徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

熊本城 最も高い石垣は本丸の井戸!

2016-03-16 21:32:44 | 歴史
 昨日夕方のTKU「みんなのニュース」のコーナー、「シリーズ水の国」では熊本城内の井戸について紹介していた。熊本ではおなじみ富田紘一さん(熊本市文化財専門相談員)が城内に残る井戸を案内していた。


行幸坂沿いの備前堀より高いところは水が出ないので、ここより上の堀はすべて空堀。


ということは、本丸の井戸は40㍍以上掘らないと水が出ない。つまり井戸の内側の石垣は40㍍級となる。


かつて城内には120もの井戸が掘られ、17個残ったうちの8個も埋められ、現在残るのは9個のみ。


加藤清正には朝鮮出兵時、造りかけの蔚山城で大軍に包囲され、水、食料を絶たれた籠城戦の苦しい体験が


熊本城には多くの井戸などの籠城に備えた工夫が随所に施されている。

そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん

2016-03-15 20:29:07 | 音楽芸能
 漱石記念年のイベントとして期待していた能舞台はどうもなさそうだ。そのかわりと言ってはなんだが、機会があれば、漱石の小説に登場する曲を特集した舞踊会なんぞを中村花誠先生にやっていただけないだろうかと期待しているところである。
 「坊っちゃん」(明治39年発表)一つ取り上げても、「うらなり」の送別会のシーンに多くの座敷芸が登場する。

 向うの方で漢学のお爺さんが歯のない口を歪めて、そりゃ聞えません伝兵衛さん、お前とわたしのその中は……とまでは無事に済ましたが、それから? と芸者に聞いている。爺さんなんて物覚えのわるいものだ。一人が博物を捕らまえて近頃こないなのが、でけましたぜ、弾いてみまほうか。よう聞いて、いなはれや――花月巻、白いリボンのハイカラ頭、乗るは自転車、弾くはヴァイオリン、半可の英語でぺらぺらと、I am glad to see you と唄うと、博物はなるほど面白い、英語入りだねと感心している。

 これは、漢学の老教師が浄瑠璃や歌舞伎の演目「近頃河原達引(ちかごろかわらのたてひき)」の口説を呻っていると、誰かが博物に、英語交じりの「さのさ節」を唄って聞かせるという一場面。
 さらには、山嵐がステッキを剣がわりに振り回しながら、漢詩「児島高徳桜樹に書するの図に題す」の一節「踏破千山万岳烟」を吟じていたり、野だては、「紀伊の国」「かっぽれ」「棚の達磨さん」を演って、しまいには越中ふんどし一つになって「欣舞節(きんぶぶし)」を踊っているという具合。
 実に多彩な演目が登場し、これが一つの舞台で見られるとなれば結構面白そうだ。





山鹿灯籠踊りで 犠牲者の鎮魂を -鹿本農高郷土芸能伝承部-

2016-03-14 12:10:47 | イベント
 3月11日、東日本大震災で多くの犠牲者と甚大な被害を被った宮城県名取市閖上地区で行われる追悼イベントで、鹿本農業高校郷土芸能伝承部の生徒たちが山鹿灯籠踊りを奉納することを、先日このブログで紹介しました。
 このイベントに参加しておられた名取市在住のミント様という方から、このブログに次のような温かいコメントをいただき、さっそく、鹿本農業高校郷土芸能伝承部の皆様にも手紙でお伝えさせていただきました。ミント様のご厚意に感謝申し上げます。

はじめまして。
名取市に住む者です。
踊り会場の向かいの護岸で休んでたら、なにやら横笛と太鼓の音色が流れてきたので近づいてみたら、頭に灯籠をのせた若い女性たちが10人ほど、ゆったりした舞いを披露。
山鹿灯籠踊りを舞う高校生の姿に見とれてしまいました。
日本の美が凝縮された優雅に呆然。
あのような舞いがあるんですね。
この世のものとは思えない幻想は浄土の光景をまじかに見てるようでした。
亡き人も残された人も喜んでいることでしょう。
寒い中、遠い場所からありがたいことです。
ほんとうにごくろうさまでした。



 さらにありがたいことに、cake様という方のブログ「無題・休題-ハバネロ風味-」では、当日の様子をリポートしていただき、写真の転載をご許可いただきました。ご厚意に心から感謝申し上げます。
 詳細につきましては、「無題・休題-ハバネロ風味-」をぜひご覧ください。


御殿場と叔父の結婚

2016-03-13 21:05:10 | 
 今日、BS放送の旅バラエティ番組で、富士山を眺めながら御殿場線を行く旅が紹介されていた。見ながら、50年ほど前の学生時代、叔父の結婚式に出席するため、初めて御殿場へ行った旅を思い出した。叔父は当時、御殿場の自衛隊にいて、結婚式の案内を熊本にいる僕の両親(僕の母が姉)に送ったらしい。しかし、両親は共働きだったし、当時は熊本から御殿場まで簡単に行ける時代ではなかった。そこで、川崎の寮に住んでいた僕が両親の代理で出席することになった。当日は朝早く寮を出発し、東横線、東海道線を乗り継ぎ、国府津から御殿場線に乗り、御殿場駅に到着した。そこまでは順調だったのだが、わかっているのは会場の旅館の名前だけ。携帯電話などもちろんない時代だし、電話ボックスもないような田舎。道で出会う人に旅館を尋ねるのだが誰も知らない。そこで店が集まっていそうな方角を目指して歩き出した。しばらく歩いていると、遠くに黒い式服を着た人が2、3人歩いているのを発見した。あわてて走って追いかけ、「どなたの結婚式ですか?」と尋ねると、ラッキー!叔父の名前が返ってきた。そこで、一緒に連れて行っていただき、無事出席することができた。新郎側の出席者は僕一人だったので、しこたま飲まされたことを覚えている。あの日見上げた富士山も、圧倒されそうな雄大な姿だった。


FUJIYAMA DAYS.」(http://shikinofuji.com/)さんよりお借りしました。

桜の馬場 城彩苑 5周年記念祭

2016-03-12 19:50:53 | イベント
 5年前の今日、九州新幹線が全線開業しました。それに合わせて、1週間前の3月5日、桜の馬場城彩苑がオープンしました。あれから5年、来週3月20日(日)には城彩苑5周年記念祭が行われます。中でも親水空間では、普段はなかなか見られない、人気者大集合の華やかなステージイベントが予定されています。



▼5年前のオープン日の様子






5年前のあの日

2016-03-11 18:55:47 | 熊本
 翌日に迫った九州新幹線全線開業を前に、役割を終えてラストランとなるリレーつばめを見ておこうと、母と家内を連れ立って田原坂公園に向った。その車中、今思うと実に不思議なことだが、なぜか、そろそろ大きな地震が来そうだ、という話題になった。公園に着くとすぐ公園の下方を走るリレーつばめの通過を待った。やがてやって来たリレーつばめを狙ったのだが、どうもいい写真が撮れず、また次の通過時間まで待とうと、公園事務所で母たちと合流すると、なんと「東北の方で大地震があった!」というテレビ速報が流れたという。あまりの偶然に驚き、写真撮影もそこそこに、帰りの車中でラジオに耳をそばだてると、地震の後、巨大な大津波が東日本の太平洋沿岸を襲っているという。これでは明日の九州新幹線開業もあやしいなと思いながら、家に帰り着くや否や、テレビのスイッチを入れると、今まで見たこともないような凄まじい津波の映像とともに、九州新幹線開業のイベントはすべて中止というテロップが流れる。衝撃的なあの日のことは一生忘れない。

犠牲者の皆様に心から哀悼の意を表します


▼大震災の日にラストランを迎えたリレーつばめ




今朝の新聞紙面から 二題

2016-03-10 19:16:09 | 時事
■被災地で「鎮魂の舞」鹿本農高郷土芸能伝承部

 東日本大震災から5年となる明日、山鹿市の鹿本農業高郷土芸能伝承部の生徒たちが、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区で山鹿灯籠踊りを披露するという。閖上地区は特に津波の被害がひどく、人口の1割強が犠牲になった地区。明日行われる追悼イベントで、鎮魂と復興の願いを込めた踊りを披露する。
 山鹿灯籠まつりや県高校総文祭などで毎年、彼女たちの踊りを見せていただいているが、大震災から5年を静かに振り返り、心を込めて鎮魂を行う場には、彼女たちの踊りが最もふさわしいのではないかと思う。


鹿本農業高等学校 郷土芸能伝承部(2014年熊本城本丸御殿・春の宴より)




■京町で銀行強盗未遂 男を現行犯逮捕

 わが家も日頃お世話になっている肥後銀行京町支店で、まさか強盗事件が起こるとは思いもしなかった。この支店は隣りが京町交番。こんな所では事件は起こりっこないよな、なんて普段笑い話をしていたほどだ。しかも、なんと犯人逮捕の瞬間を見てしまった。昨日、用事があって車で京町本丁の交差点を渡ろうとした時、信号が赤から青に変わり、交差点を直進しようとしたところ、左側からパトカーがサイレンも鳴らさず、強引に割り込んで来たので停車した。パトカーは支店の前の歩道に乗り上げて斜めに止まった。一瞬、防犯訓練かなと思ったが、それにしては乱暴すぎる運転。車から慌てて降りた警官のただならぬ表情に、これは訓練ではないなとわかった。次の瞬間、ガラス戸越しに店内を5、6人の警官が一斉に走って行くのが見えた。店内の隅で犯人を取り押さえたようだった。後でテレビのニュースで犯人は近くに住む男だと知った。土地勘はあったはずなのに、この男にいったい何があったのだろうと、それが気になった。

歌舞伎や日本舞踊の伴奏音楽としての 「鼓」

2016-03-09 23:38:22 | 音楽芸能
 右の写真は、古写真に登場する美人の中では最も人気が高いといわれている一枚で、明治時代に活躍した写真家、玉村康三郎(たまむらこうざぶろう)が撮影した「鼓を打つ芸奴」という写真である。右肩にのせた小鼓(こつづみ)、左ひざの上の大鼓(おおつづみ)、そして床の台の上の太鼓(たいこ)の三つの鼓を一人で操ろうと構えているポーズである。100年以上も前の女性とは思えない現代風の顔立ちが人気の秘密らしい。
 それはさておき、今日、歌舞伎や日本舞踊の伴奏音楽として、鼓が使われるのは当たり前になっているが、実はこれ、歌舞伎の創始者といわれる出雲阿国が、今日の歌舞伎や日本舞踊のルーツである「かぶき踊り」能楽の様式を持ち込んだからである。能楽では古くから「四拍子」すなわち、小鼓、大鼓、太鼓、笛(能管)が使われていた。阿国の時代には、後の時代に主役となる三味線は入って来てはいたが、「かぶき踊り」の伴奏音楽は鼓、笛、鉦などであったことが「阿国歌舞伎図屏風」などを見てもわかる。
 そんな歴史に思いを致しながら、邦楽演奏を聞いているといっそう味わい深いものがある。

▼阿国歌舞伎の地方(じかた)



▼今日の歌舞伎音楽

舞踊団花童の特別舞台は いよいよ今月27日までです!

2016-03-08 18:48:46 | イベント
 昨年7月から始まった桜の馬場城彩苑・湧々座における舞踊団花童の特別舞台は、いよいよ残すところ7回となりました。
 この機会にぜひ彼女たちのたゆまぬ稽古の成果をご覧ください。

■公演日:3月12(土)・13(日)
     3月19(土)・20(日)・21(月・祝)
     3月26(土)・27(日)
■会 場:桜の馬場城彩苑・湧々座 2階 ものがたり御殿
■開 場:17時15分 開演:17時30分 (上演時間約40分)
■観覧料:全席自由 大人1000円(税込)/子ども(小中学生)500円(税込) ※就学前の幼児は無料


※いずれもクリック → 拡大










熊本城は “やりすぎ城” !?

2016-03-07 19:25:11 | 歴史
 昭和10年(1935)に国内外から約106万人(当時の熊本市人口の5倍)を集めた「新興熊本大博覧会」が水前寺公園北郊で開催されてから今年で81年。博覧会の公式ガイドブック「くまもと」にも、熊本市最大の観光地として熊本城が紹介されている。文章を読むと、いかにも戦前という時代がかった表現もあるが、3月19日(土)に放送される「ブラタモリ 熊本編」では、81年の時の流れを経て説明がどう変わったのか、あるいは変わらないのか、それも見どころの一つである。

▼熊本城の特質(昭和10年博覧会ガイドブックより)
 熊本城が天下の名城として推称されるのは無論、雄大豪壮の築城によるところ言うまでもないが、城内の一木一石、一塊の土にいたるまで加藤清正の霊がこもっていることである。
 城の特質として、何よりも一番目につくのは幾重畳とも知れぬ巨大なる石垣の要害である。春風秋雨三百三十有余年、数度の大地震、猛き風雨にも微動だにせず、盤石の固きを保っている。殊に城の西南方には、花岡山、段山、藤崎台などの丘陵が連なっているので、同方面の防御策として坪井川、井芹川の合流点の付近に、多くの寺院を集め、「いざ合戦」という場合には、この寺の墓石を川に埋めて氾濫せしめる方法を講じたことである。清正公が如何に敵襲来にそなえていたかがわかる。
 また城内から八方に通じた凹道は、兵糧運搬のため用いる軍道で、また城中の石垣が右に左に、曲がり曲がった道は、攻めるに難く、防ぐに容易な、いわゆる二段がまえの戦法によって構築され、あるいはまた城中に井戸百二十余個を掘って用水の便を計るかと思えば、楠、榎を植えて籠城の日の薪炭に備え、刀の目釘には良質の竹を移植したり、特に一旦緩急の場合を慮り、城内屋内の畳の中に芋殻(ずいき)を敷き込み、銀杏樹を植えてその実を暗室に貯蔵するなど、実に至れり盡せりの築城技術は、今なお古今東西研究家の嘆賞するところである。
 その大計深慮は、かの西南の役において充分発揮され、籠城約二ヶ月、勇敢決死の薩軍を、ものの見事に食い止めし戦史によってもわかる。蓋し難攻不落の金城として、天下に号令するも決して偶然ではない。
 軍略家としての清正公は、また如何に偉大なる築城家であったかが、これによっても知られるではないか。







「淀殿の書」 からの・・・

2016-03-06 20:39:43 | 歴史
 今日、「開運 なんでも鑑定団」を見ていたら、豊臣秀吉の側室・淀殿の書という色紙が出てきた。鑑定の結果、淀殿の書ではなく、当時、淀殿の側にいたと考えられる才女の誉れ高かった「小野お通」の筆跡と一致するということでお通の書であるとして、25万円の値がついた。書かれているのは、平安末期から鎌倉時代の僧で歌人でもある慈円の、新古今和歌集に収められた歌。

「やよしぐれ物思ふ袖のなかりせば 木の葉の後に何を染めまし」

 「小野お通」については、以前このブログで取り上げたことがあるが、柳田國男の「妹の力」によれば、「5歳で歌を詠み、7歳で機を織り、技芸典籍何一つとして暗からぬ才媛であった・・・」とある。しかし、柳田國男も述べているように、この人の出自や経歴には謎が多いという。また、「小野お通」は永い間、「浄瑠璃」の開祖と信じられてきたが、時代の違いなどから今日では否定されている。また、吉川英治が小説「宮本武蔵」の中で創造したお通というキャラクターのモデルだともいわれている。大河ドラマ「真田丸」にははたして登場するだろうか。
 さて、淀殿は慶長20年(1615)の大坂夏の陣で大坂城が落城すると、秀頼とともに自害して果てるわけだが、実はその時、秀頼は大坂城を脱出していたという民間伝承をもとにした小説「秀頼、西へ」(岡田秀文著・光文社)を最近読んだ。脱出後の成行きを期待したのだが・・・
 次回のブラタモリではいよいよ熊本城が登場する。2007年に復元された本丸御殿も話題になるだろう。なかでも加藤清正が秀頼にもしもの時にはと用意したと伝えられる「昭君(将軍)之間」の絢爛豪華さは目を引くだろう。残念ながら、清正は大坂の陣の4年前に没し、秀頼もこの「昭君之間」に入ることはなかった。

▼熊本城本丸御殿・昭君之間」

今年も 「海達公子まつり」 が開催されます!

2016-03-05 17:32:35 | イベント
 昭和8年3月26日、16歳の若さで世を去った少女詩人・海達公子。今年も荒尾市では彼女の命日を期して「第7回海達公子まつり」が開かれる。
 大正5年、徳島県阿部村の行商人(通称いただきさん)だった母の行商先、長野県の飯田で生まれ、炭鉱の町、熊本県の荒尾で育った公子は小学校に入ると間もなく父の指導で自由詩や童謡を作り始める。児童文芸誌「赤い鳥」に頻繁に投稿し、その多くが選者の北原白秋に賞賛された。また童謡誌「金の星」の誌上では選者の若山牧水からも高く評価された。しかし、女学校卒業の春、その才能は大きく花開くことなく、16年の短い生涯を閉じる。あとには5000編の詩と300首の短歌が残された。
 なお、今年は公子の生誕100年に当たる年であり、荒尾市ではこれを記念する行事も計画されているという。
※写真は右が海達公子
※参考資料:「評伝 海達公子」規工川佑輔著(熊日出版)


児童文芸誌「赤い鳥」大正13年9月号(尋常小学校2年)


▼海達公子まつり日程


熊本人のソウル・ミュージック!?

2016-03-04 17:54:54 | 音楽芸能
 昨日、中村花誠先生のお母様の御葬儀に参列させていただいた。これまで数々の舞台を演出して来られた花誠先生にふさわしい、とても感動的な御葬儀だった。なかでも葬送曲が、お母様が大好きだったという熊本民謡「おてもやん」だったのは驚いた。しかも、本條秀美さん社中と花と誠の会による生演奏。とても粋な演出で、お母様もきっとお喜びだったに違いない。
 演奏を聴きながら、心の底から何かが湧き上がってくるのを感じた。花童の舞台でもお客さんが一番盛り上がるのはやっぱり「おてもやん」だ。「おてもやん」は熊本人にとってのソウル・ミュージックと呼べるのかもしれない。

▼おてもやんの作者・永田イネと おてもやんのモデル・富永チモの銅像(祇園橋横ポケットパーク)



▼昨年10月12日 はつ喜月若さん名取披露における「おてもやん」

今日はどんな日?

2016-03-03 21:57:43 | イベント
 今日3月3日はひな祭り桃の節句とも言う。一方、日本各地の淡島神社もしくは粟島神社でもこの日にお祭りをやっているようだ。折口信夫「雛祭りの話」を読むと、実はこれは同源の祭りであることや、昔の人々が「ひな人形」に託した願いなどがわかる。





>>>3年前の今日はどんな日?<<<

 桜の馬場城彩苑では開園2周年のイベントが行なわれ、熊本市民会館大ホールでは「饗宴!ひなまつり絵巻」と題する邦楽コンサートが開かれた。


2013年3月3日 城彩苑 ザ・わらべ