徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

初萩とさおしか

2024-09-03 21:45:09 | 文芸
 先月中旬、味噌天神の福栄堂さんがかつて製造販売されていた銘菓「さおしか」の復刻版を作られたというので訪問して試食させていただいた。しかし、「さおしか」という商品名が他店で商標登録されているため、福栄堂さんは再販売に当たって「初萩」という商品名にしたいとおっしゃっていた。
 これは、万葉集の
  「わが岡にさをしか(小牡鹿)来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさをしか」
という「大伴旅人」が詠んだ歌にあるように「さおしか」と「萩の花」がまるで夫婦のように寄り添う様子から発想されたもの。

 万葉集の成立から約200年後に完成した清少納言の「枕草子」第六十七段「草の花は」の條に次のような一節がある。

   萩、いと色深う、枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れて、
   なよなよとひろごり伏したる。
   さを鹿のわきて立ち馴らすらむも、心ことなり。八重山吹。

 ここでも萩の花のそばに立つ「さおしか」が描かれている。清少納言はもちろん万葉集は読んでいたと思われるし、上記の「大伴旅人」の歌も知っていたであろう。というより萩の花と「さおしか」を対で詠むのは常套句のようなものだったのかもしれない。


藤田嗣治画伯旧居跡に咲く萩の花

令和の米騒動

2024-09-02 19:09:29 | ニュース
 二百十日も過ぎ、季節はこれから実りの秋に入って行くのだが、メディアでは「令和の米騒動」なる文字が踊っている。大都市圏を中心に「スーパーから米が消える」事態となり、全国的な米不足になっている。理由は昨年の猛暑や、地震の影響を受けての買いだめなどが原因だという。これはスーパーの種類によって状況は異なっているらしい。年間で定期的に数量を決めているスーパーでは比較的余裕があるようだが、その都度仕入れているスーパーでは米がなくなっているようだ。問題は品薄だけではない。米価が高騰しているのだ。今年に入って、米の価格は5キロ2,000円から3,000円に上がっているという。大阪府知事が備蓄米の放出を政府に要求したようだが、坂本農林大臣はこれに否定的。その理由として、市場価格に人為的な影響を与えること避けたいらしい。そんなことを言ったって既に米価は高騰しているわけでなんらかの手を打つのが当たり前と思うのだが。いったいいつまでこんな事態が続くのだろう。
 近くの田んぼを見に行った。昨年とほぼ変わらない生育状況だ。頭を垂れるまではもう少しだが、新米が市場に投入されるのが待ち遠しい。


成道寺川流域の田んぼ

米という字を 分析すればョ 八十八度の 手がかかる
 お米一粒 粗末にならぬ 米は我等の 親じゃもの

漱石の句いろいろ

2024-09-01 20:25:09 | 文芸
 京陵中学校前の漱石記念緑道を散歩していると漱石句碑がコスモスに覆われ、上の句しか読めない。毎年秋のお馴染みの風景だ。
 「すみれ程の小さき人に生れたし」
 

 この句はいろんな解釈がされているが、熊本に来て初めての正月を迎えた合羽町の家にいた頃詠んだといわれているので、正月の来訪者の煩わしさに懲りた漱石の心境が反映しているのかもしれない。「道端に人知れず咲くすみれのようにひっそりと生きたい」とでも思ったのだろうか。

 一方、熊本大学黒髪キャンパス(旧五高跡)に建立されている漱石句碑は対照的だ。
 「秋はふみ吾に天下の志」


 五高教授時代に詠んだ句で、「勉学に励み、志を高く持って、いずれは天下に名を成す気概を」という漱石先生から五高生へのエールなのだろう。

玉名女子高校吹奏楽部コンサート

2024-08-31 21:04:56 | 音楽芸能
 今日は午後から熊本県立劇場へ「玉名女子高校吹奏楽部コンサート」を見に行った。彼らの演奏をホールで聞くのは随分久しぶりのような気がする。思えば彼らの先輩の演奏を初めて見た時からちょうど50年経ち、今や全国的にトップレベルの吹奏楽部となった。演奏を聞きながら、その圧倒的な音楽性にひたっていた。
 今年も座奏、マーチングともに金賞を目指す季節がやって来た。今日のコンサートで演奏した「勇気の旗を掲げて」が全日本吹奏楽コンクールの課題曲、「カタリナの神秘の結婚」が自由曲になる予定らしい。結果はともあれ玉女らしい演奏をやってほしい。 

【第1部】
 ♪ コンサートの幕開けを演出で飾るPrologue Circus
 ♪ 行進曲「勇気の旗を掲げて」
 ♪ カタリナの神秘の結婚 2023年版
 ♪ UTA-HIME~美空ひばりメドレー~2021年版

【第2部】
 ♪ コンサートの幕開けを演出で飾るPrologue One
 ♪ ALADDIN
 ♪ America the Beautiful(マーチングメドレー)
 ♪ ふるさと
 ♪ かモン!くまモン!
 ♪ カーペンターズ・フォーエバー


   ▼2024年度熊本県高校総文祭パレードより

瀬戸坂とその周辺のはなし。

2024-08-30 17:51:38 | 熊本
 先日放送されたRKK熊本放送「水曜だけど土曜の番組」で「第1回KING OF ドウロ」というちょっとワケのわからない企画をやっていた。熊本県内の個性的な道路をピックアップして№1を決めようというものだが、6つ選ばれたうちの一つになぜか「瀬戸坂」が選ばれていた。坂の街である京町の中でもわが家から最も近く幼い頃から慣れ親しんだ坂である。僕も高校時代はこの坂を通学路としていたが、自転車通学の友人には難所だったという。番組ではこの約300㍍、傾斜角度9.6度の坂をノーギア自転車で一気に登り切れるか番組MCのローカルタレントまさやんがチャレンジし、なんとか成功した。


瀬戸坂

 その話はさておき、「瀬戸坂」、古い文書では「迫門坂」とも書かれているが、その名の由来は、坂を下りきったところに坪井川が流れており、川幅が狭まっていた、つまり「瀬戸(迫門)」があったのでその名が付いたという。昭和初期頃まで坪井川の舟運が盛んで、瀬戸は船着場として物流の要衝だったらしい。
 今日、地域住民の間では常識となっているが、この一帯(旧称 寺原田畑)はかつて海だったという。その証拠に周辺一帯には海に関係する地名がズラリと並ぶ。すなわち、「舟場」「津の浦」「打越」「永浦」等々。また、かつて打越では貝塚が発掘されたこともある。ところが、いったいいつ頃まで海だったのかというと、これがよくわからないのだ。有明海が内陸部まで入り込んだ時期というのは6千年も前の「縄文海進」や千年ほど前の「平安海進」などがあるが、6千年も前に、まるで和歌にでも出てきそうな美しい地名がつくとは到底思えない。ということは「平安海進」の時ということになるかというと、この一帯が海ということは今の熊本市は大部分が海に浸かっていたことになる。平安時代の熊本の歴史を調べてもそんな史料は見出せない。推測だが、おそらく、海が退いた後、低地が沼沢として残り、かつて海だった記憶が子々孫々まで伝わり、沼沢を海に見立てて地名をつけたのかもしれない。ちなみに寺原(てらばる)とはこの地に浄国寺(静国寺)があったことからこの名がついた。現在の浄国寺は北区高平2丁目にあるが、元は瀬戸坂から家鴨丁(あひるちょう)と呼ばれた小路に入ったところにあった。平清盛ゆかりの寺といわれ、寺号は清盛の法名である静海(浄海)に由来するという。浄国寺は近年、松本喜三郎作の生人形「谷汲観音」があることで有名になり、県内外からファンが訪れている。


秋の色種(あきのいろくさ)に言寄せて

2024-08-29 20:23:47 | 季節
 史上最強といわれ、各地で猛威をふるっている台風10号ですが、直撃を覚悟していたわが町では一時激しい雨は降ったものの暴風らしいものもなく、やや拍子抜けの感がありました。
 まずは被災された皆様へお見舞い申し上げるとともに、これからの台風進路にお住いの皆様のご安全を心よりお祈りいたします。

 まだ台風もいくつか来襲するとは思いますが、8月も終わりに近づき、いよいよ秋色濃い時季になっていくものと思われます。猛暑続きだった今年の夏。「夏バテ」の症状が出てくる頃かもしれません。皆さまどうかご自愛くださいますようお祈り申し上げます。



ここ見て! ~新町シャッターアート~

2024-08-28 11:11:12 | 熊本
 熊本中央郵便局(熊本市中央区新町2丁目)の前を通られる方はご覧になったことがあるかもしれない。道路を挟んで向かい側の博栄堂印房さんのシャッターには舞台の上の女性らしき絵と「清正舞わせり 出雲阿国」という文字が書かれている。しかし、シャッターが降りているのは営業終了後か休業日なので意外と見たことがないという方が多いようだ。これは新町のシャッターアート・プロジェクトの一つとして描かれたもので、江戸時代前期に書かれた加藤清正の伝記である「続撰清正記」の中に記された「塩屋町三丁目の武者溜りで八幡の国という女歌舞伎が興行をした」という故事に基づいたものである。この「八幡の国」なる女歌舞伎は後世の人々に「出雲阿国」と呼ばれたその人なのである。そして「続撰清正記」に書かれた「塩屋町三丁目の武者溜り」があった場所がまさにこの辺りなのである。


博栄堂印房さんとシャッターアート


シャッターの左側に描かれた「出雲阿国」


シャッターアートのもとになったと思われる「阿国歌舞伎図(一部)」


「続撰清正記」にはこう書かれている。
--八幡の國と云歌舞妓女肥後國へ下たる事
其頃八幡の國と云ややこを下し熊本の鹽屋町三町めの武者溜りにて勧進能をいたし其能の跡に歌舞妓をして家来の諸侍は銀子一枚宛出し桟敷を打て見物し地下町人は八木(米)を持来て鼠戸の前に市をなし押合々々見物したり・・・--

 この辺りは「船場柳御門」があった場所で、熊本城下の南東、船場橋から山崎町方面を監視する関所門で番所が置かれ、門の前には勢屯(せいだまり)があった。この勢屯に小屋掛けしてまず勧進能が行われ、その後に阿国歌舞伎が行われたという。

舞踊「与一の段」余談

2024-08-25 21:31:33 | 古典芸能
 昨夜のEテレ「古典芸能への招待」は「古典芸能を未来へ」と題して、講談をメインに華やかな日本舞踊が繰り広げられた。
 中でも平家物語「扇の的」をモチーフとした舞踊「与一の段」はいろんな意味で興味深く、楽しんだ20分だった。出演は尾上菊之丞、市川染五郎、藤間紫、長須与佳(琵琶)ほかの皆さん。
 まず僕の興味の1点目は、かつて那須に在勤していた頃、度々訪れた那須温泉神社(なすゆぜんじんじゃ)は、那須与一ゆかりの神社であり、与一と源義経が初めて出会った場所でもあること。屋島の戦いにおいて勇名を馳せた弓の名手与一は、那須岳で弓の稽古をしていた時、那須温泉神社に必勝祈願に来た源義経に出会い、父の資隆が兄の十郎為隆と与一を源氏方に従軍させる約束を交わしたという伝説が残されている。また与一が扇の的を射る際唱えた「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくは、あの扇の真ん中射させてたばせたまへ」という祈念詞は舞踊の中でも歌われた。舞踊では那須与一を尾上菊之丞さん、源義経を市川染五郎さんが演じた。


那須与一ゆかりの那須温泉神社(栃木県那須郡那須町大字湯本)※写真は那須町観光協会様のご提供

 2点目は、与一が屋島の合戦で射落とした扇を掲げた平家の官女が玉虫御前(たまむしごぜん)。玉虫御前の故郷は肥後国は御船の玉虫といわれ、玉虫御前が源平合戦後、故郷に帰って寺を建て、平家の菩提を弔った玉虫寺の跡が残っていること。僕は若い頃、仕事でこの付近をよく車で通っていた。
 この玉虫御前を演じたのが朝ドラ「ブギウギ」にも出演した人気舞踊家・藤間紫さんというのも親しみを感じた。


楊洲周延 作「那須与一」(船上の女性が玉虫御前)


玉虫御前を演じた藤間紫さんの舞


玉虫御前の故郷・玉虫寺の跡(熊本県上益城郡御船町滝尾玉虫)

 そして最後に、この舞踊を盛り上げたのは叙情性ゆたかな長須与佳(ながすともか)さんの琵琶と歌。
 彼女は平成15年度の第9回くまもと全国邦楽コンクールで最優秀に選ばれており、令和元年に行われた「邦楽新鋭展Vol.5」で初めて彼女の演奏を観た。この時も彼女が演奏した「扇の的」に感動した思い出がある。そして昨夜その感動が甦った。
 彼女は薩摩琵琶奏者であるとともに琴古流尺八の奏者でもある。


「おわら風の盆」に見る祭と民謡の関係

2024-08-24 21:22:24 | 祭(まつり)
 今夕、NHK-BSで「決定版!おわら風の盆 スペシャルライブ」が2時間にわたって放送された。今年の「風の盆」は9月1日からなので、昨年の中継映像を編集したものらしい。
 僕がこの「おわら風の盆」という祭の存在を初めて知ったのは48年前、1976年9月27日に放送されたNHK「新日本紀行」の「おわら風の盆」。哀調を帯びた音曲と目深な編笠スタイルの妖艶で優雅な踊りはミステリアスでさえあった。その不思議な魅力に強く惹きつけられた。この放送後、全国的に有名になっていったようである。


 この「おわら風の盆」の重要な要素が「越中おわら節」。これが実は「牛深ハイヤ節」をルーツとする、全国に40以上存在するといわれるハイヤ系民謡の一つなのである。海運が盛んだった江戸時代、北前船などの廻船によって、牛深の港から全国各地の港へと伝わっていったハイヤ系民謡の中でも異色の存在が「越中おわら節」だ。何が異色かと言うと、まずその曲調。「牛深ハイヤ節」の南国的な明るいアップテンポとはおよそ雰囲気を異にする哀愁漂う音色は、ルーツが「牛深ハイヤ節」だとはとても思えない。今では「越中おわら節」は全国的に有名となった「おわら風の盆」の歌のように思われているが、昔はそうではなかったらしい。ちょうど熊本で言うと「山鹿灯籠まつり」と「よへほ節」が合体したのは昭和に入ってからであるのと同じだ。八尾という町はかなり内陸だが、昔は井田川や神通川などの舟運が発達していたのでハイヤ節は富山湾から川を遡って来たらしい。そんなことも曲調が変わって行った背景にあるのかもしれない。民謡の歴史を辿ってみると実に興味深い。



農兵節(ノーエ節)

2024-08-23 19:50:42 | 音楽芸能
 先月24日に他界された民謡歌手の水野詩都子さんは、日々の出来事や思いなどを「詩暦(うたごよみ)」というタイトルのブログで語っておられました。
 そのブログの最後の記事が静岡県の民謡「農兵節」についてでした。YouTubeの東海風流チャンネルvol.68にアップされている「農兵節」を聞きながら、民謡歌手としての心構えを述べておられるブログを読み直しました。水野さんの表現者としての姿勢や人となりがしみじみと伝わってきます。
 あらためて、民謡を通じて私たちに音楽の愉しみを届けていただいたことに心から感謝を申し上げます。