平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

5:25-30(ヨハネの福音書注解)最後の審判

2017-12-11 09:40:57 | ヨハネの福音書注解
ヨハネ5:25-30 最後の審判

25 まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。27 また、父はさばきを行う権を子に与えられました。子は人の子だからです。28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。29 善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。30 わたしは、自分からは何事も行うことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。

 ここでは「最後の審判」のことが語られており、次の31節からはバプテスマのヨハネの証言について語られ始める。それゆえ背後の「使徒の時代」は30節までで一旦終了してリセットされ、すごろくの振り出しに戻るような構成になっている。
 このようにヨハネの福音書1~12章の背後の「使徒の時代」は二部構成になっている。これは使徒の働き(使徒行伝)がペテロ編とパウロ編の二部構成になっているのを模しているのかもしれない。ヨハネの福音書の背後の「使徒の時代」もペテロ編とパウロ編になっているとも言えるからだ。このことについては、次回以降で説明することにしたい。
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