翌日に迫った九州新幹線全線開業を前に、役割を終えてラストランとなるリレーつばめを見ておこうと、母と家内を連れ立って田原坂公園に向った。その車中、今思うと実に不思議なことだが、なぜか、そろそろ大きな地震が来そうだ、という話題になった。公園に着くとすぐ公園の下方を走るリレーつばめの通過を待った。やがてやって来たリレーつばめを狙ったのだが、どうもいい写真が撮れず、また次の通過時間まで待とうと、公園事務所で母たちと合流すると、なんと「東北の方で大地震があった!」というテレビ速報が流れたという。あまりの偶然に驚き、写真撮影もそこそこに、帰りの車中でラジオに耳をそばだてると、地震の後、巨大な大津波が東日本の太平洋沿岸を襲っているという。これでは明日の九州新幹線開業もあやしいなと思いながら、家に帰り着くや否や、テレビのスイッチを入れると、今まで見たこともないような凄まじい津波の映像とともに、九州新幹線開業のイベントはすべて中止というテロップが流れる。衝撃的なあの日のことは一生忘れない。
▼大震災の日にラストランを迎えたリレーつばめ

犠牲者の皆様に心から哀悼の意を表します
▼大震災の日にラストランを迎えたリレーつばめ


随分、昔のことのようにも思えますね。
私は多分、足乗せに足を投げ出して椅子に寝ころんでいたと思います。
たしかズシンと揺れがあったような!?
たまたま、アメリカのイリノイ州、アリゾナ州、フロリダ州にスイス在住のブロクともだちが居たので
彼らにも届くように必死でブログで状況を伝えて感謝されました。
みんな地元で震災支援の活動をはじめられたようでした。
そうそう、高齢の長兄が東京に一人暮らして居ましたし、姪家族が福島県いわき市で暮らしていたので、すぐ家を飛び出して公衆電話から連絡を取ったら繋がりほっとしたものです。
こうやって書いていると昨日のことのように蘇ります。
海外の知人の方とも連絡を取っておられたんですね~
私は直接の知人には被災者はいなかったんですが、その頃、応援していた女子サッカーチームの益城ルネサンス熊本FCの中心メンバーとして活躍した佐藤恵利子さんが大津波で亡くなったという話を聞いて震えるような悲しさを感じたものです。彼女は宮城県の出身で、高校卒業と同時に熊本にやってきたチームの創立メンバーでした。
ツバメ→リレーツバメ→有明→かもめ等に
名前が変わるにつれて、どんどん車両が短くなってしまいました。
JR九州の一時代を築いたツバメですが、長崎や大分を走っている姿は寂しく見えます。