徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

本妙寺桜灯籠は中止!

2017-03-15 19:21:27 | イベント
 毎年、桜の季節恒例の「本妙寺桜灯籠(はなとうろう)」は、今年は中止だそうだ。仁王門の復旧はまだメドが立っておらず通行禁止のまま。また、参道や各塔頭の復旧もまだ時間がかかりそうだからやむを得ない。桜灯籠は、灯籠の灯りに照らされた夜桜を楽しむだけでなく、塔頭ごとに行われるイベントも楽しみだっただけに残念。7月の頓写会までにはどの程度復旧が進むだろうか。


復旧のメドが立たない仁王門



▼昨年の桜灯籠







今年の「花の薪能」は・・・

2017-03-14 19:17:21 | イベント
 今日で、熊本地震の前震から11ヶ月。その前震のわずか8日前に観たのが健軍神社の「花の薪能」だった。未曽有の大地震がそこに迫っているなど、つゆほども思っていなかった。
 その「花の薪能」が今年も4月6日(木)に行なわれる。今年はシテ方喜多流の狩野了一さんにより「忠度」が演じられる。


昨年の様子


▼能「忠度」
 須磨の浦を旅する旅僧の前に、一ノ谷の合戦で討ち死にした平忠度の霊が現れ、千載和歌集の中に「読み人知らず」とある自分の歌「さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」に作者名を入れてほしいと頼むという話。


中尾有沙さんのこと

2017-03-13 20:57:56 | スポーツ一般
 近年で最もショッキングなニュースの一つが、女子陸上の中尾有沙さんが事故で下半身不随となり選手生命を絶たれたことだ。中尾さんは走り幅跳びや三段跳びの跳躍競技で、熊本ではダントツの実力者。僕は2011年から毎年、熊本県陸上選手権を見続けているが、彼女はこの2種目でず~っと優勝し続けた。2015年には日本選手権の三段跳びでも優勝している。実は昨年、熊本地震のため大会が3ヶ月ほど延期して行われたが、そこに彼女の姿がなかった。僕は地震の影響なのだろうと思っていた。ところが、前年のシーズンオフのトレーニング中の事故で彼女が車いす生活になったということを随分後になって聞いた。そのあまりにも厳しい不幸な現実に愕然とした。彼女がその現実を受け入れるのは辛かったに違いない。
 しかし、今では彼女は車いすランナーとしてパラリンピックを目指しているという。その精神力に心から敬意を表したい。そして新しいステージで再び活躍する日を心から祈りたい。

「おてもやん」と「酒田甚句」は姉妹?(続編)

2017-03-12 15:57:44 | 音楽芸能
 2月10日に「おてもやん酒田甚句 は姉妹?」という記事を投稿した。
 この記事を書いたきっかけは、ブログを通じておつき合いいただいている酒田市在住のcakeさんのブログ「無題・休題-ハバネロ風味-」の酒田を紹介する記事を日頃からよく拝見しており、酒田に親しみを感じていたところ、江戸端唄の笹木美きえ師匠のサイト「江戸端唄・俗曲の試聴と紹介」の中に、熊本の民謡「おてもやん」と山形県酒田の民謡「酒田甚句」は、ともに明治中期のはやり歌「金来節」に由来するという記事を見つけたことからだった。
 さっそくブログで紹介したのだが、cakeさんにとっては衝撃的な記事だったらしい。というのは、酒田市生まれ酒田市育ちのcakeさんにとって、酒田を代表する民謡だと信じて疑わなかった「酒田甚句」が、酒田のオリジナルでもなく、また、江戸時代からの唄でもないことなど想像もしていなかったかららしい。そんな心境が下記のブログ記事に綴られている。
  「無題・休題-ハバネロ風味- 酒田甚句」
 よけいなことを記事にして、なんだか申しわけない思いだ。

   ▼酒田甚句(動画の7:04あたりから酒田舞娘が踊る酒田甚句が収められています)


   ▼おてもやん

東日本大震災から6年、花童が追善公演へ

2017-03-11 15:14:30 | イベント
 3月29日、仙台市の電力ホールで行われる「東日本大震災七回忌追善公演 ふるさとの春まつり」に舞踊団花童が出演することになりました。これは3年前に38歳の若さで夭逝した作詞家おのりく(園田凌士)さんとのご縁で実現するものです。おのさんは少年時代を熊本で過した方ですが、十代から音楽活動を始め、作詞家となってからは多くの歌手に歌詞を提供しています。今回の「ふるさとの春まつり」では、おのさんが生前、東日本大震災の被災者へ、復興への願いを込めて贈った歌を花童が踊ることになっています。
 今日、熊本の玄宅寺で行われた「花童特別舞踊公演」では、おのりくさんのお母様も出席され感謝の言葉を述べられました。また有志により、遠い仙台までの花童の旅費のカンパも行われました。


玄宅寺で行われた「花童特別舞踊公演」



「利休-江之浦」細川忠興が登場する新作能

2017-03-09 17:20:06 | 音楽芸能
 先週の「にっぽんの芸能」では旬の話題として、2月に初演された新作能「利休-江之浦」を紹介した。同じく室町時代から安土桃山時代にかけて発展した能と茶は、その精神性に共通点があるものの、これまで能に利休が取り上げられたことはない。この「利休-江之浦」には、利休七哲の一人、肥後細川家二代の細川忠興がワキとして登場する。

 千利休ゆかりの江之浦に、利休の愛弟子細川忠興がたずねて来る。そこで忠興は不思議な老人に出逢う。老人は江之浦にまつわる故事を語る。訝しがる忠興に、老人は自らを利休の霊だと告げて姿を消す。やがて利休の霊が現れ、秀吉によって切腹させられた無念を語り出す。語るうち利休の霊はだんだん感情を高ぶらせ・・・




前シテ  老人(化身)
後シテ  千利休の霊
ワキ   細川忠興
ワキツレ 忠興の従者


▼茶室「仰松軒」(泰勝寺跡)
 細川忠興の茶室の設計図をもとに大正12年(1923)に復元された。




熊本城の桜 どこで見る?

2017-03-08 19:58:15 | 熊本
 今年の桜の開花まであと2週間余。まだまだ立入規制区域が多い熊本城ですが、下記のポイントでは何とか桜を楽しめそう。さてあなたはどこで見ますか?


▼監物台樹木園前
 空堀側の歩道は歩けないが、桜は十分楽しめるだろう



▼不開門下
 立入禁止となっているが、県道沿いの歩道から桜は眺められる



▼二の丸から西大手門への通路
 立入禁止だが、二の丸駐車場側から桜は眺められる



▼行幸坂の桜並木
 通行禁止だが、坂下側から桜並木の遠景は望める



▼坪井川長塀前
 長塀前は立入禁止だが、坪井川を挟んだ対岸から長塀沿いの桜は眺められる

熊本城・北十八間櫓の石垣工事

2017-03-07 19:30:41 | 熊本
 今日は北十八間櫓の下まで歩いて行って、しばらく石垣工事を眺めた。まだ、石垣の積直しを始めたわけではなく、事前の調査をやっているようだ。崩壊拡大防止のために被せられたシートとネットの上から、二人の作業者が金属の棒をハンマーで叩いたりして何かを調べている。崩れ落ちた表面の石垣の下の裏込石が詰められている辺りだから、裏込の安定度合いでも調べているのだろうか。石垣の黒い部分と白い部分がハッキリと別れているが、白い部分は積直したわけではなく、崩壊後の数ヶ月、土石等に埋まっていたので色違いになったものと思われる。ただ、打込接の隙間を埋める間石は詰め直した部分もあるようだ。いつから本格的な改修が始まるのかわからないが、その復旧の工程はしっかりと見ておきたい。


石垣の色の違いがくっきり


急斜面での危険な作業


カバーの上から金属の棒を打ち込み、何かを調べている?

潮の香ただよう「ハイヤ追分」

2017-03-06 20:50:43 | 音楽芸能
 「ハイヤ」というのは「牛深ハイヤ節」の「ハイヤ」のことで「南風(ハエ)」が語源です。日本全国の沿岸部を中心に40ヶ所以上に伝わるハイヤ系民謡のルーツが「牛深ハイヤ節」といわれています。中世の頃から天然の良港として広く知られていた牛深湊は、漁港としてのほか、諸国の海運を担う帆船の風待ち・潮待ち、また補給・休養のための寄港地としての性格を併せ持っていました。そして牛深でハイヤ節を覚えた船乗りたちによって、各寄港地にハイヤ節が伝えられていったといわれています。
 一方、「追分」というのは、もともと街道の分岐点のことですが、信濃の中山道と北国街道の追分を往来する馬方たちが唄った馬子唄が「追分節」となりました。この「追分節」が北国街道を北上し、越後に伝わると、新潟湊あたりでこれを覚えた北前船の船乗りたちにも「追分節」が広まりました。やがて北前船の終着点、北海道にも伝わり、江差で「江差追分」になったといわれています。朗々と歌い上げる「追分節」は、テンポの良い六調が基調の「ハイヤ節」とは好対照ですが、いずれも船乗りたちに好まれ、唄われました。
 この「ハイヤ追分」は、そんな船乗りたちの目線で作られた唄で、途中、追分調のパートを挟みながら、まるで波を乗り越えていく船のピッチのようなリズムと七七調の歌詞がとても心地よい作品です。帆船の時代、船乗りたちの目に映ったのはさもありなんと思わせるノスタルジーあふれる名曲だと思います。





ブラタモリがあぶり出した負の遺産

2017-03-05 14:53:19 | 歴史
 昨夜のブラタモリは、「自然をいかした 奄美の“宝”とは!?」というテーマで、奄美自慢の特産品「大島紬(つむぎ)」や黒糖など、江戸時代からの厳しい環境と、人々の知恵が紹介されたが、図らずも「薩摩藩の圧政」という負の遺産があぶり出された。島のいたるところでさとうきびづくりが強制され、人々は蘇鉄を食べて飢えをしのぐしかなかったという。そこには島の人々を差別する内地の思想が透けて見える。これはけっして薩摩藩だけの問題ではなく、維新後も明治・大正・昭和と御代は変わっても続き、近年、「近代化産業遺産」として世界文化遺産となった三池炭鉱関連施設でも、重労働の石炭荷役に、与論島出身の人々を不当に低い賃金で働かせるという差別が存在したと聞く。



【付け足し】
 ブラタモリの熊本編が放送されたのは、1回目が昨年の3月19日、2回目が4月2日。
 2回目が放送されて間もない4月14日の震度7という前震に始まる熊本地震は、熊本・大分両県に甚大な被害をもたらし、やがて1年経とうとしている現在、復旧復興はまだ緒についたばかり。既に何度か再放送された熊本編を見る度、複雑な感情が湧き起こるのを禁じ得ない。


「花童 特別舞踊公演」が行われます!

2017-03-04 17:22:35 | 音楽芸能
 春草萌えいづる季節となりましたが、舞踊団花童では、これから様々な舞台が予定されているこの折、これまで積み重ねた稽古の成果を披露する「特別舞踊公演」が行なわれることになりました。
 多くの皆様方に、彼女たちの日頃のたゆまぬ努力の成果をご覧いただきますようご案内いたします。




▼玄宅寺では毎月定期的に花童舞踊会が開催されています

市町村合併の結果・・・

2017-03-03 22:55:26 | 熊本
 毎年3月上旬に植木町の味取観音瑞泉寺で行われていた「種田山頭火供養祭」は今年は行なわれず、秋の「種田山頭火と味取観音瑞泉寺紅葉まつり」に統合されるという。統合するといえば聞こえはいいが、結局、一つの行事が廃止されるということだ。このことは植木町が平成22年に熊本市と合併したことと直接の関係はないが、合併前に危惧した地域の主体性が失われ、徐々に不活性化していく一つの表れのような気がする。
 昨年は、かつての植木町が全国に向けて発信していた「民謡 田原坂全国大会」も行なわれなかった。今年は行う予定だと聞いているが、今後の行方は予断を許さない。また、かつて植木町の夏の風物詩だった「植木町はってん祭」も消滅してしまった。行政の効率化は結局、地域住民に何をもたらすのだろうか。









「舞踊集団 花やから」熊本公演

2017-03-02 21:41:04 | 音楽芸能
◆3月31日(金)14:00~
         19:00~
◆熊本県立劇場 演劇ホール

 今年結成20周年を迎える「舞踊集団 花やから」は、沖縄の少女達による子供舞踊集団。「花」の艶やかさ美しさと沖縄の方言で「優れた者」を意味する「やから」を合わせて名付けられたものです。
 彼女達の舞台は、琉球古典舞踊のほか、琉球舞踊をベースにした民謡・童謡・歌謡の創作舞踊などを連続的に展開していきます。沖縄県内はもとより、テレビやCMなど出演多数。2000年にスタートした全国公演で日本各地を巡業するなど、年間ステージ数は150〜200回に及びます。また、海外公演を行うなど、活躍の場をいっそう広げています。





三番叟のリズムはいったいどこから???

2017-03-01 21:49:37 | 音楽芸能
 三番叟を見る度に思うこと。それはこの4拍子の心地よいリズムはいったいどこからやって来たのだろうということだ。そもそも三番叟の始まりは、今から千三百年以上も昔の飛鳥時代、渡来人の子孫・秦河勝が始めたといわれる能楽の前身の芸能「翁(式三番)」である。つまり、もとから日本にあったリズムとは考えにくい。古代中国に生まれたものか、あるいはシルクロードを通ってもっと西方の国々から伝えられたものか。いずれにせよ、もとはどこか遠い異国のリズムのような気がする。
 そして、三番叟のリズムを聞きながら、必ず連想するのが、僕の学生時代に大ヒットしたザ・ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー(Be My Baby)」。よ~く聴いているとリズムが三番叟と同じなのである。稀代の名プロデューサー、フィル・スペクターの出世作であり、フォー・シーズンズの「Rag Doll」やビーチ・ボーイズの「Don't Worry Baby」などに同じようなリズムが使われていたことを思い出す。一見何の関係もなさそうな感じだが、その根源を辿って行くと、どこかで繋がるのかもしれない。

▼三番叟


▼ビー・マイ・ベイビー