徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

Can't Take My Eyes Off You

2024-09-13 20:52:29 | 音楽芸能
 今日は白内障術後1ヶ月の経過観察のための受診日。相変わらず受診者が多い。それもほとんどが僕と同じくらいの高齢者。皆さん、受付番号をコールされても反応が鈍いこと。自分もこうなんだろうかといやになる。担当医の診察では施術した右眼は順調のようだ。何か気になることがありますかと問われたので、左右の視力のアンバランスが気になると答えた。医師によれば左眼の視力はそれほど落ちていないので当分は施術する必要はないとの見立てだった。この両眼と付き合っていくしかないだろう。
 そんなわけで、眼がテーマになった曲はなかったかなと考えていると、僕の学生時代、フォーシーズンズのフランキー・ヴァリが歌ってヒットした「君の瞳に恋してる(Can't Take My Eyes Off You)」を思い出した。原題を見ると邦題はだいぶ意訳のような気がするのだが、そういえば名画「カサブランカ」の最後の別れのシーンで、ハンフリー・ボガートがイングリッド・バーグマンに言う「君の瞳に乾杯」という有名なセリフもかなり意訳だったような記憶がある。

済々黌水球部の草創期

2024-09-12 20:25:47 | 水球
 先日、大先輩の藤本重信さん(ローマ・東京五輪水球日本代表)から電話あり。3年ぶりの電話だったので何ごとかと思ったら、済々黌水球部草創期の成績を載せた新聞記事を調べてほしいとの依頼。小中高そして会社の大先輩のご依頼とあって、一昨日、市立図書館の記事検索システムで熊日新聞の戦後7、8年間の記事を片っ端から調べた。そして出てきたのは下の2件。さっそく、結果を藤本さんにメールで連絡し、図書館でもらった新聞のコピーを郵送した。
 藤本さんは、昭和23年の創部から短期間で全国制覇を成し遂げた草創期の先輩方を顕彰することによって、低迷が続く母黌の、現役の指導者や選手たちに何らかの示唆を与えられるのではとのお考えのようだ。僕も先輩の一人としてできるかぎりのお手伝いをしたい。


昭和26年の初優勝メンバー


“SHOGUN” 大ヒットのワケ

2024-09-11 20:23:49 | ドラマ
 今夜のNHK「クローズアップ現代」では、今、世界中でヒットし、米エミー賞で史上最多14部門受賞、さらに今後発表の作品賞、主演男優・女優賞など主要部門の受賞も期待されているハリウッド製時代劇「SHOGUN」の大ヒットのワケを分析していた。ネット社会の進展など時代の変化もさることながら、大きな要因の一つが「本物らしさ(Authenticity)」ではないかという。主演とプロデューサーを兼ねる真田広之さんもそれに最もこだわったという。とにかく本編をまだ見ていないので個人的な論評はできないが、番組を見ながらいくつか思い出したことがあった。
 一つは日頃、ブログやFBでお世話になっている江戸端唄の笹木美きえ師匠が「SHOGUN」の三味線インストラクターを担当された話。スサノオノミコトの歌といわれる「八雲立つ 出雲八重垣・・・」に節を付けて音源を作成したらしい。美きえ師匠にレッスンを受けた菊役の向里祐香さんが唄う予定だったのだが、そのシーンはカットされたらしい。残念!
 もう一つは、今日の番組の中で、ヒロインの戸田鞠子(細川ガラシャがモデル)と夫が茶室で水入らずのひと時を過ごすシーンが映された。ガラシャの夫といえば細川忠興。立田自然公園には忠興が設計した茶室「仰松軒」が復元されている。何度か見た「仰松軒」の内部を思い出して、夫妻にはこういう場面もきっとあったのだろうなぁと思われた。


「SHOGUN」で注目を浴びている日本人女優アンナ・サワイ


「柳緑花紅」中国・宋の時代の詩人・蘇軾(そしょく)の詩から引用した禅語


細川三斎(忠興)好みの茶室・仰松軒(立田自然公園内)

秋の夜はジャズ

2024-09-10 17:31:42 | 音楽芸能
 日中は相変わらず猛暑が続いているが、夜になるとさすがに秋らしい空気を感じる。そんな時、なぜか聴きたくなるのがジャズ。今日は好みの曲を選んで3曲聴いてみた。

 1曲目は福原みほが歌う「Do You Know What It Means To Miss New Orleans?」。
 彼女がまだ中学生だった頃、北海道のローカルTVでマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」を歌ってまわりを驚かせてから22年。37歳となり、プロ歌手としての円熟を感じさせるジャズ名曲の歌唱はいい歳のとりかたを感じさせる。

 2曲目は「P Time Selection」が演奏する「After You've Gone」。
 ジャズクラリネット奏者田村麻紀子のファンになってやがて3年。一時は彼女が演奏する曲を日に10数曲も聴いていた。ツアーはやらないようなのだが、一度はナマで聴いてみたいプレーヤーの一人。

 3曲目は、渡辺貞夫カルテットの演奏で「Smokin' Area」。
 この映像は15年前の録画のようだが、メンバーは1970年前後に組んでいたメンバー。実は1970年のこのメンバーによる熊本市民会館公演を見に行ったので懐かしい。ベースの鈴木良雄さんは毎年、熊本市高平の浄国寺での「お寺でジャズ」ライブにやって来る。今年も10月27日に行われるので今年こそ行ってみたい。

「光る君へ」と曲水の宴

2024-09-09 14:30:18 | 歴史
 昨日の大河ドラマ「光る君へ」第34回では、3月3日の「上巳祓(じょうしのはらえ)」の日、藤原道長は中宮彰子の懐妊を願って「曲水の宴」を催した。ドラマでは「ごくすい」と読んでいたが、熊本の代継宮で行われる「曲水の宴」では「きょくすい」と読む。どちらの読みでもいいのだそうだ。
 この「曲水の宴」というのは、庭を流れる曲がりくねった遣水(やりみず、小川)のほとりに歌人たちが座り、上流から流れて来た盃が自分の前を通り過ぎる前に、与えられたお題の歌を詠んで盃を飲み干すという風雅な遊び。奈良時代に始まったという。
 この宴について、室町時代後期の公卿、一条兼良が記した有職故実の書「公事根源(くじこんげん)」には次のように書かれている。

--文人ども、水の岸になみゐて、水上より盃を流して、我が前を過ぎさるさきに、詩を作りて、其の盃をとりて飲みけるなり。羽觴(うしょう)を飛ばすなどいふも、此の事なるべし。--
 注)羽觴(うしょう)とは雀(すずめ)やおしどりを象った盃のこと。

 しかし、この史料は中世も後半になってから書かれたもので、そのずっと前、「光る君へ」の平安時代からこのような「曲水の宴」のやり方だったかどうか、書かれた史料は見出せないという。ひょっとしたら時代が下るにつれ、興趣を加えつつ変わって行ったのかもしれない。


熊本・代継宮の「曲水の宴」。歌人たちは盃が流れ着くまでに歌を詠む。


雀を象った浮きの上に盃が乗せられている。

「東海風流プロジェクト」と「おてもやん」

2024-09-07 21:03:06 | 音楽芸能
 昨日の記事、「﨑秀五郎さんの端唄」では、今年7月他界された秀五郎さんの相方、水野詩都子さんについてはあえて触れなかった。しかし、ブログ友のKさんから「水野詩都子さんがおられないのが悲しい・・・」というコメントをいただき、この記事を追加することにした。
 お二人が9年前に「東海風流プロジェクト」を結成し、「民謡は地域のコマーシャルソング」を合言葉に中部地方民謡を発信し始められた原点は、お二人のふるさとの歌「名古屋甚句」だろうと思う。中でも「名古屋甚句」の一部である「名古屋名物」はわが熊本の「おてもやん」のもととなった。祇園橋際ポケットパーク(熊本市中央区細工町五丁目)に設置されている「おてもやんと永田いね」像の銘板にはこう書かれている。

--民謡「おてもやん」は、いねが春日の五反で師匠をしていた頃作られたもので、この節が名古屋さんざい(名古屋甚句)によく似ておるのは、名古屋巡業の際に影響を受けたのであろう。--

 この「名古屋さんざい」というのが「名古屋名物」のことで、明治20年頃、流行った「そうじゃおまへんか節(きんらい節)」を源流として各地に広まった。永田いねが女歌舞伎一座を率いて大阪や名古屋方面を巡業した時、出会ったのがこの「名古屋名物」。一座を解散し、春日で伎芸の師匠をしていた明治30年代前半に「おてもやん」が完成したといわれる。

 そんなことを考えながら、秀五郎さんの三味線で在りし日の水野詩都子さんが唄う「名古屋名物」と、熊本の邦楽家たちが演奏する「おてもやん」を聞き比べると、また味わい深いものがある。




﨑秀五郎さんの端唄

2024-09-06 22:34:57 | 音楽芸能
 9月4日、熊本市の福田病院内・寿心亭で行われた「肥後端唄祭」に端唄三味線の名手・﨑秀五郎さんが特別出演としてやって来られた。久しぶりに秀五郎さんのナマの演奏を聴きたいと思い、事前に秀五郎さんに当日の視聴をお願いし、ご承諾いただいていた。しかし、会場のキャパが限られることや、お弟子さんたちが大勢来られて講習会的な催しであることを考えて今回は参加を遠慮した。
 翌日の熊日朝刊に「肥後端唄祭」の様子がレポートされていたが、特別出演として東京からやって来られた秀五郎さんのことはひと言も触れてなく違和感を感じた。欠席のお詫びメッセージとともに記事の切り抜きも秀五郎さんに送信した。秀五郎さんからお礼のメッセージが届いたが、その中に「先日の本番は、本條秀美さんからいただいたお三味線で演奏していたんです。感謝の気持ちを込めて演奏させていただきました。」という一文が入っていた。
 来年は「くまもと全国邦楽コンクール」が第30回目となり、5年毎に同コンクールの最優秀賞受賞者が集う「邦楽新鋭展」が行われる年になる。まだ時期や会場など詳細は未定だが、2019年の最優秀賞受賞者である秀五郎さんの端唄を再び舞台で聴けることを期待している。
      オンライン指導もされている秀五郎さんのレッスン動画

      「いかとり唄」では三味線を胡弓に変えて

玉虫姫の故郷をたずねて

2024-09-05 20:24:10 | 歴史
 今日は所用で旧浜線を通ったので足を伸ばして御船町まで行ってみた。この町は若い頃、営業でよく訪れた懐かしい町。今回の目的は、平安時代末期、源平の屋島の戦いで源氏方の那須与一が射落とした扇を掲げた平家の官女・玉虫御前の故郷をたずねること。随分前から話には聞いていたが、現地を訪れたことは一度もない。
 地図で確認はしていたが若い頃に行っていた御船町とはすっかり様子が変わっていて位置関係がよくわからない。何しろ50年以上も前のことだから無理もない。やむなくまず御船郵便局を訪れた。窓口の若い局員が「私も地元じゃないのでわからない」というのですぐにあきらめ、御船警察署へ。窓口の署員が「玉虫寺ですかぁ?」と言って地図を引っ張り出した。地図を見てもよくわからないようで他の署員に声をかけて聞いている。すると外回りから帰ってきた(?)巡査さんがよく知っていて地図で教えてくれた。ただ「道が細いので途中から歩くことになるかもしれませんよ」と言う。3人がかりで対応してくれた署員の皆さんにお礼を言って現地に向かった。現地近くの集落まで行って、はたして車で入れるか確認したかったので誰かいないかなとゆっくり車を走らせていると、70代前後と思しき貫禄のある男性が自宅の庭で煙草をふかしているのが目に入った。すぐに車を停め門の前まで行って声をかけた。するとなんと元区長さんだそうでとにかく詳しい。こちらとしては車で入れるかどうかだけ確認できればと思っていたのだが、玉虫姫に関する話が止まらない。予想外の長話となった。とにかく道は狭いが車で入れることがわかり現地へ向かう。
 何度も写真で見たことのある風景が見えて来た。近くに車を停めるスペースもあり、じっくり見て回ることができた。玉虫御前が平家の菩提を弔うため建てたという玉虫寺は今はないが、そこに地区の公民館が建っている。周辺にはそこがかつて寺であったことを示す六地蔵や五輪塔、石の祠などが散在しており、裏には小さな御堂もある。
 そんな風景を眺めながら、僕がかつて在勤時に度々参拝した栃木県那須の那須温泉神社、那須与一ゆかりの神社のことを思い出し、千数百キロ離れたこの玉虫寺跡と物語が繋がっているという不思議な感動が湧いて来た。


屋島の戦い 扇の的の段


国道445号線を滝尾地区で右折し、御船川を渡る。


橋の名は「たまむしはし」


付近の地図


細い山道を登って行くと玉虫寺の跡「玉虫公民館」が見えてくる。


公民館の周辺には多くの遺物が散在

初萩とさおしか

2024-09-03 21:45:09 | 文芸
 先月中旬、味噌天神の福栄堂さんがかつて製造販売されていた銘菓「さおしか」の復刻版を作られたというので訪問して試食させていただいた。しかし、「さおしか」という商品名が他店で商標登録されているため、福栄堂さんは再販売に当たって「初萩」という商品名にしたいとおっしゃっていた。
 これは、万葉集の
  「わが岡にさをしか(小牡鹿)来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさをしか」
という「大伴旅人」が詠んだ歌にあるように「さおしか」と「萩の花」がまるで夫婦のように寄り添う様子から発想されたもの。

 万葉集の成立から約200年後に完成した清少納言の「枕草子」第六十七段「草の花は」の條に次のような一節がある。

   萩、いと色深う、枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れて、
   なよなよとひろごり伏したる。
   さを鹿のわきて立ち馴らすらむも、心ことなり。八重山吹。

 ここでも萩の花のそばに立つ「さおしか」が描かれている。清少納言はもちろん万葉集は読んでいたと思われるし、上記の「大伴旅人」の歌も知っていたであろう。というより萩の花と「さおしか」を対で詠むのは常套句のようなものだったのかもしれない。


藤田嗣治画伯旧居跡に咲く萩の花

令和の米騒動

2024-09-02 19:09:29 | ニュース
 二百十日も過ぎ、季節はこれから実りの秋に入って行くのだが、メディアでは「令和の米騒動」なる文字が踊っている。大都市圏を中心に「スーパーから米が消える」事態となり、全国的な米不足になっている。理由は昨年の猛暑や、地震の影響を受けての買いだめなどが原因だという。これはスーパーの種類によって状況は異なっているらしい。年間で定期的に数量を決めているスーパーでは比較的余裕があるようだが、その都度仕入れているスーパーでは米がなくなっているようだ。問題は品薄だけではない。米価が高騰しているのだ。今年に入って、米の価格は5キロ2,000円から3,000円に上がっているという。大阪府知事が備蓄米の放出を政府に要求したようだが、坂本農林大臣はこれに否定的。その理由として、市場価格に人為的な影響を与えること避けたいらしい。そんなことを言ったって既に米価は高騰しているわけでなんらかの手を打つのが当たり前と思うのだが。いったいいつまでこんな事態が続くのだろう。
 近くの田んぼを見に行った。昨年とほぼ変わらない生育状況だ。頭を垂れるまではもう少しだが、新米が市場に投入されるのが待ち遠しい。


成道寺川流域の田んぼ

米という字を 分析すればョ 八十八度の 手がかかる
 お米一粒 粗末にならぬ 米は我等の 親じゃもの

漱石の句いろいろ

2024-09-01 20:25:09 | 文芸
 京陵中学校前の漱石記念緑道を散歩していると漱石句碑がコスモスに覆われ、上の句しか読めない。毎年秋のお馴染みの風景だ。
 「すみれ程の小さき人に生れたし」
 

 この句はいろんな解釈がされているが、熊本に来て初めての正月を迎えた合羽町の家にいた頃詠んだといわれているので、正月の来訪者の煩わしさに懲りた漱石の心境が反映しているのかもしれない。「道端に人知れず咲くすみれのようにひっそりと生きたい」とでも思ったのだろうか。

 一方、熊本大学黒髪キャンパス(旧五高跡)に建立されている漱石句碑は対照的だ。
 「秋はふみ吾に天下の志」


 五高教授時代に詠んだ句で、「勉学に励み、志を高く持って、いずれは天下に名を成す気概を」という漱石先生から五高生へのエールなのだろう。