徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

母の日

2021-05-09 23:44:48 | ファミリー
 今日は母の日。僕の姉と妹もプレゼントを携えてやって来てくれた。息子に先立たれた母を少しでも元気づけようと家族みんなで母の日を祝った。
 今年、白寿を迎えた母は養護教員として永年勤め、いろんなエピソードがあるが、僕が一番忘れられない話がこれだ。

 母は今はもう炊事をすることはないが、以前たまに作っていたのが炊き込みご飯だった。にんじんとあげとごまめを入れ、醤油で味付けしたシンプルな炊き込みご飯だ。実はこれ、昭和15、6年頃、母が勤めていた島崎尋常高等小学校で給食として、待労院(慈恵病院の前身)から登校していた孤児たちに食べさせていた一品らしい。おかずはない。孤児たちは喜んで食べていたそうだ。
 2006年だったか、慈恵病院が「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」を立ち上げた時、メディアなどでは売名行為などと批判する声もあった。時の某首相など、この件を記者から尋ねられると、あからさまに不快な表情を隠さなかった。孤児の救済を戦前からやっていた慈恵病院にとっては、ごく自然な取り組みだったのである。新聞やテレビで取り上げられるたびに母は「昔からやってたのにね」と言った。そして、母は必ず当時の孤児たちとこの給食のことを思い出すらしかった。