520人の犠牲者を出した日航ジャンボ機の墜落事故から今日で35年が過ぎた。当時、栃木県の黒磯(現那須塩原)に在住、この数日前に、まだ小学生や幼稚園児だった息子たちをANAの子供のひとり旅(ジュニア・パイロット)を利用して熊本まで帰省させたばかりだった。事故の第一報を聞いた時、表現しがたい戦慄におそわれたことを思い出す。一生忘れることのない出来事だ。
今日も御巣鷹山に眠る犠牲者の皆様のご冥福を祈り手を合わせた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/97/020216ae19b5f2588468055d3cba3eff.jpg)
法界廻向(桧垣のこぼし坂に坐す野仏)
「法界廻向(ほっかいえこう)」縁のない人であっても供養するという意。
今日も御巣鷹山に眠る犠牲者の皆様のご冥福を祈り手を合わせた。
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法界廻向(桧垣のこぼし坂に坐す野仏)
「法界廻向(ほっかいえこう)」縁のない人であっても供養するという意。
私もまだ、嘴の黄色い38歳でした。
今日のニュースで「父が事故に逢った時、私はまだ母のお腹の中に居ました」という34歳の慰霊登山に参加した青年が語っていたのが印象的でした。
>子供のひとり旅を利用して熊本まで帰省させたばかりだった
ひぇーっ、事故と子供さんたちが同一線上に並ぶでしょうね。
>表現しがたい戦慄におそわれたことを思い出す
きっと、恐怖感も感じられたことでしょう。
私も何度かブログに取り上げたことがありましたが、いつの間にか忘れかけているようです。
一度に520人の犠牲者が出るなんて早々あることではないですよね。
ニュースではキャビンアテンダントのお嬢さんたちが事故の勉強会みたいな様子も拝見しましたが、無駄な時間とは思いませんが彼女たちの手の届かないところの原因での大事故を想うと割り切れない気もしました。合掌。
> 父が事故に逢った時、私はまだ母のお腹の中に・・・
なんだか聞いただけで涙が・・・
事故直後は、もし自分の子供が災難に遭っていたら、親と離れてどんな怖い目にあったんだろうとそればっかり考えていました。
遺族も年をとって段々少なくなって行きますし、そのうち人の記憶からも消えていくのかと思いますと、犠牲者の方々が可哀想で可哀想で・・・
キャビンアテンダントのニュースを私も見ましたが、全く同じことを家内と話しました。修理ミスが原因と言われていますが、再発防止の活動はCAの活動じゃなくて整備や操縦や管制などでどう行われているのかを見せてもらいたいなと思います。