徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

漱石と童謡

2016-03-29 21:42:55 | 音楽芸能
 ある知人から、「夏目漱石ゆかりの童謡といえば何?」とたずねられた。すぐには思いつかなかったので調べてみた。漱石が、「吾輩は猫である」「坊っちゃん」を発表した雑誌「ホトトギス」の明治38年1月号に、その名も「童謡」と題する詩を発表している(下記参照)。日本で「童謡」なる言葉を使い始めたのはこれが最初ではないかとも言われているらしい。ただ、詩を読んでもおよそ今日の童謡のイメージには程遠いし、当時は、童謡と言っても曲はついていないのが普通だったので、これが漱石の童謡ですと演奏して聞かせることができない。
 そこで、漱石の東京帝大教授時代の門下生に鈴木三重吉という人がいる。漱石門下で中心的な活動をした人で、漱石没後の大正7年に児童文芸誌「赤い鳥」を創刊し、児童の情操教育に童話や童謡を活用しようという「赤い鳥運動」を興した。この運動には、芥川龍之介、野上豊一郎、高浜虚子など漱石ゆかりの人々を始め、多くの文化人がこぞって賛同した。今日では三重吉は日本の児童文化運動の父とも呼ばれる。その「赤い鳥」のパートナー北原白秋が、創刊間もない「赤い鳥」に発表したのが、「赤い鳥小鳥」という、まさに「赤い鳥運動」を象徴するような童謡だった。その意味でこの「赤い鳥小鳥」を漱石ゆかりの童謡の一つとして挙げたいと思う。

▼「童謡」と題する漱石の詩