えられた。これらによって、そこそこの熱量を預言者を通して受けてはいた。しかし、やはり一人一人が聖霊によって父のことばを直接受けることができる新約の時代の「高熱源」に比べると、「低熱源」であったことは否めない。それゆえ旧約の時代の民の霊・魂が熱く燃えることはなかった。

 また、聖霊によって心の内が聖められる新約の時代と違って、旧約の時代の律法の祭儀では心の内にどうしても神に背を向ける罪がしっかりと残ってしまう。この罪によって旧約の民の霊・魂は父の家から、どんどん離れて行ってしまった。

 旧約聖書のイザヤ書は、イスラエルの民の不信仰を嘆く預言者イザヤのことばで始まる。

2 天よ、聞け。地も耳を傾けよ。が語られるからだ。「子どもたちはわたしが育てて、大きくした。しかし、彼らはわたしに背いた。
3 牛はその飼い主を、ろばは持ち主の飼葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らない。わたしの民は悟らない。」
4 わざわいだ。罪深き国、咎重き民、悪を行う者どもの子孫、堕落した子ら。彼らはを捨て、イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けて離れ去った。(イザヤ書1:2-4)

 そうして、神から最も離れてしまった時は、神に仕える立場の祭司長たちが神の御子イエスを「十字架に付けろ」と叫んだ「イエスの裁判」の時であったと言えるだろう。マタイの福音書27章には、次のように書いてある。

1 さて夜が明けると、祭司長たちと民の長老たちは全員で、イエスを死刑にするために協議した。
2 そしてイエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。

22 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと呼ばれているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはみな言った。「十字架につけろ。」
23 ピラトは言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」(マタイの福音書27:1-2、22-23)

 
③十字架(断熱圧縮)・図10


図10 第3の過程:十字架(断熱圧縮)

 神の御子イエスを捕えてユダヤの総督ピラトに引き渡した祭司長たちは、ユダヤ人の民衆を扇動してイエスを「十字架につけろ」と叫ばせた。この不信仰の極みから方向を転換させて、人の霊・魂を高温にするには、断熱して圧縮するしかない。十字架はそのために神が用いた、「ただ一度だけ」の手段であった。イエスの十字架は死刑であり、二度も三度もできるものではない。それゆえ、時が満ちた最善のタイミング(後述)でそれは行われた。その十字架上でイエスは死ぬ時に叫んだ。

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイの福音書27:46、マルコの福音書15:34)

 この時、神と人との関係は①の堕落の時以来、再び断絶して断熱の状態になった。そして、この断熱圧縮によって霊・魂の温度が低温から高温に上昇することができた。これは父の家から離れてしまった人々を帰郷させるために神が行ったことだから、「神の断熱」だ。神がひとり子の御子を十字架に送ったことを、ヨハネは次のように書いている。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書3:16)

 そして、イエスが十字架で死んだ時、神と人とを隔てていた神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けた(マタイ27:51、マルコ15:38、ルカ23:45)。このことで、人は高熱源の父に接することができるようになり、聖霊を通して父のことばを直接聞くことができるようになった。

④新約の時代(等温圧縮)・図11


図11 第4の過程:新約の時代(等温圧縮)

 十字架で死んだイエスは三日目に復活して生き返った。天地を創造し、植物・動物・人の生命も創造した神にとって、死んだ人を生き返らせることなど容易なことだ。この十字架で死んだイエスが神の御子のキリストであると信じる者には聖霊が注がれる。ペテロやヨハネなどイエスの弟子たちへの聖霊の注ぎは五旬節(ペンテコステ)の日にあり、この時から新約の時代が本格的に始まった。

 この新約の時代は、時が満ちた最善のタイミングに始まった。ローマ帝国が地中海沿岸の一帯を支配していて、交通網が整備されて安全も確保されていたために、エルサレム発のイエスの教えが使徒たちによって広めることが可能だったのだ。かつてイエスは弟子たちに言った。

「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒の働き1:8)

 こうして、エルサレムから地中海沿岸一帯に伝えられたイエスの教えは、さらに世界中に広がり、16世紀には戦国時代の日本にも伝えられた。そして江戸時代の禁教の時代を経て、明治維新後と第二次世界大戦後には多くの宣教師が来日してイエスの教えを広めた。

 ここまでの①堕落、②旧約の時代、③十字架、④新約の時代の4つの過程は聖書に書かれている救済史であり、人類誕生以降の長い歳月が流れている。しかし、この①~④は同時に個人史でもある。なぜなら、僕たちは誰もが神に背を向けていた時があったからだ。人は誰でも、隣人を愛さない等の罪を犯すであろう。そうして旧約の民と同じように神に背を向けた状態で日々を過ごしている。しかし、ある時にイエス・キリストと出会い、十字架と復活を信じて聖霊を受けて、④の新約の時代を歩むことができるようになる。新約の時代のゴールが父の家の新天新地であるとするなら、今を生きる人類の皆がルカ15章の放蕩息子であり、父は僕たちが帰郷することを待ち望んでいる。

 高温高圧の霊・魂を持つ新約の民は熱心に礼拝をささげ、神に心を明け渡して聖化の道を歩み、神に仕える献身者となる。これらの行為は図11にあるように、天の父に自分の内の霊・魂の熱量を献げるということだ。このように自らの熱を献げても霊・魂の温度が下がらないのはキリストの励ましによって心のシリンダーのピストンが押し込まれているからだ。こうして新約の民の僕たちは高温を保ったままで気圧を上げながら父の家の新天新地へ刻々と近づいて行く。

新天新地の創造
 父の家である新天新地ではすべてが整然と整っていて、秩序が保たれている。つまりエントロピーがとても低い状態にある。イエスの裁判の時はすべてが混乱していて無秩序になっていた。つまりエントロピーが非常に高い状態にあった。その、父の家から最も離れた最悪の状態から神はイエスの十字架によって人の霊・魂の方向を転換させて、父の家に戻ることができるようにした。

 この新天新地の創造は旧約の時代から預言されていたことだ。イザヤ書65章で神は預言者イザヤを通して言われた。

17 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。
18 だから、わたしが創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。
19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない。(イザヤ書65:17-19)

 この新天新地の情景はヨハネの黙示録22章でさらに具体的に描写されている。

1 御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、
2 都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。
3 もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、
4 御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の御名が記されている。
5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。(ヨハネの黙示録22:1-5)

 このように、新天新地はとても平和な場所だ。そうして聖霊を受けている者は、聖霊を通して霊的には既に新天新地の平和の中に入れられている。しかし、その者の数は決して多くはない。五旬節(ペンテコステ)の日に弟子たちに聖霊が注がれて以降、カルノーサイクルの過程は④の「新約の時代」に入ったが、実は依然として②の「旧約の時代」を歩んでいる人々がたくさんいる。この世に戦争が絶えないのは、そのためであろう。

 多くの人が聖霊を受けて④の「新約の時代」の中を歩むようになり、新天新地の平和の中に霊的に入れられるようになるなら、この世の戦争はもっとずっと少なくなるだろう。

おわりに ~僕たちが造る新天新地の平和への道~
 このSFの原稿を執筆していた2022年の5月、ロシアとウクライナの戦争のことが連日報じられていた。ロシアがウクライナへの侵攻を開始した2月24日以降、朝・昼・夜のニュースでこの戦争のことが必ず報道される状況が続いている。早く戦争が終結して、この連日の報道が過去のこととなる平和な日々が戻って欲しいと強く願う。

 もし僕たちが何もせずにいるなら新天新地の平和の日は、永久に来ないだろう。図11が示すように、イエスに励まされながら神に仕える献身者として礼拝をささげ、神に心を明け渡して聖化の道を歩むことで、平和への道が造られて行く。

 イエスは山上の説教で語った。

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイの福音書5:9)

 このマタイ5:9と図11を合わせて考えるなら、人は新天新地の平和への道づくりをして初めて真の「神の子ども」と呼ばれる、ということだろう。ヨハネの黙示録の21章と22章にあるような素晴らしい新天新地は神にしか造れない。しかし、そこへ至る道を造るのは僕たちだ。僕たちはイエスの励ましを受けながら、平和への道づくりに励まなければならない。つまり新天新地の平和への道は僕たちが神の御子イエスと共に働くことで造られて行くのだ。図11は、このことを分かりやすく教えてくれていると思う。

 こうして、平和の道づくりに励むなら、神はこう言って僕たちをねぎらってくれるだろう。

「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」(マタイの福音書25:21、23)

参考図書(順不同)
朝永振一郎『物理学とは何だろうか・上』(岩波新書 1979)
P.W.アトキンス『エントロピーと秩序 熱力学第二法則への招待』(米沢富美子・森弘之 訳 日経サイエンス社1992)
松平升・大槻義彦・和田正信『理工教養 物理学Ⅰ』(培風館 1975)
スコット・マクナイト『福音の再発見 なぜ”救われた”人たちが教会を去ってしまうのか』(中村佐知 訳 キリスト新聞社 2013)
コメント

Thermodynamics of Soul and Spirit

2022-06-01 08:00:00 | 霊と魂の熱力学
Thermodynamics of Soul and Spirit (Science Fiction)
~ Biblical Narrative along Reversed Carnot Cycle ~


(Scripture taken from NIV)


Introduction ~ Visualization of Soul and Spirit ~
 Neither the soul nor the spirit is visible. Hence, some people doubt their existence. Therefore, this science fiction (SF) attempts to visualize the soul and spirit.

 Air is also invisible. For example, it is impossible to tell whether air is present in the cylinder of Figure 1 (left) just by watching it. However, if the pressure increases when the piston is pushed in, we understand that there is gas in the cylinder. The relationship between pressure and volume of a gas is expressed in Figure 1 (right).


Figure 1

 This graph shows that the gas does indeed exist in the cylinder. If it is not filled with a particular gas, such as nitrogen or helium, then what is inside is air. Thus, although air is invisible, the graph of the experimental results visualizes the presence of air.

 Now, this graph shows that the "volume V" of a gas is inversely proportional to its "pressure P". This relationship is called "Boyle's Law" since Robert Boyle discovered it in the 17th century, and we learn it at junior high school in Japan.

 This inversely proportional relationship can also be written as

Pressure P × Volume V = Constant

 In this SF, this Boyle's law is applied to soul and spirit by comparing them to gases. We will also view the curve of the P-V diagram from a biblical perspective, introducing the ideas of "Charles' Law (the volume of a gas is proportional to its temperature)" and the Carnot cycle. I believe that the P-V diagram of the Carnot cycle beautifully simplifies the complex biblical history of salvation and conveys it in an easy-to-understand form. The 66 books of the Bible (39 books of the Old Testament and 27 books of the New Testament) are intricately intertwined. Therefore, for Japanese who are not familiar with the Bible, it is a difficult book to understand. However, if we replace it with the Carnot cycle, it becomes very clear.

 Another reason why the Bible is difficult to understand is that it is a spiritual book. Since neither the soul nor the spirit is visible, the Bible's descriptions of the soul and spirit are extremely difficult for the uninitiated to understand. When I first started attending church, I too understood almost nothing. The P-V curve diagram in this SF visualizes the soul and spirit, so I think it makes the Bible easier to understand in this respect. I hope that many people will learn the major flow of the entire biblical story of the Old and New Testaments through the P-V curve of this science fiction book.

*Note that in the Bible, there is no clear distinction between the human soul and spirit. In many cases, they are used synonymously and in parallel as similar entities (New Essential Bible Dictionary). Henceforth, “soul and spirit” will be referred to collectively as "soul/spirit”.

Difference between the Old Testament and the New Testament
 Let us now replace the P-V diagram of gases with that of soul and spirit. As shown in the left diagram in Figure 2, we will assume that there is a cylinder in the heart of a person, and that the soul/spirit is contained within the cylinder.


Figure 2

 Here, we assume that the soul/spirit of a person also has a curve like the P-V curve of a gas, as shown in the graph on the right. However, the vertical and horizontal axes are different from those for gases.

P (vertical axis): the atmospheric pressure of a person's soul/spirit
V (horizontal axis): the cube of the distance from the Father's house

The "distance" on the horizontal axis of the graph is the distance from the Father's house. The small 3 on the shoulder is an exponent indicating cubed. The cube of the distance is the volume.

 The "Father's house" refers to the house of the Father of the elder and younger sons in the "Homecoming of the Prodigal Son" of Luke 15 in the New Testament, where the father is God. The younger brother returns home to his father's house after running away from home and being prodigal. The "Distance from the Father's House" is the spiritual distance from God, so even in the temple, if one's heart is far from God, the distance will be greater. This is the case with the elder brother who lived in the father's house in Luke 15.

 Now let us compare the difference in the state of the soul/spirit in the Old and New Testament eras from the following two scriptures.

“My soul is downcast within me.” (Psalm 42:6)

“Keep your spiritual fervor, serving the Lord.” (Romans 12:11)

 The soul of the Old Testament psalmist of Psalm 42 is downcast within him. In other words, he is very sluggish spiritually. Most of the people in the Old Testament era wanted to kindle their soul/spirit, but they could not easily do so. On the other hand, Romans, written by the apostle Paul, shows that people in the New Testament era can become fervor spiritually.

 As these two scriptures indicate, in general, the temperature of the soul/spirit in the Old Testament era is low, while the temperature in the New Testament era is high. Figure 3 below shows the difference between the two. Here, T1 is the temperature in the Old Testament era and T2 is the temperature in the New Testament era. This figure also incorporates Charles' Law, which states that the volume of a gas is proportional to its temperature.


Figure 3

 The reason why the pressure and temperature are on the higher side in the New Testament than in the Old Testament is because the Holy Spirit is poured out on people in the New Testament era. In the Old Testament era, the Holy Spirit was poured out only to a limited number of people, such as prophets. Therefore, people's soul/spirit did not burn easily. In the New Testament era, however, the Holy Spirit was poured out on anyone who believed that "Jesus is the Christ, the Son of God”. Thus, those who had the Holy Spirit inside them had their soul/spirit easily flamed.

The Encouragement of Jesus, the Son of God
 According to the Bible, man has a disposition to be easily separated from God. The Old Testament describes the history of the Israelites as they drifted further and further away from God. Sometimes they would turn back to God, but it would not last long, and soon they would go away from God again, and the people of the Old Testament repeated their unbelief. The Old Testament book of Isaiah 53 is a striking illustration of this spiritually sluggish situation in which people quickly drift away from God.

We all, like sheep, have gone astray, each of us has turned to our own way; (Isaiah 53:6)

 Thus, the people of the Old Testament era turned away from God and went their own way. And so, as the P-V curve of the "Old Testament" in Figure 4 shows, people moved further and further away from the Father's house, which is God. The further they moved away, the lower the atmospheric pressure of their soul/spirit, and the more they lost their spiritual tension. This is the time course followed by the people of the Old Testament.

 On the other hand, in the New Testament era, the distance from the Father's house shortened with the passage of time. This is because the goal of the New Testament is the "New Heaven and New Earth" described in Revelation 21 and 22. The "new heaven and new earth" is the home to return to, the Father's house. The first four verses of Revelation 21 say,

1 Then I saw “a new heaven and a new earth,” for the first heaven and the first earth had passed away, and there was no longer any sea.
2 I saw the Holy City, the new Jerusalem, coming down out of heaven from God, prepared as a bride beautifully dressed for her husband.
3 And I heard a loud voice from the throne saying, “Look! God’s dwelling place is now among the people, and he will dwell with them. They will be his people, and God himself will be with them and be their God.
4 ‘He will wipe every tear from their eyes. There will be no more death’ or mourning or crying or pain, for the old order of things has passed away.” (Revelation 21:1-4)

 Although the Holy Spirit is received, how is it possible for the pressure of the soul/spirit in the New Testament era goes toward higher side?

 It is because the Holy Spirit who enters into a person is also God. The God of the Bible is the Triune God of the Father, the Son Jesus, and the Holy Spirit. Because the Holy Spirit, who is God, enters within, we can approach the Father's house. This is illustrated by the P-V curve for the New Testament era in Figure 4.


Figure 4

 Furthermore, in the New Testament era, the "encouragement of Jesus" is also significant. Jesus prayed to the Heavenly Father to unite everyone at the "Last Supper" prayer.

“(I pray) that all of them may be one, Father, just as you are in me and I am in you.”(John 17:21)

 Thus, Jesus prayed to His Father that everyone would go in the direction of His Father's house and be united, rather than that people would stay scattered away from His Father's house. And to Peter, the foremost disciple who was to be the standard bearer of this, He encouraged him by saying the following.

I have prayed for you, Simon, that your faith may not fail. And when you have turned back, strengthen your brothers.” (Luke 22:32)

 This encouragement is also received by us in the 21st century. Through Jesus' prayer and encouragement, we are moving toward being united in the Father's house. We are living in a miserable world today, where wars continue without end, but we must not forget that Jesus is praying for us and encouraging us.

The Carnot Cycle Connecting the Old and New Testaments
 Now, however, how can the low-temperature, low-pressure Old Testament era be connected to the high-temperature, high-pressure New Testament era?

 The Carnot cycle is the solution to this. If we intersperse the process of "insulation" with reference to the Carnot cycle, the Old and New Testaments will be connected. This "insulation," if applied to the Bible, would be a state of disconnection from God's love. If so, the "Fall" of Adam and Eve and the "Crucifixion" of Jesus would correspond to the process of "insulation.

 Before explaining this insulation of God's love, let us take a brief look at what is the Carnot cycle?

 According to Tomonaga, it was Clapeyron's work that visualized the Carnot cycle in the P-V diagram familiar from physics textbooks. It was Clapeyron who put Carnot's reflections, which were only words, into an easy-to-understand form. Figure 5 shows a P-V diagram of the Carnot cycle.


Figure 5

 The Carnot cycle consists of the following four processes.

a --> b: isothermal expansion
b --> c: adiabatic expansion
c --> d: isothermal compression
d --> a: Adiabatic compression

 In the "isothermal" process, the temperature of the gas is maintained at the same temperature as the heat source it is in contact with. On the other hand, in the "adiabatic" process, the gas inside does not exchange heat with the outside of the cylinder. In this case, in "adiabatic expansion," the temperature of the gas inside drops and the pressure drops rapidly. In the "adiabatic compression" process, the temperature of the gas rises and the pressure increases rapidly.

 Let us return to the soul/spirit. I wrote above that if the insulation process of the soul/spirit is a state of disconnection from the transmission of the heat of God's love, then the "fall" of Adam and Eve and the "cross" of Jesus would correspond to this "insulation" process. When Adam and Eve hid themselves from God by eating the fruit of the forbidden tree because they were seduced by the serpent (Genesis 3), the relationship between God and man was temporarily severed. Also, Jesus on the cross cried out, "My God, my God, why have you forsaken me?"(Matthew 27:46; Mark 15:34) and died. Again, the relationship between man and God on earth was severed.


Figure 6

 Summarizing the above, Figure 6 shows the four processes of the "Fall," the "Old Testament Era," the "Cross," and the "New Testament Era" in the Carnot Cycle. This Figure 6 differs from Figure 5 in two significant ways.

 First, while Fig. 5 goes clockwise, Fig. 6 goes counterclockwise, "in the opposite direction”.
 Second, while Fig. 5 is a cycle that keeps going around and around, Fig. 6 is "once for all" (so it may not be called a cycle, strictly speaking).

 This "once for all" nature is emphasized by the New Testament letter to the Hebrews.

“And by that will, we have been made holy through the sacrifice of the body of Jesus Christ once for all.” (Hebrews 10:10)

 In this Figure 6, we have also added the information "Creation," "Expulsion from Paradise," "Trial of Jesus," "Resurrection," and “New Earth." Individual explanations of these will be given later. The biblical processes corresponding to Carnot's four processes are 1 through 4 below.

(1) Fall (adiabatic expansion)
(2) Old Testament (isothermal expansion)
(3) Crucifixion (adiabatic compression)
(4) New Testament (isothermal compression)



Figure 7

 These four processes are illustrated in a cylinder diagram in Figure 7 above. Let me explain each one of them below.

(1) Fall (adiabatic expansion) - Fig. 8


Figure 8

 The Bible begins with the following words.

In the beginning God created the heavens and the earth. (Genesis 1:1)

 This is where God's work of "creation" began. God created the heavens and the earth, the sun, the moon, the stars, plants, animals, and finally man. In verse 31, the last verse of Genesis 1, we read: "And God saw everything that he had made.

God saw all that he had made, and it was very good. (Genesis 1:31)

 In the beginning everything was very good. Man's spirit/soul was hot and high pressure, and his spiritual condition was very good. However, Adam and Eve, falling for the snake's (devil's) clever talk, ate the fruit of the tree that God had commanded them not to eat, and they hid themselves from God (Genesis 3). This severed God's love and prevented it from reaching them, leaving them insulated and separated from God. This is the "insulation by Satan" because it was the Satan's plan. This adiabatic expansion caused the temperature of the spirit/soul to drop and cool down, and the atmospheric pressure dropped drastically. This is the "Fall" process of (1).

 Thus, Adam and Eve, who did not obey God's command, were put out of the Garden of Eden.

(2) Old Testament (isothermal expansion) - Fig. 9


Figure 9

 In this reversed Carnot process, the section of the "Old Testament" is from "Expulsion from Eden” to “Trial of Jesus”. The state of people's soul/spirit during the Old Testament era after the expulsion from the Garden of Eden was consistently low. Both temperature and pressure were low. The soul/spirit and of prophets such as Moses and Isaiah had high temperatures and high pressures because the Holy Spirit was poured into their souls, but the soul/spirit of ordinary people was low. Most of the Old Testament people received the Word of God indirectly from the prophets. Because it was indirect, the amount of heat they received was inevitably low. The Old Testament people saw God's miracles through the prophets, believed in God, and were given the Ten Commandments and the Law, which taught them how to walk with God. Through these, they received a certain amount of heat through the prophets. However, it cannot be denied that they were a "low heat source" compared to the "high heat source" of the New Testament era, when each person could receive the Father's words directly through the Holy Spirit. Therefore, the spirits and souls of the people of the Old Testament era did not burn hot.

 In addition, unlike the New Testament era, where the heart is sanctified by the Holy Spirit, the rituals of the Law of the Old Testament era inevitably left the sin of turning away from God firmly in the heart. This sin caused the soul/spirit of the Old Testament peoples to be more and more separated from the Father's house.

 The book of Isaiah begins with the words of the prophet Isaiah lamenting the unbelief of the Israelites.

2 Hear me, you heavens! Listen, earth! For the Lord has spoken: “I reared children and brought them up,but they have rebelled against me.
3 The ox knows its master, the donkey its owner’s manger, but Israel does not know, my people do not understand.”
4 Woe to the sinful nation,a people whose guilt is great, a brood of evildoers, children given to corruption! They have forsaken the Lord; they have spurned the Holy One of Israel and turned their backs on him. (Isaiah 1:2-4)

 And so, the time when they were most separated from God was the time of the "Trial of Jesus" when the chief priests and people cried out for God's Son Jesus to be "Crucify him" written in Matthew 27.

1 Early in the morning, all the chief priests and the elders of the people made their plans how to have Jesus executed.
2 So they bound him, led him away and handed him over to Pilate the governor.
22 “What shall I do, then, with Jesus who is called the Messiah?” Pilate asked. They all answered, “Crucify him!”
23 “Why? What crime has he committed?” asked Pilate. But they shouted all the louder, “Crucify him!” (Matthew 27:1-2, 22-23)
 
(3) Crucifixion (adiabatic compression), Figure 10


Figure 10

 The chief priests who captured Jesus, the Son of God, and handed Him over to Pilate, the governor of the Jews, incited the Jewish people to cry out that Jesus should be crucified. The only way to change direction from this extreme of unbelief and make a person's soul/spirit hotter is to insulate and compress it. The crucifixion was the "one time" means God used for this purpose. The crucifixion of Jesus is a death sentence, and it cannot be done twice or thrice. Hence, it was done at the best possible time in the fullness of time (see below). On that cross, Jesus cried out as He died.

“My God, my God, why have you forsaken me?” (Matthew 27:46; Mark 15:34)

 At this time, the relationship between God and man was again severed and in a state of insulation since the time of the Fall in (1). And this adiabatic compression allowed the temperature of the spirit/soul to rise from low to high. This is "Insulation by God" because this is what God did to bring home those who had left the Father's house. God sent His only begotten Son to the cross, John writes:

For God so loved the world that he gave his one and only Son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life. (John 3:16)

 And when Jesus died on the cross, the curtain of the temple that separated God and man was torn in two (Matthew 27:51; Mark 15:38; Luke 23:45). This gave man access to the Father, the source of high heat, and enabled him to hear the Father's words directly through the Holy Spirit.

(4) New Testament (isothermal compression), Figure 11


Figure 11

 Jesus, who died on the cross, was resurrected on the third day and came back to life. For God, who created the heavens and the earth, as well as plant, animal, and human life, it is an easy task to bring a dead person back to life. The Holy Spirit is poured out on those who believe that this Jesus who died on the cross is the Christ, the Son of God. The outpouring of the Holy Spirit on Jesus' disciples such as Peter and John was on the day of Pentecost, and the New Testament era began in earnest at this time.

 This New Testament era began at the best possible time in the fullness of time. The Roman Empire controlled the whole Mediterranean coastline, and the transportation network was well developed and secure, making it possible for the teachings of Jesus from Jerusalem to be spread by the apostles. Jesus once said to His disciples,

“You will receive power when the Holy Spirit comes on you; and you will be my witnesses in Jerusalem, and in all Judea and Samaria, and to the ends of the earth.” (Acts 1:8)

 Thus, the teachings of Jesus, which were transmitted from Jerusalem to the entire Mediterranean coastline, further spread throughout the world, and in the 16th century, were transmitted to Japan during the Warring States Period. Then, after the Edo period (1603-1867), a period of religious prohibition, many missionaries came to Japan after the Meiji Restoration and World War II to spread Jesus' teachings.

 Up to this point, the four processes of (1) Fall, (2) Old Testament, (3) Crucifxion, and (4) New Testament are the history of salvation as described in the Bible, which is a long period of time since the birth of mankind. However, these (1) through (4) are also personal histories at the same time. Because there was a time when we all turned our backs on God. Every person will commit sins, such as not loving one's neighbor. And so we spend our days in the same state of turning our backs on God as the people of the Old Testament. However, at some point, they will encounter Jesus Christ, believe in the crucifixion and resurrection, receive the Holy Spirit, and be able to walk in the age of the New Testament in (4). If the goal of the New Testament era is the New Heaven and New Earth of the Father's house, then all of humanity living today are the prodigal sons of Luke 15, and the Father is waiting for us to return home.

 The people of the New Testament, who have high-temperature, high-pressure soul/spirit, will worship fervently, surrender their hearts to God, walk the path of sanctification, and become devotees in service to God. These acts, as shown in Figure 11, are an offering of the fervor of the spirit/soul within oneself to the Heavenly Father. The reason why the temperature of the spirit/spirit does not drop even after offering one's own heat in this way is because the piston of the cylinder of the heart is pushed in by the encouragement of Jesus. In this way, the servants of the New Testament people will draw closer to the New Heaven and New Earth of the Father's house every moment while maintaining a high temperature and increasing the pressure.

Creation of the New Heaven and New Earth
 In the New Heaven and New Earth, the Father's house, everything is in order and order is maintained. In other words, entropy is very low. At the time of the trial of Jesus, everything was in chaos and disorder. In other words, entropy was very high. From that worst state, the farthest away from the Father's house, God turned the direction of man's spirit/soul by the cross of Jesus so that he could return to the Father's house.

 This creation of a new heaven and a new earth had been prophesied since the time of the Old Testament. In Isaiah 65, God said through the prophet Isaiah.

17 “See, I will create new heavens and a new earth. The former things will not be remembered, nor will they come to mind.
18 But be glad and rejoice forever in what I will create, for I will create Jerusalem to be a delight and its people a joy.
19 I will rejoice over Jerusalem and take delight in my people; the sound of weeping and of crying will be heard in it no more.” (Isaiah 65:17-19)

 This scene of the new heaven and new earth is described more concretely in Revelation 22.

1 Then the angel showed me the river of the water of life, as clear as crystal, flowing from the throne of God and of the Lamb
2 down the middle of the great street of the city. On each side of the river stood the tree of life, bearing twelve crops of fruit, yielding its fruit every month. And the leaves of the tree are for the healing of the nations.
3 No longer will there be any curse. The throne of God and of the Lamb will be in the city, and his servants will serve him.
4 They will see his face, and his name will be on their foreheads.
5 There will be no more night. They will not need the light of a lamp or the light of the sun, for the Lord God will give them light. And they will reign for ever and ever. (Revelation 22:1-5)

 Thus, the New Heaven and New Earth is a very peaceful place. Those who have received the Holy Spirit have already been spiritually brought into the peace of the New Heaven and New Earth through the Holy Spirit. However, the number of those who do so is not large. Since the Holy Spirit was poured out on the disciples on the day of Pentecost, the process of the Carnot Cycle has entered into the New Testament era of (4), but in fact there are still many people who are walking in the Old Testament era of (2). This is probably the reason why wars continue to ravage this world.

 If many people receive the Holy Spirit to walk in the New Testament era of (4) and are spiritually brought into the peace of the New Heaven and New Earth, there will be far fewer wars in this world.

Conclusion
 In May of 2022, when I was writing this science fiction manuscript, the war between Russia and Ukraine was being reported daily. Since February 24, when Russia launched its invasion of Ukraine, this war has been reported without fail on the morning, noon, and evening news. I strongly hope that the war will soon be over and the days of peace will return so that these daily reports will be a thing of the past.

 If we do nothing, the day of peace in the new heaven and new earth will never come. As Figure 11 shows, the path to peace will be built as we offer worship as devotees of God, encouraged by Jesus, and walk the path of sanctification by surrendering our hearts to God.

 Jesus spoke in the Sermon on the Mount.

Blessed are the peacemakers, for they will be called children of God. (Matthew 5:9)

 If we combine this Matthew 5:9 with Figure 11, it would mean that one can be called a true "child of God" only after making the way to peace in the new heaven and new earth. Only God can create the wonderful new heaven and new earth as described in chapters 21 and 22 of Revelation. But we are the ones who build the road to it. We must strive to create the road to peace with the encouragement of Jesus. In other words, the road to peace in the new heaven and new earth will be made by our working together with Jesus, the Son of God. Figure 11 encourages us to do so.

 If we work hard to create the path of peace in this way, God will reward us with the following words:

“Well done, good and faithful servant! You have been faithful with a few things; I will put you in charge of many things. Come and share your master’s happiness!” (Matthew 25:21, 23)

References:
 Shin-ichiro Tomonaga, What is Physics? I, Iwanami Shinsho (1979).
 Peter William Atkins, The Second Law, Scientific American Library (1984).
 Scot McKnight, The King Jesus Gospel: The Original Good News Revisited, Zondervan (2011).

(Translated from Japanese version with DeepL)
コメント

聖書とエントロピー

2022-04-14 07:31:17 | 霊と魂の熱力学
聖書とエントロピー
~時間の矢からの解放が世界を平和に導く~


はじめに
 平和を実現するために、聖書を本気で信じる人がもっと必要だ。聖書は「世界のベストセラー」とも呼ばれて世界で一番読まれている本だと言われている。しかし、読まれている割には聖書の記述を本気で信じている人は少ないようだ。20世紀から21世紀に掛けて科学技術の発達が加速したことで、聖書を本気で信じる人はますます少なくなっていると思う。これでは平和は遠のく一方だ。20世紀の二度の世界大戦も21世紀のロシアとウクライナの戦争も、聖書を本気で信じる人がもっと多くいたら防げたのではないか。聖書は多くの人に読まれている本であるからこそ、世界を平和に導く大きな力を秘めている。ぜひ多くの人に聖書に書かれていることを本気で信じていただきたい。

 聖書を本気で信じることを妨げる要因の第一は、「奇跡」の記述があることだろう。本稿では先ず、奇跡を「エントロピー」の観点から眺めることにする。物理学の大きな成果であるエントロピーの概念を聖書の奇跡の解釈に取り入れることで、21世紀の読者が聖書を本気で信じるきっかけとなれば幸いである。理工系以外の人には取っ付きにくいであろうエントロピーについて書くと、聖書を余計に難しくしてしまうかもしれない。しかし、聖書が『花咲か爺さん』のような「良い話」として読まれて、書かれた奇跡を本気で信じる必要はないと思われるよりは、遥かに良いであろう。

1.奇跡とエントロピー
 エントロピーとは秩序・無秩序の乱雑さの度合いを示す物理学の指標だ。秩序があって整然としていればエントロピーは低く、無秩序で乱雑ならエントロピーは高い。複数個の赤い球と白い球を机の上に置いた時に赤と白が混じり合うことなく偏っていればエントロピーは低く、よく混じり合っていればエントロピーは高い。

 或いはまた、将棋の駒を箱から出して将棋盤の上にバラバラの状態で置いた時、エントロピーは高い。その駒を盤上に王将から歩兵まで順番に並べて行けば、エントロピーは低くなる。本が書棚にきちんと収まっていればエントロピーは低いが、地震で本が棚から落ちて床に散乱すればエントロピーは高くなる。果物をミキサーでジュースにすればエントロピーは低い状態から高い状態になる。

 さて、ミキサーで作ったイチゴのジュースをしばらく放っておいたら、いつの間にか元のイチゴの形に戻ったとしよう。つまり、いつの間にかエントロピーが高い状態から低い状態に戻ったとしよう。そんなことは、普通は起こらない。果物のジュースが果物の形に戻れば奇跡だ。そんな奇跡は、普通は起きないと多くの人は考えるだろう。つまり、【奇跡とはエントロピーが高い状態から低い状態になること】と言えそうだ。

 しかし実は、エントロピーが高い状態から低い状態に移ることは日常的に起きている。例えば、赤ちゃんはミルクを飲んで大きくなる。ミルクというエントロピーの高い液体が、骨、筋肉、臓器などのエントロピーの低い組織の一部となって赤ちゃんを成長させて行くのだ。ミルクは赤ちゃんの胃から吸収されることで、エントロピーが高い状態から低い状態へ移行する。植物も同様だ。光合成によってエントロピーの高い二酸化炭素と水が、エントロピーの低い糖類になる。

 これらの生命活動は神秘的であり奇跡的だ。日常的に起きていることだから奇跡とは呼ばないかもしれないが、やはり生命活動は奇跡だ。この生命を、聖書は創世記1章で神が創造したと記している。植物も動物も人間もすべて神が造ったと聖書は記している。聖書には死んだ人が生き返る話も載っているが、これもエントロピーが高い状態から低い状態に移ったと言えるだろう。死ねば腐敗が進んでエントロピーは高まる一方だが、生き返って生命活動が再開すればエントロピーは再び低くなる。

 奇跡を信じることは非科学的であると、21世紀を生きる人の多くは思うかもしれない。しかし、上記のように生命活動においてはエントロピーが高い状態から低い状態へ移行する奇跡が日常的に起きている。この生命の奇跡を考えるなら、聖書が記す奇跡を私たちが本気で信じることは、決して非常識なことではないと思う。生命の仕組みは極めて精巧だ。精巧な時計が偶然に組み上がると考える人は皆無であろう。精巧な生命なら偶然に組み上がっても不思議ではないのだろうか?

 神が生命を造ったと書くと、人間のような姿をした神が試験管やフラスコを振っている様子を思い浮かべる人もいるかもしれない。そして、クリスチャンとは試験管を振る神を信じる非科学的な人種だと思うかもしれない。しかし、それは誤解だ。神が生命を造ったと信じることは、科学者たちが提唱するメカニズムに神が見えない形で関与していると信じることだ。それ以外に特別なことは考えておらず、科学者の説を尊重している。生物の進化も私は科学者の説を尊重しており、遺伝子の変異に神の関与があったと考えている。

 生命の仕組みは本当に不思議だ。私が住む教会の2階の物干し台ではキジバトが巣を作って子育てをするので、目の前でじっくりと観察することができる。ヒナの大きさは孵化直後は3~4cm程度なのだが、わずか2週間ほどで親鳥に近いサイズの20cm以上にまで大きくなる。その成長スピードの速さにも驚くが、成鳥のサイズになった途端に急ブレーキが掛かるかのように成長が止まることにも驚く。細胞分裂を促す遺伝子のスイッチがオンからオフになるのだろうか?

 最近読んだ『日本人の「遺伝子」からみた病気になりにくい体質のつくりかた』(奥田昌子、講談社ブルーバックス 2022)によれば、人間の母親が妊娠中に栄養不良であると、子は肥満や生活習慣病になりやすい体質を持って生まれて来るのだそうだ。第二次世界大戦中の1944~1945年に飢きんに苦しんだオランダの母親の胎内にいた赤ちゃんは成長後に心筋梗塞などの心臓病、動脈硬化、糖尿病による腎臓の機能障害、肥満などの発生率が高くなったそうだ。21世紀になってゲノム解析が可能になり、この人たちのゲノムを調べたところ、成長と発達に関係する遺伝子のうち、本来はオフでなければならないスイッチが中途半端にオンになっていたことが分かったとのことだ(p.190-194)。少ない栄養でも成長できるように遺伝子のスイッチがオンになって生まれたものの、戦後は食料事情が好転したので肥満等になったようだ。このような遺伝子のスイッチのオンオフの仕組みは本当に巧妙だ。このような仕組みが偶然にできるだろうか?神の関与を考えたほうがむしろ自然なのではないかと個人的には思う。

 生命は神が造ったと信じるか否かで、聖書が説く倫理的な教えとの向き合い方も違って来る。聖書の記述を本気で信じるなら、「互いに愛し合いなさい」(ヨハネの福音書13章34節、他)というイエスの教えにも本気で耳を傾けるようになる。すると、世界はもっと平和になる筈だ。但し、時間の矢が常に人を不安へと誘う。不安が増すなら人は心の平安を失い、争いが起きやすくなる。そして最悪の場合には戦争にまで発展する。ウクライナへの侵攻に踏み切ったロシアのプーチン大統領の心の中は様々な不安が交錯していることだろう。心の平安を得るには、時間の矢がもたらす不安から解放される必要がある。次に、時間の矢とエントロピーとの関係を考えることにしよう。

2.時間の矢とエントロピー
 時間の矢とは、【過去→現在→未来】というように、時間が過去から未来の方向へ一方通行で流れているかのように感じることだ。この時間の矢を感じることは、エントロピーの変化と密接に関連している。例えば、空の雲が動物の形に似ていたとしよう。それが段々と形が崩れて動物らしくない乱雑な形になったら、時間の経過を意識するだろう。しかし最初から乱雑な形であった雲が、別の乱雑な形に変化したとしても、特には時間の経過を意識しないだろう。冷たいジュースの中にある氷が溶けてしまったら時間の経過を意識するが、氷が無いジュースを眺めていても時間の経過を意識することはあまりないだろう。氷のエントロピーは低く、氷が溶けた後の水のエントロピーは高い。時間の矢はエントロピーが低い状態から高い状態に移る時に意識するものだ。つまり時間の矢はエントロピーが低い側から高い側へと向いている。

 エントロピーが増大する方向が時間の矢の方向であることは、物理学者のブライアン・グリーンも『宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体・上』(青木薫・訳、草思社 2009)の中で述べている。グリーンは原初の宇宙ではエントロピーが極めて低い状態にあったとして、次のように述べている。

宇宙の起源に関するもっとも精巧な理論――もっとも精巧な宇宙の理論――によれば、誕生からおよそ2分後の宇宙は、水素が約75%と、ヘリウムが23%、そして少量の重水素とリチウムからなるほぼ均一な高温のガスで満たされていた。ここで重要なのは、宇宙を満たしていたこのガスのエントロピーは、非常に低かったことだ。ビッグバンはこの宇宙を、エントロピーの低い状態でスタートさせた(p.283)。

 このグリーンの本を私が最初に読んだのは2010年で、当時はなぜ原初の宇宙のガスのエントロピーが非常に低かったのか、不思議だった。それは、つい自分の身の回りにある空気のようなエントロピーが高い希薄なガスを思い浮かべてしまっていたからだ。しかし、ビッグバンの時の原初のガスは超高温高密度であったということだ。超高温であればエネルギーの価値が高く、また超高密度であれば内部で自由に動き回ることができないのでエントロピーは非常に低かったということなのだろう。

 そうして宇宙はエントロピーが低い状態から高い状態へ向かっているので、私たちが生きているこの世もまたエントロピーが低い状態から高い状態へ向かっていて、それが時間の矢の方向になっているということだ。

 すると、エントロピーが高いミルクからエントロピーが低い赤ちゃんの細胞組織を造ることができる神は、人間を時間の矢から解放する力を持っていると言えるのではないか。時間の矢は人の心を不安定にするので、人が時間の矢の縛りから解放されれば、この世はもっと平和になる筈だ。

 人生には良い時もあれば悪い時もあり、その中で人は絶えず不安を抱えている。良い時にはまたいつか悪くなるのではないかと心配し、悪い時にはこのまま悪いままでいるのではないかと心配する。物価の変動に一喜一憂し、給与の増減にも一喜一憂する。或いはまた学業や仕事の成績の上下にも人の心は浮き沈みを繰り返す。職場で他者と業績の競争を強いられれば、それも大きなストレスとなる。ストレスが心のイライラとなって人との衝突の原因となることもしばしばだ。

 人は生まれた瞬間から死へ向かって時間の矢に縛られながら生きて行く。死への不安は人生を暗くする。そこで死から目を背けて、無理に明るく過ごす生き方もある。しかし、それもどこか不自然で不健全であり、頽廃を招く。時間の矢に縛られた人間の悩みは深く、時間の矢が様々な罪を生み出して行く。

3.人間の罪とエントロピー
 聖書の冒頭は次の書き出しで始まる。

はじめに神が天と地を創造された。地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。(創世記1:1-3)

この最初の光は、ビッグバンの光であると考える人も多い。それはともかくとして、最初はすべてが「非常に良かった」と創世記は記している。

神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。(創世記1:31)

 最初は「非常に良かった」ということは、最初はエントロピーが非常に低かったということだ。これは、上述した物理学者のブライアン・グリーンが書いたビッグバン直後のエントロピーが低い原初の宇宙と、よく一致する。

 また聖書は、そもそも神自身が「完全」であると記している。新約聖書のマタイの福音書では、イエスのことばとして次のように書かれている。

「ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。」(マタイ5:48)

「天の父」とは神のことだ。神は「完全」であるから、エントロピーが最小の存在だということになる。そうしてイエスは弟子たちに対しても「完全でありなさい」と教えた。もちろん人間は神のような完全な存在にはなれない。しかし、少しでも近づけるようにすべきだとイエスは弟子たちに教えた。

 なぜイエスは弟子たちに完全になるように教えたのか。それは旧約の時代に人間の悪が増大し続けて来たからだ。人間は創世記1章の最初の頃は「非常に良かった」。しかし、神が食べてはならないと命じていた木の実を食べてしまったために悪くなり始めた。アダムの妻のエバが蛇にそそのかされて木の実を食べ、夫のアダムもまた食べてしまったのだ(創世記3章)。こうして人間は悪くなる方向へと進んでいった。つまりエントロピーが増大する方向に進んで行ったのだ。その旧約の時代に増大した罪を赦して正すために、神の御子イエスは天から遣わされた。新約聖書にはそのイエスと弟子たちの働きが記されている。

4.エントロピー減少への転換点の十字架
 聖書は、神に背き、神から離れることが罪であることを教える。その神から離れる罪が、人を常に不安にさせる。人には未来のことが分からないが、永遠の中にいる神には未来のことが分かる。神から離れずにいて神に導かれていれば、不安は大幅に軽減される。【過去→現在→未来】の一方通行の時間の矢の中に縛られている人間は、永遠の中にいる神が共にいなければ、決して平安は得られないのだ。

 以上の事柄を踏まえて、イエス・キリストの十字架のこともまた、エントロピーの観点から考えてみよう。十字架に付く日を目前にしてイエスは人々に、こう言った。

「わたしが地上から上げられるとき、わたしはすべての人を自分のもとに引き寄せます。」(ヨハネ12:32)

「地上から上げられるとき」とは、「十字架に付けられるとき」ということだ。この時に「すべての人を自分のもとに引き寄せます」ということは、エントロピーが減少する方向への転換を示すと言えるだろう。神に背いて神から離れる一方であった人々が、神の方を向くようになるからだ。それゆえ十字架とは、増大する一方であったエントロピーが減少へ向かうようにする転換点であったと言うことができるだろう。

 十字架の直前の最後の晩餐の祈りでイエスは皆が一つになるように祈った。

「父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。」(ヨハネ17:21-22)

 旧約の時代は人々がバラバラになっていた。それをイエスは新しい契約(新約)を結んで十字架に付くことで、皆が一つになる方向へと転換した。バラバラの者たちが一つになるのだから、それはエントロピーが減少する方向であるということだ。

 そうして終わりの時には新しい天と新しい地(新天新地)が創造される。新天新地はエントロピーが最小の完全な場所だ。聖書の最終盤のヨハネの黙示録21章には次のように記されている。

また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」(黙示録21:1-4)

 ここに死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。ここではすべてが整然とした秩序の中にあるから、エントロピーは最小だ。創世記1章で造られたエントロピーが最小の「非常に良かった」場所はアダムとエバが犯した罪によってエントロピーが増え始めた。しかし、イエス・キリストの十字架を転換点としてエントロピーが減少に転じて、新天新地というエントロピーが最小の完全な場所に戻るのだ。

5.時間の矢から罪人を解放する十字架
 十字架は不思議だ。十字架を見ると心が安らぐ。残酷な死刑に用いられる十字架なのに、なぜ十字架は人の心に平安を与えるのだろうか?よく言われることは、人の罪が十字架によって赦されたから心が平安になるのだ、ということだ。神に背いていた罪人の私たち一人一人を神は愛しており、その愛ゆえにイエスは十字架の苦しみを受けて私の罪を赦して下さった、その十字架の愛によって心の平安が得られる、というのだ。

 もちろん、そうだろう。しかし、上記の十字架の赦しの説明には重大な欠落がある。なぜ1世紀の十字架で21世紀の私の罪が赦されるのか、この時間の逆転に関する説明が欠落している。1世紀には私はまだ生まれておらず、罪を犯してはいなかった。罪の赦しとは普通は罪が犯された後で行われるものの筈だ。それなのに、なぜ21世紀の罪が1世紀の十字架によって赦されるのだろうか?

 それは、十字架がまさにエントロピーの増大から減少への転換点になっているからだ。十字架はバラバラに離散した罪人を一つに集めるだけでなく、罪人を時間の矢からも解放するのだ。21世紀の罪人は時間の矢から解放されるからこそ、1世紀の十字架によって赦される。そうして時間の矢から解放された罪人の私は様々な不安からも解き放たれて、心の深い平安を得ることができる。

おわりに ~時間の矢からの解放が世界を平和に導く~
 十字架がエントロピーの増大から減少への転換点であるのに、今なお多くの人が時間の矢に縛られており、心の不安を抱えてイライラし、争い事を起こすことが繰り返されている。それは、聖書が人を時間の矢から解放する書であることが十分に理解されていないからであるように思う。それゆえ、聖書は世界を平和に導く大きな力を秘めている。聖書は「世界のベストセラー」であり、世界で一番読まれている本であるから、多くの人が聖書に書かれていることを本気で信じて、時間の矢の縛りから解放されるなら、世界は平和へ向かうだろう。今は時間の矢に縛られている人がまだ極めて多い状態だ。だからこそ、多くの人が時間の矢から解放されれば、世界は平和へ向かうだろう。

 しかし、時間の矢の縛りは強烈だ。聖書を本気で信じている人々でもまだまだ時間の矢に強烈に縛られている。拙著「『ヨハネの福音書』と『夕凪の街 桜の国』~平和の実現に必要な「永遠」への覚醒~」(ヨベル新書 2017)では、ヨハネの福音書のイエスが完全に時間の矢から解放されていて、「旧約の時代」と「使徒の時代」にも同時に存在していることを説明したが、ほとんど理解されていない。聖書を本気で信じ、十字架によって平安が得られているクリスチャンなら時間の矢から解放されている筈なのだが、なお縛られているようだ。

 聖書を本気で信じているのに時間の矢に縛られたままでいるのは、【過去→現在→未来】という時間の流れをあまりにも当たり前のこととして感じているからだろうか?しかし、神は【過去→現在→未来】という時間の流れには縛られない永遠の中にいる。私たちは聖書を本気で信じ、永遠の中にいる神に心を寄せることで平安を得て、争いのない平和な世界の実現に貢献したい。ロシアがウクライナに侵攻して起こした戦争によって第三次世界大戦への発展も心配される今、聖書が秘める大きな力によって平和が実現することを願うばかりである。

コメント