ここは熊本市西区高橋町の坪井川にかかる高橋稲荷大橋の上。ここから200mほど下流の天満橋まで色とりどりのこいのぼりが600匹、風に泳いでいる。高橋校区町興しの会が端午の節句を盛り上げようと毎年行なっている恒例行事。
ここ高橋町は今では専ら高橋稲荷神社のある町として知られているが、実は歴史豊かな由緒のある町。古くから高橋の津と呼ばれた港町であり、加藤清正が入国して坪井川を開削したときから本格的な河口港として整備された。加藤氏改易の後に入国した細川忠利は肥後五ヶ町制度を設け、高橋を、熊本、高瀬、川尻、八代と並ぶ町の一つとした。高橋は城下と海路を結ぶ河口港として、城下の日用消費物資の大半を積み降ろし発展した。高橋港は島原、筑後、柳川、天草、八代、芦北などや大坂、鹿児島、長崎からも荷船が入った。貨物の主なものは天草、芦北の薪炭、天草の海産物、鹿児島の泡盛、焼酎、砂糖、三池の石炭、長崎の舶来品、その他陶磁器、瓦、石灰、塩などで、熊本から肥後米、雑穀などが移出された。町には問屋が軒を並べて繁栄し、これらの貨物は、高橋平田船で坪井川を上り下りした。港は明治以降、鉄道の開通で舟運の時代が終わり、急速に衰えた。【参考文献】熊本県大百科事典
▼高橋稲荷神社