2017年1月29日礼拝メッセージ
『主がお入用なのです』
【使徒9:23~25、マタイ21:1~6】
はじめに
先々週から『使徒の働き』の学びを再開しました。先々週は『使徒の働き』9章で、サウロが復活したイエス・キリストと出会って目が見えなくなった場面をご一緒に見ました。そして、先週は、ダマスコにいたアナニヤがサウロの所に出掛けて行き、サウロの上に手を置くとサウロの目が開いた場面をご一緒に見ました。きょうは、その続きの箇所を先ほど朗読しました。
きょうは、この後で教会総会を予定しています。ですから今日の礼拝メッセージは、教会総会のための心備えをするためのものです。そういうわけで当初は『使徒の働き』から離れることを考えていました。具体的な箇所が与えられていたわけではありませんでしたが、今年の教会総会の心備えに最もふさわしい箇所から選ぶべきと思っていました。ですから『使徒の働き』からは離れるであろうと思っていました。しかし偶然ですが、この使徒9章23~25節は、今年の教会総会の心備えにふさわしい箇所だと思いましたので、第一の聖書箇所としました。第二の聖書箇所はマタイ21章です。
危機一髪だったサウロ
では、第一の聖書箇所のサウロが辛くもダマスコを脱出した場面をもう一度、今度は交代で読みたいと思います。
9:23 多くの日数がたって後、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、
9:24 その陰謀はサウロに知られてしまった。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていた。
9:25 そこで、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町の城壁伝いにつり降ろした。
このようにしてサウロは間一髪のところで殺される危機を脱してダマスコを出ることができました。このことは、単にサウロが危機を脱したということだけでは片付けられません。世界宗教としてのキリスト教の存亡の危機であったとも言えるでしょう。なぜなら、サウロはこれからパウロと呼ばれるようになってヨーロッパの地中海沿岸に広くイエス・キリストの教えを広める働きをしたからです。そしてパウロの死後に、この教えはやがて地中海沿岸からヨーロッパ全域に広がり、さらにヨーロッパの国々の宣教師たちが世界にキリストの教えを広めて行きました。ですから、もしパウロがこのダマスコで殺されていたなら、キリストの教えが世界に広まることはなかったと言っても過言ではないでしょう。或いはまたパウロは多くの手紙を書き、その手紙が新約聖書に収められましたから、人々がキリスト教の信仰について理解するのに絶大な助けとなりました。このパウロの手紙の重要性を私たちはよく知っています。ですから、もしパウロがいなかったら現代の日本にキリスト教会が存在しなかったであろうことは十分に有り得ることです。それゆえ、パウロの危機はキリスト教の危機でもあったわけです。
ただし、パウロがダマスコを脱出した時点では、彼が後にこれほどまでに大きな働きをするとは誰も予期していませんでした。まさに「神のみぞ知る」の世界です。ある程度の働きをすることは多くの人が思ったことでしょう。だからこそ、ユダヤ人たちも彼を殺そうと企んだのかもしれません。しかし、それにしても、キリストの教えが今日のように世界に広がることを予想できた人はいなかっただろうと思うことです。
主がお入用なのです
さて、このパウロが危機一髪であった場面が、どうして今日の教会総会の備えのメッセージの箇所であるかというと、実はこの教会もまた危機一髪の中を通って来たという現実があるからです。
(中略)
神様は不思議な仕方でこの教会を支えようとして下さっているように感じます。しかし、それはどうしてでしょうか。私にもわかりませんでした。それで、このことに思いを巡らしていた時に、ふと「主がお入用なのです」ということばが心に示されました。この「主がお入用なのです」の場面をご一緒に見ましょう。
マタイ21章の1節から6節までを交代で読みましょう。
21:1 それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、
21:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。
21:3 もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」
21:4 これは、預言者を通して言われた事が成就するために起こったのである。
21:5 「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王があなたのところに来られる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」
21:6 そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。
これは、イエスさまがいよいよ十字架に掛かるためにエルサレムに入って行く棕櫚の日の場面です。この後、イエスさまはろばの子に乗ってエルサレムに入って行きます。イエスさまが乗ったのは、馬ではなくて馬よりもずっと小さなろばでした。しかも大人のろばではなく子供のろばでした。こんな小さなろばでも、イエスさまを乗せてエルサレムに入るという働きをすることができました。
私たちの教会もまた小さな子ろばのような小さな存在です。しかし、こんな小さな私たちの教会でも「主がお入用なのです」と言っていただいていると私は感じました。だとすれば、これほど光栄なことが他にあるでしょうか。
主のために働く喜び
私が『ヨハネの福音書』を用いた平和の働きに熱心に取り組んでいるのも、神様が私を用いようとしていうことを感じているからです。私にとっては、これは何にも増してうれしいことですから、何とかして『ヨハネの福音書』の永遠観を多くの方々に知っていただきたいと願って働いています。幸いにして今年の前半には、『ヨハネの福音書』についての本が出せそうな所にまで来ています。つい先日は本のカバーのデザインをお願いしたところです。この教会の会堂問題と私の『ヨハネの福音書』を用いた平和の働きは車の両輪のように同時に進んで行くものだと私は、この沼津教会に着任した時から思っていましたが、今年本当に同時に実現するところまで来ているのは、私にとって本当に大きな喜びです。
この主のために働く大きな喜びはもちろん、伝道者だけではなく、教会で働く信徒の皆さんでも味わうことができるものです。『使徒の働き』には、このような伝道者以外の人々の大きな働きのことも書かれています。たとえばパウロを助けたプリスキラとアクラの夫婦です。この夫婦のことは、今年の後半に学ぶことになると思いますが、先回りして二人が登場する箇所を見て、きょうのメッセージを閉じたいと思います。この二人のことは使徒の働き18章に書かれています。2節と3節をお読みします。
18:2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、
18:3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
パウロはプリスキラとアクラの夫婦にコリントで出会って、共に働くようになりました。続いて18章18節、
18:18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。
こうしてプリスキラとアクラはコリント以外の地でも、パウロと共に働きました。このようなプリスキラとアクラのような人々もまた、小さなろばの子のような人々でしたが、「主がお入用なのです」ということで召し出されて、大きな働きをしました。
おわりに
私たちもまた小さなろばの子ですが、「主がお入用なのです」と言って下さっていると感じますから、これから私たちもこの今沢の地において、主のために働いて行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。
「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」
『主がお入用なのです』
【使徒9:23~25、マタイ21:1~6】
はじめに
先々週から『使徒の働き』の学びを再開しました。先々週は『使徒の働き』9章で、サウロが復活したイエス・キリストと出会って目が見えなくなった場面をご一緒に見ました。そして、先週は、ダマスコにいたアナニヤがサウロの所に出掛けて行き、サウロの上に手を置くとサウロの目が開いた場面をご一緒に見ました。きょうは、その続きの箇所を先ほど朗読しました。
きょうは、この後で教会総会を予定しています。ですから今日の礼拝メッセージは、教会総会のための心備えをするためのものです。そういうわけで当初は『使徒の働き』から離れることを考えていました。具体的な箇所が与えられていたわけではありませんでしたが、今年の教会総会の心備えに最もふさわしい箇所から選ぶべきと思っていました。ですから『使徒の働き』からは離れるであろうと思っていました。しかし偶然ですが、この使徒9章23~25節は、今年の教会総会の心備えにふさわしい箇所だと思いましたので、第一の聖書箇所としました。第二の聖書箇所はマタイ21章です。
危機一髪だったサウロ
では、第一の聖書箇所のサウロが辛くもダマスコを脱出した場面をもう一度、今度は交代で読みたいと思います。
9:23 多くの日数がたって後、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、
9:24 その陰謀はサウロに知られてしまった。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていた。
9:25 そこで、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町の城壁伝いにつり降ろした。
このようにしてサウロは間一髪のところで殺される危機を脱してダマスコを出ることができました。このことは、単にサウロが危機を脱したということだけでは片付けられません。世界宗教としてのキリスト教の存亡の危機であったとも言えるでしょう。なぜなら、サウロはこれからパウロと呼ばれるようになってヨーロッパの地中海沿岸に広くイエス・キリストの教えを広める働きをしたからです。そしてパウロの死後に、この教えはやがて地中海沿岸からヨーロッパ全域に広がり、さらにヨーロッパの国々の宣教師たちが世界にキリストの教えを広めて行きました。ですから、もしパウロがこのダマスコで殺されていたなら、キリストの教えが世界に広まることはなかったと言っても過言ではないでしょう。或いはまたパウロは多くの手紙を書き、その手紙が新約聖書に収められましたから、人々がキリスト教の信仰について理解するのに絶大な助けとなりました。このパウロの手紙の重要性を私たちはよく知っています。ですから、もしパウロがいなかったら現代の日本にキリスト教会が存在しなかったであろうことは十分に有り得ることです。それゆえ、パウロの危機はキリスト教の危機でもあったわけです。
ただし、パウロがダマスコを脱出した時点では、彼が後にこれほどまでに大きな働きをするとは誰も予期していませんでした。まさに「神のみぞ知る」の世界です。ある程度の働きをすることは多くの人が思ったことでしょう。だからこそ、ユダヤ人たちも彼を殺そうと企んだのかもしれません。しかし、それにしても、キリストの教えが今日のように世界に広がることを予想できた人はいなかっただろうと思うことです。
主がお入用なのです
さて、このパウロが危機一髪であった場面が、どうして今日の教会総会の備えのメッセージの箇所であるかというと、実はこの教会もまた危機一髪の中を通って来たという現実があるからです。
(中略)
神様は不思議な仕方でこの教会を支えようとして下さっているように感じます。しかし、それはどうしてでしょうか。私にもわかりませんでした。それで、このことに思いを巡らしていた時に、ふと「主がお入用なのです」ということばが心に示されました。この「主がお入用なのです」の場面をご一緒に見ましょう。
マタイ21章の1節から6節までを交代で読みましょう。
21:1 それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、
21:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。
21:3 もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」
21:4 これは、預言者を通して言われた事が成就するために起こったのである。
21:5 「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王があなたのところに来られる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」
21:6 そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。
これは、イエスさまがいよいよ十字架に掛かるためにエルサレムに入って行く棕櫚の日の場面です。この後、イエスさまはろばの子に乗ってエルサレムに入って行きます。イエスさまが乗ったのは、馬ではなくて馬よりもずっと小さなろばでした。しかも大人のろばではなく子供のろばでした。こんな小さなろばでも、イエスさまを乗せてエルサレムに入るという働きをすることができました。
私たちの教会もまた小さな子ろばのような小さな存在です。しかし、こんな小さな私たちの教会でも「主がお入用なのです」と言っていただいていると私は感じました。だとすれば、これほど光栄なことが他にあるでしょうか。
主のために働く喜び
私が『ヨハネの福音書』を用いた平和の働きに熱心に取り組んでいるのも、神様が私を用いようとしていうことを感じているからです。私にとっては、これは何にも増してうれしいことですから、何とかして『ヨハネの福音書』の永遠観を多くの方々に知っていただきたいと願って働いています。幸いにして今年の前半には、『ヨハネの福音書』についての本が出せそうな所にまで来ています。つい先日は本のカバーのデザインをお願いしたところです。この教会の会堂問題と私の『ヨハネの福音書』を用いた平和の働きは車の両輪のように同時に進んで行くものだと私は、この沼津教会に着任した時から思っていましたが、今年本当に同時に実現するところまで来ているのは、私にとって本当に大きな喜びです。
この主のために働く大きな喜びはもちろん、伝道者だけではなく、教会で働く信徒の皆さんでも味わうことができるものです。『使徒の働き』には、このような伝道者以外の人々の大きな働きのことも書かれています。たとえばパウロを助けたプリスキラとアクラの夫婦です。この夫婦のことは、今年の後半に学ぶことになると思いますが、先回りして二人が登場する箇所を見て、きょうのメッセージを閉じたいと思います。この二人のことは使徒の働き18章に書かれています。2節と3節をお読みします。
18:2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、
18:3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
パウロはプリスキラとアクラの夫婦にコリントで出会って、共に働くようになりました。続いて18章18節、
18:18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。
こうしてプリスキラとアクラはコリント以外の地でも、パウロと共に働きました。このようなプリスキラとアクラのような人々もまた、小さなろばの子のような人々でしたが、「主がお入用なのです」ということで召し出されて、大きな働きをしました。
おわりに
私たちもまた小さなろばの子ですが、「主がお入用なのです」と言って下さっていると感じますから、これから私たちもこの今沢の地において、主のために働いて行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。
「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」