平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

子どものように神を受け入れる者(2019.4.28 礼拝)

2019-04-29 11:30:29 | 礼拝メッセージ
2019年4月28日礼拝メッセージ
『子どものように神を受け入れる者』
【マルコ10:13~27、Ⅱ列王記5:9~14】

はじめに
 本日は献児式を執り行ったことに合わせて、メッセージのタイトルを『子どものように神を受け入れる者』としました。
 礼拝の始めのほうの聖書交読で開いたマルコ10章15節でイエスさまはおっしゃいました。

マルコ10:15 「まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」

 ここでイエスさまは「子どものように『神の国』を受け入れる者」とおっしゃいましたが、タイトルでは「『神』を受け入れる者」としました。タイトルを「神の国を受け入れる者」としなかったのは、「神の国」に関する少しややこしい話があるからです。きょうは、そのややこしい話はしないで、単純に『子どものように「神」を受け入れる者』について話をしたいと思います。

神と財産の両方に仕えることはできない
 子どものように神を受け入れる者とは、どのような者でしょうか。そのことを考える上で、聖書交読で読んだ17節以降の、いわゆる「金持ちの青年」の話はとても参考になると思います。今回私自身も初めて気付いたのですが、マルコだけでなくてマタイもルカも、子どもについての記事と金持ちの青年の記事とが連続しています。ということは、子どものように神を受け入れる者と財産とは切り離すことができない関係にあると言えそうです。

 そこで、まず第一に思い浮かぶのは、マタイの福音書の「山上の説教」の中にある、「空の鳥を見なさい」とイエスさまがおっしゃったことです。週報のp.3にも載せましたから、お読みします。

マタイ6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。

 子どもも同じですね。子どもは自分で働いて食べ物を調達しませんが、親が食べ物を与えて養ってくれます。

 イエスさまがマタイ6:26をどういう文脈の中で話したのか、同じく週報p.3に載せた24節、31節、33節を読めばだいたいのことが分かります。お読みします。

マタイ6:24 だれも二人の主人に仕えることはできません。…一方を重んじて他方を軽んじることになります。神と富とに仕えることはできません。

マタイ6:31 ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。

マタイ6:33 まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

 要するに、食べ物のためにあくせく働いていると神様から心が離れてしまうから、それらは空の鳥や子どもように神様にすべて委ねなさいということです。

 もちろん現実的には、私たちの皆が仕事をしなくなると、たちまち私たちは食べる物に困ることになるでしょう。しかし、心のありようは子どものようでありたいと思います。

 イエスさまは金持ちの青年に対しても、そういうことを分かって欲しかったのだと思います。金持ちの青年はマルコ10章17節でイエスさまに質問しました。

「良い先生。永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。」

するとイエスさまは答えました。少し飛ばして21節、

マルコ10:21 イエスは彼を見つめ、いつくしんで言われた。「あなたに欠けていることが一つあります。帰って、あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」

 現実問題としては、現代の私たちが自分の持っている物をすべて売り払うことはなかなかできないことだと思います。しかし、自分の持ち物の多くを手離すなら、その分だけ神様の方に目を向けることができるのは事実です。

鍵を持たない生活で気付かされたこと
 例えば私自身の経験で言えば、私は神学校の寮で生活をしていた時には、ドアの鍵を一つも持たない生活をしていました。鍵を持つということは、そのドアの中にある部屋の財産を管理する責任を持つということです。そのことを私は鍵を持たない生活をすることで、初めて気付かされました。

 神学校の寮に入る前、大学に勤めていた時には、私は常時たくさんの鍵を持ち歩いていました。自宅のマンションの鍵、大学の留学生センターの教員室と留学生用のコンピュータ室の鍵、工学部の学生室がある建物の鍵と工学部の私が担当する学部生と大学院生の学生室と実験室の鍵です。実験室には私の研究室専用の電子顕微鏡がありました。そうして、これらの部屋とその中にある機器の管理には常に気を配っていなければなりませんでした。

 留学生用コンピュータ(パソコン約10台)では絶えずトラブルがありました(あまりに管理が大変なのでパソコンが古くなった時点でサービスを止めました)。電子顕微鏡も冷却系でよくトラブルがあってメンテナンスが大変でした。こういうことに絶えず神経をすり減らしていると、神様に目を向けることなど、なかなかできません。

 しかし、神学校の寮では一つの鍵も持ち歩きませんでした。寮の玄関に鍵を掛けるのは日曜日だけだからです。月曜から土曜までは絶えず誰かが寮の中にいました。授業は学年によって時間割が違いますし、若手の先生も住んでいたからです。

 日曜日は皆が寮を離れますから、その時だけは玄関に鍵を掛けましたが、鍵は一つだけで、その鍵を秘密の場所に置いておくことになっていました(今はどうかわかりません)。ですから私は3年間、本当に鍵を持たない生活をしていました。その分だけ神様に目を向ける生活をすることができたと思います。

 今は外出する時には、この教会の玄関の鍵を持って出ます。この教会の財産を管理して運営する責任は私にあります。教会の財産を管理して運営することは祈りとみことばの働きとはまた違いますから、教会の財産と運営に心を向ければ、その分だけ神様に心を向ける時間が少なくなります。イエスさまが金持ちの青年に分かって欲しかったのは、そういうことだと思います。

プライドの厚い鎧を着けていたナアマン
 さて、ここまでは物質的な財産を多く持つ金持ちの青年の話をしました。ここから先は霊的なことに関する話に移ります。きょうの聖書箇所に登場するアラム王の軍の長のナアマンは心に高いプライドを持つ人物でした。財産は処分しようと思えば処分できるかもしれません。しかし、プライドという心の問題は、そう簡単には処分できないやっかいな問題です。プライドが高すぎると神様を心に受け入れることはできません。

 では、きょうの聖書箇所の列王記第二5章をご一緒に見ましょう(旧約聖書p.657)。5章の1節をお読みします。

Ⅱ列王記5:1 アラムの王の軍の長ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。それは、【主】が以前に、彼を通してアラムに勝利を与えられたからであった。この人は勇士であったが、ツァラアトに冒されていた。

 ナアマンはツァラアトに冒されていました。ツァラアトという病気がどんな病気か、ハッキリしていませんが重い皮膚病と言われています(ハッキリしないからヘブル語のままの表記の「ツァラアト」です」。途中経過を省きますが、ナアマンは預言者エリシャにツァラアトを治してもらうことになりました。それで9節、

9 こうして、ナアマンは馬と戦車でやって来て、エリシャの家の入り口に立った。

 この9節からは、ナアマンが軍人としてのプライドが目茶苦茶に高い人だったということが伝わって来ます。エリシャは預言者ですから武力で闘う人ではありません。ですからエリシャの家に戦車でやって来る必要はまったくありません。ここからはナアマンの弱さも垣間見えます。ナアマンは軍人という肩書きなしには生きていけない人だったのでしょう。戦車に乗ってやって来たナアマンは鎧の防具も身に着けていたかもしれません。仮に体に鎧を着けていなくても、心は確実に厚い鎧で武装していました。
 そんなプライドの高いナアマンでしたから、10節にあるようにエリシャが自ら現れずに使いの者を出して「ヨルダン川へ行って七回あなたの身を洗いなさい」と言って来たことに激怒しました。11節、

11 しかしナアマンは激怒して去り、そして言った。「何ということだ。私は、彼がきっと出て来て立ち、彼の神、【主】の名を呼んで、この患部の上で手を動かし、ツァラアトに冒されたこの者を治してくれると思っていた。」

 そうしてナアマンはアラムに帰ろうとしました。

プライドの鎧を脱ぎ捨てて神に喜ばれたナアマン
 しかし、彼の部下たちが言いました。13節、

13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。難しいことを、あの預言者があなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」

 そうして14節には、こう書いてあります。

14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。

 この13節のしもべのことばと、14節の冒頭の「そこで」との間に、ナアマンの葛藤がどれぐらいあったことでしょうか。すさまじい葛藤があったと読み取るべきでしょう。エリシャの家の前に戦車で乗り付けたナアマンは、恐らくは彼自身も鎧を着て武装していたことでしょう。その誇り高いナアマンが裸になって、あまりきれいには見えない濁ったヨルダン川に入るまでには、どれほどの心の葛藤があったことか、容易ではなかった筈です。

 しかしナアマンは心に着けていた厚いプライドの鎧を脱ぎ捨てて、心身ともに身も心も裸になってヨルダン川に身を浸しました。

 この裸のナアマンの姿を見て、神様はこうおっしゃったのではないでしょうか。「よくやった。良い忠実なしもべだ」(マタイ25:21、23)。この週報p.3にも載せた「よくやった。良い忠実なしもべだ」はマタイの福音書25章で五タラントのしもべと二タラントのしもべに主人が言ったことばですが、ナアマンに対しても神様はこのようにおっしゃったのではないかと思います。それゆえナアマンの重い皮膚病は癒されて、幼子のからだのようにきよくなりました。

教会を守るため?プライドを守るため?どちらか分からなくなる
 プライドは脱ぎ捨てたと思っても、すぐにまたまとわり付く、やっかいなものです。再び神学生の時代の私自身の証をしますが、私は一旦はプライドの大半を脱ぎ捨てることができたと思います。神学生になったばかりの頃の私は大学の教員であったというプライドを捨て去ることができずに苦労しました。しかし、やがてはプライドを持たないことに心地良さを覚えるようになりました。プライドを捨てて上の人の言うことに「はい」と答えて、その通りに動きました。

 しかし、牧師になると責任を伴いますから、人の言うことに黙って従うだけでは教会を運営していけません。自分の意見を言うことも時に必要になります。その場合に、その自分の意見が本当に教会を守るための意見なのか、自分のプライドを守るための意見なのか、分からなくなる時があります。だからプライドの問題は、とてもやっかいだと思います。

 詳しい話はしませんが、前任地での教会の合併問題でも、そういうプライドに関わる部分がありました。単純に分類すると、前任地の教会には四つの道がありました。①何としてでも教会を存続させる、②自主的に解散する、③他教会と対等合併する、④他教会に吸収合併される、の4つです。

 紆余曲折があって結局は教会総会で、四番目の他教会に吸収合併される道を全会一致で決議しました。一番目と二番目なら、財産について、自分たちで決めることができました。三番目の対等合併でも、相手方の教会との話し合いはあるものの、自分たちの財産をどうするかを自分たちで決める余地はあります。しかし吸収合併の場合には財産を相手方の教会に全面的に委ねなければなりません。

 最初のうちは自分たちの財産は自分たちで何とかする方法を何とか見出せないか教会の皆さんと随分と議論しました。しかし、財産の処分にはいろいろと難しい問題があることが分かりました。それでも私はあきらめきれずに何とかしたいと思いました。すると教会の幹事会で幹事の皆さんが、「吸収合併で良いですよ」と言って下さいました。そのことばに私は助けられて、それ以上頑張る必要が無くなりました。

プライドから自由になると聞こえて来る神の声
 振り返って見ると、私は自分自身のプライドのために教会を守ろうとしていたのかもしれません。そのプライドのゆえに自分たちの教会の財産は自分たちで処分したいと思っていたのかもしれません。しかし教会の皆さんは、そういうプライドにはこだわらずに「吸収合併で良いですよ」と言って下さいました。そうして私は教会の皆さんに助けられました。教会の皆さんが「吸収合併で良いですよ」と言って下さらなければ、私はいつまでもプライドを捨てられずにいただろうと思います。

 そうして、プライドから自由になった時に聖書のみことばが響いて来ました。それらのみことばは、近いうちにまた、この礼拝で取り上げたいと思います。これらの経験を通して、プライドが神様の声を聞くことの邪魔をすることを私は学びました。神学校では良い学びをさせていただきましたし、合併問題においてもまた、教会の皆さんに助けられたことで神様の声を聞くことができました。

 子どもであってもプライドからは自由になってはいないでしょう。彼らにもまた小さなプライドがあることでしょう。しかし大人に比べればそれらは遥かに小さなものです。ですから子どもは素直に神様を受け入れます。私たちも、子どものように神様を受け入れる者たちでありたいと思います。そうして神様の声を霊的に聞くことができる者たちでありたいと思います。

霊的な聖書読解の七つのレベル別目標(案)
 神様は霊的な存在ですから、神様と交わり、神様の声を聞くには霊的に整えられなければなりません。それゆえ聖書の読み方もまた、霊的なものでなければなりません。これから先、静岡教会で伝道を行っていくに当たって、私は霊的な聖書の読み方をお勧めして行きたいと願っています。それに当たって七つのレベルを案として考えてみました。週報のp.3に、それら七つのレベルの案を載せてみましたから、最後にこの案の説明をして、きょうのメッセージを閉じたいと思います。

 これらは私の経験に基づくものですから、どれぐらいの一般性があるかまだ分かりませんが、キリスト教の初心者に対して霊的に聖書を読むこととはどういうことかを示して興味を持っていただくために、それなりに意味があるのではないかと思います。

 信仰にレベル付けを行うことに疑問を持つ方もおられるかもしれませんが、英語や中国語などの語学では現に初級・中級・上級のレベル別の教育が為されていて、上のレベルに進むことを励みとして学ぶ意欲も高まります。それゆえ聖書の読解においても、このようなレベル別の指針を示すことで聖書を読む励みにしていただければと思います。

《霊的な聖書読解の、レベル別目標(案)》
①入門レベル:自分の守護神は聖書の神であったと気付き、真理の探求を始める。
②初級レベル:全知全能の神である天の御父の愛が何となく分かるようになる。
③初中級レベル:人として生まれたイエスが神の子キリスト(救い主)だと分かる。
④中級レベル:人間(及び自分)の罪と十字架との関係、聖霊の働きが分かる。
⑤中上級レベル:自分は「イエスの愛弟子」(ヨハネ19:26他)だと時空を超えて自覚する。
⑥上級レベル: 御父また御子との交わりに大きな喜びを感じる(Ⅰヨハネ1:3~4)。
⑦超上級レベル:永遠の中にいる父・子・聖霊と一体になり、真の平安・平和に至る。


 ①の入門レベルでは「守護神」という言葉を使ってみました。キリスト教では「守護神」という言葉は使いませんが、伝道対象の入門レベルの方には「守護神」という言葉の方が身近に感じていただけるのではないかと思いました。霊的な読解では、自分を守っていたのは聖書の神であったと気付くことがとても重要ではないかと思います。この気付きが無いと、どんなに聖書知識があったとしても「霊的な読解」という意味では、いつまで経っても入門レベルに達しないということになるのではないかと思います。

 ②の初級レベルにはイエスさまではなくて天の御父を挙げてみました。日本人にとってはイエスさまよりも天の御父のほうが、より近い存在として感じるのではないかという気がします。ただし、これは年齢にもよると思います。子どもにとってはイエスさまのほうが御父よりも身近に感じるかもしれません。しかし大人にとっては天の御父のほうがイエスさまよりも身近に感じるのではないかと思います。この初級レベルでは、御父の愛が「何となく」分かる程度で良いのではないかと思います。

 そうして③と④の初中級と中級レベルで初めてキリスト教の核心に迫ることになります。初中級でイエスさまは神の子キリストと分かって、それを信じるなら人は聖霊を受けます。聖霊を受けて初めて人間の罪、そして自分の罪の深さが分かるのではないでしょうか。聖霊を受けない間は十字架のことは難しくてなかなか分かりません。そして、聖霊を受けると聖霊の働きのことも段々と分かるようになります。これが中級レベルではないかなと私は考えます。

 インマヌエルが大切にしている、きよめの信仰も、中級レベルではないかという気がしています。ですから私たちは、さらにもっと上のレベルを目指すべきだというのが私の考えです。それが中上級のレベルであり、上級のレベルであり、超上級のレベルです。

 誤解を与えないように予め言っておきますが、私自身はせいぜい中級レベルで、それより上のレベルに達しているわけではありません。しかし、その上のレベルがどういうものかは想像できます。

平和実現のために必要な中級より上のレベル
 ⑤の中上級のレベルは、自分は「イエスの愛弟子」(ヨハネ19:26他)だと時空を超えて自覚できることとしました。「イエスの愛弟子」とはヨハネの福音書に登場する「イエスが愛された弟子」のことです。この弟子が最初に登場するのは最後の晩餐の場面で、次に登場するのは十字架の場面です。その十字架の場面のヨハネ19章26節を週報p.3に載せました。お読みします。

ヨハネ19:26 (十字架に掛かっている)イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、母に「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です」と言われた。

 この愛する弟子、すなわち「イエスの愛弟子」はイエスさまの十字架のすぐそばにいました。霊的な読解の中上級では、この「イエスの愛弟子」とは自分のことだと自覚できるようになれたら良いなと思います。

 そうして、「イエスの愛弟子」とは1世紀の人物のことだけではなく、読者である私たち自身のことでもあると感じたいと思います。そのためには時空を超えて1世紀の世界に入る必要があります。私たちの肉体は時間に縛られていますから、肉の体は1世紀に戻ることはできません。しかし、霊的には可能です。

 そしてヨハネ21章24節の弟子もまた自分のことであると感じるようになるでしょう。これも週報p.3に載せましたから、お読みします。

ヨハネ21:24 これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。

 霊的なレベルが上がるなら、ヨハネの福音書は1世紀のことを書いただけでなく、21世紀の私たちのこともまた描かれていると感じることができるようになるでしょう。そのように霊的な読解レベルが上がって行くのなら⑥の上級にあるように御父また御子イエス・キリストとの交わりの中に入れられて、大きな喜びを感じるでしょう。

 そして⑦の超上級に至るなら、永遠の中にいる父・子・聖霊と一体になり、真の平安・平和に至るでしょう。繰り返しますが私はせいぜい中級レベルで、それより上のレベルに達しているわけではありません。しかし、目指すべき高いレベルがあることは分かります。

 なぜ分かるようになったのか、私自身にも分かりませんが、たぶん私が平和の働きのために召し出されたからだろうと思います。ですから私は未だ中級レベルですが、多くの方々と共に上のレベルを目指したいと思います。そうして超上級レベルの人が増えるなら、世界は平和になることでしょう。

おわりに
 きょうは子どもの話から始めて、最後は少し難しい話になってしまったかもしれませんが、私たちが目指すべきは霊的なレベルを上げることだということが分かっていただければ幸いです。そのためには、まずは子どものように神を受け入れる者でなければなりません。自力で頑張らず、財産にも執着せず、そしてプライドを脱ぎ捨てるなら霊的に神様と共に歩むことができ、霊的に成長して行くことができるでしょう。

 これらのことに思いを巡らしながら、しばらく、ご一緒にお祈りしましょう。
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4/28のためのウェルカムボード

2019-04-27 08:14:17 | 折々のつぶやき
4/28(日)礼拝メッセージ

「子どものように神を受け入れる者」

子どもは他力でしか生きられませんから、自分の力でがんばりません。

財産に執着することもありません。

心にプライドの厚い鎧(よろい)も着けていません。

プライドの高い人は神様を心の中に受け入れません。

子どものような心で神様と共に生きたいと思います。

 
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復活は信仰の扇の要(2019.4.21 イースター礼拝)

2019-04-22 06:57:27 | 礼拝メッセージ
2019年4月21日イースター礼拝メッセージ
『復活は信仰の扇の要』
【Ⅰコリント15:1~20】

はじめに
 きょうはイースター聖日です。イースターは十字架で死んだイエスさまがよみがえったことをお祝いする日です。私が50年前の小学生の時に2年間住んでいたニューヨークでは盛大なイースター・パレードが行われていました。小学生の時、私は安東三丁目にある安東小学校に通っていましたが、小学1年生の途中から3年生の途中までの2年間は父の仕事の関係でアメリカのニューヨークに住んでいました。



 週報のp.2に載せた写真は、その時に家族でパレードを観に行った時のものです。当時のアメリカでは、このように盛大にイースターが祝われていました。ただしイースターはキリスト教のお祭りですから、現代では他の宗教に配慮して、ここまで大掛かりなパレードは行っていないようです。

 イースターはこのように盛大なパレードを行うほどに喜ばしく重要な行事です。何故それほどまでにイースターが重要なのかを、きょうはご一緒に考えたいと思います。

復活は、信仰の扇の要
 なぜイースターが重要なのか、一言で言えば今日のタイトルにあるように「復活は信仰の扇の要」だからですね。「扇の要」というのは扇子の骨を束ねている大元の止め金具のことで、この金具がなければ扇子の骨はバラバラになってしまいます。

 キリスト教の信仰も「復活」という止め金具によってすべてが一つに束ねられています。復活を信じれば聖書の記述のすべてを受け入れることができますし、復活を信じないなら、聖書の記述のあちこちが怪しげなものとしてしか目に写らないでしょう。聖書は旧約聖書に39巻と新約聖書に27巻、併せて66巻が収録されていますが、一つの書とされています。聖書が一つの書であるのは扇の要であるイエス・キリストの復活があるからで、復活がなければ66巻はバラバラの書となってしまいます。

 クリスチャンがどうしてイエス・キリストの復活を信じることができるのか、それは新約聖書がイエスさまの復活をいろいろな箇所で証言しているからですね。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音書が証言していますし、使徒の働きやパウロの手紙もイエスさまの復活を証言していますね。きょうの後半は、それらの中からパウロが書いたコリント人への手紙15章を開くことにします。

なぜ復活が信仰の「扇の要」なのか
 その前に今日の前半は、イエス・キリストの復活を信じることがなぜ信仰の「扇の要」なのかを、改めて考えてみたいと思います。

 初めて聖書を読む方々の目線で見るなら、聖書の内容は「そんなこと信じられないよ」と感じる記述に溢れていると言えるでしょう。特に神様が行った奇跡の数々は、そうですね。旧約聖書の有名な奇跡を挙げるなら、モーセの時代にエジプトを脱出したイスラエル人たちが、海水が割れて通れるようになった海の底を歩いて行く場面などは、その一つと言えるでしょう。

 旧約聖書の出エジプト記には、この他にも神様がナイル川の水を血に変えたり、荒野を行くイスラエル人のために食べ物を天から降らせたりなど、現代人の目から見たら、そんなのただの作り話じゃないの?と思えるような奇跡の記事がたくさんあります。旧約の時代はイエスさまの時代よりもずっと昔の時代ですから、それが本当にあったことなのか、一般の人々の目から見れば作り話にしか見えないでしょう。

 しかし、クリスチャンは旧約聖書の奇跡の記事も信じます。クリスチャンにもいろいろいますが、少なくとも私たちの群れのように「聖書は誤りなき神のことばである」という聖書信仰を持つ福音派のクリスチャンは信じます。なぜ旧約聖書の記述までも信じることができるかと言えば、それは私たちがイエスさまの復活を信じているからですね。

 死人がよみがえることなど普通では有り得ないことです。しかし、全知全能の神様なら死人をよみがえらせることが可能です。この、全知全能の神様は死人をもよみがえらせることができるという一点を信じるなら、後はすべての奇跡を信じることができるはずです。全知全能の神様に不可能なことはないからです。

 イエス・キリストの復活は多くの人々が証言しています。それらの証言を信じるか信じないかは、個人の自由ですが、新約聖書を丹念に読むならこれらの証言を疑うべきではないという結論に導かれるはずです。もちろん疑う自由はあります。しかし復活の証言を信じないなら聖書の記述のほとんどが怪しげなものになるでしょう。聖書は怪しげな書であると考えることは、とても悲しいことだと思います。

イエスを復活させた神は、人間の命を造った神
 この新約聖書の証言は、後でご一緒に見ることにして、もう少し旧約聖書の話をします。旧約聖書の創世記によれば、神様は天地を創造して、その後に地上に植物や動物、そして人間を造りました。つまり神様は生命を造りました。生命は偶然によって誕生したものではなく、神様がお造りになったことを信じることは、信仰においては何よりも重要です。神様は人間の命を造ったお方であると同時に、時には命を取り去るお方でもあります。旧約聖書には、戒めに従わなかった者たちの命を神様が取り去った記事が随所にあります。もし人の命が神様によって与えられたものでないのなら、人の命を取り去る神様はひどい方だということになるかもしれません。しかし人の命は神様が与えたものですから、神様の戒めに従わなかった者の命を神様が取り去ったとしても、それは仕方のないことだと言えるでしょう。

 さてしかし、神様が実際に人の命を造ったところを見た人は誰もいません。誰も見ていないのに人の命は神様が与えたものだと信じることができるのは、イエス・キリストの復活があったからです。死んだイエスさまをよみがえらせることができる神様なら、人の命を造ることもまたできます。そのイエスさまの復活を多くの人々が証言しています。

多くの人々が証言しているイエス・キリストの復活
 では、まず聖書交読で読んだ第一コリント15章の始めの方から見ていきましょう。3節から見て行きます。3節でパウロはコリント人への手紙で「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、・・・次のことです」と書いて、復活したイエスさまが多くの人々の前に現れたことを記しています。そして復活したイエスさまはパウロ自身にも現れたことを書いています。

 ここでパウロが「最も大切なこと」と書いたことに注目する必要があります。その最も大切なこととは「キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと」です。特に復活したイエスさまが多くの人々の前に現れたことを多く書いていますから、このイエスさまの復活は「最も大切なこと」の中でも格別に大切なことであると言えるでしょう。まさに復活は、信仰の「扇の要」です。

 そして5節でパウロは復活したイエスさまがケファ、すなわちペテロに現れ、それから十二弟子に現れたと書いています。これらは福音書でも証言されていますね。

 次に6節でパウロは、「キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました」と書いています。このことは福音書には書いてありません。このコリント人への手紙だけに書いてあります。五百人以上に同時に現れたとうのはすごいですね。どういう状況だったのでしょうか。しかも、大多数はまだ生きているということです。

 この手紙はイエスさまの復活から約20年後ぐらいに書かれたものです。20年ぐらい前のことなら、私たちもよく覚えていますね。しかも、今なお生き残っているというのですから、パウロが嘘を書いていると疑うことはできません。十二弟子の前に現れたというなら、集団で幻想を見たとすることも可能かもしれませんが、五百人が集団で幻想を見ることなどできるでしょうか。できないでしょう。

 続いて7節でイエスさまがヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れたと書いたのちに、8節から10節に掛けては、パウロ自身の前にイエスさまが現れたことを書いています。

パウロの人生を180度変えたイエスとの出会い
 私は、このパウロ自身が復活したイエスさまに出会ったという証言をことのほか重要であると考えています。パウロがイエスさまに出会った状況はルカも使徒の働きの中で詳しく書いていますね。そして、この第一コリントでパウロ自身も書いているように、復活したイエスさまに出会う前のパウロはクリスチャンを迫害している側の人間でした。しかし、復活したイエスさまに出会ったパウロは変えられて、今度はイエス・キリストを宣べ伝える側の人間になりました。

 人の人生が180度の方向転換をして劇的に変わるなどということは、「よほどの事」がない限り、有り得ないことです。パウロに、その「よほどの事」が起きたのでした。それが何だったかと言えば、彼が復活したイエスさまと出会ったということ以外には考えられないでしょう。パウロの人生が180度変わったのは事実ですから、パウロが復活したイエスさまと出会ったこともまた事実であると考えなければなりません。

 変えられたのはパウロだけではありません。ペテロもまた大きく変えられました。ペテロはイエスさまが逮捕された時に、イエスさまのことを三度「知らない」と言いました。こんな情けないペテロでしたが、復活したイエスさまと出会い、そして聖霊を受けたことで大きく変えられて、ペンテコステの日には人々の前で堂々と説教をするほどの劇的な変化を見せました。これもまた、よほどのことがなければ有り得ないことです。そのよほどのことが、ペテロの場合もまた復活したイエスさまと出会ったことですね。

 これらのことは聖書に書いてあることだけでなく、私たちの時代にもあることですね。前任の戸塚先生も最初は聖書を批判する側の人であったそうですね。わざわざ教会まで批判をしに出掛けて行ったというお証を聞いたことがあります。それが逆にイエスさまに捕らえられてイエスさまを宣べ伝える側の者とされたのですから、戸塚先生もパウロと同じですね。

 私の場合は少し違いますが、やはり最初の頃はキリスト教を怪しげな宗教と見ていた時期がありました。それが今は牧師をしています。まさか自分が牧師になろうとは、当時の私からすれば信じられないことです。ですから、私もまたイエス・キリストと出会ったことで人生が大きく変えられた者の一人です。そのような者たちは、この二千年間に無数にいます。

 このように復活したイエス・キリストが人々の前に現れたことが新約聖書の中で証言されていること、また復活したイエスさまとの出会いによってパウロやペテロが大きく変えられたこと、さらに現代に至るまで多くの者たちが変えられたことを見れば、イエスさまが復活したことは疑いようのないことです。

私たちは一番哀れな者か?
 しかし私たちは弱いですから、時には信仰が揺らぐこともあるかもしれません。そこで、皆さんの参考になるかどうかは分かりませんが、第一コリント15章の続きにある、私にとってとても大切なみことばについてのお証をしたいと思います。その聖句とは、第一コリント15章19節です。

15:19 もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。

 どういう状況で、この19節が書かれたのかが分かるように、聖書箇所はその前の12節からにしてあります。12節を見ると、コリント人たちの中に「死者の復活はない」と言う人たちがいたということです。それに対してパウロは書きます。13節と14節、

15:13 もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
15:14 そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。

 イエスさまの復活がなかったなら私たちの宣教も信仰も空しいとパウロは書いています。そして19節によれば、私たちはすべての人の中で一番哀れな者だということになります。このみことばに私は神学生の1年生の時に励まされました。10年前の2009年の1月か2月の頃のことでした。当時、私は神学校の神学生の1年生の終わりの頃でした。この半年後の2009年の7月の夏季実習の時に私は皆さんと沼津教会を訪れたのですが、それより半年ほど前の2009年の1月か2月、この第一コリント15章19節に私はとても励まされました。

苦労した時の証し
 この神学生1年生の冬が私にとっては一番つらい時期でした。まだ1年生で神学生生活にも十分には慣れておらず、また神学校の寮は寒かったので体にこたえました。しかし、何よりもつらかったのは当時の神学校の規則がまだとても厳しかったことです。2年生の時に少しゆるくなりましたが、1年生の時は昔とあまり変わらない厳しさでした(ちなみに現在はこれらの規則はなく、神学生は自律した生活をしています)。

 1年生の時の厳しい規則の中での生活でさらに大変だったのは、私の日曜日の実習先の教会が神学校と同じキャンパス内にある教会だったことです。つまり月曜から土曜までだけでなく日曜日もずっと神学校のキャンパスの中にいなければなりませんでした。キャンパスの外を散歩することぐらいは許されていましたが、電車に乗ってどこかに行くには外出許可を取らなければなりませんでした。これは本当につらかったです。それまで自由に暮らしていた49歳のおじさんが、電車に乗るのにいちいち寮監の先生の許可が要るのです。しかも許可されるとは限りません。

 せめてキャンパスの外の教会が実習先であれば週に1回は電車に乗ることができますが、それもできませんでしたから、しんどかったです。後から考えれば、この外出できない生活によって私の霊性が磨かれていったと思いますから、これはプラスになる経験でした。しかし、当時の私にはやはりつらくて、悶々としていました。

 そんな風に過ごしていた2009年の1月か2月、インターネットを見ていたら、映画ファンの仲間の新年会の写真がありました。この新年会はとても楽しい会で、私も前の年までは参加していたのでした。そして、その写真を見ながら思いました。神学校の外では、映画ファンの仲間たちがこんなにも楽しい新年会をしているのに、私は神学校の中で外出も自由に出来ずに悶々としている。もし、これでキリストの復活がなかったとしたら、まさに「私はすべての人の中で一番哀れな者」だ。しかし、復活はあったのだから私は哀れではない。つらいけれど哀れではない。復活がなかったのなら哀れだけれど、復活はあったのだ。こうして私は、このみことばに励まされました。

パウロが遭った難の数々
 パウロは私などより、もっとずっとつらい目に遭っていました。第二コリント11章23節の途中から27節までを週報のp.3に貼り付けておきましたから、お読みします。

11:23 労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。
11:24 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、
11:25 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
11:26 何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、
11:27 労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。

 もし、キリストの復活がなかったとしたら、パウロは何のためにこんな大変な目に遭ったか分からなくなりますね。キリストの復活が無かったのに、こんなに大変な目に遭っていたとしたら、パウロはすべての人の中で一番哀れな者です。しかし、パウロはダマスコに行く途上で復活したイエスさまに出会い、人生を180度変えられました。ですから、どんな大変な目に遭ってもイエス・キリストを宣べ伝えました。

 私の経験などパウロに比べれば恥ずかしいほど小さなことですが、それでも私にとってはつらい経験でした。しかし私もパウロのようにイエス・キリストを宣べ伝える者に作り変えられたいと願うことで、神学生1年生の時のつらい生活を乗り切ることができました。このパウロの第一コリント15章19節のことばがありましたから、イエスさまの復活があったと強い確信が与えられ、どんな大変な目に遭ったとしても自分は少しも哀れな者ではないと思って神学校での学びを続けることができましたから感謝でした。
 
おわりに
 きょうは「復活は信仰の扇の要」というタイトルで話をしました。イエス・キリストが復活したことは、私たちも同じ様に復活する希望があるという点で、とても重要です。しかし、復活が持つ意味はそれだけではありません。イエス・キリストの復活を信じなければ信仰はバラバラになります。イエス・キリストの復活があったことは、多くの人々が証言していることですから、信じるべきものです。

 もしイエスさまの復活を信じないなら、神様が私たち人間の命を造ったことも信じることができません。神様が私たちの命を造ったのではなく、生命の誕生がまったくの偶然によるものなら、私たちが神様のことばを聞くべき理由はありません。神様が私たちに命じることは、神様が私たちに命を与えて下さったお方であるがゆえに、必ず守らなければなりません。

 このように、復活を信じるなら、復活が「扇の要」になって信仰のすべてが一つにまとまります。しかし、復活を信じないならバラバラの信仰しか持てません。聖書の66巻もバラバラになってまとまりがなくなり、聖書のどこを信じたら良いのかも分からなくなります。

 イエス・キリストの復活を信じることが、いかに大切なことであるかを、お分かりいただけましたでしょうか。しばらく一人一人で思いを巡らす時を持ちたいと思います。
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21世紀の私たちが十字架を身近に感じるのは何故か(2019.4.18 祈り会)

2019-04-19 10:28:19 | 祈り会メッセージ
2019年4月18日祈り会メッセージ
『21世紀の私たちが十字架を身近に感じるのは何故か』
【使徒2:29~39、ネヘミヤ9章】

はじめに
 きょうは受難週の十字架の金曜日の前日であるということで予定を変更して、ます使徒の働き2章の29節から39節までを交代で読みたいと思います。これはペンテコステの日に聖霊を受けたペテロたちがエルサレムの人々に語った説教の一部です。

使徒2:29 兄弟たち。父祖ダビデについては、あなたがたに確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日に至るまで私たちの間にあります。
30 彼は預言者でしたから、自分の子孫の一人を自分の王座に就かせると、神が誓われたことを知っていました。
31 それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。
32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。
34 ダビデが天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。『主は、私の主に言われた。あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。
35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。』
36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」

 きょうは、イエスさまが私たちの罪のために十字架に掛かったことについて、「時間の流れ」という観点から、改めて考え直してみたいと思います。

魂を時間の流れから解放する聖霊の働き
 「イエスさまは私たちの罪のために十字架に掛かった」とクリスチャンは普通に言います。しかしこのことを自覚することの背後には、とても興味深い聖霊の働きが関与しています。この興味深い聖霊に関する話を絡ませずに、単に「イエスさまは私たちの罪のために十字架に掛かった」とだけ宣べ伝えることは、非常にもったいないことであると私は思っています。
 特に知的な好奇心が旺盛な若い方々に対しては、この興味深い聖霊の働きの話を絡めて十字架を語るべきではないかと思います。そうすれば、キリスト教にもっと興味を持ってもらえるかもしれません。今夜は、このように興味深い聖霊の働きの話を絡めながら、共に十字架に掛かったイエスさまに思いを巡らすことにしたいと思います。
 その興味深い聖霊の働きとは、聖霊を受けた者の魂は時間の流れから解放されるという働きです。これからこの教会で私はこれから何度もこの話をしつこく語るだろうと思います。なぜしつこく語るかと言うと、なかなか分かってもらえないからです。なぜ、なかなか分かってもらえないかと言うと、多くの人々の意識が時間の流れに強烈に縛られているからです。そのため、せっかく聖霊を受けて魂が時間の流れから解放されているのに、その恵みに気づいていません。それゆえ、21世紀の私たちが二千年前の十字架を身近に感じるのは何故かについても、聖霊の働きの観点から語られることはほとんどありません。このことを私はとても残念に思い、実にもったいないことだと思っています。
 私が特に歯がゆく思うことは、影響力が大きくて用いられている器ほど多くの仕事を抱えていて忙しく過ごしているということです。毎日を忙しく過ごしているなら、魂が時間の流れから解放されていることに気づくことは難しいでしょう。それゆえ聖霊を受けたクリスチャンの魂は時間の流れから解放されていることを説く役割は、それほど忙しくない私のような者が担わなければなりません。しかし、私はまったく力のない小さな者ですから、主が用いて下さらなければ何の働きもできません。ですから、是非とも主が新しい風を吹かせて下さることを期待したいと思います。そういう期待を込めて今夜のメッセージを準備しました。

十字架と同時代の人々に宣教していたペテロたち

 まず基本として押さえておくべきことは、ペテロやパウロなどの使徒たちは、十字架の出来事があった時と同時代の人々にイエス・キリストを宣べ伝えていたということです。先ほどご一緒に読んだ使徒2章のペテロの説教は十字架から52日目のペンテコステの日のものです。36節でペテロは言いました。

使徒2:36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。

 神が今や主ともキリストともされたイエスさまをユダヤ人たちは十字架に付けたのですから、これほど大きな罪はありません。またエルサレムから離れた場所に住んでいた異邦人たちもイエスさまを直接十字架に付けたわけではありませんが、神様から離れていたという点においては、やはり罪人でしたから、これもイエスさまの十字架によって赦される必要がありました。このように、イエスさまと同じ時代を生きた人々はユダヤ人であっても異邦人であっても神様から離れていたことに変わりはありませんでしたから、その罪を悔い改めてイエスさまを信じることで救われました。さてしかし、やがて時代は次の世代に移って、イエスさまが十字架に掛かった時にはまだ生まれていなかった人々が増えて行きました。2世紀以降は、すべての人はイエス・キリストの十字架よりも後に生まれました。そういうイエスさまの十字架よりも後に生まれた人々の罪に対してもイエスさまの十字架は有効なのでしょうか。もちろん有効です。しかし、話はそんなに単純ではありません。

21世紀の私たちも救われるのはイエスが永遠の中にいるから
 イエスさまの十字架によって罪がなかったことにされるなら、十字架より後には、この世から罪は無くなったはずです。しかし罪は存在し続けました。これら十字架の後に犯された罪が、どうして罪を犯す前のイエスさまの十字架によって赦されるのでしょうか?それはイエスさまが永遠の中にいるからですね。永遠の中にいるイエスさまは21世紀の私たちにも語り掛けて下さっています。この語り掛けに気づくなら私たちは心を開いてイエスさまを信じるように導かれます。そうしてイエスさまを信じるなら聖霊を受けますから、自分の罪深さが分かるようになります。聖霊を受ける前、私たちは神への背きの罪のことがそんなには深くは分かりません。それでも意識の下へのイエスさまからの語り掛けを感じることでイエスさまを信じて聖霊を受けることへと導かれて行きます。そうして聖霊を受けるなら、その人は永遠の中に入れられますから魂が時間の流れから解放されて二千年前のイエスさまの十字架を身近に感じることができるようになります。そうしてイエスさまは自分の罪のために十字架に掛かったと自覚できるようになります。クリスチャンが、イエスさまは私たちの罪のために十字架に掛かったと言う時、その人の魂は聖霊の働きによって時間の流れから解放されています。しかし表側で意識している生活は時間の流れに縛られているために、自分の魂が時間の流れから解放されているという自覚がありません。それゆえ、クリスチャンが語る「イエスさまは私たちの罪のために十字架に掛かった」という話が聖霊を受けていない人にはものすごく分かりにくい話だということにも気づいておらず、なかなか上手く伝道できていないということになっているのではないかと思います。
 時間に縛られている度合いは20世紀の人よりも21世紀の人のほうが強いですから、ますますキリスト教は伝わりにくくなっていると思います。ですから、キリスト教を語る時には、このとても興味深い聖霊の働きのメカニズム、すなわち聖霊は人の魂を時間の流れから解放するということを上手に組み合わせて伝える必要があると私は考えます。

スピリチュアルな領域に関心がある人々
 先日の礼拝メッセージで私は映画『ファースト・マン』を最近観たことを話し、さらに礼拝後の報告の時には映画を観に外出することもよくあるという話をしたところ、礼拝後にある方が、静岡では「午前10時の映画祭」で昔の名画を観られると教えて下さいました。それで調べたら先週と今週は『未知との遭遇』を上映していると知りました。それで、無性に観たくなって、観て来ました。ストーリーはすっかり忘れていましたが久し振りで観て思い出しました。そして、この映画にはスピリチュアルな要素がとても多く含まれていると感じました。この『未知との遭遇』の主人公たちは、本人にもよく分からないけれど、なぜか宇宙人との遭遇の場に引き寄せられています。宇宙人に引き寄せられていたと分かるのは最後のほうで、引き寄せられている途中では、そんなことは分かりません。分からないけれど、そこへどうしても行かなければならないという思いが意識の下の潜在的な領域で働いて、宇宙人と遭遇する現場に引き寄せられて行きます。意識の表面に現れない部分を描いているという点で、とてもスピリチュアルな映画、すなわち霊的な映画だと思いました。そうして、かつての自分が意識の表面に現れない無意識の領域で高津教会に導かれて行ったことを思い出しました。そうして私はイエスさまと出会うことができました。イエスさまとの出会いは、まさに『未知との遭遇』です。
 このように、自分でも分からないうちに何かに引き寄せられて行くという無意識の魂の領域のことは、よく分からないだけに好奇心が掻き立てられる興味深い領域だと思います。そういう興味深い部分を省いて、イエス・キリストは私たちの罪のために十字架に掛かったとだけ語るのは、とてももったいないと私は感じます。『未知との遭遇』という映画は日本でもヒットしましたから、こういう潜在的なスピリチュアルな領域の話に関心を持つ方々は少なくないと思います。こういう方々にも関心を持ってもらえるようにキリスト教をお伝えできるようになりたいと思います。

神に背いていた人々
 さて最後の晩餐の日の今夜は、おしまいにネヘミヤ記の9章(旧約聖書p.847~)を読んで、神への背きの罪について確認しておきたいと思います。
 このネヘミヤの時代、かつてバビロン軍によって破壊されたエルサレムの城壁が修復されました。そして、城壁が修復された後、ネヘミヤたちは集会を開いて、エルサレムが滅ぼされることになったのは自分たちの祖先の神への背きの罪のためであったと告白します。9章の16節には、こう記されています。

ネヘミヤ9:16 しかし彼ら、私たちの先祖は傲慢にふるまい、うなじを固くし、あなたの命令に聞き従いませんでした。

 また26節には、こうあります。

26 しかし、彼らはあなたに逆らい、反逆して、あなたの律法をうしろに投げ捨て、あなたに立ち返らせようとして彼らを戒めたあなたの預言者たちを殺し、数々のひどい侮辱を加えました。

 もう一節、29節をお読みします。

29 あなたは彼らを戒めて、あなたの律法に立ち返らせようとされました。しかし、彼らは傲慢にふるまい、あなたの命令に聞き従わず、その命令を行う人は、それによって生きるというあなたの定めに背いて罪を犯し、肩を怒らして、うなじを固くし、聞き入れようとはしませんでした。

 このように律法を守らずに神に背く罪を重ねた結果、エルサレムはバビロン軍によって滅ぼされることになりました。
 それゆえバビロン捕囚からエルサレムに帰還してエズラ・ネヘミヤの時代に神殿と城壁が再建されてからは、イスラエル人たちは律法を守るようになりました。しかし、やがてそれは形骸化して、律法を形式的に守ることが重んじられるようになっていきました。この律法主義をイエスさまが批判したことで、イエスさまは律法学者やパリサイ人たちの反感を買って十字架に付けられることになってしまいました。律法を守っていたパリサイ人たちも神様から離れていたということで、結局人は聖霊を受けなければ神様と共に歩むことは不可能なのだということが明らかになり、ペンテコステの恵みへとつながって行きます。
 このように旧約の時代からイエスさまの時代に至る経緯を見るなら、神様への背きの罪がどういうものかがよく分かり、イエスさまが何のために十字架に掛かったかが良く分かると思います。そして、彼らの背きの罪とまったく同じ背きの罪が21世紀の私たちの中にもあります。

おわりに
 21世紀の私たちもイエスさまを信じて聖霊を受けていますから、永遠の中に入れられてイエスさまの十字架を身近に感じる恵みをいただいています。このことを深く感謝して心を整えつつ、明日の十字架の金曜日を迎えたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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後で分かるようになります(2019.4.14 棕櫚の聖日礼拝)

2019-04-15 09:02:28 | 礼拝メッセージ
2019年4月14日棕櫚の聖日礼拝メッセージ
『後で分かるようになります』
【ヨハネ13:1~7】

はじめに
 きょうはパーム・サンデー、棕櫚の聖日です。北のガリラヤ地方から南に向かって旅を続けて来たイエスさまは、この日、ユダヤの都のエルサレムに入京しました。この週の金曜日にはイエスさまは十字架に掛かって死にます。イエスさまはこのことをご存知でしたから、壮絶な覚悟を持ってエルサレムの都に入りました。
 イエスさまのご覚悟の壮絶さには比べるべくもありませんが、私もまた静岡県の東部の沼津から、静岡県の県庁所在地、すなわち県の都である静岡市に、それなりの覚悟を持ってやって参りました。きょうは私が着任してから初めて礼拝メッセージを取り次ぎます。その初めての礼拝メッセージの日が棕櫚の聖日であることを不思議に感じるとともに、とても感謝に思っています。

強いつながりがある静岡教会と沼津教会
 きょうのヨハネ13章1~7節とメッセージの『後で分かるようになります』は、実は2週間前の3/31の沼津教会の最終礼拝での聖書箇所とタイトルと、まったく同じものです。ただしメッセージの内容はかなり違うものにしています。聖書箇所とタイトルとを2週間前と同じにしたのは、私の中では沼津教会と静岡教会とが強いつながりで結ばれていると感じているからです。それが、どのようなつながりなのか、実は私の中でも漠然としていましたから、メッセージの準備をする中で思いを巡らし、それがハッキリして来ると良いなという期待感がありました。そして、それを明らかにすることが、これから静岡の皆さんと共に伝道の働きをして行く上で、とても役に立つのではないか、そのように思って沼津教会の最終礼拝と静岡教会の私の最初の礼拝メッセージとを同じものにさせていただきました。
 私が経験した静岡教会と沼津教会との強いつながりの最初は、10年前の2009年の7月にあった沼津教会での午後の特別集会でした。当時私は聖宣神学院の神学生の2年生で、7月の第2週から9月の第1週までの2ヶ月の夏期実習の期間を、この静岡教会で過ごさせていただきました。大岩にあった静岡の実家からの通いでしたから泊り込みではありませんでしたが、当時の牧師の高桑先生ご夫妻の下で早天、祈り会、礼拝に参加し、メッセージも何度か担当させていただき、また会堂のリフォームのお手伝い等もしました。この2009年の夏期実習の最初の頃の日曜日の午後に沼津教会で特別集会があり、高桑先生が講師として招かれていましたから、静岡教会の皆さんと何台かの車に相乗りして大挙して出掛けて行きましたね。沼津の小さな会堂に人が入り切れないぐらい集まり、エアコンも効かなくて暑い中で熱気に満ちた集会となったことを、よく覚えています。
 後から考えると、この10年前の沼津教会での特別集会に私が参加したことは、4年後に私が沼津教会の牧師として赴任することの備えになっていたことが分かりました。そして、今考えてみると、10年後のこの4月に私が沼津から静岡に来たことの備えにもなっていたようにも思います。多分もう少し時間が経てば、それがよりハッキリと分かって来るだろうと思います。それが、きょうのタイトルでもある「後で分かるようになります」ということにもつながって来ます。

イエスは駿河湾よりも深い愛を持つお方
 ここで、きょうの聖書箇所をもう一度、今度は皆さんと交代で読むことにしたいと思います。ヨハネの福音書13章の1節から7節までです。

13:1 さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。
13:2 夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた。
13:3 イエスは、父が万物をご自分の手に委ねてくださったこと、またご自分が神から出て、神に帰ろうとしていることを知っておられた。
13:4 イエスは夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
13:5 それから、たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいでふき始められた。
13:6 こうして、イエスがシモン・ペテロのところに来られると、ペテロはイエスに言った。「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか。」
13:7 イエスは彼に答えられた。「わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります。

 このイエスさまが弟子たちの足を洗った出来事はエルサレムに入京してから4日後の木曜日の最後の晩餐での出来事です。1節の終わりに、「イエスは、彼らを最後まで愛された」とあります。彼らというのは弟子たちのことです。そして、「最後まで」という所に星印がありますから、ページの下にある脚注を見ると、「最後まで」は「極みまで」とも訳せることが書いてあります。この部分を新改訳聖書の第3版では「イエスは、その愛を残るところなく示された」と訳していましたね。或いはまたリビングバイブルでは、「イエスは弟子たちを最後まで徹底的に愛しとおされました」としています。
 いずれにしましても、ここにはイエスさまの莫大で圧倒的な愛が弟子たちに注がれていたことが分かります。神様としてのイエスさまは富士山よりも大きなお方で、イエスさまの愛は駿河湾よりも深い愛です。ご承知のように富士山は日本一高い山で、駿河湾は日本一深い湾です。静岡に住む私たちは、そのことを良く知っています。そしてイエスさまは人間であると同時に神様でもありますから、富士山よりも大きなお方であり、駿河湾よりも深い愛を持つお方です。

人間サイズのイエスさまと宇宙スケールのイエスさま
 ここで、これからの私の説教にある程度慣れていただくために、私の説教の傾向を話しておきたいと思います。皆さんに違和感を与えないために、なるべく分かりやすい話を心掛けたいと思いますが、なかなか変えられない私の説教の傾向がありますから、そのことをお伝えしておきたいと思います(この私の傾向は静岡の皆さんの反応を見ながら、増減を調整したいと思います)。
 それは、私の場合はどうしても神様としてのイエスさまを語りたがるという傾向です。イエスさまは人間であると同時に神様でもあり、大半の牧師先生は人間としてのイエスさまを語ることが多いと思います。しかし私は神様としてのイエスさまを語ることが多いです。人間としてのイエスさまは人間サイズですが、神様としてのイエスさまは時空を超えた宇宙スケールのお方です。
 教会では私ももっと人間サイズのイエスさまのことを語るべきであろうと私自身もよく感じます。人間のイエスさまは人間サイズであるからこそ、小さな私たちの悲しみや苦しみをよくご存知です。そうして私たちに寄り添って下さり、慰め、励まし、生きる力を与えて下さいます。このように人間サイズのイエスさまは素晴らしいお方です。また人類の、つまり私たちの罪のためにイエスさまが十字架に掛かったことを理解することは、とても重要なことです。このイエスさまの十字架の苦しみはイエスさまが人間であればこそのことです。
 では、そのような人間サイズのイエスさまの重要性を分かっていながら、どうして私は神様としての宇宙スケールのイエスさまを語りたがるのか。それは私が平和の働きをするために牧師に召し出されたからです。キリスト教が誕生してからのこの二千年間の人類の歴史を見渡すなら、絶えず戦争がありました。ですから、人間サイズのイエスさまは残念ながら世界の平和のためにそれほど大きな貢献をして来なかったのではないかと感じます。戦争で苦しむ人々に寄り添う人間のイエスさまがいらっしゃることは大きな慰めですが、戦争が絶えない世界から平和な世界へと変える力が人間サイズのイエスさまには十分にはないと言わざるを得ないと感じます。しかし、神様としての宇宙スケールのイエスさまは全知全能の天の父と一つですから、世界を変える大きな力を持っています。

地球を外から眺めることの平和への大きな貢献
 世界では今でも紛争が絶えませんが、幸いにして1945年に第二次世界大戦が終了してからは世界規模の大戦は起きていません。相変わらず争いが絶えないとは言え、世界は少しは平和になっているようです。それは何故でしょうか。一つの見方としては、核兵器が開発されたことで抑止力として働いているというものもあるかもしれません。しかし私が考える平和の理由は、宇宙ロケットの開発によって人類が宇宙空間に飛び出すことができるようになり、地球を外から眺めることができるようになったからではないか、ということです。1961年に人類はガガーリンを乗せたソ連のボストーク1号によって初めて有人宇宙飛行を成功させました。また、1968年にはアメリカのアポロ8号が人類で初めて地球の重力圏を離脱して月の重力圏に到達して月の周りを周回して地球に戻って来ました。その翌年の1969年にアポロ11号が月に着陸したことは、皆さんご存知の通りです。少し前まで、全国の映画館でアポロ11号の船長のニール・アームストロングを主人公にした映画『ファースト・マン』が上映されていましたから、私も沼津の映画館で観て来て、大変に感銘を受けました。「ファースト・マン」というのは、「人類で最初に月面に降りた男」という意味です。
 このアポロ11号が成し遂げた仕事が大きいことはもちろんですが、その前年の1968年にアポロ8号がした仕事もアポロ11号がした仕事に負けず劣らず大きなものでした。アポロ8号が月の周りを回って月の裏側から表側に出る時、月の地平線から地球が昇るのが見えましたから、乗組員はその写真を撮りました。その写真は「アースライズ Earthrise」と名付けられて、とても有名な写真になりました。太陽が昇るSunriseではなくて、地球が昇るのでEarthriseというわけですね。


Earthrise(NASAホームページ www.nasa.gov より)

 このアポロ8号の乗組員によるEarthriseの写真は、地球が小さな星であることを人類に教え、「宇宙船地球号」という新しい概念を目に見える形で示しました。人類は皆、宇宙船地球号という一つの船に乗船している者たちです。このことが世界を平和へと導いている役割は甚だ大きいと私は考えています。宇宙船地球号の考え方は環境問題に大きな役割を果たしたと言われていますが、私はそれに負けず劣らず平和の働きにも大きく貢献したと考えます。一方、人間サイズのイエスさまを多く語って来たキリスト教が平和に貢献している度合いは残念ながら宇宙船地球号よりも小さいと言わざるを得ないと思います。
 しかしながら、たとえばヨハネの福音書を読めば、実は2千年も前からヨハネは宇宙スケールの神様としてのイエスさまを語っていたことが分かります。この宇宙スケールのイエスさまへの理解を多くの人々が深めることができるなら、アポロ8号のEarthriseの写真が世界を変えた以上の平和のための働きができると私は信じています。きょうは、このことにはこれ以上触れませんが、皆さんに少しずつ神様としての大きなスケールのイエスさまに慣れていっていただいて、いずれは話したいと願っています。

昨日も今日も、とこしえに変わらないイエス・キリスト
 いま話したような理由で、宇宙スケールのイエスさまにもっと多くの人々が目を向けるようになることで世界はもっと平和へと向かって行くと私は信じています。ガガーリンが宇宙飛行を成し遂げた1961年以前まではキリスト教が人間サイズのイエスさまを重視したのは仕方がなかったと思います。1世紀から2世紀に掛けては人間としてのイエス・キリストは実在しなかったという異端の教え(例えば仮現論)も横行しましたから、それらの異端を排斥するためにも人間としてのイエスさまを強調せざるを得なかったという事情もあったかもしれません。しかし、人類がロケットで宇宙に飛び出して行けるようになった現代においては、神様としての宇宙スケールのイエスさまにも私たちはもっと目を向けるべきだと思います。
 きょうの聖書箇所とメッセージのタイトルを3/31の沼津教会の最終礼拝のものと同じにしたのも、時間と空間を越えた神様としてのイエスさまのことを共に分かち合いたいと願ったからです。週報のp.3にヘブル人への手紙13章8節を載せておきましたから、これをご一緒に読みましょう。

ヘブル 13:8 イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。

 イエス・キリストは4/14の今日も、2週間前の3/31も変わることがありません。わずか2週間で変わるはずもありませんが、10年前に私たちが沼津教会の特別集会に行った時ともイエス・キリストは変わっていません。私たちは10年分の歳を取りましたが、イエス・キリストは変わりません。そしてイエスさまは2千年前からも変わっていませんし、それだけでなく神様としてのイエスさまは宇宙を創造する前の初めの時から変わっていません。同じく週報のp.3にヨハネの福音書の1章1節を載せておきましたから、こちらもご一緒に読みましょう。

ヨハネ1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

 「ことば」というのは、神様としてのイエスさまのことですね。そして、「初めに」というのは、神様がまだ宇宙を創造する前の初めの時のことです。神様としてのイエスさまは、この頃から変わっていません。この永遠の中にいるイエスさまに心を寄せることで私たちは心の平安を得ることができます。人間の私たちは時が経てば、それだけ年を取って老いて行きます。今年が還暦の年の私は今59歳ですが、10年前に皆さんと一緒に沼津教会に行った時の神学生の私は49歳で、まだ50代になる前でした。本当に時の流れの速さを感じます。この時の流れに流されていると、人は大きな不安を感じます。しかし、永遠の中にいるイエスさまと出会うことで、心の大きな平安を得ることができます。イエスさまに出会う前には分からないことですが、イエスさまに出会った後に、そのことが分かるようになります。きょうの中心聖句の「わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります」には、そういうことも含まれています。
 この聖書箇所は、狭い意味ではイエスさまが弟子たちの足を洗ったことの意味が、今は分からなくても、後で分かるようになるということです。しかし、もっと解釈を広げるなら、イエスさまが私たちにして下さったことのすべてに当てはまります。

たどりつくべき場所に導かれて平安を得た私
 きょうは最後に、私が高津教会に通うようになってから分かるようになったことのお証しをして、メッセージを締めくくりたいと思います。
 私が初めて川崎市の高津区にある高津教会を訪れたのは約18年前の2001年の8月12日でした。どういう経緯で高津教会を訪れることになったかについては、きょうは省きます。
 さて、高津教会に通うようになった2001年よりも前の私は、いつも漠然とした不安を抱えていました。自分には精神的な支柱が無いような気がしていて、それが不安の原因のように感じていましたから、精神的な支柱を求めていました。それで色々と本を読み漁ったりもしましたが、「これだ」と思うものに出会うことができないでいましたから、いつも不安の中を生きていました。
 ただし、そういう不安を抱えているにも関わらず、自分はいつも守られているという感覚もまたありました。自分が誰によって守られているのかは分からないけれど、自分が危険な方向に向かおうとすると修正する力が働いて、道をはずれないように誰かが守っていると感じていました。大学1年生の時には交通事故に遭って救急車で運ばれたこともありましたし、やはり同じ大学1年生の時にはアパートの向かいの部屋でガス爆発の事故がありましたが、守られました。また、大学の学部生の時も大学院に進んだ時にも大学をやめようと思ったこともありましたが、危ういところで復帰して大学を卒業することができ、大学院で学位を取ることもできました。或いはまた、名古屋の大学の助手を辞めて日本語教師を目指した時も、日本語教師で食べて行くことは難しいことを知らずに目指していたのですが、幸運にも東京の大学の留学生センターの教員になることができました。これらの幸運が多くありましたから、自分は誰かに守られているという感覚がありました。しかし、守ってくれているのが誰なのかは分かりませんでした。神道の神様なのか、仏教の仏様なのか、或いはご先祖様の霊なのか、いろいろと思い巡らしていましたが、どの存在も自分を守っていてくれているようでもありし、そうでもないようでもあって確信が持てないでいました。当時の私にとっては聖書に書いてある全知全能の神様のことは全くの想定外のことでしたから、自分を守ってくれている存在として思い浮かべることはありませんでした。
 それが2001年の8月12日に初めて、住んでいたアパートの近くにあった高津教会に不思議な導きで訪れ、引き続き何週間か通ううちに、こここそが自分がたどり着くべき場所だったのだと気づき、それを確信しました。そして、自分の精神的な支柱になるべきものは聖書であることも確信し、そしてそれまでの自分は聖書に記されている神様に守られていたのだと確信するに至りました。初めて高津教会を訪れてからほんの数週間の間に私はそれらを確信して、それまで長い間に亘ってモヤモヤとしていたものが、全部すっきりと無くなって心の平安を得ることができました。精神的な支柱と自分を守ってくれている存在とは別々のものとして考えていましたが、それらが一つであることが分かって心の大きな平安を得たのでした。
 後になって考えるとイエスさまはずっと私をこのたどり着くべき場所に導いていて下さったのだと分かるようになりました。そのことが以前は分からないでいましたが、後で分かるようになりました。そういうわけで、私は高津教会が自分の人生のゴールだとその時は確信しましたから、高津教会の近くの新築のマンションを購入することにして、そこを終の住処と思い定めました。そうして私の生涯は高津で全うすることになるのだろうと思っていたところ、牧師として召し出されてマンションを売却して、こうして還暦の年に故郷の静岡に戻って来ることになりましたから、自分のこれからのことは本当に分からないものだなと思います。しかし、永遠の中にいるイエスさまが「後で分かるようになります」とおっしゃって下さっていますから、不安はありません。私に不安がないのはヘブル人への手紙の記者が書いているように、永遠の中にいるイエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがないからです。

おわりに
 イエス・キリストが変わることがないのは、イエスさまが永遠の中にいる神様だからです。そのイエスさまが現代の私たちに寄り添っていて下さり、声を掛けていて下さいますから、私たちは心の平安を得ることができます。
 これから私はこの静岡教会で、このイエスさまが与えて下さる心の大きな平安を皆さんと分かち合っていきたいと願っています。いま教会にいる皆さんとだけでなく、まだイエスさまを知らない地域の方々とも分かち合っていきたいと願っています。まだたどり着くべき場所にたどり着いていない方々がたくさんいらっしゃいます。それらの方々に教会に来ていただいて、かつての私のように、こここそが自分がたどり着くべき場所だったのだと実感していただきたいと思います。そうしてイエスさまが与えて下さる平安を共に分かち合いたいと思います。
 人間としてのイエスさまももちろん大きな平安を与えて下さいますが、父・子・聖霊の三位一体の神様としてのスケールの大きなイエスさまは、さらに深い平安を与えて下さいますから、この深い平安を多くの方々と共に分かち合いたいと願っています。
 そのことを願いつつ、きょうのメッセージを閉じます。
 お祈りいたしましょう。
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これからの伝道について(2019.4.11 祈り会)

2019-04-12 07:49:10 | 祈り会メッセージ
2019年4月11日祈り会メッセージ
『これからの伝道について』
【詩篇42篇】

はじめに
 きょうは詩篇42篇を開くことにしていますが、聖書を開くのは後半にしたいと思います。
 7日の午後に戸塚先生からの引継ぎを受けた時に、役員の方から静岡教会での伝道について、どのように考えているかという質問を受けました。その時に私は、祈り会のメッセージの中で私の考え方を話したいと答えました。これからの何週間かはこのことの説明に、この祈り会のメッセージを用いたいと思っています。

何を伝えるべきか
 伝道の重要性は私も骨身にしみて分かっているつもりです。前任の沼津教会では、新しい方がなかなか来なくて受洗者も与えられませんでした。それで、ちょうど会堂が老朽化の限界に達したこともありましたから、交通量が多くて目立つ県道沿いに新会堂を建てる計画を立てて、あと一歩というところまで漕ぎ着けましたが、結局、教会を閉じることになりました。新会堂を建設すれば教財勢が増えるだろうという期待は傍から見れば考え方が甘いと取られると思いますから、それが教会を閉じることにつながったとも言えると思っています。どのような会堂であろうと、まずはその会堂が入り切れないぐらいに来会者が増えて、そうなった時に初めて新会堂の建設を考えるというのが本来の姿なのだろうと思います。そういう経験をしましたから、私はこの静岡ではとにかく新しい方に来ていただいて、まだイエスさまを知らない方々にイエス・キリストを宣べ伝えたいと切に願っています。
 では、どういう伝道活動をするかということですが、まず思い付くのは、昔から多くの教会で用いているチラシ配布や、この教会が玄関に置いているウェルカムボード、或いはインターネット伝道などですね。これらはもちろん、とても大事です。しかし、私が皆さんと分かち合いたいと思っているのは、まずは伝道の中身のほうです。まず何を伝えるかをある程度分かち合ってから、具体的な方法の相談へと移って行けたらと思っています。
 キリスト教で何を伝えるかは、キリスト教の中心メッセージに決まっているではないかと思う方も多いだろうと思います。キリスト教の中心メッセージと言えば、例えばヨハネ3:16ですね。

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 もちろん、ヨハネ3:16のようなキリスト教の中心メッセージを伝えることが重要であることは言うまでもありません。ただ、ヨハネ3:16は私たちクリスチャンにとってはとても味わい深い聖句ですが、一般の日本人には馴染みにくいものだと思います。特に現代人は未来にあまり大きな希望を持っていません。私が静岡で小学生だった1970年前後は、「21世紀」という言葉は明るいバラ色の未来の象徴のような言葉でした。この時代の人々の多くは未来になればなるほど科学技術が発達して世の中はどんどん良くなるというような希望を持っていたと思います。しかし、実際の21世紀は少しもバラ色ではありませんでした。そういう意味で21世紀の現代人は昔と比べて未来に希望を持てなくなっていると思います。ですから未来の「最後の審判」の話をしてもピンと来ないのではないかとも思います。そういうわけでキリスト教の初心者には、入口を変えてみるのも一つの手であると思います。
 それから、信仰歴が長いクリスチャンでも多くの方がまだ気付いていないキリスト教の魅力があると思いますから、それについても、お伝えできたらと願っています。この、信仰歴が長いクリスチャンでも、多くの方がまだ気付いていないことをお伝えすることについては、実は私の中でもまだ迷いがあります。姫路と沼津でお伝えしようとして、なかなか伝わらなかったからです。ですから静岡では、同じ過ちを繰り返さないように慎重になるべきだとも思います。しかし一方で、還暦の年に私がこの故郷の静岡に戻って来たのは、この伝わりにくいことを伝えるためではないのかという気もしています。それまで暮らしたことが無かった土地へ私が赴任して、教会の皆さんに聞き慣れない話をしても伝わらないのは当然かもしれません。しかし、この静岡は私にとっては故郷ですから、静岡の皆さんに対しては、聞きやすい話にすることができるかもしれない、そんな期待感があります。なぜ、そうまでして私が伝わりにくい話をしたいかというと、今のキリスト教の伝道が困難な状況が、このことによって打開できる可能性を私は感じているからです。今までのクリスチャンには馴染みのない話であるからこそ、もし伝わるようになるなら新しい風が吹いて、今の困難な状況を打開できるのではないか、そんな予感がしているからです。

聖書の読者のレベルの三分類
 きょうは、その触りの部分だけを話すことにして、次週以降にもう少し詳しく話したいと思います。それに当たっては、まず聖書の読者のレベルを初級・中級・上級の三つのレベルに分けてみたらどうかと考えています。これは、私が以前、大学の留学生センターで外国人留学生を対象に日本語の初級・中級・上級を教えていたことに基づいています。皆さんにとっては英語の初級・中級・上級を考えれば、想像しやすいかもしれませんね。私たち日本人で英語が上級の人はそんなにはいないでしょうね。聖書の読者の上級者もそんなにはいないでしょう。じゃあ、お前はどうなんだと言われれば、私も上級者ではありません。しかし、聖書の読者の上級者とはどのような者かについては語れると思っています。聖書の読者の上級者とは私の考えではイエスさまの愛弟子です。ヨハネの福音書に登場する「イエスが愛された弟子」、すなわち「イエスの愛弟子」が、聖書の読者の上級者と言えるでしょう。この上級者の「イエスの愛弟子」や中級者については、この祈り会でいずれ話すことにしたいと思いますが、その前にまず初級レベルについて話したいと思います。初級レベルの聖書の読者には、どのような新しい伝え方が考えられるか、最近の私の考えを話したいと思います。
 では、詩篇42篇を交代で読みましょう。

42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
42:2 私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。
42:3 昼も夜も私の涙が私の食べ物でした。「おまえの神はどこにいるのか」と人が絶えず私に言う間。
42:4 私は自分のうちで思い起こし私のたましいを注ぎ出しています。私が祭りを祝う群衆とともに喜びと感謝の声をあげてあの群れと一緒に神の家へとゆっくり歩んで行ったことなどを。
42:5 わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。
42:6 私の神よ私のたましいは私のうちでうなだれています。それゆえ私はヨルダンとヘルモンの地からまたミツアルの山からあなたを思い起こします。
42:7 あなたの大滝のとどろきに淵が淵を呼び起こしあなたの波あなたの大波はみな私の上を越えて行きました。
42:8 昼には【主】が恵みを下さり夜には主の歌が私とともにあります。私のいのちなる神への祈りが。
42:9 私はわが巌なる神に申し上げます。「なぜあなたは私をお忘れになったのですか。なぜ私は敵の虐げに嘆いて歩き回るのですか。」
42:10 私に敵対する者たちは私の骨を砕くほどに私をそしり絶えず私に言っています。「おまえの神はどこにいるのか」と。
42:11 わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。なぜ私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い私の神を。

 この詩篇42篇には、これからの伝道に関するヒントがたくさん詰まっていると私は感じています。

神殿を重視していた旧約の時代と初期のキリスト教
 詩篇の時代は言うまでもなく旧約の時代ですから、聖霊はまだ預言者たちだけにしか注がれていませんでした。新約の時代のペンテコステの日以降にはイエス・キリストを信じるなら誰でも聖霊を受けることができるようになりましたが、旧約の時代にはそうではありませんでした。旧約の時代、聖霊を受けたモーセやイザヤなどの預言者たちは天の神様の声を聖霊を通して聞き、それを一般の人々に伝えていました。このように一般の人々は預言者を通してという間接的な方法でしか神様の声を聞くことができませんでしたから、神様のことをあまり身近に感じることができませんでした。しかしエルサレムの神殿に行けば神様の臨在に触れて神様を身近に感じることができます。それゆえ詩篇42篇の詩人はエルサレムの神殿に行きたくて仕方がありませんでしたが、詩人が住んでいるのはエルサレムから離れていたために、なかなか神殿に行くことができないでいました。それため詩人の魂は神様を慕いあえいでいました。
 このように旧約の時代においては、神殿は非常に重要な場所でした。そして神殿はイエスさまにとっても重要な場所でした。イエスさまはガリラヤ地方からエルサレムに着いた時に神殿で商売をしていた人たちに向かって、「わたしの父の家を商売の家にしてはならない」(ヨハネ2:16)と言っていますね。12歳の時のイエスさまも「わたしが自分の父の家にいるのは当然である」(ルカ2:49)と言っていますね。また、使徒の働きのペテロやヨハネたちも神殿で祈りを捧げています。このエルサレムの神殿はイエスさまの十字架から約40年後の紀元70年にローマ軍の攻撃によって焼失してしまいましたから、それ以降のクリスチャンは神殿を重視しなくなりました。しかし、焼失する前にはイエスさまやペテロたちも神殿を重視していたのですから、現代の私たちももっと神殿を重視しても良いのではないかと思うようになりました。

似ている点がある神殿礼拝と神社参拝
 私は子供の頃に静岡の浅間神社でよく参拝していました。私が教会に通うようになったのは40歳を過ぎてからでしたから、静岡の浅間神社だけでなく札幌の北海道神宮でもよく参拝しましたし、東京の明治神宮でも熱心に参拝していました。これらの神社で私は健康や安全を祈っていたように思います。試験に合格したいという具体的な願いがあった時期には、そのことを祈りましたが、特別な願いが無い時には健康と安全を祈っていたように思います。この時の私は、神社に祀られている神に祈っていたわけではありません。明治神宮には明治天皇が祀られていますが、私は明治天皇を思い浮かべながら祈っていたわけではありません。どこの神社に行っても、個々の神社の神々ではなくて、もっと大きな存在に祈っていたと思います。それは私に限らないと思います。浅間神社でお参りする人は誰が祀られているかを知らずにお参りしている人が大半ではないかと思います。
 私にとって神社とは宇宙を支配する神への入口のようなもので、どこの神社でお参りしても、個々の神社の社殿を突き抜けて宇宙を支配する神へと祈りが向かっていたように思います。キリスト教も天の父に呼び掛けますし、神殿が存在していた時代には神殿で祈っていましたから、見方によっては非常に似ているとも言えると思います。もちろんキリスト教を深く学べばキリスト教で天の父を礼拝するのと神社に参拝するのはぜんぜん違うと分かりますが、初心者への入口としてなら活用することを考えても良いのではないかという気がしています。
 天の神様は私たちを守って下さいますから、私たちは健康と安全を願って祈ります。そして神社に参拝する人々の多くも、健康と安全を願っています。そういう共通の願いを入口にして教会にお誘いするという方法もあるのではないかという気がしています。そうして初級から中級、中級から上級へと進むなら、より魅力的な世界がそこにはあること示して聖書を読むことの楽しさをお伝えしたいという希望が、私の中にはあります。
 日本のキリスト教は欧米の宣教師によってもたらされましたから、日本人の多くがキリスト教は西洋の宗教だと思い込んでいます。また、欧米の宣教師たちは日本の神社やお寺を異教の宗教施設という目で見ましたから、日本のクリスチャンもそういう目で神社やお寺を見る傾向があると思います。しかし、イエスさまやペテロたちも神殿で礼拝をしていたのですから、日本人の初級者がもっと教会に来ていただくためには、聖書に出て来る神殿と神社の類似性をアピールしても良いのではないかという気がしています。

おわりに
 きょうは、もう時間がありませんから、ここまでにしておきます。来週もまた詩篇42篇を開いて、さらに深めて行きたいと思います。
 お祈りいたします。

42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
コメント

沼津から転出しました

2019-04-10 20:08:54 | 折々のつぶやき
 4月10日に沼津を離れて静岡に引っ越しました。
 荷物搬出後の掃除を信徒さんが手伝って下さいましたから感謝でした。





コメント

4月7日の礼拝について

2019-04-05 05:53:22 | 折々のつぶやき
 4月以降の礼拝は、今沢では行いません。
 次聖日の4月7日、各教会員は沼津シオン・キリスト教会他の、これから所属するそれぞれの教会で礼拝を守ります。
 小島牧師はインマヌエル静岡キリスト教会の礼拝に出席します。4月7日の静岡教会の礼拝説教は戸塚牧師が行います。その後、午後に役員会が開催されて戸塚牧師からの引継ぎを受ける予定です。小島牧師は4月14日から静岡教会で礼拝説教を行います。4月11日(木)の静岡教会の祈祷会をどうするかは、7日の役員会で相談します。
コメント

読者の皆様へ

2019-04-02 08:13:55 | 折々のつぶやき
 このブログを読んで下さり、ありがとうございます。
 来週以降も、タイトルを変えて本ブログを継続することを考えています。
 引き続き、よろしくお願いいたします。
コメント

後で分かるようになります(2019.3.31 最終礼拝)

2019-04-02 08:06:44 | 礼拝メッセージ
2019年3月31日最終礼拝メッセージ
『後で分かるようになります』
【ヨハネ13:1~7】

はじめに
 インマヌエル沼津キリスト教会は、きょうの礼拝を最後に52年間の教会活動を終えます。
 その最終礼拝のメッセージの箇所として選んだのは、ヨハネの福音書13章7節のイエスさまのことばの、

ヨハネ13:7 わたしがしていることは、今はわからなくても、後で分かるようになります。

です。
 まずは、この聖句に関する私の個人的な思い出から話を始めます。

どうして、こんなことが起きるのだろう
 この「後で分かるようになります」が語られた日のことを、私は今でも鮮明に覚えています。それは2011年の5月の第一聖日にインマヌエル京都西教会で行われた、額田牧師(当時)の着任礼拝の日でした。額田先生は、この箇所を開いて、京都西教会でのご奉仕を始められました。
 2011年はご承知の通り、東日本大震災が起きた年です。2011年の3月、私は神学生の3年生で間もなく4年生になるという時期でした。4月になったらインターン実習でどこかの教会に派遣されることになっていました。姫路教会に遣わされることが3月の初めには決まっていたようですが、私には知らされていませんでした。さて3月11日の数日後に私は当時の国内教会局長の藤本先生から、当面2,3ヶ月の間、京都西教会に行くようにと言われました。京都西教会へは、仙台教会の副牧の額田先生が主牧として赴任することになっていましたが、仙台も地震の被害が甚大で混乱しているから、当分の間は引越しができそうもない、その間、つなぎで礼拝の奉仕等をしてほしいとのことでした。
 それで私は急きょ京都西教会に赴くことになって、奉仕を始めました。聖日の礼拝と午後の集会の奉仕、水曜の祈祷会、そして会計の事務作業も含めてすべてを一人で行わなければならず、神学生の私にとっては初めてのことが多かったですから、本当に大変でした。また、つなぎでの奉仕ということで、前任の先生が牧師館のカーテンをはずして持って行ってしまった中、私はカーテンの無い生活をしなければならないなど、奉仕面以外の苦労もありました。このカーテン無しの生活が2,3ヶ月続くのかなと思っていたところ、額田先生が思ったよりも早くに仙台からの引越しができることになって、5月の第一聖日には額田先生の着任礼拝ができることになりました。そうして私は、この着任礼拝の後で姫路に引っ越しました。
 この着任礼拝のメッセージで額田先生は3月11日の大震災が起きた直後の様子、ご自身が味わった恐怖、また被害に遭った教会員のことや周囲の人々について語られました。そして、このような大変なことがどうして起きたのか、今の自分には分からないけれど、イエスさまは「後で分かるようになります」とおっしゃっていると話されました。この説教を聞いた時、私はすぐには理解できませんでした。当時まだ私はヨハネの福音書のことをよく分かっていなかった時でしたし、何よりもこの聖書箇所は、イエスさまが弟子たちの足を洗った場面であり、イエスさまは、この足を洗った行為について、「今は分からなくても、後で分かるようになります」とおっしゃっています。それを額田先生が大震災に当てはめたことに、若干の戸惑いを感じました。
 しかし今は当時の額田先生の気持ちが分かるようになりました。沼津教会の私たちもまた、「どうして、こんなことが起きるのだろう」という経験をしました。神様が会堂献金を祝して下さり、私たちは隣の土地を購入しました。そうして、新会堂の設計図もできて、金融機関からの融資の内諾も得て、着工まであと一歩というところまで漕ぎ着けました。それなのに、それは適わず、きょうのこの最終礼拝の日を迎えて、私たちは次のステップに進むことになりました。この、次のステップを私たちは受け入れて教会総会で承認の議決をしました。しかし、それでもやはり「どうして、こんなことになったのか」という思いが少し残ります。そういう中で、私は8年ぶりで2011年の5月第一聖日の額田先生の着任礼拝でのメッセージを思い出すこととなりました。

過去と未来とを結ぶ素晴らしいみことば
 今回、2011年の当時のことを思い出しながら、この聖句について思いを巡らす中で、このイエスさまの「わたしがしていることは、今はわからなくても、後で分かるようになります」というみことばは、過去と未来とを結ぶ、素晴らしいみことばだと気付くに至り、とても恵まれる思いがしました。それは、こういうことです。
 今は分からなくても、後で分かるということは、今と未来とがしっかりとつながっているということです。そして、過去に分からなかったことでも、今になって分かったことがたくさんあります。例えば、この聖句の奥深さを8年前の2011年の私は分かっていませんでしたが、2019年の今はよく分かるようになりました。未来においては、きっともっとよく分かるようになることでしょう。
 そうして、今私は、静岡教会の着任礼拝においても、この『後で分かるようになります』のタイトルでメッセージを取り次がせていただこうかと思っています。イエスさまが過去にも未来にもいて、永遠の中で私たちとつながっていて下さっていることの恵みを、共に分かち合いたいと思うのです。
 思い返すと、私が初めてこの沼津教会を訪れたのは2009年の7月で、当時私は神学生の2年生でした。ちょうど静岡教会での夏季実習に入ったばかりの頃で、静岡教会の皆さんと車に相乗りして、沼津まで来ました。会堂内に人が入りきらなくて沼津の皆さんの何人かは廊下にいましたね。2009年ですから10年前のことですが、10年前の私はその4年後の2013年に牧師として再び沼津に来ることになろうとは、まったく分かっていませんでした。そして2013年の私は6年後の2019年に静岡教会の牧師になることになるとは、まったく分かっていませんでした。しかし、永遠の中にいるイエスさまは分かっておられます。そして今の2019年の私は、自分がこの先、どのような道を歩むことになるか、分かっていません。私たちには未来のことは分からないからです。しかし、イエスさまはおっしゃいます。「後で分かるようになります」と。
 私たちが会堂問題と合併問題の嵐の中で翻弄されたことも、どうしてそういうことになったのか、今は分かりません。でも後でわかるようになります。それが分かるのが一体いつのことなのか、もしかしたら私たちが地上生涯を終えた後かもしれませんが、それでも良いと思います。イエスさまは私たちを愛して下さり、私たちもイエスさまを愛しています。そのイエスさまが「後で分かるようになります」とおっしゃって下さっていますから、それがいつであろうと構いません。このようにしてイエスさまを信頼して共に歩むことができる私たちは素晴らしい恵みをいただいている、と言えるのではないでしょうか。
 沼津教会とシオン教会とのつながりも、私が沼津に着任する前からあったそうですね。シオン教会で、会堂についての勉強会が静岡教会も含めた三教会で持たれたと聞いています。その時には、その後の展開を誰も分かっていなかったと思いますが、後で分かるようになりました。私が聖餐式の執行を荻野先生に最初にお願いした時にも、未来において二つの教会が一つになることは分かっていませんでした。過去も未来も一つの中にいるイエスさまにとっては、沼津教会もシオン教会も静岡教会も一つです。そのことを感じますから、私は静岡教会の着任礼拝ではきょうのタイトルと同じ「後で分かるようになります」でメッセージを取り次がせていただきたく思いますし、いま沼津教会が使っているgooのブログをそのまま、タイトルだけ変えて静岡教会で使わせていただこうと思っています。

イエスさまの教えは理解するのに時間が掛かる
 ぶどうの木の枝としてイエスさまにつながっている私たちは、沼津教会員であってもシオン教会員であっても静岡教会員であっても韮山教会員であっても湘南中央教会員であっても一つです。ヨハネの福音書15章の5節を、ご一緒に読みましょう(週報p.3)。

ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。

 このようにイエスさまのみもとでは、皆が一つとされています。そして、これは現代のクリスチャンだけでなく、時間を越えて過去と未来のクリスチャンとも一つにされています。ですから私たちは1世紀の使徒たちとも一つにされています。
 今回、私は「後で分かるようになります」についての思い巡らしをする中で、福音書の記者たちがなぜ何十年も経ってから福音書を書いたのかも、何となく分かったような気がしました。やはり、イエスさまの恵みについて分かるのには時間が掛かり、だいぶ後で分かるようになったということではないのかなと思いました。イエスさまが十字架に掛かったのが紀元30年頃で、マタイ・マルコ・ルカの福音書が書かれたのが紀元60年代から70年代に掛けて、ヨハネの福音書が書かれたのが紀元90年代であると考えられています。イエスさまの十字架の直後に福音書が書かれたのでなくて何十年も掛かったのは、やはりイエスさまの教えが本当に分かるには、それぐらいの時間が掛かるのかもしれません。別の言い方をすれば、イエスさまの教えはそれぐらい奥深いものであると言えるのではないでしょうか。
 ペンテコステの日に聖霊を受けたペテロはエルサレムの人々の前で立派な演説をしましたが、それは聖霊に満たされて導かれていたからであり、ペテロ本人もイエスさまの教えをまだまだ深くは分かっていなかったのではないかなと思います。
 パウロが本格的な宣教活動をアンティオキアの教会で始めたのも、パウロがダマスコ途上でイエスさまに出会ってから十数年後(13~14年後)のことです。

おわりに
 神様はその時、その時に必要なことを教えて下さいます。何が、神様からの語り掛けなのかを判断することは難しいですが、私の判断基準は、それまで自分が一度も考えたこともないことがフッと思い浮かんだ時には、それは神様からの語り掛けだろうと判断しています。
 たとえば、今の教会のブログを静岡教会で引き続き使おうと思ったのは10日ほど前にブログの訪問者数が17万人を越えた時でした。それまでは静岡に行ったら新しいブログを立ち上げようと、そのことしか考えていませんでした。それが急に静岡教会でも引き続き使いたいと思いましたから、それは神様からの語り掛けによって示されたのだと考えています。
 静岡教会での着任礼拝のタイトルを、きょうの最終礼拝と同じ『後で分かるようになります』にしたいと思ったのも、この説教の準備中の一昨日のことで、それまで私は静岡の着任礼拝ではイザヤ40章1節の「慰めよ、慰めよ、わたしの民を」にしようと考えていました。しかし、すべてのクリスチャンは時間と空間を越えて一つとされているということを思い巡らしている時に、沼津と静岡のメッセージのタイトルを同じにすべきという考えがフッと浮かびましたから、それは神様が示して下さったものだと思います。きょうの聖餐式をどのようなものにすべきかも、先週の祝祷をしている時でした。
 シオン教会では月に一回聖餐式を行っていますから、シオンに行かれる皆さんは、また早々に聖餐の恵みに与ることと思います。私たちはシオン教会の皆さんとも時間と空間を越えて一つにされています。その他の教会の皆さんとも、私たちはもちろん時間と空間を越えて一つにされています。これから先、聖餐の恵みに与る時には、このことを思い出していただけたらと思います。
 最後に二箇所、聖書をご一緒に読んで、聖餐式に移りたいと思います。週報のp.3に記した、ローマ人への手紙12章10節とヨハネの福音書17章20節から23節です。

ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。

 それぞれが、これから行く教会の方々と兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いながら、信仰生活を歩んで行きたいと思います。
 続いてヨハネの福音書17章20節から23節までを交代で読みましょう。

ヨハネ17:20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。
21 父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。
22 またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
23 わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。

 お祈りいたしましょう。
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