徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

梅雨入り

2021-05-15 19:57:05 | 
 熊本も梅雨入りした。平年より20日も早いらしい。熊本県は今日新たに116人の新型コロナウイルス感染が発表され、明日からは「まん延防止等重点措置」が適用される。しばらくは二重に鬱陶しい日々が続きそうだ。
 少しでも気分を変えようと、僕らの高校時代に流行った「悲しき雨音」など聴いて過ごした。


咲き始めたばかりのわが家のあじさいも降りしきる雨に打たれて


熊本城二の丸広場も水たまりが広がる


        ▼悲しき雨音

4月の動画視聴ベスト10

2021-05-14 17:15:10 | Web
 YouTubeのチャンネル・アナリティクスによれば、マイチャンネルの4月度動画視聴ベスト10は次のとおり。
 1位の「ひえつき節」と2位の「幸若舞 敦盛」は先月と同じ。その他では「牛深ハイヤ節」と「熊本民謡 おてもやん」が新たに入ったくらいであとは変わらず。皆さんに視聴していただける動画の傾向がだいぶ見えてきた。



「翁」の発生と思想

2021-05-13 22:14:15 | 伝統芸能
 「翁プロジェクト」の熊本公演を見てから2ヶ月が過ぎたが、時間が経つにつれ、貴重な体験だった実感が湧いてくる。
 この「翁」公演に先立って、オンラインで行われたシンポジウムの映像がYouTubeにアップされているのでじっくり見せてもらった。
 登壇者は次のお三方
  松岡心平(能楽研究者、東京大学名誉教授)
  中沢新一(思想家・人類学者、明治大学 野生の科学研究所 所長)
  沖本幸子(日本文学・芸能研究者、東京大学准教授)

 中沢さんは時々テレビで拝見するが松岡さんは初めて拝見した。進行を務めた沖本さんは3年ほど前、著書「乱舞の中世 白拍子・乱拍子・猿楽」を読ませていただき、中世芸能への造詣の深さに感心したことがある。シンポジウムは「翁」について、その発生の過程と思想的な意義についてさまざまな切り口から議論が進められた。とにかく専門的な知識に基づく議論には付いていけないところも多々あったが、後戸の猿楽、宿神、ビナヤカ、花祭と鬼等々、気になるキーワードについては今後文献などで調べてみたいと思う。
 そのことよりも何よりも、お三方とも能楽の中で「翁」が一番好きだという話には「わが意を得たり」という思いで嬉しかった。この何のストーリー性もない祭祀のような芸能に人はなぜ惹かれるのか。数年前に読んだ折口信夫の「翁の発生」も再読してみたいと思う。


2021.3.9 水前寺成趣園能楽殿 翁プロジェクト熊本公演(翁プロジェクトTwitterより)



豊後追分

2021-05-12 21:22:30 | 音楽芸能
 舞踊団花童の「九州の歌・舞踊集」を作ろうと考えていたが、大分県の歌が手持ちの映像になくそれっきりになっていた。今日、京町1丁目の交差点の辺りを歩いていてハッと気づいた。ここはその昔、豊前街道と豊後街道の追分になっていた地点。そうだ「豊後追分」があったなと。僕自身は撮っていないが、大分の栗田さんが撮られた映像のことを思い出した。さっそくメッセージを送り、お借りする快諾を得た。さっそくYouTubeからダウンロードさせてもらい歌詞を付けてみた。
 この「豊後追分」別名「久住高原」は昭和初期に作られたいわゆる新民謡。今日でいう「ご当地ソング」だが、特定の追分を歌ったわけではなく、久住高原の美しい景色を「追分節」に乗せて歌ったもののようだ。
 これで一応九州七県の歌が揃った。花童の「九州の歌・舞踊集」に取り組むとしよう。


京町1丁目の交差点。直進が豊後街道の観音坂、左折が豊前街道で植木方面へ。



高校総文祭パレード 今年も中止

2021-05-11 22:15:23 | イベント
 5月27日(木)に開催予定だった第33回熊本県高等学校総合文化祭パレードは、新型コロナウイルス感染拡大のため、開催中止となった。昨年に続き、2年連続で初夏の風物詩が見られないことになり残念。
 なお、ステージ部門や展示部門については、現在開催可否を検討中だそうである。


玉名女子高校吹奏楽部


牛深高校郷土芸能部


第一高校バトントワリング部

君が教えてくれたこと

2021-05-10 18:57:57 | 音楽芸能
 コロナ感染の再拡大により、城彩苑わくわく座も現在休館中。6月から舞踊団花童の新年度公演が始まる予定だが、はたしてそれまでに再開できるだろうか。
 舞踊団花童は上天草市の「天草四郎ミュージアム」でも2018年から定期公演を行っており、天草四郎「生誕400年」を迎える上天草市は記念事業の一環として舞踊団花童をPR特命大使に任命した。今のところ「天草四郎ミュージアム」は開館しているようだが先行き予断を許さない。その他の公演予定も次々と中止されており、今年も彼女たちにとって試練の年になりそうだ。

 先月、城彩苑わくわく座で観た舞踊団花童の公演「細川ガラシャ ~玉の一生~」では、上天草市出身のシンガーソングライターMICA(みか)の「君が教えてくれたこと」が印象的に使われていた。心に沁みるようないい歌だ。


舞踊団花童公演「細川ガラシャ ~玉の一生~」より


母の日

2021-05-09 23:44:48 | ファミリー
 今日は母の日。僕の姉と妹もプレゼントを携えてやって来てくれた。息子に先立たれた母を少しでも元気づけようと家族みんなで母の日を祝った。
 今年、白寿を迎えた母は養護教員として永年勤め、いろんなエピソードがあるが、僕が一番忘れられない話がこれだ。

 母は今はもう炊事をすることはないが、以前たまに作っていたのが炊き込みご飯だった。にんじんとあげとごまめを入れ、醤油で味付けしたシンプルな炊き込みご飯だ。実はこれ、昭和15、6年頃、母が勤めていた島崎尋常高等小学校で給食として、待労院(慈恵病院の前身)から登校していた孤児たちに食べさせていた一品らしい。おかずはない。孤児たちは喜んで食べていたそうだ。
 2006年だったか、慈恵病院が「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」を立ち上げた時、メディアなどでは売名行為などと批判する声もあった。時の某首相など、この件を記者から尋ねられると、あからさまに不快な表情を隠さなかった。孤児の救済を戦前からやっていた慈恵病院にとっては、ごく自然な取り組みだったのである。新聞やテレビで取り上げられるたびに母は「昔からやってたのにね」と言った。そして、母は必ず当時の孤児たちとこの給食のことを思い出すらしかった。

野辺送り

2021-05-08 19:54:26 | 
 今日は先々月他界した弟の四十九日法要と納骨の日。弟の家での法要の後、立田山のわが家の墓に納骨した。やっとひと区切りついたような気がする。愛する父や祖母のもとで彼もほっとしていることだろう。
 墓地の一角に立つ栴檀の大木に咲く薄紫の花が散り始めていた。

 栴檀の花散る弟の野辺おくり
 (せんだんのはなちるおとののべおくり)


何だかなぁ…

2021-05-07 18:20:04 | 
 今日、熊本は新型コロナ感染者が100人に達した。今年1月8日の101人に次ぐ2番目の多さだそうだ。昨日は東京オリンピックの聖火リレーが熊本市でも行われたとテレビが報じていた。聖火リレーなどやってる場合か、まったく。週明けの10日に政府に対して熊本市への「まん延防止等重点措置」の適用を要請する方針のようだ。他県も感染拡大の勢いが止まらないようだが、ワクチン接種は予定どおり進んでいるのだろうか。先日、ワクチン接種券が送られてきたが、昨日から始まった受付はすぐに埋まって終了したらしい。次の受付は17日だという。何だか何をやってもうまくいかない印象しかないなぁ。政府や行政に対して不信感しかない。オリンピックなどさっさと中止を決めて、コロナ対策に全力を傾けないと大変なことになるぞ。


泰勝寺跡(立田自然公園)の竹林

寺社めぐり(2)

2021-05-06 21:51:39 | 熊本
 昨日に続き、今日は寺社めぐりの2回目。昨日の津浦の、昔風に言えば「となり村」の打越に鎮座する「打越菅原神社」を訪れた。その名のとおり、菅原道真を祀った神社の一つ。「打越」というのは「波が塘(とも)を越える」という意味で、やはりここも海岸であった名残りを感じさせる。この神社のすぐ下では、かつて縄文時代の貝塚が発掘されている。「阿蘇4」の火砕流堆積でできた京町台地のへりは深く湾入した有明海の波に洗われた時代があったのかもしれない。


鳥居の扁額も読み取れないほど風化しているが、創建された時期は不明らしい。


この神社も昨日の津浦熊野神社と同じ宮司さんが管理されているが行き届いている感じ


神社のすぐ下を走る熊本電鉄菊池線の打越駅

寺社めぐり

2021-05-05 22:54:04 | 熊本
 雨も昼前には止んだので午後から散歩に出かけた。ただ歩くのはつまらないので思いついたのが、近場で、まだ行ったことがない寺社めぐり。まず今日どこにしようかと地図を見ていると、津浦熊野神社が目についた。津浦はわが家から見えているし距離的にもちょうどいい。県道303号線(旧国道3号線)を北上し、出町のはずれから津浦へ坂を下るコースをとった。津浦熊野神社はその坂の途中にあった。寄り道もしたが距離的には2.5㌔くらいか。
 津浦熊野神社、正式には津浦熊野座神社(つのうらくまのいますじんじゃ)と呼ぶそうだ。全国津々浦々にある熊野座系の神社の一つで、細い石段を上り、拝殿で参拝する前に振り返って見おろすと坪井川に沿った遊水地や住宅地などが一望できる。平安海進のときかどうかわからないが、津浦の名の通り、港になりそうな地形だ。境内の石碑を見ると平安時代後期に鎮座したようで、祭神はイザナミノミコトとコトサカオノミコトだという。他にもまだこんな歴史を感じさせる寺社がきっとあるのだろう。さて次はどこを目指すか。


車で前を通ることはあったが一度も参拝したことはない


見るからに手入れが行き届いている


▼寄り道した藤田嗣治(レオナール・フジタ)画伯旧居跡の記念碑

コロナと夏祭り

2021-05-04 18:58:28 | イベント
 コロナ感染状況は熊本もいまだ油断のならない状況が続いている。変異型ウイルスはマスクをしていても密な状態でないところで感染した例があると聞くと、ますます外へ出るのが怖くなる。
 昨日は今月初めて加藤神社にお参りに行ったが、意外なほど賑わっていて、鳥居の前まで来てその様子を見て「今日はやめておこう」と引き返す参拝者もいた。僕はそのまま拝殿に向かって進んだが、拝殿前の人だかりを見て遠くから拝むだけで失礼させてもらった。


意外な賑わいの加藤神社から熊本城天守閣を望む



 先日テレビで今年の「阿波踊り」は無観客か中止になりそうだと言っていた。昨年も中止だったので地元の方たちも残念だろう。同じ時期に開かれている熊本の「山鹿灯籠踊り」も昨年に引き続き、今年も中止するかどうかギリギリの選択を迫られる頃だろう。


昨年に続き「山鹿灯籠踊り」も中止になるのだろうか

千葉城のはなし。

2021-05-03 21:49:15 | 熊本
 僕が5、6歳の時通った熊大附属幼稚園は戦前、千葉城幼稚園という名前だった時代があり、年配者は千葉城幼稚園と呼ぶ人が多かった。住所は城東町だったが、千葉城町だった時代があったのだろう。この幼稚園に永年勤務した母は、務めて間もない頃、幼稚園の裏側に旧坪井川の流れがあったことを憶えているという。町名が変わったのは坪井川の流路が変更されたことと関係があるのかもしれない。僕が通っていた頃の幼稚園の前の通りはまだ舗装もされておらず、荷馬車がよく通るのでよく馬糞が落ちていた。それがまた当時の子供たちの笑いのタネだった。その頃はまだ千葉城にNHK熊本局はなかった。NHKは熊本市役所裏の城見町にあり、童謡番組の生放送に行ったことがある。童謡「木の芽草の芽」を歌ったが、スタジオの緊張感がすごかったことを憶えている。NHKが千葉城に移ってきたのは僕が高校3年になった昭和38年のことだった。その後、僕は熊本を離れたが、定年退職して熊本に帰ってからも千葉城の下を通ることは多かった。千葉城は毎春、つつじの季節には斜面がつつじで覆われ、NHKで行われる「つつじ祭り」はよく見に行ったものだ。そういえば、NHK熊本局に初任配置された池田伸子アナや近江友里恵アナ(3月末退職)らが千葉城へ出退勤される姿を見かけたこともあった。NHKが去った跡は観光関連施設が予定されているようだが、またつつじの季節に千葉城に登ることができるようになればいいなと思っている。

▼千葉城について(千葉城登り口の案内板などを参考に)
 千葉城は、室町時代、菊池氏の一族である出田秀信が茶臼山東の小高い丘の上に城を築いたところで、茶臼山周辺では最も古い城跡。加藤清正によって熊本城が築城される120年ほど前のことである。
 肥後細川藩初代忠利公の時代には客分として迎えられた宮本武蔵の屋敷が丘のすそにあったが、その場所は昭和初期、坪井川の直線化によって河道となった。
 千葉城の名の由来は、下を流れる坪井川の船場があったことから「船場(せんば)」が「千葉(せんば)」そして読みも「ちば」に変化したという説を始め諸説あり、よくわからないようだ。


長年親しまれた千葉城のNHK熊本放送局は姿を消した。(千葉城橋の交差点より)


熊大附属幼稚園前の大通り


GW にぎわいもなく

2021-05-02 21:16:49 | 熊本
 二の丸広場へ行ってみると、まず目についたのはGW中の熊本城で目玉イベントになるはずだった「天守閣復活祭」の中止を知らせる立看板。立ち止まって見る人もあまりいない。広場の芝生の上には家族連れや若者のグループがいくつか、シートを広げて食事したりくつろいだり遊戯を楽しんだりしているが、平日とそれほど変わらない人数だ。広場東側の仮設通路も閑散として、いつものGW中のような観光客が列をなすような風景は見られない。熊本地震からの復興も未だしというのにコロナが追い討ち。厳しい試練はいつまで続くのだろうか。


イベント中止を知らせる立看板


いつもの連休中は観光客が列をなす広場の通路も閑散として

今は見ることができない風景(その2)

2021-05-01 20:59:12 | 熊本
 「今は見ることができない風景」の第2回(初回は4月2日)。
 熊本地震前の熊本城の貴重な映像の中から今回は下記の三つを選んだ。

▼東十八間櫓(ひがしじゅうはちけんやぐら)
 国の重要文化財であり、熊本地震で北十八間櫓、五間櫓とともに倒壊。かつて櫓は武器や武具の倉庫として、また戦時には兵の駐屯所として使用された。西南戦争での焼失を免れた建造物のうちの一つ。熊本城の代表的な景観の一つだった。幼稚園の頃、須戸口門を抜け竹の丸から東十八間櫓の裏を通って本丸へ登っていたことを懐かしく思い出す。




踊る花童の後方に在りし日の東十八間櫓が見える



▼飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)
 加藤清正の重臣の一人、飯田覚兵衛預かりの曲輪(くるわ)に立つ櫓。平成17年に復元されたが、熊本地震で石垣が崩れ、櫓の倒壊を防ぐため解体保存された。辛うじて角石だけで支える姿が「奇跡の一本石垣」として全国的に有名となった。土台の石積みを解体中に、内側から清正時代の別の石垣が現れたというニュースも話題になった。




▼監物櫓(けんもつやぐら)
 新堀橋の上に構える監物櫓は、鉄砲狭間や石落としなどを備えた北の最前線を守る櫓。国の重要文化財となっている。熊本地震で大きな被害を被り、痛々しい姿を見せていたが、これ以上の被害の拡大を避けるため解体保存された。豊前・豊後街道から鳥町入口にさしかかると前方に監物櫓が姿を見せ、参勤の御行列も熊本城への到着を実感したであろう。