徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

米原長者口説き歌

2024-07-23 19:11:53 | 歴史
 山鹿灯籠まつりの時季が近づいて来た。かつては毎年見に行ったものだが、熊本地震以降すっかり足が遠のいた。今年は久しぶりに見に行こうかと思っている。
 このまつりの呼び物は何といっても、頭上に灯籠を載せた女性たちが「よへほ節」の調べに合わせ、優雅に舞い踊る「山鹿灯籠踊り」。
 しかし、このまつりで踊られる曲は「よへほ節」だけではない。「山鹿盆踊り」と「米原長者口説き歌(よなばるちょうじゃくどきうた)」を合わせた3曲が踊られる。このうち「米原長者口説き歌」は歌自体は現代に作られたものだが、歌われているのは1300年前、ヤマト政権によって築かれた鞠智城(きくちじょう)がある米原地区に当時から言い伝えられている「米原長者伝説」をもとにしたもの。「口説き」というのは、長い物語を同じ旋律の繰り返しにのせて歌うもののことをいう。
 「米原長者伝説」は3部構成となっており、第1部は米原に住む貧しくも働き者の若者のところに、夢のお告げを受けた姫が京から嫁ぎ、彼女が持参した千両の金を元手に長者になったというサクセスストーリー。第2部は、長者となった男が、同じように栄華を極める「駄の原長者」と宝くらべをするというお話。ありったけの金銀財宝を並べた米原長者に対し、駄の原長者は恵まれた多くの子宝を連れて来た。民衆はほとんどが駄の原長者の子供たちに関心を寄せ、米原長者の財宝に関心を寄せたものは数えるほどだった。第3部は、朝廷から「長者」の称号を賜るほどの権勢をほしいままにしていた米原長者は、ある時、田植が思い通りに進まないことに業を煮やし、太陽を呼び戻して三千町歩の田植えを続けさせた。これに天罰の火の輪が降り注ぎ、全財産が灰塵に帰してしまうという転落の物語。
 「米原長者口説き唄」は、この中の第2部を題材にしている。歌詞は30番まであるが、通常の演奏は時間の制約もあり7番まで。(資料提供は本條秀美さん)


米原地区にある八角形鼓楼(鞠智城の一部)