徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

河内町のみかん畑

2020-03-16 22:21:56 | 熊本
 江戸時代後期から河内町(現在は熊本市西区河内町)は温州みかんの名産地。金峰山南西の丘陵地帯に広がるみかん畑から有明海の向こうに望む雲仙岳は、熊本の代表的な景観の一つといえるだろう。ということで大河ドラマ「いだてん」でも金栗四三とスヤが自転車でみかん畑の道を走る印象的なシーンのロケが行われた。この写真の撮影ポイントは野出という地区で、夏目漱石の「草枕」における舞台の一つとなった野出峠の茶屋から少し下ったところである。漱石はさらに那古井の里のモデルとなった小天温泉を目指して下って行く。
「草枕」の中で主人公の画工が那美さんにたずねるこんなセリフがある。
「あの蜜柑山に立派な白壁の家がありますね。ありゃ、いい地位にあるが、誰の家なんですか」
 漱石は前田家別邸に宿泊するのだが、この白い壁の家というのが前田家本邸。
 きっと漱石もこの写真のような風景を眺めながら山道を下って行ったのだろう。


上熊本駅の5年

2020-03-15 21:01:23 | 熊本
 JR上熊本駅舎が完成して昨日で5年。駅前広場に面したヒノキの防風スクリーンもくすんだ風合いになってきた。この5年間には実に様々な出来事があった。完成翌年には、明治29年に夏目漱石が五高へ赴任するためこの駅に降り立ってから120年を記念するイベントが華やかに行われた。ところがその翌日に発生した熊本地震。駅舎は最初の試練を何とかくぐり抜けた。仮駅舎だった2014年、1日平均2,300名ほどだった乗車人数が、2018年には2,800名ほどに増えた。そして昨今の新型コロナウイルス騒動による人の往来の激減。この駅の歴史にどんな1ページを残すのだろうか。


今日の上熊本駅 県産材のヒノキを使った防風スクリーンもくすんだ風合いに


2015年3月14日 蒲島熊本県知事、大西熊本市長、青柳JR九州社長、設計者の水戸岡鋭治氏などが参加した落成式


2015年3月14日 落成式を前にスーツをまとった夏目漱石像


2015年3月14日 高架化された在来線の板張プラットホーム。一段上の高架を新幹線が通り過ぎる


2016年4月13日 夏目漱石来熊120年記念行事 蒲島知事、大西熊本市長、夏目漱石文化振興推進会議メンバーらが参加


2016年4月13日 旧駅舎を使って漱石到着の場面が再現される


2016年10月18日 隣接の熊本電鉄上熊本駅。連日賑わった海外からのツアー客もコロナ騒動で消えた


女子アナの異動

2020-03-14 18:15:54 | テレビ
 新年度が近づき、NHKも人事異動の季節。今夜放送の「ブラタモリ ~島原・天草編~」はアシスタント林田理沙アナの最後のブラタモリ出演となる。2年前に近江友里恵アナからバトンタッチを受けてあっという間だった気がするが彼女にとっては確実にキャリアアップしたと思う。今後も他番組で頑張ってほしい。
 熊本局に2年前に着任した畠山衣美アナもどうやら異動のようだ。彼女は3年間営業職をやった後、アナウンサーに転じたという異色の経歴を持つ。まだ公表はされていないようだが、大阪局で「きょうの料理」を担当することが発表されているので、おそらく大阪局への転勤となるのだろう。熊本出身でもあるのでこれからも引き続き応援したい。


タモリさんと林田理沙アナ


畠山衣美アナ

東京2020は一気に延期への流れ?

2020-03-13 22:11:20 | スポーツ一般


 東京オリパラ組織委の高橋治之理事が開催を1~2年後の夏に延期すべきだと、内外の有力メディアに述べたり、さらに今日になってアメリカのトランプ大統領が「東京五輪は1年間延期したほうがよい」などと言い始めたところをみると、裏では既に延期への流れを作る動きが始まっているものと見える。組織委の森会長が高橋理事の軽率な発言を叱ったなどと伝えられているが、こんな大事なことを一理事がメディアに対して軽々に発言するはずがない。
 現在の新型コロナウイルス感染拡大の状況を見れば、疫学統計的に見ても7月までに終息するのは極めて難しいと思われるし、仮に終息したとしてもその後遺症がしばらくは続くので予定どおりの東京オリパラ開催は厳しくなったと考えるのが自然だ。まぁ予想としては1年以内の延期に落ち着くのではないだろうか。個人的な希望としては2021年の4~6月の間に開催すれば酷暑の問題もある程度避けられるし、アメリカのプロスポーツとの競合も秋ほどではないだろう。2年延期というのはサッカーのワールドカップとぶつかるので現実的ではない。はたしてどういう形に落ち着くだろうか。

電子図書のお粗末

2020-03-12 15:07:22 | 文芸
 新型コロナウイルス騒動で何が困ったかというと一番は図書館が臨時休館になってしまったことだ。貸し出しを申し込んでいた図書も「貸出準備中」のまま凍結されている。市立図書館のホームページに「休館中も電子図書館は使用可」というお知らせがあったのでさっそくアクセスしてみた。
 興味のあるジャンル「民俗学」を選んで折口信夫の「死者の書」を開いた。この作品は青空文庫で読んだことがあるが、先日、人間国宝の邦楽演奏家・今藤政太郎さん作曲の長唄「死者の書」をNHKの「にっぽんの芸能」で見たのでもう一度読んでみたいと思っていた。せっかくだから「音声読み上げ」を使ってみた。これがヒドイ!音声合成だから抑揚や間がおかしかったりするのは我慢するとして、漢字の読み間違いが続くのにはまいった。登場人物の一人、耳面刀自(みみものとじ)を最初だけはそのとおり読んだが、次からは「みみめんとじ」と読み続けた。いったいどんなプログラムが組まれているのだろうか。その他の漢字も読み間違いが次々と出て来てとうとう読む気が失せた。まだまだ実用に供するレベルには達していない。
※右の写真は川本喜八郎さん制作の人形アニメーション映画「死者の書」の一場面

鎮魂の丘

2020-03-11 14:57:09 | 熊本
 9年前のこの日、僕は母と妻を連れて田原坂公園に向った。翌日に迫った九州新幹線全線開業を前に、役割を終えてラストランとなるリレーつばめ号を見ておこうと思ったからだ。その車中、今思うと実に不思議なことだが、なぜか大地震が来るのではという話題になったことを憶えている。田原坂公園の小高い丘の上から狙ったのだが、残念ながらいい写真が撮れなかった。すると公園施設のテレビを見ていた母たちが「東北地方で大地震発生というテレビ速報が流れた」という。ただならぬ事態が起こっていると感じ早々に帰途についた。帰ってからテレビで見たあの衝撃的な津波の映像は一生忘れない。16,000名に近い方が亡くなり、未だに行方不明の方が2,500名を超えているという大災害となった。
 その後も何度か田原坂公園を訪れたが、必ずあの日のことを思い出す。ここは僕にとって西南の役の犠牲者とともに東日本大震災の犠牲者の鎮魂の丘となった。あらためて心から哀悼の意を表します。


お茶壺道中

2020-03-08 20:21:53 | 歴史
 昨夜放送のブラタモリ「甲賀・信楽編」では、徳川三代将軍家光の時から始まったという宇治茶を将軍に献上する信楽焼の「お茶壺道中」の様子が再現されていた。実は肥後熊本藩でも同じような「お茶壺道中」が行われていた。
 今から388年前の寛永九年(1632)、肥後細川初代藩主忠利公が初めて領内を視察された時、筑後との国境に近い多久村(現山鹿市鹿北町)の星原番所で出されたお茶を大そう気に入られ、以後「御前茶」として献上することになった。毎年新茶ができ上がると、細川家の「九曜紋」の入った茶壷に納め、椎持往還を通って運ぶ「お茶壺道中」が見られたという。その後、代々の藩主に受け継がれ、小代焼の茶壷に874匁(3.28kg )のお茶が詰められ熊本城へと運ばれた。しかし残念なことに明治2年の大火でその茶壺は焼失してしまったという。

 明治時代に天草からやって来た出稼ぎ労働者が唄い始めたという「鹿北茶山唄」。
 全国的にも珍しい「のぼり唄」「つみ唄・もみ唄」「仕上げ唄」の三部構成となっている。


はなつばきの夢

2020-03-07 18:37:27 | 友人・知人
 会社時代からの友が旅立った。12年前に病に倒れ、以来長い闘病生活が続いていた。
 思い返せば、1995年の秋、会社で人事を担当していた僕のところへ彼が早期退職の相談に来たのが彼との縁の始まりだった。翌年、彼は会社を辞め玉名で念願の料亭を開店した。彼はまだ横浜に勤務していた頃から将来の起業を夢見て料理の腕を磨いていた。類まれな料理センスと田村魚菜先生に薫陶を受けた確かな腕が道を開いた。それから12年、経営的には大変な時期もあったと思うが、ご家族のバックアップとチームワークで着実にファンを増やし、料亭の経営も軌道に乗って来たある日、突然病魔が彼を襲った。志半ばで閉店せざるを得なくなったことは無念だったに違いない。しかし、彼が目指した家庭的な料亭のスタイルは、新しいビジネスモデルを提示してくれたと思う。料亭経営の12年間、そしてその後の闘病の12年間にあらためて敬意を表するとともに心から労いたいと思う。本当にお疲れさま。どうぞゆっくりお休みください。
 また、永きにわたり彼を支え、さらには看病につとめて来られた奥さまおよびお嬢さまがた、本当にお疲れさまでした。


料亭「はなつばき」を開店した頃

子どもも かっぽれ!

2020-03-06 21:29:19 | 伝統芸能
 聞こえてくるのは暗いニュースばかりなので楽しい話題を一つ。
 静岡県掛川市伊達方地区のKさんという方から、舞踊団花童が踊る「かっぽれ」の映像音源を提供いただけないかというご依頼があったのは昨年夏のこと。さっそく舞踊団花童の中村花誠先生にお願いしてCDを作成していただきKさんへ送付した。伊達方地区ではこの音源を使ってみんなで練習、地域の祭りでこれを披露することができたというKさんからのお礼とご報告があった。その映像はYouTubeにアップされ、その見事な踊りに感心したものだ。
 実はもう一つ、大人に交じって大勢の子どもたちが踊っている映像があり、僕はそれを見逃していた。最近それに気付き見てみると、子どもたちが実に楽しそうにかっぽれを踊っているではないか。ちょっと「目からウロコ」だ。かっぽれは大人向けの芸だと思い込んでいたが、子どもたちにとっても十分楽しめるようだ。伝統芸能の一つとして子どもたちに教えることは意義がありそうだ。

(注)右の絵は広重画「日本橋通一丁目略図」。かっぽれのもとになった住吉踊りの一団が白木屋の前を練り歩く。

   ▼大人に交じってかっぽれを踊る伊達方の子どもたち


   ▼お手本となった映像がこれ!(舞踊団花童によるかっぽれ)

春の憂鬱

2020-03-05 18:09:11 | 
 1月中旬に神奈川県で日本国内初の新型コロナウィルス感染者が確認され、2月21日に熊本県内で最初の感染者が確認されてから約2週間。とたんに外出をためらうようになっていたが、今日久しぶりに熊本城周辺を散歩した。加藤神社や二の丸広場など、人出はまばらで、美術館や博物館なども既に休館、イベントは軒並み中止となり、ほんの1ヶ月前とくらべて観光客が激減している。こんな状況がいったいいつまで続くのだろうか。空は晴れても心はちっとも晴れ晴れとしないまま家へ帰り着いた。


加藤神社にて

芸妓一代

2020-03-04 23:02:04 | 音楽芸能
 先週金曜日に放送された「にっぽんの芸能」(Eテレ)は昨年11月に行われた「京舞井上流」の東京公演の模様。五世家元の井上八千代さんは別として、京舞井上流の頂点に君臨するのが名取芸妓のまめ鶴さん。今回は、能「葵上」をもとにした地唄「梓」を舞い、圧倒的な存在感を示した。
 彼女が16歳で舞妓デビューした時の様子を写したNHKの「新日本紀行」の映像を憶えている。今日、NHKの「新日本紀行・放送全記録」で確認してみると、放送されたのは1975年5月12日。「都をどりのころ―京都・祇園―」と題して「都をどり」が近づき準備に余念がない祇園の女性たちを映し出した。その中で、見世出しを前に男衆に連れられて関係先を挨拶回りをするまめ鶴さんの初々しい姿が印象的だった。あれから45年、大御所となった今日の姿にはなかなか結びつかない。


都をどりでのまめ鶴さん(黒の衣装)

 そして、番組を見ながら気になったのが、芸妓として復帰したまめ藤さん。復帰間もないので東京公演には間に合わなかったようだが、祇園甲部の大先輩まめ鶴さんのような偉大な芸妓を目標に、いずれはメインキャストとして舞台を飾る日が来ることを祈りたい。


まめ藤さん(竹中邦彦さん撮影)

ひな飾りと春の夜の夢

2020-03-03 20:43:13 | 日本文化
   或夜夢に雛娶りけり白い酒(漱石 明治30年)

 これは漱石が熊本時代に詠んだ一句。春の夜にうたた寝をして「雛(ひな)」(仲春の季語)を娶る夢を見たのは供物の甘酒のせい?。てな感じの句。何やら怪しく幻想的な句である。つい「夢十夜」の「こんな夢を見た。」という書き出しを思い出す。この14年後、漱石の五女・雛子(ひなこ)はわずか1歳半で急逝する。





2014年4月6日 水前寺成趣園能楽殿 水前寺まつり


長谷幸輝検校没後百年記念の和菓子

2020-03-02 23:09:18 | 日本文化
 熊本市鍛冶屋町に生まれ、九州系地歌を全国に普及させた地歌三弦の名手・長谷幸輝(ながたにゆきてる)検校の偉業を記念して平成5年から始まった「くまもと全国邦楽コンクール」は、昨年、第25回を数えました。このコンクールは若手邦楽演奏家の登竜門となっている極めてレベルの高いコンクールとなっています。今年は長谷検校の没後百年に当たり、昨年来、熊本や東京でも特別演奏会が開催されていますが、このほどこれを記念する和菓子がつくられました。

   ▼長谷幸輝検校没後100年記念 記念菓子プロジェクト


   ▼長谷幸輝検校の没後百年記念・第55回熊本県邦楽協会演奏会

石は吊って持つ吊りたる石は・・・

2020-03-01 20:14:16 | 音楽芸能
 今日の「民謡魂 ふるさとの唄」(NHK総合)は愛知県武豊町から中部地区の民謡を中心に放送された。日頃視聴させていただいている「東海風流プロジェクト」で本條秀五郎さんとともに中部地区の唄の伝承に取り組んでおられる水野詩都子さんが出演。「伊勢音頭」と「平針木遣り音頭」(名古屋市指定無形民俗文化財)の2曲を唄われた。いずれも、慶長15年(1610)、徳川家康による名古屋城の天下普請の際に唄われた木遣り唄がもとになっている。
 この時、本丸の石垣工事を担当した加藤清正は三ヵ月でこの難工事をなしとげ、その際の「清正公石曳き」のエピソードが有名。名古屋城には「清正公石曳きの像」が建てられている。
 なお、水野詩都子さんによれば「平針木遣り音頭」を近々、「東海風流チャンネル」にアップする予定とのこと。


水野詩都子さん


加藤清正石引の図


伊勢音頭