徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

危機一髪で破壊を逃れた吉野ヶ里遺跡

2013-04-03 16:06:27 | その他


 1990年の夏、僕は東京本社から佐賀県の鳥栖工場に転勤した。工場の脇を走る国道34号線を佐賀市に向かって車で10分ほど西下すると吉野ヶ里遺跡がある。僕が転勤したちょうどその頃、吉野ヶ里は騒動の渦中にあった。もともと脊振山地の南麓丘陵地帯にある吉野ヶ里には企業を誘致するため工業団地が開発されることになっていた。そのために事前の文化財発掘調査が行われた。その結果、かなり大規模な遺跡が広がっているらしいことはわかったものの、一部を保存し、大部分は予定どおり工業団地として造成されることになった。そして1989年に入り、造成工事が始まった。遺跡が破壊される前に考古学関係者による最後の見学会が行われることになった。その見学会のメンバーの中には朝日新聞やNHK等の記者たちがまじっていた。調査員の口から「これは大変な遺跡では・・・」との声が漏れる。翌朝、朝日新聞一面には「邪馬台国時代のクニ・・・」の文字が大きく踊った。NHKは朝7時のニュースワイドで「女王卑弥呼の住まいか・・・」のアナウンスが流れ、日本中が大騒ぎとなった。その日から吉野ヶ里フィーバーが始まった。遺跡の保存や工業団地計画凍結の世論の高まりにより、1990年に入ると吉野ヶ里は史跡として指定され、全体が保存されることになった。そんな騒動のほとぼり冷めやらぬ時に僕は初めて見学に行った。まだ遺跡として整備が始まったばかりであまり見るべきところはなかった憶えがある。あれから23年、久しぶりに訪れてみたいと思っている。

▼万歳くずし(佐賀県民謡)


♪御代も栄える 千代に八千代に 万々歳のご繁盛
 エイエーンーコリャ アイエンナーコリャ ソダソダ

♪めでためでたの若松様よ 枝もマタ 栄えて葉も繁る
 エイエーンーコリャ アイエンナーコリャ ソダソダ

♪門に門松 背戸には背戸松 明け行く空に鳥の声
 エイエーンーコリャ アイエンナーコリャ ソダソダ


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