2018年6月20日祈り会メッセージ
『御座から流れ出るいのちの水の川』
【黙示録22:1~5】
はじめに
きょうは月曜日に大阪で起きた地震の被災地のためのお祈りと、近畿教区の教会の被害状況の報告に時間を使いたいと思いますから、メッセージは普段よりも短めにいたします。
天から降って来た御座
黙示録22章の1節から5節までを交代で読みたいと思います。この箇所は先日の礼拝メッセージの最後に開いた箇所で、いま一たび味わってみたいと思います。また、きょうは短いメッセージで終わらせますから、これからも礼拝メッセージや祈り会のメッセージで開きたいと思わされています。
22:1 御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、
22:2 都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。
22:3 もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、
22:4 御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の御名が記されている。
22:5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。
先聖日の礼拝メッセージでは、私自身の黙示録の読み込みが十分にできていないことを暴露してしまい、みっともないところをお見せしてしまいました。特に今ご一緒に読んだ22章の1節から5節の箇所の理解が不十分でした。そのことを暴露してしまいましたから、私はそのことをもっと恥ずかしく思わなければいけなかったのだろうと思いましたが、この箇所があまりに素晴らしいので、私の中では恥ずかしさよりも感動の方が大きかったというのが正直なところです。
先聖日の聖書箇所は21章でしたから、21章はある程度は読んで注解書を見て調べたりはしていました。しかし、22章はぜんぜん調べていませんでした。というのは、当初は22章を開く予定はなかったからです。
当初の予定では、まず21章を短く見てから1章の冒頭の部分と2章と3章を見て、それから12章でサタンが地上に投げ落とされた箇所と13章の大言壮語をする獣の箇所を見てから、最後にもう一度21章に戻って、最初に見た箇所のおさらいをしようと思っていました。しかし、説教準備の最終段階で、21章に戻るのはやめて、22章を最後に皆で一緒に読んで終わるという構成に変えることにしました。黙示録の最後の22章を一緒に読むことで、いちおう黙示録の最初から最後までの全体を概観した形になると思ったからです。
そういうわけで22章は、最後に皆さんと一緒に読むだけで特に解説することは考えていませんでしたから、読み込むことはしませんでした。それで、この22章の1節と3節に「御座」という言葉があることを見落としていました。そういう状態で、礼拝メッセージの最後に皆さんとご一緒にこの22章の1節から5節までを読んだ時に、天から降って来た新しい都のエルサレムには神の御座もあるということを知って、いたく感動しました。というのは21章の段階では御座は天にあるままでエルサレムの新しい都が降って来るのか、御座も一緒に降って来るのか、今一つわからなかったからです。それが22章の1節と3節で、御座も一緒に降って来るのだとわかって本当に感動しました。さっきも言ったように、これは私が今までいかに黙示録を良く読んでいなかったことを暴露することですから、本当は恥ずかしいことなのですが、恥ずかしさよりも感動の方を遥かに大きく感じました。
何でそんなに感動したのかを考えてみると、やはり私の中ではヨハネの福音書の学び、使徒の働きの学び、そしてルカの福音書の学びを通じて、聖霊が天の御座におられる御父と御子から遣わされるということを繰り返し学んで来たからです。つまり御座とは天にあるものだとうことが私の中では、しっかりと刻み込まれています。
その御座が天から降って来るというのですから、本当にすごいことだなと改めて感動しています。そして、この御座がある新しい都に入ることができるのは子羊のいのちの書に名前が記されている者だけですから、多くの方々がこの新しい都に入ることができるように、福音をお伝えしなければと改めて思わされています。火の池に投げ込まれないためにイエスさまを信じることをお勧めするのでなく、この天から降って来た新しい都の素晴らしさをお伝えしてイエスさまを信じることをお勧めできたらと思います。
御座から流れ出るいのちの水の川
22章の1節と2節によれば、いのちの水の川はこの御座から流れ出て、都の大通りの中央を流れます。そして、こちら側にも、あちら側にも、いのちの木があります。いのちの木はエデンの園にもありましたね。礼拝メッセージでは、またエデンの園の箇所とこの黙示録22章とを合わせて読むことをしたいと願っています。それから、エゼキエル書の47章とこの黙示録22章とを合わせて読むこともしたいと願っています。
きょうは最後にエゼキエル書47章を短くご一緒に読んで、終わりたいと思います。まず47章の1節をご一緒に読みましょう。
47:1 彼は私を神殿の入り口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東の方へと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、神殿の右側の下から流れていた。
彼というのは神から遣わされた人ですね。その人は新しい神殿の幻をエゼキエルに見せました。エゼキエルはバビロンに捕囚として引かれて来た預言者ですから、実際の神殿はバビロン軍の攻撃によって焼失してしまっていました。これは新しい神殿の幻です。その神殿から水が流れ出ていました。そして、この水は水かさが増して川になりました。少し飛ばして9節、
47:9 この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。
この川が入るところでは、すべてのものが生きるということですから、まさに黙示録22章にあったような、いのちの水の川ですね。そして12節、
47:12 川のほとりには、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。」
このようにエゼキエルが見た幻と黙示録のヨハネが見た幻はとても似ています。神様は異なる時代の二人に時間を越えて同じ幻を見せて下さったようです。そして、聖霊が与えられている私たちもまた、聖書のことばを通して時間を越えて同じ幻を見ることができます。これは本当に素晴らしい恵みだと思います。もし私たちが聖霊を受けていないなら、ここに書かれている幻はただの絵空事にしか見えないかもしれませんが、私たちは聖霊を受けていますから、このいのちの水の川の光景のみことばを、素晴らしい感動と共に味わうことができます。
この素晴らしい恵みを何とかして、もっと多くの方々と分かち合うことができたらと思います。
お祈りいたしましょう。
22:1 御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、
22:2 都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。
『御座から流れ出るいのちの水の川』
【黙示録22:1~5】
はじめに
きょうは月曜日に大阪で起きた地震の被災地のためのお祈りと、近畿教区の教会の被害状況の報告に時間を使いたいと思いますから、メッセージは普段よりも短めにいたします。
天から降って来た御座
黙示録22章の1節から5節までを交代で読みたいと思います。この箇所は先日の礼拝メッセージの最後に開いた箇所で、いま一たび味わってみたいと思います。また、きょうは短いメッセージで終わらせますから、これからも礼拝メッセージや祈り会のメッセージで開きたいと思わされています。
22:1 御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、
22:2 都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。
22:3 もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、
22:4 御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の御名が記されている。
22:5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。
先聖日の礼拝メッセージでは、私自身の黙示録の読み込みが十分にできていないことを暴露してしまい、みっともないところをお見せしてしまいました。特に今ご一緒に読んだ22章の1節から5節の箇所の理解が不十分でした。そのことを暴露してしまいましたから、私はそのことをもっと恥ずかしく思わなければいけなかったのだろうと思いましたが、この箇所があまりに素晴らしいので、私の中では恥ずかしさよりも感動の方が大きかったというのが正直なところです。
先聖日の聖書箇所は21章でしたから、21章はある程度は読んで注解書を見て調べたりはしていました。しかし、22章はぜんぜん調べていませんでした。というのは、当初は22章を開く予定はなかったからです。
当初の予定では、まず21章を短く見てから1章の冒頭の部分と2章と3章を見て、それから12章でサタンが地上に投げ落とされた箇所と13章の大言壮語をする獣の箇所を見てから、最後にもう一度21章に戻って、最初に見た箇所のおさらいをしようと思っていました。しかし、説教準備の最終段階で、21章に戻るのはやめて、22章を最後に皆で一緒に読んで終わるという構成に変えることにしました。黙示録の最後の22章を一緒に読むことで、いちおう黙示録の最初から最後までの全体を概観した形になると思ったからです。
そういうわけで22章は、最後に皆さんと一緒に読むだけで特に解説することは考えていませんでしたから、読み込むことはしませんでした。それで、この22章の1節と3節に「御座」という言葉があることを見落としていました。そういう状態で、礼拝メッセージの最後に皆さんとご一緒にこの22章の1節から5節までを読んだ時に、天から降って来た新しい都のエルサレムには神の御座もあるということを知って、いたく感動しました。というのは21章の段階では御座は天にあるままでエルサレムの新しい都が降って来るのか、御座も一緒に降って来るのか、今一つわからなかったからです。それが22章の1節と3節で、御座も一緒に降って来るのだとわかって本当に感動しました。さっきも言ったように、これは私が今までいかに黙示録を良く読んでいなかったことを暴露することですから、本当は恥ずかしいことなのですが、恥ずかしさよりも感動の方を遥かに大きく感じました。
何でそんなに感動したのかを考えてみると、やはり私の中ではヨハネの福音書の学び、使徒の働きの学び、そしてルカの福音書の学びを通じて、聖霊が天の御座におられる御父と御子から遣わされるということを繰り返し学んで来たからです。つまり御座とは天にあるものだとうことが私の中では、しっかりと刻み込まれています。
その御座が天から降って来るというのですから、本当にすごいことだなと改めて感動しています。そして、この御座がある新しい都に入ることができるのは子羊のいのちの書に名前が記されている者だけですから、多くの方々がこの新しい都に入ることができるように、福音をお伝えしなければと改めて思わされています。火の池に投げ込まれないためにイエスさまを信じることをお勧めするのでなく、この天から降って来た新しい都の素晴らしさをお伝えしてイエスさまを信じることをお勧めできたらと思います。
御座から流れ出るいのちの水の川
22章の1節と2節によれば、いのちの水の川はこの御座から流れ出て、都の大通りの中央を流れます。そして、こちら側にも、あちら側にも、いのちの木があります。いのちの木はエデンの園にもありましたね。礼拝メッセージでは、またエデンの園の箇所とこの黙示録22章とを合わせて読むことをしたいと願っています。それから、エゼキエル書の47章とこの黙示録22章とを合わせて読むこともしたいと願っています。
きょうは最後にエゼキエル書47章を短くご一緒に読んで、終わりたいと思います。まず47章の1節をご一緒に読みましょう。
47:1 彼は私を神殿の入り口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東の方へと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、神殿の右側の下から流れていた。
彼というのは神から遣わされた人ですね。その人は新しい神殿の幻をエゼキエルに見せました。エゼキエルはバビロンに捕囚として引かれて来た預言者ですから、実際の神殿はバビロン軍の攻撃によって焼失してしまっていました。これは新しい神殿の幻です。その神殿から水が流れ出ていました。そして、この水は水かさが増して川になりました。少し飛ばして9節、
47:9 この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。
この川が入るところでは、すべてのものが生きるということですから、まさに黙示録22章にあったような、いのちの水の川ですね。そして12節、
47:12 川のほとりには、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。」
このようにエゼキエルが見た幻と黙示録のヨハネが見た幻はとても似ています。神様は異なる時代の二人に時間を越えて同じ幻を見せて下さったようです。そして、聖霊が与えられている私たちもまた、聖書のことばを通して時間を越えて同じ幻を見ることができます。これは本当に素晴らしい恵みだと思います。もし私たちが聖霊を受けていないなら、ここに書かれている幻はただの絵空事にしか見えないかもしれませんが、私たちは聖霊を受けていますから、このいのちの水の川の光景のみことばを、素晴らしい感動と共に味わうことができます。
この素晴らしい恵みを何とかして、もっと多くの方々と分かち合うことができたらと思います。
お祈りいたしましょう。
22:1 御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、
22:2 都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。