連日の猛暑でしばらく散歩もしていなかったので今日は日が暮れてからわが家の近くを歩いてみた。新坂を下り、中坂を上っていると薄闇の中に鳥のような物体が音も立てずに飛んできた。頭上2㍍くらいを通過する瞬間に「蝙蝠(こうもり)」だとわかった。飛び去る姿を目で追いながら、ふと漱石の句を思い出した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/4c/6708c236aa08d9c51567044f869f8b34.jpg)
「蝙蝠(かわほり)に近し小鍛冶が槌の音」
これは謡曲をお題とした漱石の句の一つで、謡曲「小鍛冶」も習っていたのだろう。「蝙蝠」は「かわほり」とも読み、夏の季語で、こうもりが飛んでくるような夏の夕暮れに、鍛冶屋の槌音が響き渡っているという夏の風情を詠んだものだろう。
昨年の正月、Eテレで喜多流の「能 小鍛冶」が放送された。録画して2回見たのでまだ印象深い。
今日は謡曲「小鍛冶」をもとに作られた長唄「小鍛冶」を聴いてみた。曲中何度か大鼓と小鼓が息を合わせながら打つところがまさに「能 小鍛冶」の小鍛冶と稲荷明神が互いに槌を打つ場面を思い出させて面白かった。今日、一般的な用語となっている「相槌(あいづち)」と言う言葉の始まりらしい。ちなみに相槌の音がそろわない様子から「とんちんかん」という言葉が生まれたらしい。
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「蝙蝠(かわほり)に近し小鍛冶が槌の音」
これは謡曲をお題とした漱石の句の一つで、謡曲「小鍛冶」も習っていたのだろう。「蝙蝠」は「かわほり」とも読み、夏の季語で、こうもりが飛んでくるような夏の夕暮れに、鍛冶屋の槌音が響き渡っているという夏の風情を詠んだものだろう。
昨年の正月、Eテレで喜多流の「能 小鍛冶」が放送された。録画して2回見たのでまだ印象深い。
今日は謡曲「小鍛冶」をもとに作られた長唄「小鍛冶」を聴いてみた。曲中何度か大鼓と小鼓が息を合わせながら打つところがまさに「能 小鍛冶」の小鍛冶と稲荷明神が互いに槌を打つ場面を思い出させて面白かった。今日、一般的な用語となっている「相槌(あいづち)」と言う言葉の始まりらしい。ちなみに相槌の音がそろわない様子から「とんちんかん」という言葉が生まれたらしい。