沖本幸子著「乱舞の中世 白拍子・乱拍子・猿楽」(吉川弘文館)を読むと、たちこめたモヤが払われて中世芸能が急にクッキリと見えてきたような気がする。
今日「日本文化」といわれるものの多くが中世すなわち鎌倉・室町時代に形づくられたといわれる。なかでも猿楽(能)や茶の湯などはその代表格だ。能は観阿弥・世阿弥父子によって14世紀後半から15世紀前半にかけて大成されたとよくいわれるが、大成というのは、その前に何かいろんなものがあったということ。戦乱が続いたこの時代に、人々を熱狂させ、そして滅んでいった中世芸能として、著者は「白拍子・乱拍子」を取り上げ、それがその後の芸能の歴史にどんな役割をはたしたのかを解明している。
白拍子というと祇王や静御前のような歌舞を演じる女性芸能者を思い浮かべるが、もともとはその字のとおり「拍子」つまりリズムのことだという。「白」は特別な色に染まっていないベーシックなもの。それに対し「乱拍子」は乱れた、言い換えれば変化が自由なリズムという意味だと思われる。そしてこの二つの芸能は別々の道を歩み、やがて滅びて行くのだが、これらの芸能が能の成立にどんな影響を与えたのかについてスポットを当てている。
乱拍子といえば、今日では能「道成寺」の見せ場の一つになっている舞事を思い出す。小鼓とシテの足使いが張りつめた緊迫感の中で繰り広げられるのだが、本来の意味の乱拍子とはかなり異なる意味合いとなっている。むしろ、能の原点といわれる「翁(式三番)」に登場する翁や千歳や三番叟が白拍子や乱拍子の流れを受け継いでいるという。例えば、三番叟が舞う「揉みの段」を見ていると、このリズムはいったいどこから来たのだろうといつも思う。今回、この本を読むことによってストンと腑に落ちたような気がした。
能「道成寺」乱拍子
三番叟「揉みの段」
今日「日本文化」といわれるものの多くが中世すなわち鎌倉・室町時代に形づくられたといわれる。なかでも猿楽(能)や茶の湯などはその代表格だ。能は観阿弥・世阿弥父子によって14世紀後半から15世紀前半にかけて大成されたとよくいわれるが、大成というのは、その前に何かいろんなものがあったということ。戦乱が続いたこの時代に、人々を熱狂させ、そして滅んでいった中世芸能として、著者は「白拍子・乱拍子」を取り上げ、それがその後の芸能の歴史にどんな役割をはたしたのかを解明している。
白拍子というと祇王や静御前のような歌舞を演じる女性芸能者を思い浮かべるが、もともとはその字のとおり「拍子」つまりリズムのことだという。「白」は特別な色に染まっていないベーシックなもの。それに対し「乱拍子」は乱れた、言い換えれば変化が自由なリズムという意味だと思われる。そしてこの二つの芸能は別々の道を歩み、やがて滅びて行くのだが、これらの芸能が能の成立にどんな影響を与えたのかについてスポットを当てている。
乱拍子といえば、今日では能「道成寺」の見せ場の一つになっている舞事を思い出す。小鼓とシテの足使いが張りつめた緊迫感の中で繰り広げられるのだが、本来の意味の乱拍子とはかなり異なる意味合いとなっている。むしろ、能の原点といわれる「翁(式三番)」に登場する翁や千歳や三番叟が白拍子や乱拍子の流れを受け継いでいるという。例えば、三番叟が舞う「揉みの段」を見ていると、このリズムはいったいどこから来たのだろうといつも思う。今回、この本を読むことによってストンと腑に落ちたような気がした。
能「道成寺」乱拍子
三番叟「揉みの段」