2014年5月28日祈り会メッセージ
『同じ誤ちを繰り返す愚かさを悔い改める』
【使徒3:11~26】
3:11 この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々がみないっせいに、ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た。
3:12 ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
3:13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
3:14 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
3:15 いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
3:16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。
3:17 ですから、兄弟たち。私は知っています。あなたがたは、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたのです。
3:18 しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。
3:19 そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
3:20 それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。
3:21 このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。
3:22 モーセはこう言いました。『神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。
3:23 その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。』
3:24 また、サムエルをはじめとして、彼に続いて語ったすべての預言者たちも、今の時について宣べました。
3:25 あなたがたは預言者たちの子孫です。また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける』と言って、あなたがたの父祖たちと結ばれたあの契約の子孫です。
3:26 神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」
はじめに
前回まで使徒の働き2章を3回に渡って見て来ました。きょうは3章です。いま読んだ箇所にはペテロの説教が記されています。2章にもペテロの説教が長く記されていましたが、3章もまた、ペテロの説教が記されているのですね。
はじめに、ペテロがここで説教をするに至った経緯を簡単に見ておきます。それは3章の1節から10節までに記されています。
この日、ペテロとヨハネは祈りの時間に宮に上って行きました。宮というのは、エルサレムの神殿のことです。すると、「美しの門」という宮の門に、生まれつき足のなえた人が運ばれて来ました。この男に対してペテロは言いました。6節です。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」
するとたちまち、彼のなえていたの足とくるぶしが強くなり、踊り上がってまっすぐに立ち、歩き出しました。そして歩いたり、跳ねたりしながら、神を賛美しつつ、ペテロとヨハネと一緒に宮に入って行きました。これを見て、宮に来ていたユダヤ人たちは驚き、あきれました。12節以降のペテロの説教は、これら宮で驚き呆れていた人々に向かってされたものです。
「私たち」がキリストを十字架に付けた
この3章のペテロの説教を読んで私は、2章を読んで感じていたことを、さらに強く感じ、考えを発展させることができたと感じています。2章のペテロの説教を取り上げた時に私は、「私たち」がイエス・キリストを十字架に付けたという意識をここから学びたいということを話しました。「私」という個人がキリストを十字架に付けたと思うことも重要だと思いますが、それ以上に、グループとしての「私たち」がキリストを十字架に付けたということを重く捉えたいと私は思いました。
そして、「私たち」がキリストを十字架に付けたという意識が、「私たち」は一つにならなければならないという、御霊の一致の意識を強く持つことへとつながって行くのだと思います。
先週学んだように、弟子たちには聖霊が注がれ、そして使徒の働き2章44節から47節を見ると、
2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
2:45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。
とありますから、弟子たちは御霊の一致を熱心に保っていました。このような御霊の一致を求める意識は、「私」がキリストを十字架に付けたという思いからは、なかなか生まれて来ないように思います。しかし、「私たち」がキリストを十字架に付けたという意識を持つなら、私たちは一つにならなければならないという御霊の一致へと向かって行けるのだと思います。
まず旧約聖書から語り始めるペテロ
そして、2章と同様に3章の説教でもペテロは、「あなたがた」がイエスを殺したと言っています。13節から15節をお読みします。
3:13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
3:14 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
3:15 いのちの君を殺しました。
ペテロは、人々がこのようにイエスを殺してしまったのは、あなたがたの無知のためであったと言っています。17節です。17節、
3:17 ですから、兄弟たち。私は知っています。あなたがたは、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたのです。
そしてペテロはさらに続けます。18節と19節、
3:18 しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。
3:19 そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
ユダヤ人たちは、無知の愚かさ故に、罪を犯してしまいました。
2章のペテロの説教もそうでしたし、3章のペテロの説教もそうですが、ペテロはまず旧約聖書に書かれていることについて人々に語っています。
旧約聖書を読むと、人がいかに神から離れやすいかが良くわかります。旧約の時代の人々は神に忠誠を誓ったかと思うと、すぐにまた神から離れて行きます。そんな愚かな人々を神は愛して下さり、預言者たちを通じて神に立ち返らせようと説得します。このように、旧約聖書を読むと、人がいかに愚かな存在であるかが良くわかります。
昔も今も同じ誤ちを繰り返す私たち
私は、現代の人々も、もっともっと旧約聖書を学んで、旧約の人々の愚かさについて学ぶ必要があるだろうと最近、特に感じています。現代人は昔の人々よりも多くの知識を持ち、ハイテクの機器も使いこなしますから、自分たちは昔の人々よりも偉いと思っている人が多いのではないかと思います。しかし、人々が愚かなことは昔も今も少しも変わりません。日本では、今、戦争を知らない世代の政府が、戦争ができる国にしようと躍起になっています。そしてまた、原発が再稼働できるようにも一生懸命になっています。昨日のニュースでは、原子力規制委員会の安全審査に厳しい姿勢で臨んでいた委員を交代させるということが報じられていました。福島第一原発の事故からまだ3年しか経っていないのに、安全審査を緩くして原発の再稼働をしやすくすることを、今の政府は目論んでいるようです。
旧約聖書のイスラエルの民は何度も何度も同じ誤ちを繰り返しました。そして日本もまた同様の誤ちを繰り返そうとしているようです。現代の人々は、新約聖書のことを古い書物だと思っていることと思いますから、まして旧約聖書はとんでもなく古い書物と思い込んでいることでしょう。しかし、旧約聖書は少しも古いことはなく、人々が昔も今も同じように愚かであって、人は何度でも同じ誤ちを繰り返すことを教えてくれています。
おわりに
今の世の中を、神様はどのようにご覧になっているでしょうか。旧約の民と変わらず愚かである民のことを嘆き、怒り、しかし憐みをもって愛して下さっていることと思います。ですから私たちも、ペテロの熱心さをもって人々に聖書の教えをお伝えして行きたいと思います。聖霊が注がれている私たちには、その力が与えられていますから、熱心に伝道に励んで行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。
『同じ誤ちを繰り返す愚かさを悔い改める』
【使徒3:11~26】
3:11 この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々がみないっせいに、ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た。
3:12 ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
3:13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
3:14 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
3:15 いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
3:16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。
3:17 ですから、兄弟たち。私は知っています。あなたがたは、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたのです。
3:18 しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。
3:19 そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
3:20 それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。
3:21 このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。
3:22 モーセはこう言いました。『神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。
3:23 その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。』
3:24 また、サムエルをはじめとして、彼に続いて語ったすべての預言者たちも、今の時について宣べました。
3:25 あなたがたは預言者たちの子孫です。また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける』と言って、あなたがたの父祖たちと結ばれたあの契約の子孫です。
3:26 神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」
はじめに
前回まで使徒の働き2章を3回に渡って見て来ました。きょうは3章です。いま読んだ箇所にはペテロの説教が記されています。2章にもペテロの説教が長く記されていましたが、3章もまた、ペテロの説教が記されているのですね。
はじめに、ペテロがここで説教をするに至った経緯を簡単に見ておきます。それは3章の1節から10節までに記されています。
この日、ペテロとヨハネは祈りの時間に宮に上って行きました。宮というのは、エルサレムの神殿のことです。すると、「美しの門」という宮の門に、生まれつき足のなえた人が運ばれて来ました。この男に対してペテロは言いました。6節です。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」
するとたちまち、彼のなえていたの足とくるぶしが強くなり、踊り上がってまっすぐに立ち、歩き出しました。そして歩いたり、跳ねたりしながら、神を賛美しつつ、ペテロとヨハネと一緒に宮に入って行きました。これを見て、宮に来ていたユダヤ人たちは驚き、あきれました。12節以降のペテロの説教は、これら宮で驚き呆れていた人々に向かってされたものです。
「私たち」がキリストを十字架に付けた
この3章のペテロの説教を読んで私は、2章を読んで感じていたことを、さらに強く感じ、考えを発展させることができたと感じています。2章のペテロの説教を取り上げた時に私は、「私たち」がイエス・キリストを十字架に付けたという意識をここから学びたいということを話しました。「私」という個人がキリストを十字架に付けたと思うことも重要だと思いますが、それ以上に、グループとしての「私たち」がキリストを十字架に付けたということを重く捉えたいと私は思いました。
そして、「私たち」がキリストを十字架に付けたという意識が、「私たち」は一つにならなければならないという、御霊の一致の意識を強く持つことへとつながって行くのだと思います。
先週学んだように、弟子たちには聖霊が注がれ、そして使徒の働き2章44節から47節を見ると、
2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
2:45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。
とありますから、弟子たちは御霊の一致を熱心に保っていました。このような御霊の一致を求める意識は、「私」がキリストを十字架に付けたという思いからは、なかなか生まれて来ないように思います。しかし、「私たち」がキリストを十字架に付けたという意識を持つなら、私たちは一つにならなければならないという御霊の一致へと向かって行けるのだと思います。
まず旧約聖書から語り始めるペテロ
そして、2章と同様に3章の説教でもペテロは、「あなたがた」がイエスを殺したと言っています。13節から15節をお読みします。
3:13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
3:14 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
3:15 いのちの君を殺しました。
ペテロは、人々がこのようにイエスを殺してしまったのは、あなたがたの無知のためであったと言っています。17節です。17節、
3:17 ですから、兄弟たち。私は知っています。あなたがたは、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたのです。
そしてペテロはさらに続けます。18節と19節、
3:18 しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。
3:19 そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
ユダヤ人たちは、無知の愚かさ故に、罪を犯してしまいました。
2章のペテロの説教もそうでしたし、3章のペテロの説教もそうですが、ペテロはまず旧約聖書に書かれていることについて人々に語っています。
旧約聖書を読むと、人がいかに神から離れやすいかが良くわかります。旧約の時代の人々は神に忠誠を誓ったかと思うと、すぐにまた神から離れて行きます。そんな愚かな人々を神は愛して下さり、預言者たちを通じて神に立ち返らせようと説得します。このように、旧約聖書を読むと、人がいかに愚かな存在であるかが良くわかります。
昔も今も同じ誤ちを繰り返す私たち
私は、現代の人々も、もっともっと旧約聖書を学んで、旧約の人々の愚かさについて学ぶ必要があるだろうと最近、特に感じています。現代人は昔の人々よりも多くの知識を持ち、ハイテクの機器も使いこなしますから、自分たちは昔の人々よりも偉いと思っている人が多いのではないかと思います。しかし、人々が愚かなことは昔も今も少しも変わりません。日本では、今、戦争を知らない世代の政府が、戦争ができる国にしようと躍起になっています。そしてまた、原発が再稼働できるようにも一生懸命になっています。昨日のニュースでは、原子力規制委員会の安全審査に厳しい姿勢で臨んでいた委員を交代させるということが報じられていました。福島第一原発の事故からまだ3年しか経っていないのに、安全審査を緩くして原発の再稼働をしやすくすることを、今の政府は目論んでいるようです。
旧約聖書のイスラエルの民は何度も何度も同じ誤ちを繰り返しました。そして日本もまた同様の誤ちを繰り返そうとしているようです。現代の人々は、新約聖書のことを古い書物だと思っていることと思いますから、まして旧約聖書はとんでもなく古い書物と思い込んでいることでしょう。しかし、旧約聖書は少しも古いことはなく、人々が昔も今も同じように愚かであって、人は何度でも同じ誤ちを繰り返すことを教えてくれています。
おわりに
今の世の中を、神様はどのようにご覧になっているでしょうか。旧約の民と変わらず愚かである民のことを嘆き、怒り、しかし憐みをもって愛して下さっていることと思います。ですから私たちも、ペテロの熱心さをもって人々に聖書の教えをお伝えして行きたいと思います。聖霊が注がれている私たちには、その力が与えられていますから、熱心に伝道に励んで行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。