徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

お久しぶり!谷汲観音さま

2022-10-14 19:08:47 | 熊本
 3年ぶりに浄国寺(熊本市北区高平)を訪問。久しぶりに谷汲観音さまのご尊顔を拝した。

 今回は他にも目的が二つあって、一つは毎年秋に浄国寺本堂で行われるジャズ・ライブの日時などを確認すること。毎年行きたいと思いながら行けていないので今年こそと思っている。出演はジャズ界のトップベーシスト鈴木良雄さん率いる「鈴木良雄 The Blend」。50年以上前、渡辺貞夫さんのコンサートでベーシストを務められているお姿を拝見したことがある。

 もう一つは、寺原地区に残る「浄国寺(靜国寺)跡」との関係をお伺いすること。ご住職の奥様によれば、宗派が異なるようだが古文書等が残っていないのでよくわからないとのこと。
 

相変わらず凛とした佇まいの谷汲観音さま


浄国寺


お寺で「JAZZ」

星の界 ~いつくしみ深き~

2022-10-13 20:02:25 | 音楽芸能
 夕食後散歩した。もう真っ暗。東の空に一つだけ星が輝いている。あれはジュピター(木星)か?
 思わず口をついて出たのは「星の界(ほしのよ)」。「♪月なきみ空に きらめく光」。賛美歌「いつくしみ深き(What a friend we have in Jesus)」である。
 今年7月の甥のチャペルウェディングでも聖歌隊の女性コーラスが歌って感動した。そういえば映画「ドライビング Miss デイジー」でも使われていたような。いい歌はいつ聞いてもいい。
 家に帰ってからYouTubeでクラリネット奏者・田村麻紀子を中心とするトラッド・ジャズのメンバーで聴いてみた。




出囃子

2022-10-12 20:09:31 | 日本文化
 好きな落語家、三遊亭圓楽さんが亡くなった。闘病中であることは知っていたが、僕より4つ下。まだまだ頑張ってくれると思っていたので残念だ。こころよりご冥福をお祈りいたします。
 彼は楽太郎時代が長かったので今でも楽太郎の方がなじみがある。楽太郎時代の落語が何かないだろうかとYouTubeで探してみたら「西行」があった。この演目はほかの落語家で聞いたことはあるが、楽太郎さんは初めてだったのでラッキー。マクラがやたらと面白いが、若くて切れ味のいい話しっぷりに魅了された。
 「西行」という噺は西行法師がまだ佐藤兵衛之丞義清という名の北面の武士時代の失恋のエピソード。染殿内侍に恋をした義清がちょっとしつこかったので内侍にピシャリと断られる。恋に破れた義清は出家して、名も西へ行くべき西行と改めるという西行歌行脚の発端の噺。
 円楽さんの出囃子を聞きたくて9年前にアップした花童の出囃子集を前座として掲載してみた。


       (曲 目)   (立 方)      (この曲を出囃子に使った落語家)
  • 元禄花見踊り  くるみ・文乃・希海  五代目・六代目三遊亭円楽など
  • キューピー   ゆりあ        桂文鹿、文平など
  • いやとび    奏・怜奈       桂平治、三遊亭生之助など
  • 岸の柳     文乃         古今亭志ん馬など
  • さつま     くるみ・希海     春風亭柳朝、三遊亭円遊など
  • 梅は咲いたか  明音・未和・愛海   立川志の輔、春風亭柳好など
  • 伊勢津     くるみ・文乃・希海  立川志雲、三遊亭遊福など



国分寺と天平文化

2022-10-11 20:00:48 | 歴史
 昨日、県立図書館に行ったついでに肥後国分寺跡に立ち寄ってみた。今日残る「曹洞宗醫王山 國分寺」に至る系譜は不明だが、奈良時代、この辺りに壮大な伽藍があったことは間違いないらしい。肥後国分寺について「熊本県大百科事典」(昭和57年出版)には次のように紹介されている。

▼国分寺・国分尼寺
 天平一三年(七四一)聖武天皇の詔により国ごとに国府の所在地に造立された官寺。僧寺(国分寺)と尼寺(国分尼寺)とがあり、正式には僧寺を金光明四天王護国之寺、尼寺を法華滅罪之寺という。古代律令制と密着し鎮護国家、鎮災致福を説く仏教を国家的精神統一のために利用したもので、律令制衰退とともに国家の保護を失い中世には荒廃した。肥後国の国分寺は熊本市出水町・神水町・砂取町付近にあったとみられている。現在出水町の熊野神社に塔の礎石が残っているが、これは明治時代に動かされたもので、今日の調査では塔の跡や講堂の礎石も発見され、国府の位置との関係や瓦の様式や分布とも併せて、七重の塔のほか講堂、回廊、南大門などの配置が想定されている。この国分寺がいつ完成したかはわからないが、文献上少なくとも天平勝宝八年(七五六)以前に出来上がったとみられている。国分尼寺については、かつて渡鹿の旧練兵場や工兵隊作業場付近と推定されていた。礎石や基壇を残していたとの伝承や、同時代のものと思われる布目瓦が出土していたためだが、最近の調査では水前寺の旧動物園東方の陣山付近にあったとみられている。陣山は夏目漱石旧居や洋学校教師館がある所で、布目瓦出土を手掛かりに発掘調査が行われ、中門、講堂、金堂さらに回廊や南大門の跡などが確認されている。しかも塔の跡が見つからないことから、尼寺(国分尼寺は塔がないのが普通)と推定されている。(白木一也)

 奈良時代でも、天平年間が文化的な最盛期であったといわれ、ここ熊本にも仏教美術や寺院建築など仏教文化が花開いたであろう。


現在の国分寺(熊本市中央区出水1丁目)は奈良時代の肥後国分寺のほんの一部。


国分寺掲示板に掲げられた「肥後国分寺全景図」


国分寺掲示板に掲げられた「肥後国分寺・七重の塔図」


熊本市史(昭和7年発刊)に掲載された肥後国分寺


▼天平時代の文化を偲ぶ「女楽と女舞」を復元している「女人舞楽原笙会」の舞人たち。

ブリヂストン吹奏楽団久留米

2022-10-10 19:22:48 | 音楽芸能
 今日は午後3時から久留米の石橋文化センターで行われたブリヂストン吹奏楽団久留米の第52回定期演奏会を3時間にわたるライブ配信で視聴した。ナマで見たのはもう9年前になる。
 今から45年前の1977年、防府工場の開所式に彼らを呼んで防府市公会堂で「防府市民に贈る吹奏楽の夕べ」を開催した時、まだオイルショックから立ち直りきっておらず、全く予算ゼロの状態での事前準備や当日の運営での苦労を思い出しながら聴いていた。当然ながら当時のメンバーは残っていないと思われるが、彼らのサウンドは今も変わらない。


画像をクリックしますと過年度の演奏を視聴できます。

くまもと秋のまつり点描

2022-10-09 17:57:24 | イベント
後絵巻

「第18回熊本城坪井川園遊会~秋の宴~」が桜の馬場城彩苑・親水空間ステージで行われ、今日は「肥後絵巻」と題して、福島竹峰社中および西崎緑嗣社中の出演による民謡と踊りの舞台が繰り広げられました。演目は
おてもやん、ポンポコニャ、熊本自転車節、五十四万石、阿蘇の恋歌、おざや節、牛深ハイヤ節、筑後伊勢音頭、長崎ぶらぶら節 etc.

ずあかり

「第17回 熊本暮らし人まつり みずあかり」が昨夜、城彩苑~花畑公園周辺で行われました。花畑広場では「くま博2022」が同時開催されており大勢の市民が狭隘な通路を移動しなければならないという状況が発生していました。事故発生時の対応はどういう風に考えられていたのか主催者に質したい。

ハーンの愛した音楽

2022-10-07 22:00:59 | 音楽芸能
 明治24年(1891)11月19日、第五高等中学校に赴任するラフカディオ・ハーン夫妻一行が春日ステンショ(熊本駅)に降り立つ。ハーンは日本の前にアメリカと西インド諸島で20年ほど暮らしているが、その間には地域の民謡や習俗の採集をするなど異文化に対する興味は強かったようだ。
 ニューオリンズ時代に出会ったクレオールの民俗音楽は、ニューオリンズジャズとして後のジャズのもととなった。ハーンはまさにジャズの揺籃期にその現場にいたわけだ。
 そのニューオリンズジャズを確立したのがジャズ王とも呼ばれたコルネット奏者のバディ・ボールデン。ボールデンが最初にジャズを演奏したとされるのが1891年。まさにハーンが熊本へやって来た時期と一致する。
 今日は彼の代表曲「Buddy Bolden Blues」を日本の「ニューオリンズジャズ・ハウンズ」で聴いてみた。(2017年収録)
  東海林幹雄(ピアノ)、加藤晋一(トランペット)、田村麻紀子(クラリネット)
  守屋雄策(バンジョー)、 伊藤穣一(ベース)、吉井哲嗣(ドラムス)
  菊池ハルカ(トロンボーン)、松本耕司(トロンボーン)、新谷健介(クラリネット)



 日本でも民話や民謡を採集したハーンが自ら英訳して欧米に紹介したのが
 千葉県銚子の民謡「Song of Fisherman(銚子大漁節)」
  立方:舞踊団花童 地方:本條秀美と秀美会・花と誠の会

一つとせ 一番船に 積み込んで 川口押込む 大矢声 浜大漁だネ
二つとせ 二葉の沖から 戸川まで 続いて寄せ来る大鰯 この大漁船
三つとせ 皆一同に まねを上げ 通わせ船の賑やかさ 浜大漁だネ
四つとせ 夜ひる焚いても たきあまる 三ばい 一挺の大鰯 浜大漁だネ
五つとせ 何時来ても 干鰯場は あき間も 隙間も 更にない
六つとせ 六つから六つまで 粕割が 大割 小割で 手にあまる
七つとせ 名高き利根川 高瀬船 粕や油を積送る 浜大漁だね
八つとせ 八つだの沖から 若い衆が 万祝衣 揃えて 宮参り
九つとせ この浦守る川口の 明神 ご利益 あらわせり
十とせ  十が重なりゃ 百となる 千両 飛びこす 万両船

山形愛羽選手 順調に決勝進出

2022-10-06 20:30:27 | スポーツ一般
 「とちぎ国体」は今日から陸上競技が始まった。さっそく少年女子A100mに熊本期待の山形愛羽選手が登場。予選2組で1位(12.00)通過。準決勝でも2組で1位(12.02)と順調に明日の決勝に進んだ。
 インターハイでは決勝に進んだものの7位に終わったので国体ではもっと上位の入賞を期待したい。2010年千葉国体の少年女子B100mで優勝した野林祐実さん以来の県勢優勝も決して夢ではないと思う。
 山形選手は野林さんと同じように体格的には小柄な方だが、大きなストライドで走った野林さんとは対照的にピッチ走法。後半の伸びに勝負をかける。



 10月7日 少年女子A100m決勝が行われ、山形愛羽選手(熊本中央高)は12秒14で3位でした。


2022年7・8・9月動画視聴ベスト10

2022-10-05 19:12:02 | 音楽芸能
 YouTubeマイチャンネルの「2022年上半期7・8・9月動画視聴ベスト10」は次のとおりでした。

 「熊本民謡おてもやん」が再び勢いを取り戻してきました。
 この映像は「題名のない音楽会」(テレ朝)の2020.2.1放送「やのとあがつま 民謡を楽しむ音楽会」でも紹介されたことがあります。

 サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。

1.熊本民謡おてもやん(14,236回)


2.幸若舞「敦盛」(10,428回)


3.伊勢音頭(7,150回)


4.おてもやん(6,951回)


5.かっぽれ(4,743回)


6.南部俵積み唄(4,279回)


7.2022 藤崎八旛宮例大祭・飾馬飾卸(4,265回)


8.ひえつき節(4,163回)


9.こわらべ ~ 京ものがたり ~(2,524回)


10.だいこんの花(2,371回)

折口信夫の「古代研究」と「死者の書」

2022-10-04 21:53:37 | 文芸
 今月の「100分de名著」(Eテレ)は折口信夫の「古代研究」。何度も手に取ったがいまだ読破できていない難解の書である。これを「100分de名著」で取り上げてくれないかなと思っていたのでまさに待望の番組である。この放送を見ながら今一度読み直し「折口学」に迫ってみたい。

 「古代研究」とともに折口作品の中でも難解といわれているのが幻想的な小説「死者の書」。こちらはあらすじは分かっているし、短いので何度か読んだのだが、この独特な小説世界を理解できたとは言い難い。「古代研究」と合せてこちらも再読してみたい。

▼死者の書(あらすじ)
 死後百年の時が流れ、墓の中で目覚めた大津皇子。謀反の罪を着せられ処刑された皇子は死の直前に恋した耳面刀自(ミミモノトジ)を思い出します。その頃、藤原郎女(イラツメ)という少女が家出し、ある寺に迷い込んでいました。そこで出会った老女から、皇子の魂がミミモノトジの血をひくあなたを呼んでいると教えられます。夢うつつの中で魂を通わせる皇子とイラツメ。着物の無い皇子のために、イラツメは蓮の糸で衣を織ります。やがて皇子もイラツメも姿を消し、後には尊い極楽浄土が描かれた曼荼羅が残されました。
 奈良の当麻寺に伝わる、中将姫の蓮糸曼荼羅の伝説と大津皇子の史実をモチーフに、藤原南家の郎女の一途な信仰心が、若くして非業の死を遂げた大津皇子のさまよう魂を鎮める物語。

 邦楽演奏家であり作曲家でもある今藤政太郎さんが折口信夫の「死者の書」の世界を音楽で表現しようとチャレンジした意欲作「死者の書」。長唄や清元の唄や三味線に加え「箜篌」(古代ハープ)や箏なども駆使していて新しい邦楽を感じさせる。この曲は「にっぽんの芸能」でも放送された。


岩手県大槌町の復興

2022-10-03 20:04:17 | 鎮魂
 ラグビーの釜石シーウェイブスRFCのスタッフとして働いておられたFB友の梅澤様が、このほどクラブを離れることになったとFBで報告されました。
 6年前、鹿本農業高校郷土芸能伝承部が東日本大震災被災地である岩手県大槌町を訪問した時の様子をブログで紹介されていたので、写真や記事をお借りしたいとお願いしたところ快くご提供いただいたことがあります。そのお礼をあらためてコメントで申し上げたところ、当時の写真とともに現在の復興状況を示す写真を添付したお返事をいただきました。


現在の大槌町役場前の状況

 鹿本農業高校郷土芸能伝承部が、岩手県や宮城県などの被災地交流として大槌町を訪れたのは2016年8月1日のことです。大槌町役場前で山鹿灯籠踊りを披露して地域の皆様と交流しました。当時の写真を再見しますとまだ盛土・かさ上げ等の工事が盛んに行われていることが見てとれます。現在の写真と見比べますと工事が行われていた辺りは住居が建て込んでいて大槌町の復興ぶりと時の流れに感慨深いものがあります。






熊本藩高瀬米蔵跡が国史跡に指定へ

2022-10-02 19:51:53 | 熊本
 玉名市の「熊本藩高瀬米蔵跡」が今月、国史跡として指定されることになりました。近年、明るい話題が少なかった玉名市の町興しの起爆剤になれば幸いです。
 6月に文化庁の文化審議会が文部科学大臣に答申した時、NHK熊本放送が伝えた内容は下記のとおりです。

 江戸時代に熊本藩の年貢米が集められた玉名市の米蔵の跡地と米を運んでくるのに使われた船着き場の跡地が「熊本藩高瀬米蔵跡」として新たに国の史跡に指定されることになりました。「熊本藩高瀬米蔵跡」は玉名市の菊池川沿いにある江戸時代の米蔵と2つの船着き場の跡地からなります。当時、この場所には10の米蔵があって、熊本藩の年貢米の半分が水路を使って運び込まれ、保管したのち大阪に送られていたということです。米蔵は西南戦争で焼失しましたが、蔵の柱を支えていた7つの礎石や、船着き場まで俵を転がして運ぶのに使った石造りの坂道などの遺構が、米の集積地として栄えた当時の面影を伝えています。
 文化庁の文化審議会は「全国的にも希少で、近世の物流と水運施設の様相を知る上で重要な遺跡だ」として、17日、国の史跡に指定するよう文部科学大臣に答申しました。
(6月17日放送のNHK熊本放送「クマロク!」より)



高瀬船着場跡と俵転がし跡


大河ドラマ「いだてん」で再現された高瀬船着場


大河ドラマ「いだてん」で再現された俵転がし


高瀬蔵から俵を積み出す風景を唄った「肥後の俵積出し唄」


村上宗隆選手(東京ヤクルトスワローズ)のこと

2022-10-01 21:44:42 | スポーツ一般
 プロ野球もいよいよ大詰め、注目の村上宗隆選手は9月13日に日本人選手最多タイの55号を放って以来足踏みが続いています。ヤクルトの残り2試合に期待をしていますが、仮にこのまま終わってもいいと思っています。彼はまだ22歳。これから何度も新記録に挑戦してもらいたいからです。
 彼が並外れたスラッガーとして注目され始めた3年前、NHK熊本放送の「ニュース845くまもと」(2019.9.18)で彼のことを取り上げました。その翌日、僕はブログにその主な内容を投稿しましたので、再編集し再掲してみました。

 熊本市出身の19歳、村上宗隆選手です。スピード感あふれるこのスイング。プロ野球ヤクルトの若きホープの躍動が今、多くのファンの心をつかんでいます。村上宗隆選手は十代にもかかわらず、シーズン終盤にさしかかった今、打点王などのタイトル争いにからむ活躍を続けています。この打撃力はどうやって培われたのか、かつての指導者に取材したところその秘密が見えてきました。
※あどけない表情を見せる中学時代の村上選手。チームではキャプテンを務めていました。

 中学時代の村上選手を指導していた吉本幸夫監督によれば、当時練習をしていたグラウンドでちょっと困ったことがあったそうです。それは村上選手の打撃がパワフル過ぎて、打球が右翼フェンスを超え、民家の屋根瓦やスレートを割っていたからです。



 居住者の濱田さんはチームの練習日には畑作業もやめて退避していたそうです。吉本監督は、これ以上近所に迷惑はかけられないと、村上選手にある指示をしました。それは左中間方向を狙って思い切って打てということでした。それから村上選手は次々とレフト方向に飛ばす鋭い当たり。左へのホームランを打てる村上選手のテクニックはこの時培われていたのです。

 九州学院高時代の恩師、坂井宏安監督によれば、当時のびのび野球を楽しめた環境が村上選手のものおじしないスタイルを形づくったと考えているそうです。九州学院チームの特徴は先輩後輩の上下関係がなく、何でもお互いに言える環境だったそうです。そういう環境で育った村上選手は、ヤクルトの大先輩である名手青木宣親選手に「バントで前に出るからベースカバーお願いします」と平気で言ったそうで、坂井監督は思わず「お前が言うな!」とツッコんだそうです。
※写真は九州学院高時代の恩師、坂井宏安監督