徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

百人一首の絵札

2024-07-14 16:45:53 | 日本文化
 大河ドラマ「光る君へ」を見ながら、ふと梅林天満宮(玉名市津留)のことを思い出した。梅林天満宮は承平6年(936)太宰府天満宮より、没後33年目の菅原道真公の御分霊社をいただいたことがその起源とされている。紫式部や清少納言が登場する「光る君へ」は今、11世紀に入る前後、つまり梅林天満宮の創建から60~70年が経過した頃の物語だと思われる。
 毎年秋、11月25日に行われる梅林天満宮例大祭はほぼ毎年見に行っているが、参拝した後に必ず見るのが拝殿の長押に貼られた百人一首の絵札である。そしていつも一番注目するのが紫式部と清少納言の歌(下図)。百人一首に選ばれるという事は二人の代表作なのだろう。これらの歌が選ばれた理由などを調べてみたい。


梅林天満宮例大祭において太宰府天満宮より派遣の巫女舞。向こうの拝殿の長押に百人一首の絵札が見える。



廻り逢ひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな
【解説】
 「久しぶりに会って、昔の友だちかどうかわからないうちに、雲に隠れる夜更けの月のようにあわただしく帰ってしまいましたね」という意味。幼なじみとのつかの間の再会を、月になぞらえて詠んだ歌です。紫式部の代表作は、『源氏物語』と『紫式部日記』。若くから和漢の学に秀でていました。



夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ
【解説】
 「夜の明けないうちに、(中国のことわざのように)鶏の鳴き声をまねしてだまそうとしても、逢坂の関は通しませんよ」という歌。男性の言い訳に対し、相手の言葉を使って一矢報いるべく「私は関所を通さない=会いません」と伝えたのです。作者は『枕草子』の著者でもあります。

※解説は学校向けコンテンツ「NHK for School」から引用