徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

肥後の通り名

2015-11-24 20:23:59 | 歴史
 熊本・水俣出身の民俗学者・谷川健一さんは、地名は「日本人のアイデンティティ」であるというが、伝統的地名はどんどん失われてゆく。どこへ行っても「○丁目○番地」で味もそっけもない。わが家のある京町2丁目も、今やどんどん広がって、どこからどこまでが京町2丁目なのか全くわからなくなってしまった。
 舞踊団花童の演目に「肥後の通り名」というのがあり、懐かしい昔の通りの名前が唄い込まれている。わが家の近くでは、加藤清正が、関ヶ原の戦で西軍について敗れた柳河立花藩の家臣団を預かって住まわせた柳川小路(柳川丁)や、宇土小西藩の家臣団を住まわせた宇土小路などが唄われているが、谷川さんがおっしゃるように、地名は日本人の足跡でもあり、残して行きたいものだ。


柳河立花藩家臣が住んでいた柳川丁


柳川丁の由来を記したプレート


宇土小西藩家臣が住んでいた宇土小路