
わが家の前を通る坂道「新坂」は、その昔、夏目漱石が、眼下に広がる風景を眺めて「森の都」と言ったという時代とはすっかり様子を変えてしまった。今では自動車がわがもの顔に行き交う道路になってしまったが、僕が幼かった戦後間もない頃は、たまに木炭バスが通るくらいで荷馬車や歩行者が中心の道路だった。道の脇には大きな木々が並び、木陰では馬車引きが馬を休ませて一服する光景をよく眺めたものだ。坪井方面から登って来ると、登り切って道が左に曲がるあたりに竹藪や木々に囲まれた「八景園」という茶屋があり、戦争が始まる頃まで営業していたという。うどんなどを出していたらしい。上熊本駅と熊本市街との間を往来する行商人などにとっては格好の「峠の茶屋」だったのだろう。
※挿絵は夏目漱石記念館(内坪井町旧居)パンフレットより
明治41年2月9日の九州日日新聞(現在の熊本日日新聞)の記事に、次のような漱石の話が残されている。
新坂について、熊本県大百科事典には次のように紹介されている。
▼新坂
熊本市の上熊本駅から内坪井までの京町台地にかかる坂。明治24年(1891)九州鉄道が熊本まで開通するに当たり、池田駅(現上熊本駅)から熊本市街地へ通じる新道として造られた。夏目漱石が初めて熊本に来たとき、京町柳川から下るあたりで熊本の町を眺め、その緑の多いのに驚いたという。昭和の初めまで坂はうっそうとした木々と竹ザサのトンネルだった。日中は格好の涼み所で、冷やし飴などを商う屋台が旅人や馬方、人力車夫などを憩わせていた。(杉野勝典)

漱石が見た光景とは様変わりしてしまった熊本の街(遠く阿蘇を望む)

漱石ゆかりの坂であることを示すプレート

車の交通量が多く、歩行者や自転車は要注意