今朝起きたのは6時半だった。選挙の投票所が開くのが7時なので、最初の投票箱の内部確認とやらを一度見てやろうと思い、開く10分ほど前に行った。既に2人が先に並んでいた。7時になると同時に先頭に並んでいた方が、選挙立会人と一緒に投票箱の内部を確認する光景を見ることができた。
投票所となった京陵中学校から帰る時、学校の前を通る県道沿いに設置された夏目漱石の句碑をじっくり眺めてみた。この道は、明治29年4月、第五高等学校の英語教師として赴任した夏目漱石が、人力車に乗って通った道で、道沿いにはそれを記念する句碑や記念碑などが建てられている。
「すみれ程の 小さき人に 生れた志」(漱石 明治30年)
正岡子規に送った40句の中の一つとされるこの句は、文献などによれば「すみれ程な・・・」となっているが、この句碑ではどう見ても「すみれ程の・・・」としか読めない。僕の気のせいだろうか。それはさておき、漱石ほどの大文豪が、小さくひっそりと生きたいという願望があったなんて意外だ。
投票所となった京陵中学校から帰る時、学校の前を通る県道沿いに設置された夏目漱石の句碑をじっくり眺めてみた。この道は、明治29年4月、第五高等学校の英語教師として赴任した夏目漱石が、人力車に乗って通った道で、道沿いにはそれを記念する句碑や記念碑などが建てられている。
「すみれ程の 小さき人に 生れた志」(漱石 明治30年)
正岡子規に送った40句の中の一つとされるこの句は、文献などによれば「すみれ程な・・・」となっているが、この句碑ではどう見ても「すみれ程の・・・」としか読めない。僕の気のせいだろうか。それはさておき、漱石ほどの大文豪が、小さくひっそりと生きたいという願望があったなんて意外だ。
私も、いいかげんな感じで京都の句会に時々遊びに行っています。層雲自由律という詩みたいな世界ですが、いっこうに上達しません。
京都まで行ったら何せ交通費と時間がかさみます。
と言いますのは、私自身が句や詩をやっているわけではありませんが、現在シナリオ化を目指して研究している海達公子(1916~1933)が自由詩の天才少女といわれた人で、必然的に、韻律にこだわらない文学の世界に踏み込まざるを得ないからです。また、いろいろ教えてください!
携帯俳句で友だちと遊んでいたら
紹介を受けて二箇所門をたたきました。
句会が4時間くらい、緊張してただ聞いているんですが
終わって居酒屋でビールを飲むんですね。
これが愉快な世界です。
定型俳句を経験していないのでダメですね。
自由律の人たちは定型を馬鹿にしますが、
いきなり前衛芸術のような世界に入ると
不可解なことが多いです。
現在は京都だけまだ名簿に載っていますので
郵送やFAXを中心に参加しています。
なるほど!なんだか分かるような気がします。逆に定型の人たちは、自由律の人たちを、うさん臭く思っているんじゃないですか?(笑)
私も自由詩について語ったりすると、韻を踏む詩を好む人たちからは軽く見られがちです。