2015年7月29日祈り会メッセージ
『捧げ物で造られた聖所』
【出エジプト35:20~29】
はじめに
先週は出エジプト記31章を開きました。31章の1節から5節をもう一度見ておきたいと思います。
31:1 【主】はモーセに告げて仰せられた。
31:2 「見よ。わたしは、ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し、
31:3 彼に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たした。
31:4 それは、彼が、金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、
31:5 はめ込みの宝石を彫り、木を彫刻し、あらゆる仕事をするためである。
この31章の主がベツァルエルを名ざして召した箇所を開いたのは、シオン教会の兄がこのベツァルエル役割を担って下さっていると感じたからです。山本兄はわずか2週間足らずの間に今の私たちの教会の力でもできる礼拝堂の設計案を作り、その礼拝堂の模型までも作って持ってきて下さいました。この模型を囲んで私たちは一つになれるという希望を持つことができました。
そして、この礼拝堂案をわずかな期間で作って教団の会堂委員会に提出したことで、私たちの本気度が教団にも伝わったのではないかなという気がしています。会堂建設は中途半端な気持ちでは取り組むことができない大変な事業ですから、私たちの本気度が試されていたのかなという気もします。それは昨日、他の教会の先生と話をしていて、そう感じました。その先生の教会もいずれは新会堂に取り組みたいが、よほどの覚悟がないと踏み出すことができないので、今はとてもその状況にはないということでした。それで私は沼津教会の1年前の状況を思い起こしていたのですが、私たちもよほどの覚悟がないと踏み出すことはできないと思っていましたが、会堂の屋根の腐食が深刻になっていて踏み出さざるを得ないというように背中を押されました。よほどの覚悟がなければできないことでも、背中を押されることで始まり、始まることで本気度が練られて行くのだなと今私は感じています。
捧げ物で造られた幕屋
さて、出エジプト31章の後で「金の子牛の像」の事件などがありましたが、きょうはそこは飛ばします。そして、イスラエルの民は、きょうの35章でいよいよ幕屋造りに取り組み始めました。35章21節に、
35:21 感動した者と、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての作業のため、また、聖なる装束のために、【主】への奉納物を持って来た。
そして、22節以降には、どんな奉納物を持って来たかが具体的に書いてあります。金、撚り糸、亜麻布、やぎの毛、雄羊の皮、じゅごんの皮、青銅、アカシヤ材、しまめのうや宝石、バルサム油とオリーブ油などが幕屋を造るために捧げられます。
私たちの聖所である礼拝堂もまた会堂献金という捧げ物によって造られます。
(中略)
このような支援者を主が備えていて下さったことも、本当に驚くべき恵みであると思います。
やはり神さまというお方は、私たちが神さまの御業に期待して私たちには少しばかり大き過ぎるチャレンジかなと思うぐらいのチャレンジをするほうが喜んで下さるのだなと、つくづく感じます。私たちが信仰を持って大きなチャレンジをする時、神さまはA兄やB兄のような器を私たちの教会のために用いて下さいます。本当に感謝なことです。
おわりに
年会の合同礼拝での説教を皆さんもDVDでご覧になったと思います。エリヤがやもめの女に水と一口のパンを持って来てくださいと頼んだ時に、このやもめは持っていたわずかな粉と油の全部を使ってパンを作り、エリヤに与えました。すると、その後で尽きない恵みが女に与えられました。私たちが持っているものもわずかですが、このわずかなものを捧げることで、その後に多くの恵みを与えられることを信じて会堂問題に取り組んで行きたいと思います。私たちは既に、いくつもの証を見せていただいていますから、これからも、迷うことなくまっすぐに歩んで行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。
『捧げ物で造られた聖所』
【出エジプト35:20~29】
はじめに
先週は出エジプト記31章を開きました。31章の1節から5節をもう一度見ておきたいと思います。
31:1 【主】はモーセに告げて仰せられた。
31:2 「見よ。わたしは、ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し、
31:3 彼に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たした。
31:4 それは、彼が、金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、
31:5 はめ込みの宝石を彫り、木を彫刻し、あらゆる仕事をするためである。
この31章の主がベツァルエルを名ざして召した箇所を開いたのは、シオン教会の兄がこのベツァルエル役割を担って下さっていると感じたからです。山本兄はわずか2週間足らずの間に今の私たちの教会の力でもできる礼拝堂の設計案を作り、その礼拝堂の模型までも作って持ってきて下さいました。この模型を囲んで私たちは一つになれるという希望を持つことができました。
そして、この礼拝堂案をわずかな期間で作って教団の会堂委員会に提出したことで、私たちの本気度が教団にも伝わったのではないかなという気がしています。会堂建設は中途半端な気持ちでは取り組むことができない大変な事業ですから、私たちの本気度が試されていたのかなという気もします。それは昨日、他の教会の先生と話をしていて、そう感じました。その先生の教会もいずれは新会堂に取り組みたいが、よほどの覚悟がないと踏み出すことができないので、今はとてもその状況にはないということでした。それで私は沼津教会の1年前の状況を思い起こしていたのですが、私たちもよほどの覚悟がないと踏み出すことはできないと思っていましたが、会堂の屋根の腐食が深刻になっていて踏み出さざるを得ないというように背中を押されました。よほどの覚悟がなければできないことでも、背中を押されることで始まり、始まることで本気度が練られて行くのだなと今私は感じています。
捧げ物で造られた幕屋
さて、出エジプト31章の後で「金の子牛の像」の事件などがありましたが、きょうはそこは飛ばします。そして、イスラエルの民は、きょうの35章でいよいよ幕屋造りに取り組み始めました。35章21節に、
35:21 感動した者と、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての作業のため、また、聖なる装束のために、【主】への奉納物を持って来た。
そして、22節以降には、どんな奉納物を持って来たかが具体的に書いてあります。金、撚り糸、亜麻布、やぎの毛、雄羊の皮、じゅごんの皮、青銅、アカシヤ材、しまめのうや宝石、バルサム油とオリーブ油などが幕屋を造るために捧げられます。
私たちの聖所である礼拝堂もまた会堂献金という捧げ物によって造られます。
(中略)
このような支援者を主が備えていて下さったことも、本当に驚くべき恵みであると思います。
やはり神さまというお方は、私たちが神さまの御業に期待して私たちには少しばかり大き過ぎるチャレンジかなと思うぐらいのチャレンジをするほうが喜んで下さるのだなと、つくづく感じます。私たちが信仰を持って大きなチャレンジをする時、神さまはA兄やB兄のような器を私たちの教会のために用いて下さいます。本当に感謝なことです。
おわりに
年会の合同礼拝での説教を皆さんもDVDでご覧になったと思います。エリヤがやもめの女に水と一口のパンを持って来てくださいと頼んだ時に、このやもめは持っていたわずかな粉と油の全部を使ってパンを作り、エリヤに与えました。すると、その後で尽きない恵みが女に与えられました。私たちが持っているものもわずかですが、このわずかなものを捧げることで、その後に多くの恵みを与えられることを信じて会堂問題に取り組んで行きたいと思います。私たちは既に、いくつもの証を見せていただいていますから、これからも、迷うことなくまっすぐに歩んで行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。