初めに光があった(1)
~原爆と聖書と聖霊~
プロローグ
初めに光があった。人々はこの光を「ピカ」と呼んだ。ピカの光を浴びた人々の多くが命を失った。ピカの直下にいた人々は強烈な放射線と熱線で即死した。ピカで空気が瞬時に高温高圧となって生じた火球からの爆風で建物が倒れ、下敷きになって圧死した人々も多い。圧死に至らずとも動けなくなり、閉じ込められたまま火炎に飲み込まれて焼け死んだ人も多いだろう。放射線の影響で後年になって亡くなった人々はさらに多い。爆心地から離れた所にいたにも関わらず、黒い雨に打たれて白血病で死んだ人もいる。家族を捜しに、まだ残留放射線量が高い時に市中に入り、原爆症を発症して亡くなった人もいる。
原爆は神の座に近い上空約1万メートルから投下され、地上から500~600メートルまで落下した時に光を放ち、その光によって多くの人々を殺した。光に対する、これほどの
冒瀆(ぼうとく)が他にあるだろうか。闇を照らすための光を人類は兵器に用いて暗黒の世をますます暗くしてしまった。神が望むこととはまったく逆の方向だ。この過ちを、私たちは二度と繰り返してはならない。
神は光によって天地創造の御業を開始して、「神は光を良しと見られた」と創世記1章は記している。
創世記1:1 はじめに神が天と地を創造された。
2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。
(引用した聖書本文中の下線は筆者による。以下も同じ)
そして、神が第六日に天地創造を終えた時、すべてのものは非常に良かった。
創世記1:31 神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。
しかし原爆は、神が良しと見られた光を用いて人を殺した。そして神が創造した地上を地獄に変えてしまった。ピカが光った日の広島と長崎は正視に耐えない悲惨な状態で人々が苦しんでいたことを、多くの証言者が伝えている。原爆によって世界の暗黒の度合いはさらに濃さを増した。そして2023年の今、核兵器が再び使用されかねない極めて危険な中を私たちは生きている。私たちは希望の光を取り戻さなければならない。そのためには聖書の光の方を向き、その光に大胆に近づいて行きたい。聖書離れが進んでいると言われる21世紀の現代であるが、聖書の光に導かれて、私たちは正しい方向に歩んで行きたい。この歩みのために、新約聖書のヨハネの福音書は最適の書の一つだ。
ヨハネ1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
4 この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
「この方」とは、神の御子イエス・キリストのことだ。この方は光である。聖書はこの方について記し、暗闇の中にいる私たちが進むべき方向を光によって示す。この光を冒瀆する過ちを二度と繰り返さないために、私たちは聖書の光への理解を深めて、次の世代へと継承して行かなければならない。

「安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから」と刻む原爆死没者慰霊碑の碑文。
後方に見えているのは原爆ドーム(広島平和記念公園 2022年8月24日筆者撮影)。
第Ⅰ部 光を閉じ込めている聖書の読者
第1章 紀元30年からの光の解放
大きな可能性を秘めている聖書
現代人の多くは聖書のことを遠い昔に書かれた古い書物であると思い込んでいる。そうして、聖書を二千年前に閉じ込めてしまっている人が多いように思う。特にイエス・キリストの言動を記したマタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨハネの福音書の四福音書については、イエスが地上で宣教した当時の紀元30年頃に閉じ込めてしまっているのではないだろうか。それゆえ現代人にとって、聖書の光は、遠い星の光のようになってしまっている。しかし聖書の光は、もっとずっと身近な存在だ。この光にもっと大胆に近づくために、私たちは聖書をもっと聖霊の助けを得ながら読む必要があるのではないか。聖霊の助けによって聖書の光を紀元30年から解放し、私たちも20世紀や21世紀の縛りから脱出して光に大胆に近づくなら、世界は大きく変わるのではないだろうか。
宗教離れが進んでいると言われている現代にあっても、聖書は依然として世界中に多くの読者を持つ。核保有国のアメリカ大統領の就任式では21世紀の現代においても聖書が用いられており、大統領は聖書の上に手を置いて宣誓する。2022年秋の英国エリザベス女王の国葬においても、ウェストミンスター寺院に世界各国の皇族や首脳が集う中で聖書が読まれた。同じく核保有国であるフランスとロシアもキリスト教の伝統を持つ国であり、聖書が読み継がれている。それゆえ聖書の光は戦争が絶えない今の世界を変えて平和に導く大きな可能性を秘めている。
しかし聖書の読者の私たちが、光であるキリストを二千年前の紀元30年頃の狭い時代に閉じ込めてしまっているように思う。それゆえ聖書の光は遠い彼方にある。たとえばヨハネの福音書1章6~8節の「ヨハネ」のことを考えてみよう。
ヨハネ1:6 神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。
7 この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。
8 彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。
新約聖書のマタイ・マルコ・ルカの福音書を読み、次いでヨハネの福音書に読み進んだ読者は、このヨハネ1:6に登場する「ヨハネ」を何の疑いも持たずに「バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)」のことであると考えるだろう。聖書の注解書は膨大な数が出版されているので、もちろん全て調べたわけではないが、私が調べた限り、ヨハネ1:6の「ヨハネ」をバプテスマのヨハネ以外の人物であると解説する注解書はない。日本語のリビングバイブルではギリシャ語の原文にはない「バプテスマの」をわざわざ挿入しているほどだ。
ヨハネ1:6-7(リビングバイブル) イエス・キリストこそほんとうの光です。このことを証言させるために、神はバプテスマのヨハネをお遣わしになりました。
ヨハネの福音書を初めて読む読者にとっては、「ヨハネ」とは確かに「バプテスマのヨハネ」のことなのであろう。しかし、この福音書を最後まで読み進めると、最後の締めくくりの2つの節には次のように記されている。
ヨハネ21:24 これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。
25 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。
21章24節によれば、この福音書を書いた記者は「その弟子」であり、その弟子とは「愛弟子」(後述)のことだ。彼はイエスについて「証し」し、この福音書を書いた。
さて、ここで極めて重要な事実を指摘しておきたい。それは、私たち読者がこの福音書を何度も何度も繰り返し読む、ということだ。最後の21章25節まで読んだら、また1章1節に戻って、この福音書を最初から読む。すると聖霊の働きによって、この福音書は読者に対して初めて読んだ時とは別の語り掛けをして来るようになる。たとえば1章6~8節は、また別の意味を持って心に響いて来るようになる。
ヨハネ1:6 神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。
7 この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。
8 彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。
21章24節の記者ヨハネ(愛弟子)による「証し」について読んだ後で1章7節と8節の「証し」を読むと、1章6節の「ヨハネ」とは、本当に「バプテスマのヨハネ」のことだろうか?もしかしたら「記者ヨハネ」のことではないだろうか?そのように、この書が語り掛けて来るようになるのだ。聖霊の助けを得ながら聖書を読むなら、読者の私たちは聖書の記者に段々と近づいて行くことができる。それは即ち、聖書の光に近づいて行くということだ。
マタイの福音書によれば、バプテスマのヨハネはイエスについて「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」(マタイ11:3)と言っていた。つまりバプテスマのヨハネはイエスを完全には信じ切れずにいた。そして彼はイエスの十字架と復活を見る前にヘロデ王に殺されてしまった(マタイ14:1-12)。
もしバプテスマのヨハネが復活したイエスに会っていたなら、彼は立派な証人となったであろう。しかし、彼はイエスの十字架のことも復活のことも知らない。イエスを完全には信じられずにいて、イエスの十字架と復活を知らずに死んだバプテスマのヨハネが「彼によってすべての人が信じるため」(ヨハネ1:7)に遣わされた「ヨハネ」と言えるだろうか?ヨハネの福音書の「ヨハネ」とは、バプテスマのヨハネではなく、「記者ヨハネ(愛弟子)」とは考えられないだろうか?もし「ヨハネ」がバプテスマのヨハネであるなら、7節の「すべての人が信じるため」の「すべての人」とはバプテスマのヨハネが生きていた時代の「二千年前のすべての人」ということになる。果たしてヨハネの福音書とは、そんなに狭い時代のことを伝えるための書であろうか。もっと時空を超えた、多くの人々に向けて書かれた書ではないのか。聖霊の助けを得ながらこの書を読むなら、そういうことが見えて来る。
よく知られているように、ヨハネの福音書は様々な点でマタイ・マルコ・ルカの福音書とは異なる記述をしている。およそ30歳のイエスの旅路はマタイ・マルコ・ルカの福音書では比較的単純だ。イエスは北方を巡ってから一度だけ南方にある都のエルサレムに上って十字架で死んだ。一方、ヨハネの福音書のイエスは東西南北を縦横無尽に行き来して、何度もエルサレムに出入りしている。イエスが宮から商売人たちを追い出した「宮きよめ」が2章という早い段階にあるのもヨハネの福音書の大きな特徴だ。また、マタイ・マルコ・ルカの福音書の最後の晩餐の場面はそれほど長くはないが、ヨハネの福音書の最後の晩餐は13~17章と五つの章にまたがる長大なものだ。その他にも、多くの異なる点がある(D.M.スミス『ヨハネ福音書の神学』(松永希久夫 訳、新教出版社 2002)が相違点を簡潔にまとめていて分かりやすい)。
両者がそれほど異なるのであれば、ヨハネ1:6の「ヨハネ」がマタイ・マルコ・ルカに登場するような「バプテスマのヨハネ」ではなかったとしても、特に不自然ということはないのではないだろうか。いや、マタイ・マルコ・ルカとの多くの相違点を考えるなら、むしろ「バプテスマのヨハネ」とは考えないほうが自然だ、とさえ言えるかもしれない。それなのに、私たちはヨハネ1:6の「ヨハネ」がバプテスマのヨハネであると完全に思い込んでいて、記者ヨハネもまた「ヨハネ」の候補である可能性を排除している。聖霊の助けを得ていないために、私たちは光の証人である「ヨハネ」を紀元30年頃に閉じ込めてしまっているのではないだろうか。そのことで、イエスもまた紀元30年頃に閉じ込めてしまっているように思う。
人類は光によって人を殺す核兵器を製造して使用した。このように光を冒瀆する過ちを二度と繰り返さないためにも、私たちは聖書の光を紀元30年から解放し、私たち自身も常識から解き放たれて、光にもっと大胆に近づく必要がある。そのためには、聖霊の助けを得ながら聖書を読むことが、どうしても必要だ。ヨハネの福音書の記者ヨハネは、そのことを私たち読者に強く訴え掛けている。(つづく)
※追記:聖霊の助けを得ながら聖書を読むべきことを、何箇所かに書き足しました(2023.8.14)