舞踊団花童の「九州の歌・舞踊集」を作ろうと考えていたが、大分県の歌が手持ちの映像になくそれっきりになっていた。今日、京町1丁目の交差点の辺りを歩いていてハッと気づいた。ここはその昔、豊前街道と豊後街道の追分になっていた地点。そうだ「豊後追分」があったなと。僕自身は撮っていないが、大分の栗田さんが撮られた映像のことを思い出した。さっそくメッセージを送り、お借りする快諾を得た。さっそくYouTubeからダウンロードさせてもらい歌詞を付けてみた。
この「豊後追分」別名「久住高原」は昭和初期に作られたいわゆる新民謡。今日でいう「ご当地ソング」だが、特定の追分を歌ったわけではなく、久住高原の美しい景色を「追分節」に乗せて歌ったもののようだ。
これで一応九州七県の歌が揃った。花童の「九州の歌・舞踊集」に取り組むとしよう。
京町1丁目の交差点。直進が豊後街道の観音坂、左折が豊前街道で植木方面へ。
この「豊後追分」別名「久住高原」は昭和初期に作られたいわゆる新民謡。今日でいう「ご当地ソング」だが、特定の追分を歌ったわけではなく、久住高原の美しい景色を「追分節」に乗せて歌ったもののようだ。
これで一応九州七県の歌が揃った。花童の「九州の歌・舞踊集」に取り組むとしよう。
京町1丁目の交差点。直進が豊後街道の観音坂、左折が豊前街道で植木方面へ。
分岐点であることを初めて知りました。
てっきり長野の地名だとばかり思っていました。
信号のある交差点より先に古の街道の分岐点を
イメージする方がロマンがありますね。
昔の街道の分岐点には「追分石」が残っているところもありますよ。「左は〇〇、右は◇◇」などと刻んであるのを見るとロマンを感じますね。