徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

お茶壺道中

2020-03-08 20:21:53 | 歴史
 昨夜放送のブラタモリ「甲賀・信楽編」では、徳川三代将軍家光の時から始まったという宇治茶を将軍に献上する信楽焼の「お茶壺道中」の様子が再現されていた。実は肥後熊本藩でも同じような「お茶壺道中」が行われていた。
 今から388年前の寛永九年(1632)、肥後細川初代藩主忠利公が初めて領内を視察された時、筑後との国境に近い多久村(現山鹿市鹿北町)の星原番所で出されたお茶を大そう気に入られ、以後「御前茶」として献上することになった。毎年新茶ができ上がると、細川家の「九曜紋」の入った茶壷に納め、椎持往還を通って運ぶ「お茶壺道中」が見られたという。その後、代々の藩主に受け継がれ、小代焼の茶壷に874匁(3.28kg )のお茶が詰められ熊本城へと運ばれた。しかし残念なことに明治2年の大火でその茶壺は焼失してしまったという。

 明治時代に天草からやって来た出稼ぎ労働者が唄い始めたという「鹿北茶山唄」。
 全国的にも珍しい「のぼり唄」「つみ唄・もみ唄」「仕上げ唄」の三部構成となっている。