徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

潮の香ただよう「ハイヤ追分」

2017-03-06 20:50:43 | 音楽芸能
 「ハイヤ」というのは「牛深ハイヤ節」の「ハイヤ」のことで「南風(ハエ)」が語源です。日本全国の沿岸部を中心に40ヶ所以上に伝わるハイヤ系民謡のルーツが「牛深ハイヤ節」といわれています。中世の頃から天然の良港として広く知られていた牛深湊は、漁港としてのほか、諸国の海運を担う帆船の風待ち・潮待ち、また補給・休養のための寄港地としての性格を併せ持っていました。そして牛深でハイヤ節を覚えた船乗りたちによって、各寄港地にハイヤ節が伝えられていったといわれています。
 一方、「追分」というのは、もともと街道の分岐点のことですが、信濃の中山道と北国街道の追分を往来する馬方たちが唄った馬子唄が「追分節」となりました。この「追分節」が北国街道を北上し、越後に伝わると、新潟湊あたりでこれを覚えた北前船の船乗りたちにも「追分節」が広まりました。やがて北前船の終着点、北海道にも伝わり、江差で「江差追分」になったといわれています。朗々と歌い上げる「追分節」は、テンポの良い六調が基調の「ハイヤ節」とは好対照ですが、いずれも船乗りたちに好まれ、唄われました。
 この「ハイヤ追分」は、そんな船乗りたちの目線で作られた唄で、途中、追分調のパートを挟みながら、まるで波を乗り越えていく船のピッチのようなリズムと七七調の歌詞がとても心地よい作品です。帆船の時代、船乗りたちの目に映ったのはさもありなんと思わせるノスタルジーあふれる名曲だと思います。