徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

小樽 で思い出したこと。

2015-11-14 22:09:37 | 歴史
 今夜のブラタモリは小樽。僕は、北海道は札幌しか行ったことがないので、かえって小樽の歴史がスッと理解できたような気がする。その中で僕の中のアンテナに引っかかったキーワードは二つ。一つは「増毛町(ましけちょう)」。ガイド役の先生が「小樽の毛無山から増毛町がよく見える」などと、タモリにつきものの頭髪ギャグをとばしていたが、僕は「増毛」と聞いてすぐに、映画「春との旅」を思い出した。元漁師の老人と孫娘の二人旅を描いたロードムービーだが、その出発点が「増毛」だった。


 ニシン漁が盛んだった時代が忘れられない元漁師(仲代達矢)は足が不自由。母を亡くした18歳の孫娘・春(徳永えり)に面倒を見てもらっている。しかし、その春は働いていた給食の仕事を失い、東京へ出ることを決心する。それには、祖父の面倒を誰かに見てもらわなくてはならない。二人は今まで疎遠だった親類縁者を訪ね歩く旅に出る。親族との関係をことごとく壊してきた祖父の面倒を見てくれる人はいない。困った春は最後に、別れて暮らしている父を訪ねることにするのだが・・・
※いい映画です。おススメです!

 もう一つのキーワードが「ニシン漁」。寒村だった小樽が繁栄するきっかけとなったのが江戸時代中期から始まったニシン漁。昭和の初めまでニシン漁は栄え、日本各地から出稼ぎ労働者がやってきた。そんな労働者たちが唄った作業唄が「ソーラン節」や下の「いやさか音頭」などである。


どうする!どうなる! 熊本県知事選挙

2015-11-13 16:44:44 | 熊本
 来年3月に行われる熊本県知事選挙。現職の蒲島郁夫知事が3選を目指して立候補を表明する一方、前熊本市長の幸山政史さんも立候補を表明、にわかに激戦となる様相を呈してきた。
 個人的には、現職の蒲島郁夫知事に「No !」と言うべき要件は見当たらないが、父と幸山さんのお父様とのご縁から、2002年の熊本市長選挙初出馬以来、幸山さんを応援することは父の遺言に等しい。
 どうしたものだろうか。悩ましい問題だ。


「くまもとサプライズ」キックオフ(2011.10.1 熊本城竹の丸広場 秋のくまもとお城まつり)
並び立つ蒲島熊本県知事幸山熊本市長。右は「くまもとサプライズ」発案者の小山薫堂さん

勧進帳あれこれ

2015-11-12 13:23:02 | 音楽芸能
 先週の「にっぽんの芸能」(NHK-Eテレ)は、東京藝術大学公演「義経記」が放送された。義経にまつわる能楽・歌舞伎・邦楽・邦舞などの芸能が総合されたプログラムとなっていてとても面白かった。
 なかでも、長唄「安宅勧進帳」は、長唄三味線の松浦奈々恵さんがFacebookに予告されていたこともあって特に注目した。「ついに泣かぬ弁慶も、一期の涙ぞ殊勝なる・・・」というくだりから「瀧流しの合方」に入るキリの部分だけだったが、さすがに邦楽界をリードする面々による演奏は素晴らしかった。


三味線は左からタテ小島直文先生、ワキ松浦奈々恵さん、三枚目田井藍古さん


 放送を見た後、YouTubeで「瀧流しの合方」の映像がないか探していたら、放送の「安宅勧進帳」にも出演していた田井藍古さんが先輩の坂田舞子さんとともに「瀧流しの合方」を演奏している映像が見つかった。それがこれだが、これまた素晴らしい演奏である。



 僕が「勧進帳」の物語に接したのは、黒澤明監督映画「虎の尾を踏む男達」が最初だった。テレビで能の「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」を観たのは、それよりずっと後のことで、「勧進帳」と聞くとまず思い出すのは映画「虎の尾を踏む男達」のこと。
 「旅の衣は篠懸の、旅の衣は篠懸の・・・」という有名な謡が、ミュージカル風の男性コーラスで始まるオープニングや「虎の尾を踏み、毒蛇の口を遁れたる心地して・・・」と安宅の関を後にして、強力のエノケン「飛び六法」で消えて行くエンディングなどが忘れられない。後に黒澤監督の代表作の1本となる「隠し砦の三悪人」で「虎の尾を踏む男達」を髣髴とさせる逃亡劇が演じられたのも懐かしい。またこの映画の撮影中に黒澤監督が敬愛してやまないジョン・フォード監督が、進駐軍の一員として見学に来ていたという有名なエピソードも残っている。


「虎の尾を踏む男達」の一場面

薪能(たきぎのう)の火入れ

2015-11-11 18:51:12 | 音楽芸能
 「秋のくまもとお城まつり」の中で毎年恒例の「熊本城薪能」薪の火入れが行われない件について、お城まつりを運営する熊本城総合事務所に問い合わせをしていましたが、先日回答がありました。それによると

――「かがり火」については、数年前、他県でのイベントでの火災事件等もあり、現在、火気の使用が大変厳しい状況にある。お城まつりにおいては、隣接する食のブースで一部火気調理器を使用しているのみで、「かがり火」のような裸火は使えない現状である。「熊本城薪能」では提灯に灯りを灯すことで、火入れ式に代えている。今後もこのような形が続くのかどうかは現在未定である。――

ということでした。なんとか下の「出水神社薪能」のような「かがり火」が復活することを願うばかりです。

※写真をクリックすると動画を再生します。

岩戸の里の秋

2015-11-10 20:59:19 | 熊本
 母が外出できなくなり、代理で母の実家へご先祖のお参りに出かけた。帰りは紅葉の進み具合を確かめようと、河内町から山越えのルートを通り、久しぶりに岩戸の里へ立ち寄った。あいにく雲の多い天気だったのであまり見栄えはしなかったものの、山は彩りを深めつつある。
 岩戸の里へ行くと必ずお参りするのが檜垣嫗(ひがきのおうな)ゆかりの山下庵跡に佇む野仏。お参りしながらふとこんなことを考えた。

 世阿弥の能「檜垣」に登場する檜垣嫗は百歳に近い老女。しかし、それはあくまでも世阿弥の創造したフィクションであって、この山下庵に住んでいた頃、あるいはその前に白川の辺から岩戸観音まで日参していた頃の実際の年齢はいくつくらいだったのだろうか。百歳近いババァが水桶を担いで、あの険しい「こぼし坂」を毎日登って来たとはとても考えにくい。
 古代中世の日本文学研究者で、文学博士の妹尾好信教授(広島大)の研究論文によれば、白河で水を汲む檜垣に出逢った人物が、後撰集や世阿弥の謡曲の通り、大宰府大弐在任中の藤原興範だとすれば、檜垣が詠んだという「年ふれば我が黒髪もしらかわの みづはくむまで老いにけるかな」という歌を、単純に老女の歌と考えるのは早合点だとして次のように述べている。

――延喜12年(912)頃、興範は九州白河の地で旧知の桧垣に数年ぶりに再会した。桧垣の歌はその時挨拶として詠まれた当意即妙の歌なのであって、決して実際に彼女がみづはぐむ老女であったわけではない。女盛りを過ぎた年齢になったことを誇張して言ったまでで、実際の年齢は三十代かせいぜい40歳くらいであったと考えてさしつかえないのである。――

 つまり、まだバリバリ動ける年齢だったからこそ、白川の辺から日参して閼伽の水を供えることができたとも考えられるのである。そう考えると、中村花誠さん原案・作調・振付、杵屋六花登さん作詞・作曲の「檜垣水汲み踊り」が決して誇張ではないと思えてくるのである。


檜垣嫗が晩年、この地に庵を結んだと伝えられる「山下庵」跡から雲厳禅寺を望む


山下庵の傍に今も水が湧き出る「檜垣の泉」


世界文化遺産「万田坑」の変貌

2015-11-09 19:55:16 | 熊本
 ひぐちさかえさんのFacebook情報によると、世界文化遺産となった荒尾市の「万田坑」は、観光バスと車がひっきりなしに出入りする状況で、世界遺産効果は絶大とのことです。
 ここ4、5年ほど万田坑には行っていませんが、7年前に映画「信さん・炭鉱町のセレナーデ」の万田坑ロケに参加した頃、観光客の姿はほとんど見かけませんでした。かつて炭鉱で栄えた町が、再び脚光を浴びることになり、熊本県民の一人として喜ばしい限りです。


2008年10月の万田坑竪坑の様子


坑口付近。映画のセットが組まれています。


ロケに参加した仲間たちと


万田坑従業員の子弟でもあった海達公子が描いた昭和初期の万田坑

暗渠化された坪井川を歩く

2015-11-08 21:57:10 | 熊本
 タモリの大好物、高低差、坂、暗渠ではないが、わが家近くの周辺にも歴史の痕跡には事欠かない。かつて京町台に沿って流れていた坪井川の跡を、錦橋から流長院まで遡って歩いてみた。昭和30年代頃まで暗渠化されていなかったので、僕はドブ川のようになっていた旧坪井川の辺を歩いて幼稚園に通った。大正8年に発行された熊本市の地図を見ると、まだ流路は変更されていない。この地図を見ながら歩いてみるととても興味深い。






錦橋の石造りの欄干は残されている。


藤崎宮から上熊本方面への県道の下をくぐり、藤園中学校の裏手の方へと流れは続く。


観音坂の下をくぐり、さらに上流へ暗渠が続く。


かつて観音橋があった名残りの欄干の遺構か?


丹後寺を迂回するように上流へ暗渠が続く。


さらに新坂の下をくぐって暗渠が続く。


壺川小学校の西側は明らかに不自然な交差点が。かつての流路が道路になったからか。

失われた民謡たち

2015-11-07 21:07:55 | 音楽芸能
 昭和53年(1978)に熊日新聞社から出版された「熊本の民謡」という本を図書館から借りて読んでみた。全部で97曲が紹介されているが、あとがきによると何百種もの民謡を採集し、その中から97に絞ったのだという。それでもなお、その数の多さと多様さには驚く。ざっと目を通したが、僕が聞いたことのある、もしくは知っているのは約4分の1に過ぎなかった。この本が出版されてから既に37年。もう歌える人がいなくなった唄がきっとたくさんあると思われる。こうして多くの民謡が失われていくのだろう。
 三味線音楽の大御所、本條秀太郎さんは、忘れられつつある民謡を発掘し、新しい解釈によって「俚奏楽」として再生しているが、そんな中の一つに山鹿地方の「でたげなたん」という唄がある。
 この唄は「俚奏楽 山鹿湯籠踊り」の冒頭で、曲のみが出端(では)として使われている。


※この他にも多くの歌詞あり。


あやこ姐さん

2015-11-06 19:42:29 | 音楽芸能
 上村元三さんのFacebookに、先日、熊本最後の芸妓あやこ姐さんを囲む宴が行われたと紹介されていた。随分久しぶりにその名を聞いた。実は、僕が初めて料亭と名のつく場所に行ったのは、大学卒業後、就職して間もない頃だったから、40数年も前のことだ。父がまだ現役の教員で、教員仲間の先生と一緒の宴に連れて行ってもらった。どういう趣旨の宴だったのか、何という名の料亭だったのかも憶えていない。ただ、父があやこ姐さんという芸妓さんを呼んだことだけは憶えている。どうも学校関係の宴会にはあやこ姐さんを呼ぶのがお決まりになっていたようだ。僕があやこ姐さんにお会いしたのは、後にも先にもその時だけで、どんな芸を披露されたのかも憶えていない。上村元三さんのFacebookで、年輪が刻み込まれた今のお顔を拝見して、おぼろげながら40数年前のお姿が甦った。あやこ姐さんしか踊れないものもあるとも書かれていたが、機会があればぜひ拝見させていただきたいものだ。また、芸どころ熊本の至芸を、はつ喜月若さんら、若い人たちが受け継いでいってもらいたいものである。


七五三

2015-11-05 22:02:15 | ファミリー
 この前の日曜日、わが家の氏神である藤崎八旛宮へ朔日の参拝に行った。早くも七五三のお参りが始まっており、着飾った子どもたちと両親や祖父母さんたちで賑わっていた。思わず、わが家の子どもたちや孫たちの七五三もあっという間に過ぎ去ってしまったなぁという感慨が湧いてきた。本当に月日の経つのは早いものだ。孫のみわは小学6年生になり、てっぺいも8才になった。二人とも久留米の水天宮さんで七五三のお参りをした。40数年前には、長男が防府天満宮で3歳の七五三参りをしたり、東村山の八坂神社では息子3人が揃って七五三参りをした日のことなどを懐かしく想い出しながら、幸せそうな親子連れをしばらく眺めていた。


阿波の人々の親切にふれた旅

2015-11-04 21:31:16 | 音楽芸能
 家内と二人で四国一周ドライブ旅行をしてもう7年過ぎた。この旅行の目的の一つが、天才少女詩人・海達公子のルーツである徳島県美波町を訪ねることだった。どこへどう行けばいいのか皆目見当がつかなかったので、直前に役場に電話をしておたずねしたところ、郷土史研究家の真南卓哉先生という方にアポをとっていただいた。訪問当日、指定された由岐公民館に着くと、真南先生と公民館の担当者の方が資料を準備して待機しておられ、会議室でいろんな興味深い話を聞かせていただいた。どこの馬の骨かわからない僕のために長時間を割いていただいた。その上、後日、準備した資料が不十分だったというお詫びの手紙とともに追加資料まで送っていただいた。
 その時教えていただいたポイントを巡ったのだが、時間が足りず、撮影しそこなった箇所があったので、後日、またまた役場に相談したところ、担当課長のK様がわざわざ現地へ行って撮った写真をメールで送っていただいた。阿波の人々の温かいご親切に一生忘れられない旅となった。

▼由岐駅の郷土資料展示室に展示されていた海人の生活史を示す資料群





▼阿波踊り
 下の映像は、去る9月5日、東京国立劇場で行われた「第50回本條流三味線 本條會」において演じられた「俚奏楽 阿波のうずしお」の中の「阿波踊り」の部分を、10月12日の「はつ喜月若 名取披露」(於西光寺)にて再現したもの。


サウンド・オブ・ミュージック 50周年!

2015-11-03 16:30:46 | 映画
 今年は映画「サウンド・オブ・ミュージック」が製作されて50周年だそうだ。ということは僕がこの映画を初めて見てから50年経ったということだ。大学2年の時だったが、公開されて間もない頃、日比谷の有楽座に見に行った。70mmの大スクリーンで繰り広げられるミュージカルに感動した。50年経った今でもミュージカル映画の最高傑作だと思っている。
 その数年前から、この映画が製作されていることを映画雑誌「スクリーン」で読んで知っていた。小学生の頃、学校の映画見学会で見た西ドイツの映画「菩提樹」と同じ題材だということも知っていたし、その後、ブロードウェイのミュージカル劇としても成功していたことも知っていた。しかし、正直なところ僕はあまり期待していなかった。それは高校生の頃に見た「ウエストサイド物語」で衝撃を受けていたので、同じロバート・ワイズ監督が、この全く異なる題材をどういう映画に仕上げるのか想像できなかったのである。
 しかし、さすがは名監督、見事なエンターテイメントに仕上げていた。ロジャース&ハマーシュタインの音楽はもちろん素晴らしいし、前年に「メリー・ポピンズ」で見てファンになっていたジュリー・アンドリュースのマリアが素晴らしかった。名シーン揃いだが、中でも、マリアと大佐の結婚式で修道女たちが鉄柵越しに見送るシーンと、音楽コンクールで大佐とマリアが歌う「エーデルワイス」が次第に会場全体の大合唱となるシーンは特に大好きなシーンだ。
 50周年記念版は日本語吹き替えだというし、映画館も今では70mm劇場もないので、また旧盤のDVDを借りてきて見ることにするか。


ルート・ロイヴェリック主演の「菩提樹」(1956)



種田山頭火と味取観音瑞泉寺紅葉まつり

2015-11-02 18:27:22 | イベント
 今年の「種田山頭火と味取観音瑞泉寺紅葉まつり」は下記のとおり行われます。
 紅葉を愛でながら、山頭火の句を味わうのもまた趣きがあっていいものです。
 
【日 時】11月22日(日)10:30より
【場 所】味取観音瑞泉寺(熊本市北区植木町味取1)
【内 容】野点、各種出店、展示物の掲示、写真コンテスト等


大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。
松はみな枝垂れて南無観世音
(「草木塔」より)

▼過年度の様子









飾山囃子(おやまばやし) ~秋田県の民俗芸能~

2015-11-01 16:32:55 | 音楽芸能
 「みちのくの小京都」と呼ばれる秋田県の角館(かくのだて)は、その名を聞くと、武家屋敷が並んだ風情ある街並みを思い出す。
 「角館祭りのやま行事」と呼ばれる角館のお祭りは、約四百年の伝統を有し、平成3年には国の重要無形民俗文化財として指定されたという。毎年9月7・8・9日の三日間にわたり、各町内から武者人形や歌舞伎人形をのせた18台の曳山(ひきやま)が曳き廻される。18台の曳山には、笛、大太鼓、小太鼓、鼓、摺り鉦、三味線等により「飾山囃子」(おやまばやし)を奏する人たちが乗り、秋田おばこたちが艶やかに手踊りを披露する。そしてクライマックスは迫力ある「やまぶっつけ」。若者たちは、神明社・薬師堂への参拝、藩主佐竹北家への上覧等を目的としながら山車(やま)を曳き廻し、勇壮な曳山の激突でクライマックスを迎えるのである。
 下の映像は、去る9月5日、東京国立劇場で行われた「第50回本條流三味線 本條會」において本條秀太郎さんの編曲、はつ喜流月花(中村花誠)さんの振付で演じられた特別バージョン「飾山囃子」を、10月12日の「はつ喜月若 名取披露」(於西光寺)にて再現したものである。
※右の写真は第23回地域伝統芸能全国大会のポスターを飾った飾山囃子



太鼓 はつ喜月若・花童あやの・花童あかね
小鼓 花童かな
手踊 花童ゆりあ・花童れいな・花童ゆうあ・花童きみか
地方 【三味線】本條秀美・本條秀紫・蒲原サヤ子・勇美智子
   【鳴 物】中村花誠と花と誠の会