昨年、NHK熊本放送局のローカル番組で、熊本城の思い出を写真とともに語る「私の熊本城」という企画があった。僕も一応投稿したのだが採用されなかった。
採用されたのは熊本城天守閣を主体とした観光目線のものが多かったようだ。一方、僕の熊本城の思い出には天守閣がない。天守閣が再建されたのが中学3年の時で、高校時代は部活に明け暮れ、卒業と同時に上京したので、天守閣の思い出がないのである。僕にとっては、幼稚園時代に千葉城町から本丸を通り抜けて帰った通園路としての思い出が一番深いのである。
昭和25年、櫨方(現在の加藤神社)が駐車場となっていた大型観光バスとバスガイド。観光ブームの始まり。向うに見えるは宇土櫓。当時は熊本城と言えば宇土櫓のこと。幼稚園からの帰り道は、本丸を抜けて頬当御門からこの櫨方の前を通って帰っていた。
昭和35年頃、熊本国体に備え、バレーボールコートとなった奉行丸。テニスコートとしても使われた。
東十八間櫓を見上げながら、厩橋際から本丸へ登るのが、毎日の幼稚園の帰り道だった。この東十八間櫓も残念ながら熊本地震で倒壊した。
採用されたのは熊本城天守閣を主体とした観光目線のものが多かったようだ。一方、僕の熊本城の思い出には天守閣がない。天守閣が再建されたのが中学3年の時で、高校時代は部活に明け暮れ、卒業と同時に上京したので、天守閣の思い出がないのである。僕にとっては、幼稚園時代に千葉城町から本丸を通り抜けて帰った通園路としての思い出が一番深いのである。
昭和25年、櫨方(現在の加藤神社)が駐車場となっていた大型観光バスとバスガイド。観光ブームの始まり。向うに見えるは宇土櫓。当時は熊本城と言えば宇土櫓のこと。幼稚園からの帰り道は、本丸を抜けて頬当御門からこの櫨方の前を通って帰っていた。
昭和35年頃、熊本国体に備え、バレーボールコートとなった奉行丸。テニスコートとしても使われた。
東十八間櫓を見上げながら、厩橋際から本丸へ登るのが、毎日の幼稚園の帰り道だった。この東十八間櫓も残念ながら熊本地震で倒壊した。