インマヌエル沼津キリスト教会

Immanuel Numazu Christ Church
沼津市今沢34番地

今朝の隣地(2016.1.31)

2016-01-31 13:46:16 | 牧師のつぶやき
 隣地の整地は最終段階で少し時間が掛かっています。
 また先週の金曜日と土曜日は雨天だったこともあって、工事の完了は今週に持ち越しとなりました。





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強くあれ(2016.1.31 礼拝)

2016-01-31 13:43:56 | 礼拝メッセージ
2016年1月31日礼拝メッセージ
『強くあれ』
【ヨシュア1:1~6、ハガイ2:1~5】

はじめに
 きょうは、大切な教会総会の日です。その前に短く聖書に目を留めて、私たちの心を整えたいと思います。
 きょうの礼拝の始めに交読したイザヤ35章の中には「強くあれ、恐れるな」という表現がありました。また、いま朗読したヨシュア1章とハガイ2章にも「強くあれ」という励ましの言葉がありました。旧約聖書には、しばしばこの「強くあれ」という励ましの言葉が出て来ます。それらはモーセやダビデなどのリーダーが人々を励ますために言った場合もありますし、或いはまた主ご自身が「強くあれ」と仰せられて、ご自分の民を励ますこともありました。きょうは、そのように主ご自身が人を励ましている場面を、ヨシュア記とハガイ書を開いて、ご一緒に見てみたいと思います。

弱くて力がない者たちを励ます主
 まずヨシュア記の1章です(旧約聖書p.369)。1節、

1:1 さて、【主】のしもべモーセが死んで後、【主】はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。

 ここで主は、モーセの後を引き継いで新しくリーダーになったヨシュアを励ましています。

1:2 「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。
1:3 あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。

 これからイスラエルの民は、いよいよヨシュアに率いられてヨルダン川を渡ってカナンの地に入って行くところです。4節、

1:4 あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。

 この時よりも40年前、イスラエルの民はエジプトを脱出して間もなく、約束の地に入ることができる筈でした。しかし、これから入ろうとしている土地に住んでいたカナン人たちがとても強そうに見えたために恐れをなして、エジプトに引き返そうと言いはじめました。このことに主は大変に怒り、イスラエルの民は荒野を40年間も放浪することになってしまいました。そして40年後、ヨシュアたちがこれから入ろうとしている約束の地のカナン人たちが強いことは40年前と変わりありません。ですから、やはりイスラエルの民は口には出さなくても不安があったと思いますし、ヨシュアも新しくリーダーになったばかりでしたから、そんなイスラエルの民を率いていかなければならないということで、様々な不安があったことと思います。そんなヨシュアを主は励ましました。

1:5 あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

 主はヨシュアに、「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共にいよう」とおっしゃって下さいました。主が共にいて下さるなら、これほど心強いことはありません。

6節、

1:6 強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。

 主は「強くあれ。雄々しくあれ」と仰せられてヨシュアを励ましました。このヨシュアへの主の励ましの言葉を、私たちへの励ましの言葉として聞きたいと思います。
 きょうのこのメッセージの後で教会総会に入りますが、まずは総会資料で昨年の教勢と財勢をご一緒に振り返ります。去年、私たちの教会は会堂献金と上下半期献金は大変に祝されましたが、その他は集会の出席者数も基本献金もダウンしました。そういう意味で私たちは弱いイスラエルの民と同じです。エジプトを脱出したすぐ後のイスラエルの民は、自分たちは弱く力が無いので、とても約束の地に入ってカナン人たちと戦うことはできないと考えました。
 私たちの教会も教勢と財勢を見るなら、弱くて力がありません。教勢と財勢だけを見るなら、この先、本当に会堂問題の戦いの中に入って行くことができるのか恐れを感じます。しかし主は、この1年、会堂問題を目に見える形で前進させて下さることで私たちに「強くあれ。雄々しくあれ」と励まして下さいました。いま隣の土地にはもうアパートの建物はありません。そして間もなくこの土地は教会の所有地になります。
 このような状況は、1年前の教会総会の時には全く想像もしていなかったことです。主は私たちに目の前の物件を見せ、目に見える形で事態を動かすことで、私たちを励まして下さっています。私たちは弱く力が無い者たちですが、主が共にいて下さいますから恐れることはありません。

私たちを内から励ます神の霊
 もう一箇所、ハガイ2章を見ましょう(旧約聖書p.1545)。1節と2節、

2:1 ダリヨス王の第二年の第七の月の二十一日に、預言者ハガイを通して、次のような【主】のことばがあった。
2:2 「シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアと、民の残りの者とに次のように言え。

 これはバビロン捕囚の後のことですね。捕囚を解かれてエルサレムに帰還したユダの人々は神殿の再建に取り掛かりました。しかし、それを快く思わない勢力の妨害を受けて、神殿再建の工事は約16年もの間、中断してしまっていました。そこで主は預言者ハガイを通じてリーダーの総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアそして民を励ましました。3節と4節、

2:3 あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか。
2:4 しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。──【主】の御告げ──エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。──【主】の御告げ──仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。──万軍の【主】の御告げ──

 この4節で主は3回も「強くあれ」とおっしゃって総督と大祭司と人々を励ましています。そして、主は「あなたがたとともにいる」とおっしゃって下さっています。これは、とても大きな励ましです。そして5節、

2:5 あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。

 主は、「わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。」とおっしゃいました。主は外側から励ますだけでなく、エルサレムの人々の間で働いて下さいました。これは旧約の時代のことですから、主は人々の間で働いて下さいました。しかし、私たちは新約の時代を生きていますから、主は私たちの内で働いていて下さいます。主は私たちの心の内側に入って下さり、私たちを励まし、私たちに力を与えて下さいます。
 この聖霊の働きがどんなに力強いものであるかを、私たちは新約聖書の使徒の働きを読んで学んでいます。そして今、私たちは紀元1世紀の使徒たちのこととしてではなく、21世紀の私たち自身のこととして、実際にそれを体験しています。これは本当に素晴らしい恵みだと思います。会堂問題は、様々な困難があります。しかし、その困難を乗り越えるために主が私たちの内から私たちを励まして下さるという聖霊の働きを実際に味わうことができます。そのことを、まさに私たちは今、体験しています。私たちは弱く力が無い者たちですが、主が御業を見せて下さり、私たちを内から励まして下さるなら大きなことを成し遂げることができることを実際に体験できる私たちは何と幸いなことでしょうか。
 このような大きな恵みに与っていますから、私たちは恐れることなく進んで行きたいと思います。
 最後に4節と5節を交代で読みましょう。

2:4 しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。──【主】の御告げ──エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。──【主】の御告げ──仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。──万軍の【主】の御告げ──
2:5 あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。

 お祈りいたしましょう。
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1月31日礼拝・教会総会プログラム

2016-01-28 11:39:42 | 礼拝プログラム
霊的イエスに親しむ教会
 インマヌエル沼津キリスト教会

1月31日 礼拝 午前10時半~

1月 第5聖日 礼拝・教会総会順序

 司  会                小島牧師
 奏  楽                荒川姉
 前  奏
 讃 美 ①  ベツレヘムに生まれて    103
 交  読  イザヤ35章 全
 祈  祷
 主の祈り
 使徒信条
 讃 美 ②  御霊は天より        173
 聖  書  ヨシュア1:1~6、ハガイ2:1~5
 説  教  『強くあれ』 小島牧師

 教会総会

 讃 美 ③  聖霊よ 主のそばに     171
 献  金
 感謝祈祷                辰仁姉
 頌  栄  父・子・聖霊の        271
 祝福の御言葉
 後  奏
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今朝の隣地(2016.1.24)

2016-01-24 20:49:37 | 牧師のつぶやき
 今朝はとても冷え込みました。
 隣地の写真を撮っている時に、後方の愛鷹山がうっすらと雪化粧していることに気付きましたので、海岸の堤防に行って愛鷹山と富士山の写真も撮って来ました。







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真っ二つに裂けた垂れ幕(2016.1.24 礼拝)

2016-01-24 20:15:57 | 礼拝メッセージ
2016年1月24日礼拝メッセージ
『真っ二つに裂けた垂れ幕』
【出エジプト26:31~35】

はじめに
 今月の聖日礼拝のメッセージでは、第二聖日にレビ記を開いて幕屋の聖所における「贖罪の日」の罪を贖う儀式について学びました。そして幕屋の構造についても週報に図を載せて簡単に学びました。
 幕屋の聖所は至聖所と聖所とに分かれています。至聖所と聖所とは垂れ幕によって分けられていて、垂れ幕の内側の至聖所には神の箱が置かれています。そして垂れ幕の外側には香の壇と燭台とパンの机とが置かれていることを学びました。そして聖所の外には、洗盤と祭壇が置かれています。これらの作り方と配置の仕方は出エジプト記に記されています。

垂れ幕で隔てられていた神と人
 神は至聖所の神の箱に現れます。至聖所と聖所の間を垂れ幕で仕切るのは、聖なる神を直接目で見た者は打たれてしまうからです。大祭司は年1回垂れ幕の内側の至聖所に入って罪を贖う儀式を行いますが、香を焚いて煙をたっぷりと出して雲を作り、神の箱の「贖いのふた」が直接見えないようにします。このように神と人とは、垂れ幕そして香の煙によって隔てられていました。
 パンを置くパンの机と神の箱とも、もちろん垂れ幕によって分け隔てられています。先週の第三聖日の学びでは、このパンの机について学びましたが、その前にイエスさまが罪人と共に食事をした箇所もご一緒に見ました。イエスさまが誰とでも親しく交わり、共に食事をされたことと、幕屋の聖所にパンの机があることとは、とても良く似た関係にあると思いますが、神の箱とパンの机とが垂れ幕によって隔てられていたことは、全く似ていません。
 きょうの礼拝の始めの聖書交読では、イエスさまが十字架に付けられて死んだ時の箇所をご一緒に読みました。ここにはイエスさまが死なれた時に神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたことが書かれています。この箇所をもう一度ご一緒に見ましょう。ルカの福音書の23章の44節から46節までを交代で読みましょう。

23:44 そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。
23:45 太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真っ二つに裂けた。
23:46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。

 45節に神殿の幕とありますが、これは幕屋の聖所の垂れ幕と同じ幕です。こうしてイエスさまが十字架に掛かって死んだことで垂れ幕が真っ二つに裂けて神様と私たちの間を分け隔てるものが無くなりましたから、私たちは大胆に神様に近付くことが許されるようになりました。

新しい時代の始まり
 きょうのメッセージのタイトルは『真っ二つに裂けた垂れ幕』です。きょう垂れ幕が二つに裂けた話をすることは二週間前の第二聖日に聖所での「贖いの日」の儀式の話を終えた時から決めていました。翌週の第三聖日は聖所に置く物の作り方の箇所を読み、そして第四聖日は垂れ幕の作り方の箇所を読むことは二週間前に既に決めていたことです。そして先週の日曜日にパンの机の作り方の箇所を読んだ後で、次はいよいよ垂れ幕の作り方の箇所だなと思いました。出エジプト記の垂れ幕の作り方の箇所を読み、そして福音書の垂れ幕が真っ二つに裂けた箇所を学ぶことを決めていました。すると、火曜日の未明に不思議なことが起こりました。
 先週の前半は発達した低気圧の影響で沼津では強風が吹いていました。特に月曜の夜から火曜日の朝に掛けては非常に強い風が吹いていました。そして深夜の午前2時頃、私は隣の解体現場で風が吹くたびに大きな物音がするのが気になって懐中電灯を持って見に行きました。ガスのメーターが入っている場所の扉が風であおられてバタンバタンと大きな音を立てていることがわかりましたから、扉が動かないように処置をして教会に戻りました。その深夜の午前2時の時点では教会には特に異常はありませんでした。しかし、朝になって明るくなったので、2階の私の居室の窓のカーテンを開けたところ、教会の玄関の前の道路に、教会の集会案内のプラスチックの板が二つに裂けて、互いに少し離れたところに落ちているのが見えました。カーテンを開けたのは朝の7時ですから、案内板は午前2時から7時の間に裂けたことになります。裂けた案内板を見て私は急いで下に下りて落ちていた二つのプラスチックの板を拾いました。
 いまさっき話したように私は次の礼拝では神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けた話をしようと思っていましたから、二つに裂けた教会の集会案内のプラスチックの板を見て、すぐに神殿の垂れ幕が裂けたことを思いました。そしてイエスさまが十字架によって神殿の垂れ幕が裂けて新しい時代が始まったように、この教会もいよいよ新しい時代が始まるのだと思いました。
 先週は隣のアパートの解体が最も進んだ週でした。先週の日曜日にはまだアパートの建物がしっかりとありましたが、一週間後の日曜日の今日、もうアパートの建物の姿はありません。隣の土地が更地になり次第、売買契約をして所有権移転の手続きもすることになっていますから、間もなく隣の土地は教会の土地になります。そして、来年には私たちの教会の新しい礼拝堂が建つ予定です。このように教会の新しい礼拝堂の建設に備えて隣のアパートの姿が消えるという劇的な変化が進行している正にその最中に、この教会の古い集会案内板が二つに裂けたことは、偶然にしてはあまりにも出来すぎています。さらに付け加えるなら、今は教会総会に備えている時期でもあり、先週私はこの一年間の教勢と財勢の変化を見てコメントを書き入れる作業をしていました。ご承知の通り、昨年は会堂献金は大変に祝されましたが、教勢と基本献金は数値にはっきりと見える形でかなりのダウンとなりました。このダウンした数字だけを見るなら私たちは暗い気持ちにならざるを得ないでしょう。その他にも私たちの教会は問題を抱えています。
 しかし、すぐ隣では次の新しい時代への準備が着々と進行しています。そして、まさにその時に、神殿の幕が真っ二つに裂けたようにして教会の集会案内のプラスチックの板が二つに裂けました。これは私たちの教会が本当に新しい時代に入って行くのだということを主が目に見える形で教えて下さり、励まして下さったのだと私は受け留めています。隣の土地の取得は御心なのだから、迷わず恐れずしっかりと前を向いて進んで行くようにと主が励まして下さっているのだと私は理解しています。それゆえ私は、古い集会案内のプラスチックの板を額に入れて保存したいと思い、そのようにさせていただきました。
(・・・保存の仕方について・・・)

幕屋の垂れ幕の作り方
 では、出エジプト記を開いて、この垂れ幕の作り方を見ましょう。出エジプト記の26章31節、

26:31 青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で垂れ幕を作る。これに巧みな細工でケルビムを織り出さなければならない。

 ケルビムというのは翼を持つ天使のような存在ですね。32節と33節、

26:32 これを、四つの銀の台座の上に据えられ、その鉤が金でできている、金をかぶせたアカシヤ材の四本の柱につける。
26:33 その垂れ幕を留め金の下に掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。

 あかしの箱というのは神の箱のことです。34節、

26:34 至聖所にあるあかしの箱の上に『贖いのふた』を置く。

 この「贖いのふた」に1年に1回の「贖罪の日」に大祭司が垂れ幕の内側に入って、いけにえの動物の血を振り掛けることを、先々週、レビ記を読んで学びました。35節、

26:35 机を垂れ幕の外側に置き、その机は幕屋の南側にある燭台と向かい合わせる。その机を北側に置く。

 ここにある机というのは、先週学んだパンの机のことです。きょうの始めの方で話したように、神の箱とパンの机とは垂れ幕によって隔てられていました。しかし、罪人と親しく交わり、共に食事をして下さるイエスさまが十字架に掛かって死に、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたことにより、私たちは大胆に神様に近付くことができるようになりました。

大胆にまことの聖所に入る
 このことを、ヘブル書をご一緒に読んで確認したいと思います。全部読むと時間が掛かりますから、飛び飛びになりますが、要点となる節だけを取り上げて読むことにします。先ず、ヘブル人への手紙の9章の1節から3節までをお読みします(新約聖書p.433)。

9:1 初めの契約にも礼拝の規定と地上の聖所とがありました。
9:2 幕屋が設けられ、その前部の所には、燭台と机と供えのパンがありました。聖所と呼ばれる所です。
9:3 また、第二の垂れ幕のうしろには、至聖所と呼ばれる幕屋が設けられ、

 ここには先ほど説明した幕屋の聖所と至聖所のことが書かれています。続いて少し飛ばして7節、

9:7 第二の幕屋には、大祭司だけが年に一度だけ入ります。そのとき、血を携えずに入るようなことはありません。その血は、自分のために、また、民が知らずに犯した罪のためにささげるものです。

 これは先々週ご一緒に読んだレビ記にある「贖罪の日」の儀式のことです。続いて11節と12節をお読みします。

9:11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、
9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

 ここにはイエス・キリストご自身が犠牲となり、ご自分の血によって永遠の贖いを成し遂げられたことが書かれています。続いて10章に飛びます。10章の19節と20節をお読みします。

10:19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。
10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。

 19節に、私たちはイエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができます。まことの聖所というのは、大祭司しか入れなかった幕屋の至聖所とは違い、イエス・キリストを信じる者なら誰でも入ることができる聖所であり、そこで私たちは大胆に神様に近付くことができますから、神様の愛が理解できるようになります。

おわりに
 22節から24節までを、今度は交代で読みましょう。

10:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。
10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
10:24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。

 23節は今の私たちにピッタリの箇所だと思います。私たちの教会は様々な問題を抱えていますから動揺しがちです。しかし動揺することはありません。なぜなら主は真実な方だからです。私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
 お祈りいたしましょう。
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今朝の隣地(2016.1.23)

2016-01-23 08:13:11 | 牧師のつぶやき
 隣の土地の建物の解体は今日中に終わるそうです。
 来週は浄化槽と土台の整地を行って週の半ばぐらいには更地になるようです。



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アパート解体作業(2016.1.21)

2016-01-22 08:46:33 | 牧師のつぶやき
 1月21日、外壁の解体がかなり進みました。












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すべてが新しくなる(2016.1.20 祈り会)

2016-01-21 10:32:09 | 祈り会メッセージ
2016年1月20日祈り会メッセージ
『すべてが新しくなる』
【Ⅱコリント5:17】

はじめに
 今週、私は31日の教会総会のための資料の準備をしています。教勢・財勢の数字や日程関係は役員の兄弟が作成して下さいましたから、私は教勢・財勢のページと最後のページの昨年の総合評価と今年の課題・目標の欄にコメントを書くことを行っています。
 総会資料の教勢のエクセルの表では1年前の値との比較を行っていますが、それ以前の2年前、3年前の数字は表示していませんので、コメント欄には最近5年間の集会出席者数の推移を書き入れました。そして礼拝人数の推移を見て少し暗い気分になりました。

古いものは過ぎ去る
 しかし、すぐ隣ではアパートの解体作業が進んでいて、昼間はその音が朝から晩まで休憩時間を除いて聞こえて来ます。そして、私はこのアパートを解体する音に励まされ、Ⅱコリント5章17節の聖句が心に響いて来ました。

5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

 細かいことを言えば、ここでパウロは人が新しく造られることを述べているのであって教会が新しく造られることを述べているわけではありません。ですから私は間違った解釈で励ましを受けたことになります。しかし事実として私は教会のことでこの聖句から励ましを受けました。聖書のみことばには、こういう不思議な働きがあることを改めて感じています。そしてきょうは、このみことばを教会のこととして話を進めて行きます。
 私は昨年の3月以降、隣の土地とアパートの存在を通して、常に神様からの励ましを受けて来ました。2階の私の居室の窓からは隣が良く見えますから、パソコンのディスプレイに向かって仕事をしている時でも目の端っこにはいつも隣のアパートの姿が映っています。2階の居室にいれば、目を閉じて寝ている時以外は常時、隣のアパートが目に入っています。これは、どう考えても隣の土地を取得しなさいと神様がおっしゃっているとしか取れません。もし候補に上がった物件が、ここから少しでも離れていて、常時私の目の中に入っていなかったなら、私はその物件が主の御心なのか非常に迷ったのではないかと思います。しかし、物件は教会のすぐ目の前にあり、私が2階の居室にいる時には常にアパートの姿が目に入っていて、主はこのアパートの姿を通して私を励ましていて下さいました。
 そして今、このアパートの解体作業が始まっています。そうして、このアパート解体の音を聞きながら私は教会総会の資料へのコメント記入を行っています。この音もまた励ましとなって、教勢の低下傾向についても恐れることはないとの語り掛けを私は受けています。それは、第二コリントでパウロが書いているように古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなるからです。

二つに裂けた案内板
 私がこの第二コリントのみことばを与えられて、これを水曜日の祈り会の聖書箇所にしようと思ったのは一昨日の月曜日の午後のことでした。次の日曜日の24日の礼拝の聖書箇所は、幕屋の垂れ幕の箇所と早くから決めていましたから、きょうは礼拝での垂れ幕の話の予告編的に第二コリントの、古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなるという話をするのが良いだろうと思っていました。
 礼拝では第二聖日の10日にレビ記を開いて「贖罪の日」の儀式について話し、第三聖日の17日の礼拝では幕屋の聖所のパンの机の話をしましたから、流れから言えば、第四聖日の24日に幕屋の垂れ幕の説明をするのは必然です。このように24日は出エジプト記の幕屋の垂れ幕の作り方の説明をまずご一緒に学び、それから福音書のイエスさまが十字架で死んだ時に神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けた記事を一緒に見て、さらにヘブル書を開いて神殿の垂れ幕が裂けたことで私たちが神様に大胆に近付くことができるようになった恵みについて学ぶ予定でいます。
 そのように一昨日の月曜日の午後には、きょうの水曜日は第二コリント5章17節のみことば、次の日曜日は垂れ幕の話をすると決めていました。すると、火曜日の未明に不思議なことが起こりました。先ほど玄関で見ていただいたように、教会の入口に設置してあった集会の案内板が二つに裂けました。この案内板のプラスチックはもう古くなって脆くなっていましたから、低気圧がもたらした強風にあおられて裂けてしまいました。もっとバラバラに砕けてもおかしくなかったと思いますが、上手い具合に二つに裂けましたね。それで私はイエスさまが十字架で死んだ時に神殿の垂れ幕が裂けた記事をすぐに思い起こしました。そして同時に、第二コリントの「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」のみことばのことも思い起こしました。
 誤解のないように念のため言っておきますが、古いものが悪かったから新しくなったわけではありません。古い旧約の時代も神様は人々を愛していましたから恵みに満ちた時代のはずでした。しかし旧約の時代の人々の多くは神様から離れていましたから、恵みに満ちた時代にはなりませんでした。ですから悪かったのは人間のほうであり、神様のほうでは旧約の時代も新約の時代も変わらずに人々を愛し、恵みを注いで下さっています。ですから神殿の垂れ幕が裂けたのも神殿の垂れ幕が悪かったのではありません。
 教会の案内板も同じです。教会の案内板が悪かったから教勢がなかなか向上しなかったわけではありません。人の側で神様の霊的なメッセージをしっかりと受け取ることができていなかったと考えるべきです。しかし、いくら悪いのは人間のほうであっても、それまでのやり方が有効に機能していないのであれば神様はやり方を変えます。それゆえ神様は神殿の垂れ幕を真っ二つに裂き、新約の時代をスタートさせて下さいました。

すべては新しくなる
 今回、教会の案内板が二つに裂けたことも、神様がこの教会にとっての新たな時代をスタートさせて下さるサインであると私は受け留めています。前の時代も多くの恵みを私たちの教会はいただきましたが、この先は、さらに恵みが増し加わると期待しています。
 それゆえ私は、この二つに裂けた案内板をポスターフレームに入れて保存するつもりでいます。ポスターフレームというのは映画の大型のポスターなどを入れて展示する額縁のことです。そして皆さんが反対しなければ、この額縁をこの会堂の壁に設置したいと思っています。繰り返しますが、看板が悪かったわけではありません。しかし、二つに裂けたことで新しい時代が始まります。その新しい時代の始まりの象徴として会堂の壁に掛けて、いつでも目に入るようにしたらどうかと思います。そうすることで、これから私たちが神様と共に新しい時代の中を力強く歩んで行くのだという気持ちを、この裂けた案内板を見るならいつでも新たにすることができるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
 昨年の2015年は会堂問題と会堂献金が祝されたこと以外では、教勢も財勢も減少して低調でした。しかし、それも2015年までのことであり、これからは上向いて行くことでしょう。なぜなら、古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなるからです。

おわりに
 ただし私たちの心が古いままでは、いくら神様が新しい時代をスタートさせて下さっても、何も変わらないでしょう。それはパウロの時代も現代も同じことです。パウロはローマ人への手紙の中でユダヤ人たちが変わらないことを嘆きました。私たちの教会も私たちの心が古いままではパウロの時代のユダヤ人たちと同じことになってしまいます。ですから私たちは、教会の案内板が二つに裂けたことを機に、新たな時代へと力強く進んで行きたいと思います。
 最後に、もう一度ご一緒に、第二コリント5章17節をお読みしましょう。

5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

 お祈りいたしましょう。
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1月24日礼拝プログラム

2016-01-21 09:05:28 | 礼拝プログラム
霊的イエスに親しむ教会
 インマヌエル沼津キリスト教会

1月24日 礼拝 午前10時半~

 礼拝はどなたでも参加できます
 お気軽にご出席ください

1月 第4聖日 礼拝順序

 司  会                西村兄
 奏  楽                関 姉

 前  奏
 讃 美 ①  シャロンの花         55
 交  読  ルカ23:33~49
 祈  祷
 主の祈り
 使徒信条
 讃 美 ②  十字架のもとに       134
 讃 美 ③  われらはキリストのもの   232
 聖  書  出エジプト26:31~35
 説  教  『真っ二つに裂けた垂れ幕』 小島牧師
 讃 美 ④  丘に立てる荒削りの     118
 献  金
 感謝祈祷                中原姉
 頌  栄  父・子・聖霊の        271
 祝福の御言葉
 後  奏
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今朝の隣地(2016.1.19)

2016-01-19 10:14:03 | 牧師のつぶやき
 隣のアパートの内部の解体が進んで鉄骨がむき出しになっていますが、まだ廃材の搬出は終わっていません。外壁の取り壊しに掛かるのは、もう少し先になるのでしょうか。
 アパートの右端に立っているウルシの木が、先ほどチェーンソーで切り倒されました。この木の立ち姿の貴重な写真となりました。





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聖所の設計図(2016.1.17 礼拝)

2016-01-18 04:20:18 | 礼拝メッセージ
2016年1月17日礼拝メッセージ
『聖所の設計図』
【出エジプト25:1~10、23~30】

はじめに
 先ほど報告しましたように、先週の木曜日に新会堂の設計担当のA兄と打ち合せを行いました。皆さんに回答していただいたアンケート結果の説明を西村兄にしていただき、その後で自由に意見交換をしました。そして意見交換の中で、会堂を土地の北側(現会堂側)に寄せる案も検討されました。そしてA兄が会堂を北側に寄せた時のことについても考えていて下さり、左右対称の三角屋根の会堂のラフなスケッチを見せて下さいました。そうして説明していただいたところ、これがなかなか良い感じでした。それで、先ず第1案(前回のは第ゼロ案)として、このラフなスケッチを具体化して設計図の図面を引いてみることになりました。そして、この第1案の説明を聞いて意見交換し、検討する会を来月の第2聖日の午後に行うことにしました。
 また、この第1案の場合の建物の中の講壇と会衆席のレイアウトは、縦長よりも横長の方が良さそうですねということに我々の間では、なりました。それゆえ来月私たちが検討するA兄の設計案は会衆席が横長のレイアウトになっている筈です。横長にするか縦長にするかは、もちろんまだ決定したわけではありませんから、検討した結果、やっぱり縦長の方が良いねということになれば、A兄には図面を引き直していただくことになります。
 キリスト教会の礼拝堂で縦長と横長のどちらが多いかと言いますと、昔の礼拝堂は縦長がほとんどではなかったかと思います。しかし、最近は横長の礼拝堂が増えているそうです。私たちの身近でも三島のB教会、沼津のC教会の礼拝堂は横長です。

人々と食事をしたイエス
 週報のp.3に載せた横長の礼拝堂はインマヌエルのD教会のものです。会衆席の椅子が講壇の中心を向くように扇形に配置されています。そして会衆席が向いている方向には説教壇と洗礼盤と聖餐テーブルと花瓶を置く台とがあります。横長のテーブルが聖餐テーブルです。聖餐テーブルとは聖餐式のパンとブドウ液を置くテーブルです。この聖餐テーブルを、聖餐式を行わない時でも常時出しておいて、礼拝に出席した教会員がこの聖餐テーブルを囲むように座ることには大きな意味があるのだそうです。
 私たちの教会で聖餐式を行う時の聖餐テーブルは折りたたみのテーブルで代用していますから、常時前に出すことはしていません。しかし写真のように常時聖餐テーブルを出しておくことで、礼拝が主との交わりの場であることを強く意識できて、とても大きな恵みをいただけるということです。それは主イエスとの交わりと言えば聖書では食事の場面が多く出て来るからでもありますね。主イエスが十字架に向かう前の晩の「最後の晩餐」は言うまでもなく食事の席であり、弟子たちが主イエスと共に食事のテーブルを囲みました。また、イエスさまが五つのパンと二匹の魚を増やした「五千人の給食」の記事も食事の場面です。或いはまた、イエスさまは罪人と共に食事をされました。「最後の晩餐」と「五千人の給食」は四つの福音書のすべてに記されていて、あまりにも有名ですからご一緒に開きませんでしたが、今のイエスさまが罪人と共に食事をされた場面はご一緒に見てみましょう。マタイの福音書9章の10節から12節までを交代で読みましょう(新約聖書p.15)。

9:10 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
9:11 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。

 私たちもまた罪人です。主イエスが罪人の私たちとも食事を共にして下さることに感謝したいと思います。

よみがえったイエスも食事した
 もう少し、食事についての箇所を新約聖書から見ておきたいと思います。イエスさまは十字架の死からよみがえった後も弟子たちと食事をなさいました。ルカの福音書ではエマオへの道の場面で、その記述がありますね。ルカ24章13節から15節までを交代で読みましょう(新約聖書p.169)。

24:13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。
24:14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。
24:15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。

 こうしてイエスさまと二人の弟子は、エマオという村まで歩いて行く道中でいろいろと話をしました。そして村に近付きました。28節から30節までを交代で読みましょう。

24:28 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。
24:29 それで、彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中に入られた。
24:30 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。

 そうして、次の31節で「それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった」とあります。イエスさまと言えば食事、食事と言えばイエスさまということなのでしょうね。
 そしてヨハネの福音書にも、よみがえって現れたイエスさまと弟子たちが食事した場面が記されています。ヨハネ21章13節から15節までを交代で読みましょう。

21:13 イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。
21:14 イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現されたのは、すでにこれで三度目である。
21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」

 イエスさまはペテロに三度、「あなたはわたしを愛しますか」と聞きました。それは15節にあるように、食事を済ませた後でした。イエスさまが捕らえられた時にペテロが三度イエスさまを知らないと言ったのも最後の晩餐の食事の後でしたから、両者は関係があるのかもしれませんね。
 新約聖書からもう一箇所、黙示録3章20節をご一緒に読みましょう(新約聖書p.480)。

3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

 ここにも、イエスさまが私たちと共に食事をして下さることが書かれています。このように、イエスさまとの交わりを考える上で、食事は欠かせません。私たちが新しい会堂を建てたなら私たちの教会も、聖餐テーブルを常時置くようにできたら良いのではないでしょうか。

民にパンを分け与えたダビデ
 さて旧約聖書に目を移しますが、幕屋の記事に行く前に、ダビデで食事に関係する記事を少し見ておきたいと思います。先ず有名な詩篇23篇でダビデは食事に言及していますね。短い詩篇ですから、23篇の全体をご一緒に交代で読みましょう。詩篇23篇1節から6節までです(旧約聖書p.926)。

23:1 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、【主】の家に住まいましょう。

 5節でダビデは、主は私の敵の前で、私のために食事を整えて下さると詠んでいます。ここには独特の平安がありますね。敵を恐れることなく落ち着いて食事をせよと主はおっしゃっているように感じます。
 ダビデについては、もう1箇所、ダビデが神の箱をエルサレムのダビデの町に運び入れた時の場面をご一緒に読みたいと思います。第二サムエル6章の12節から15節までを交代で読みましょう(旧約聖書p.534)。

6:12 【主】が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された、ということがダビデ王に知らされた。そこでダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上った。
6:13 【主】の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。
6:14 ダビデは、【主】の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。
6:15 ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、【主】の箱を運び上った。

 ダビデが神の箱の前で力の限り踊ったことが、とても印象的な場面ですね。そうして神の箱は幕屋の中に運び込まれました。17節から19節までを交代で読みましょう。

6:17 こうして彼らは、【主】の箱を運び込み、ダビデがそのために張った天幕の真ん中の場所に安置した。それから、ダビデは【主】の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた。
6:18 ダビデは、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげ終えてから、万軍の【主】の御名によって民を祝福した。
6:19 そして民全部、イスラエルの群集全部に、男にも女にも、それぞれ、輪型のパン一個、なつめやしの菓子一個、干しぶどうの菓子一個を分け与えた。こうして民はみな、それぞれ自分の家に帰った。

 ダビデは民全部にパンと菓子を分けたとあります。ここには「輪型のパン」とあります。この「輪型のパン」は幕屋の聖所のパンの机の上に置くパンです。レビ記に説明がありますから、ご一緒に読みましょう。レビ記の24章5節と6節です(旧約聖書p.215)。交代で読みましょう。

24:5 あなたは小麦粉を取り、それで輪型のパン十二個を焼く。一つの輪型のパンは十分の二エパである。
24:6 それを【主】の前の純金の机の上に、一並び六個ずつ、二並びに置く。

 6節にある純金の机が幕屋に置く机です。そして、この机の上に「輪型のパン」を置きます。ダビデはこの「輪型のパン」を幕屋の聖所のパンの机の上に置き、且つすべての民に分け与えました。このようにダビデが聖所のパンを民に分け与えたことはイエスさまが五千人にパンを分け与えたことと重なるように私は感じます。こうしてイエスさまの食事とダビデの食事と幕屋の聖所のパンの机とが一つにつながります。幕屋の聖所は「会見の天幕」ですから、主とお会いする場所です。

幕屋のパンの机

 ここで幕屋に置かれている用具を週報のp.3を見ながら確認しておきましょう。

(契約の箱、香壇、パンの机、燭台、洗盤、祭壇の説明)

 これらの作り方の説明はすべて出エジプト記の25章以降に記されています。聖書朗読ではパンの机の作り方の箇所を司会者に朗読していただきました。25章の23節から25節まで、そして30節をご一緒に読みましょう。

25:23 机をアカシヤ材で作らなければならない。長さは二キュビト、幅は一キュビト、高さは一キュビト半。
25:24 これを純金でかぶせ、その回りに金の飾り縁を作り、
25:25 その回りに手幅のわくを作り、そのわくの回りに金の飾り縁を作る。

25:30 机の上には供えのパンを置き、絶えずわたしの前にあるようにする。

 この幕屋のパンの机と、教会の礼拝堂の聖餐テーブルとは深い関係にあると言えると思います。教会の礼拝堂の原型はこの幕屋にあるのですね。
 この幕屋の作り方はすべて主がモーセに指示したものです。25章9節、

25:9 幕屋の型と幕屋のすべての用具の型とを、わたしがあなたに示すのと全く同じように作らなければならない。

 そうして10節以降、先ず神の箱の作り方の指示から始まります。先ほど読んだパンの机の作り方も、この10節から始まる説明の流れの中にあります。これらに使う材料はイスラエルの民から捧げられたものを使います。25章の冒頭の1節と2節、

25:1 【主】はモーセに告げて仰せられた。
25:2 「わたしに奉納物をささげるように、イスラエル人に告げよ。すべて、心から進んでささげる人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。

 そして3節から7節に民から受けてよい奉納物の説明があります。そうして8節で主は仰せられました。

25:8 彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。

私たちの心も聖所
 8節の「聖所」とは、狭い意味ではモーセの幕屋のことですが、神様は時間と空間を越えて私たちに語り掛けるお方ですから、「聖所」とは新約の時代の私たちが建設する礼拝堂のことでもあります。そして聖霊を受けた私たちは、聖霊が私たちの内に住んでいて下さいますから、「聖所」とは私たちの心のことでもあります。神様は時間と空間を越えて、モーセの幕屋、教会の礼拝堂、そして私たちの心の内に住んでいて下さいます。このことを思うなら、私たちは自ずと厳粛な気持ちにさせられます。
 私たちは聖霊が私たちの内に住んでいて下さることを感謝しつつ、心を整えて礼拝堂の設計に取り組んで行きたいと思います。毎日を忙しく過ごしていると、なかなか心が整わない時がありますが、そんな時でも教会に来て、一歩礼拝堂の中に足を踏み入れたなら、心が整えられる、そんな礼拝堂を私たちは持ちたいと思います。私たちはイエスさまを中心にして一つになって礼拝堂の設計に取り組んで行きましょう。
 お祈りいたしましょう。
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ゴミ置き場の移動

2016-01-16 13:01:29 | 牧師のつぶやき
 きょうはゴミ置き場の移動を行いました。
 これまでは左側の外付け階段の下がゴミ置き場でしたが、このアパートを解体しますので、手前に移動しました。





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きょうの隣接地(2016.1.15)

2016-01-15 09:43:44 | 牧師のつぶやき
 昨日は隣のアパートの内壁の取り壊しが行われていました。





 きょうは壊した内壁を外に出す作業が行われています。


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難攻不落の信仰の要害(2016.1.13 祈り会)

2016-01-14 10:41:27 | 祈り会メッセージ
2016年1月13日祈り会メッセージ
『難攻不落の信仰の要害』
【Ⅱサムエル5:1~7、9~10】

5:1 イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉です。
5:2 これまで、サウルが私たちの王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのは、あなたでした。しかも、【主】はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる。』」
5:3 イスラエルの全長老がヘブロンの王のもとに来たとき、ダビデ王は、ヘブロンで【主】の前に、彼らと契約を結び、彼らはダビデに油をそそいでイスラエルの王とした。
5:4 ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。
5:5 ヘブロンで七年六か月、ユダを治め、エルサレムで三十三年、全イスラエルとユダを治めた。
5:6 王とその部下がエルサレムに来て、その地の住民エブス人のところに行ったとき、彼らはダビデに言った。「あなたはここに来ることはできない。目の見えない者、足のなえた者でさえ、あなたを追い出せる。」彼らは、ダビデがここに来ることができない、と考えていたからであった。
5:7 しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これが、ダビデの町である。
5:9 こうしてダビデはこの要害を住まいとして、これをダビデの町と呼んだ。ダビデはミロから内側にかけて、回りに城壁を建てた。

はじめに
 礼拝のメッセージでは先日から始めた幕屋と神殿に関する学びを進めて行きたいと願っていますが、祈り会のメッセージのほうは今しばらく、その都度示された箇所を開くことにしたいと思います。
 先日の会堂祈祷会では、司会者がマタイ7章を開いて下さり、会堂問題に取り組んで行くためには私たちは岩のように強固な信仰の基盤を築く必要があることを改めて学ぶことができて感謝でした。そうして今日の祈り会では私は聖書のどこを開いたら良いのか思いを巡らしていた時に示された箇所が、今日の第二サムエル5章にある、ダビデがシオンの要害にダビデの町を築いた記事です。

久能の山城
 半月前の年末に私は家族旅行で清水の三保にある旅館に泊まり、三保松原と久能山を訪れました。旅行とは言えないような近場ですが、母が高齢になってからは、ほとんどの旅行は近場で済ませています。久能山ではイチゴ狩りを楽しみました。私が久能のイチゴ狩りを楽しんだのは小学生の時以来のような気がします。天気が曇り気味で気温が高くなかったのでハウスの中も温度が上がっておらず、本当においしいイチゴを楽しむことができました。イチゴ農園の人の話だと天気が良いと冬でもハウスの中は室温が上がって暑くなり、中に長くいられないだけでなくイチゴも生温かくなってしまうとのことでした。イチゴは生温かいよりは少し冷えていたほうが、おいしくいただけます。農園の人が「きょうは涼しいですからイチゴもおいしいですよ」と言っていましたが、果たして本当にその通りでした。ハウスの中に実っているイチゴを取り、取れ立てをすぐに口に入れると、とても水々しくて本当においしいかったです。ハウスに入る前は、イチゴなら十個も食べれば十分に満足だろうと思っていたのですが、結局五十個ぐらい食べてしまいました。あまりにおいしいので自分でも信じられないくらい、次々と食べてしまいました。イチゴ農園の人が、「スーパーで売っているイチゴなら十個も食べれば満足でしょ。でも、取れたてのイチゴならいくらでも食べられますよ」と言っていましたが、本当にその通りでした。スーパーのイチゴとは水々しさがぜんぜん違うので、本当にいくらでも食べられました。五十個ぐらい食べても、まだ食べられると思いましたが、やめておきました。
 きょうの話の本筋とは少しずれますが、私は新鮮な水々しいイチゴを食べて、聖書からのメッセージも、このように水々しいものを提供したいものだと感じました。スーパーのイチゴでも十分においしいのですが、それは十個も食べれば満足してしまう程度のものです。これまでのメッセージは良くてもスーパーレベルのおいしいイチゴだったのではないかと思います。そうではなく、久能の取れたての石垣イチゴのような水々しいメッセージを取り次がなければならないと思わされました。そのような説教者になれるよう努力したいと思います。
 さて石垣イチゴを堪能した後、私たちは食後の運動を兼ねて久能山東照宮への石段を少し上ってみることにしました。母と妹は下の茶店で休憩していてもらい、中腹ぐらいまで行ってみようということになりました。一番上の東照宮までだと全部で1159段(いちいちごくろーさん)あるので大変ですし、時間も掛かりますから、帰りの時間も考慮して、途中までにしようということで上り始めましたが、結局上まで上ってしまいました。そして上の見晴らしの良い所から下の景色を楽しみ、下りて来ました。この上の見晴台に久能山東照宮の説明書の看板があり、それによると、ここは徳川家康が開いた場所ではなくて、徳川時代のずっと以前からの歴史があり、戦国時代には武田信玄の山城が建てられていた時期もあったそうです。この看板の山城についての説明を読み、下の方を見晴らすと、確かにここは天然の要害になっているなと納得しました。

天然の要害に築いたダビデの町
 武田信玄と言えば、今年のNHK大河ドラマ『真田丸』の主役の真田一族は武田氏に仕えていたのですね。先日放送された第1回では、真田幸村の父親の真田昌幸が親方の武田勝頼に真田氏の城の岩櫃城(いわびつじょう)に入るよう進言していました。この岩櫃城は天然の要害になっているので攻め落とされる心配はないと言っていました。それで私は、武田氏が久能山も山城にしていたことを思い起こし、この時代の武将たちにとって城を天然の要害に作ることは防衛上、非常に重要なことだったのだなと改めて思いました。
 きょうの聖書箇所のダビデが町を築いたエルサレムのシオンの丘もまた天然の要害になっていました。カレンダーの写真を見ても丘になっていることがわかりますから、正に天然の要害であることが納得できます。このようにエルサレムは地形的に天然の要害となっており、そしてダビデはその周囲にさらに城壁を築きましたから、守りは万全のものになりました。
 後に北王国イスラエルのサマリヤがアッシリヤに攻め滅ぼされた時、アッシリヤは南王国のユダをも攻めました。そしてユダにある町も攻め落とされて行きましたが、最後に残ったエルサレムだけは攻め落とされませんでした。それはヒゼキヤ王の信仰が主の目に適っていたからですが、もしエルサレムが天然の要害になっていなかったなら、ヒゼキヤ王が祈る前に攻め落とされていたのではないでしょうか。
 さらにその後、エルサレムはバビロン軍の攻撃によって攻め滅ぼされます。それは、当時の王たちのエホヤキム王、エホヤキン王、ゼデキヤ王たちが皆、主の目の前に悪を行う悪王たちだったからです。エルサレムがいくら天然の要害の鉄壁の防御を誇る町であっても、中にいる王たちが主の目の前に悪を行っていたのでは、主は守っては下さいません。ですから、先ずは先日の会堂祈祷会で開かれたマタイ7章のように私たちには岩のような信仰の基盤が必要です。先ず、内をしっかりと固めて私たちは一つになる必要があります。しかし、それだけでは少し足りないようです。岩の基盤を持った上でさらに要害とならなければならないと感じています。

おわりに
 いま私は、31日の教会総会の礼拝のメッセージでは聖書のどこを開くべきか、あれこれ考えています。教会総会の前までは幕屋の話を続けますが、総会はどうすべきか少し迷っています。幕屋の話を続けるのか、或いはまた総会の日は違う箇所を開くことにするのか、もし違う箇所を開くとしたらどこが良いのか。そうして、いま候補として上がって来ているのが、エペソ人への手紙の6章です。
 私たちは自分たちの信仰をしっかり固める必要もあり、なお且つ外からの揺さぶりにも備えなければなりません。会堂問題は主が不思議と祝して下さっています。しかし、このように祝されている時は悪魔もまた策略を練っている時でもあります。私たちは、このことも心しておかなければならないと思います。
 きょうはエペソ6章の説明はしませんが、最後に、この箇所を交代で読んで、きょうのメッセージを閉じたいと思います。エペソ人への手紙6章10節から19節までを交代で読みましょう。

6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
6:14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
6:16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
6:17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
6:18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
6:19 また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。

 このように外からの攻撃にも備えることができる時、私たちの信仰は強固な岩盤の上に立つだけでなく、さらに万全な要害となります。
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1月17日礼拝プログラム

2016-01-14 09:14:38 | 礼拝プログラム
霊的イエスに親しむ教会
 インマヌエル沼津キリスト教会

1月17日 礼拝 午前10時半~

 礼拝はどなたでも参加できます
 お気軽にご出席ください

1月 第3聖日 礼拝順序

 司  会                西村兄
 奏  楽                荒川姉

 前  奏
 讃 美 ①  遠き国や          436
 交  読  詩篇42篇 全
 祈  祷
 主の祈り
 使徒信条
 讃 美 ②  いつくしみ深き       432
 讃 美 ③  鹿のように(2回)      192
 聖  書  出エジプト25:1~10、23~30
 説  教  『聖所の設計図』  小島牧師
 讃 美 ④  とうとき主こそ私の     392
 献  金
 感謝祈祷                風間姉
 頌  栄  父・子・聖霊の        271
 祝福の御言葉
 後  奏
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