徒然なか話

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“ふんどし” の話

2013-06-28 18:30:46 | 歴史
 柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた折口信夫(おりくちしのぶ)が昭和2年(1927)に著した「古代民謡の研究」を読んでいたら、「ふんどし」の由来についての話が書かれていた。とても興味深かったのでその部分を抜粋してみた。

古代人は、はかまは穿いてゐたが、ふもだしは常用しなかつたらしい。ふもだしの、生き物を繋ぐ用途から、男精を縛る布の名にもしたのであらう。
我々の間に段々行はれなくなつて来たふんどしは、実は物忌みの間、貞操帯の様な役をした物であらう。どう言ふ風にするか想像出来ぬが、しるしなる物を堅く結んであつたと見える。其を解きほぐしてやるのは長老の権力で、さなぶり後の一夜だけであつたらう。次の期の神事の物忌みまでは、褌(ハカマ)をはく事を許したものと見てよからう。
其故、若い衆入りに、ふんどしを緊めて、初めて若衆宿に挨拶に行くもあり、氏神へ詣るのもあるのだ。神人としての物忌み初めのしきたりであつたのだ。此が段々受戒者の誇りとなつて、常にも自ら緊めて、自由に解きもし、ふもだしとしての厳しい束縛を段々緩く、自由にして行つたのだ。
かうしたふもだしは、若い衆の常用品となつて来た。新受戒者は、殊に厳重な束縛から、始めて一夜(ヒトヨ)づまの居る、女の家に入る。此記憶が、長く印象を、当然神人の一員となるべき氏子の男、其しるしに加へられる神秘の制約、其処の折り曲げられるしきたり、此条々が、かうした氏子の特徴を考へさせた、村々の長い信仰生活が思はれるのである。
たぶさきは、古い語だが、ふもだしとは、別物である。緊めるものではなく、腹と背との間を越えて、余りを小さいきれの様に垂れてゐたものらしい。
たぶさくといふ動詞は、日本紀にも見えてゐる。さうした物の挟み様や、たぐり上げ方を言ふ語の、名詞化した物であらう。はかまは日常にもつける物で、たぶさきは、神事に著ける品で、奴隷としての服従を示すものらしい。極端な服従を示す場合には、此を著けて、相手の前に出て誓うたらしく、其が段々、人々にも使はれる様になつたのであらう。
ふもだしが物忌み衣の一つで、男子専用の物であつた事は、段々証拠がある。此を緊めた裸身の上から、簑を著て、田遊び・夜田植ゑ、其他の神事に、神の一員として出たものらしい。

【備考】
 ふもだし:馬の足をつなぎとめる縄の意から行動の自由をさまたげるものの意へ。さらに男精を縛る布の名にも使われるようになり「ふんどし」の語源といわれる。
 物忌み:神事などのため、ある期間、飲食、言行などを慎み、沐浴をするなどして心身のけがれを除くこと。
 さなぶり:田植えの終わりに田の神を送る祭り。
 たぶさき:たふさぎ。肌につけて陰部を覆うもの。下ばかま。

▼ふんどしが静かなブームになっているらしい!


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