今からちょうど45年前の1972年5月15日、沖縄がアメリカから返還された。その返還の日から8ヵ月後の73年1月、僕たち夫婦は沖縄に新婚旅行に行った。それ以来、沖縄には行ったことがない。当時の那覇の街は、英語の看板が多かったり、車も右側通行だったりで、まだ日本国内という感じはしなかった。宿泊したのは那覇東急ホテル(右の写真)だったが、既に今は無い。
悲願だった本土復帰が実現した日の沖縄県民の熱狂的な喜びを伝えるテレビの場面をいまだに鮮明に憶えているが、沖縄県民にとってこの45年はどんな年月だったのだろうか。真の日本国民になり得たのだろうか。
悲願だった本土復帰が実現した日の沖縄県民の熱狂的な喜びを伝えるテレビの場面をいまだに鮮明に憶えているが、沖縄県民にとってこの45年はどんな年月だったのだろうか。真の日本国民になり得たのだろうか。
私は沖縄が大好きで、30年以上
毎年行ってましたが、去年それが
途絶えました。
それは帰熊するためでした。
那覇東急ホテル…私も新婚旅行で泊まりました。
高校2年の秋に、野球の九州大会が
沖縄で開催され熊本県の代表で
出場して優勝出来ました。
その時はまだ右側通行でした。
毎年行かれるほどお好きなんですね~
特に学生時代の想い出と重なると余計愛着がありますよね。
私も高校時代の大会で行った町には愛着があって、会津若松などは社会人になってから何度も行きました。
ブログを渡り歩いていると、つい最近娘の結婚式のため両家みんなで沖縄に出向いて浮かれている話題や、
私の幼馴染で絶交中の男は宗主国の中国に帰属したらいいなんて書く右翼もいます。
当時の佐藤栄作総理は「沖縄の本土復帰なくして戦後なし」なんてキャッチコピー?みたいなことを言ってましたが、
密約もたくさん出てきましたね。
今日の基地問題共々、私は傍観している感じです。
私は政治的無党派層になりつつありますが、先ほど観た街のインタビューには「復帰前と復帰後は何ら変わっていない」というコメントもありました。
現実は大きく変化したように思いますが、そのコメントも真実のような気もします。
政治が大きく関わらない限り、真の日本国民にはいつまでもなれそうにないでしょうね。
沖縄出身の知人が何人かいますが、彼らに対して、いつもうしろめたさみたいなものを感じながら、何にもできない無力感を感じます。
毎日、NHKのクローズアップ現代と時事公論を録画していますが、夕べはどちらも沖縄復帰45年を取り上げていましたね。
私は、気持ちだけでも沖縄に寄り添っていきたく思いました。
どこかの国の総理は、沖縄でも広島、長崎でも拉致被害者家族に東北、熊本の被災地でもさも寄り添っているような言葉をしゃーしゃーと述べられますが、私にはいつも白々しくしか聞こえません。
沖縄は、北海道と共に経済を興さないかぎり自立が難しい気がします。
双方共、観光立県なんでしょうか?
このままじゃいけないとわかっているのに、解決の糸口さえ見えてこないですからね~
総理に限らず大臣等が現地を訪問したりするニュースを見てもパフォーマンスにしか見えませんので、すぐチャンネルを切り替えることにしています)^o^(
経済振興策はいろいろ打つのでしょうが、結局、本質的な問題はそのまま置き去りにされるのでしょうね:'-(