徒然なか話

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花街文化の再現 ~潮来三曲集~

2020-03-25 23:26:21 | 伝統芸能
 下のザ・わらべが踊る「潮来三曲集」は利根川流域の潮来と銚子の民謡を組曲としたもの。ただし、歌詞は唄と三味線を務める藤本喜代則さん自作の熊本バージョン。かつては人気のある民謡は、喜代則さんのようにその土地土地で自由に歌詞をつけて唄っていたという。
 三曲の「潮来音頭」と「潮来甚句」は茨城県潮来の民謡で「銚子大漁節」は千葉県銚子の民謡。潮来は江戸時代、東北諸藩の米や海産物など様々な産物を江戸へ運ぶ廻船が銚子から利根川をさかのぼる舟運の寄港地として、また香取、鹿島、息栖の水郷三社への参詣の拠点として大いに栄えた。船乗りや参詣人相手の遊廓ができ、全盛時には妓楼9軒、引き手茶屋40余軒が軒を連ねたという。そしてその花街で座敷唄として唄われたのが「潮来音頭」と「潮来甚句」。われわれ熊本人には遠い話のように聞こえるが、どっこい、実はとても関係が深いのである。潮来の船頭たちが唄う舟唄がもとになったと言われる「潮来音頭」に対し、「潮来甚句」は元をたどれば、海運に乗って伝わった「牛深ハイヤ節」がルーツなのである。つまり、「潮来甚句」と「牛深ハイヤ節」は親戚というわけだ。
 一方の「銚子大漁節」も利根川河口の漁港の町として、そして坂東三十三観音巡礼の要所として松岸遊郭などの花街が栄え、座敷では「銚子大漁節」が盛んに唄われたという。後にラフカディオ・ハーンによって「漁師の数え歌」として紹介されるが、ハーンははたしてどこまで理解していたのだろうか。かつて文人墨客たちの旅情をそそった利根川や水郷の町については若山牧水や徳冨蘆花らが紀行文を物している。


「潮来図誌」より