﨑秀五郎さんが「いかとり唄」のハモリバージョンをアップされた。この唄は神奈川県逗子市の小坪漁港に古くから伝わる民謡だが、聴きながら、ふとブリヂストン時代にお世話になった産業医の酒井恭次先生のことを思い出した。先生は10年前に他界されたが、ずっと逗子市にお住まいだったからだ。度々二人で横浜を飲み歩いたが、一度逗子のご自宅にお伺いしたいと思いながら、とうとうそれはかなわなかった。
今夜は酒井先生を偲びながら「いかとり唄」を聴いていた。

「小坪漁港」坂田 融
この「いかとり唄」について、「日本の民謡 ~ CDで聴くふるさとの唄」には次のように解説されている。
「いかとり唄」(神奈川)
♪ 沖に見えるは いか採り船か さぞや寒かろ 冷たかろヨイヨイ
今朝も早よから この浜伝い ねんねこ寝るまでヨ 守り仕事ヨイヨイ
逗子市小坪の子守唄。夕暮れの浜風に吹かれながら子守娘が唄う。小坪の高橋サク(1900-?)が伝えていた。
大崎公園のあたりは、昔、小坪の女達の憩いの場で、三月三日には、お花見と称して弁当と雛人形を携えて登り、人形に“西向け!東向け!”と声をかけて海を眺めさせる風習があった。日頃、労働に明け暮れる漁村の女性たちの何よりの楽しみであった。奉公に出ていた娘達も、暇を貰って宿下りした。いかとり唄には、この日を待ちわびる子守娘の気持ちがこめられている。
小坪の小さい入江は、白鷺が舞う“鷺の浦”と呼ばれ、大崎から飯島、稲村ガ崎にかけての磯は棚が発達して、魚貝類や海藻の生育に適した漁場であった。今では小坪湾の大半が埋め立てられ、逗子マリーナとなっている。
▼小坪いかとり歌(花童舞踊)
今夜は酒井先生を偲びながら「いかとり唄」を聴いていた。

「小坪漁港」坂田 融
この「いかとり唄」について、「日本の民謡 ~ CDで聴くふるさとの唄」には次のように解説されている。
「いかとり唄」(神奈川)
♪ 沖に見えるは いか採り船か さぞや寒かろ 冷たかろヨイヨイ
今朝も早よから この浜伝い ねんねこ寝るまでヨ 守り仕事ヨイヨイ
逗子市小坪の子守唄。夕暮れの浜風に吹かれながら子守娘が唄う。小坪の高橋サク(1900-?)が伝えていた。
大崎公園のあたりは、昔、小坪の女達の憩いの場で、三月三日には、お花見と称して弁当と雛人形を携えて登り、人形に“西向け!東向け!”と声をかけて海を眺めさせる風習があった。日頃、労働に明け暮れる漁村の女性たちの何よりの楽しみであった。奉公に出ていた娘達も、暇を貰って宿下りした。いかとり唄には、この日を待ちわびる子守娘の気持ちがこめられている。
小坪の小さい入江は、白鷺が舞う“鷺の浦”と呼ばれ、大崎から飯島、稲村ガ崎にかけての磯は棚が発達して、魚貝類や海藻の生育に適した漁場であった。今では小坪湾の大半が埋め立てられ、逗子マリーナとなっている。
- 作曲家・福田和禾子(1941-2008)が「いかつり唄」として編曲。民謡愛好家の裾野を広げている。
- 高橋キヨ子、本條秀太郎採譜・編曲、尺八/三橋貴風、藤崎重康、米澤浩、ギター/本條秀長。
少しかすれた声が渋い味を出している。お座敷調の子守唄。子守少女の気分と雰囲気は乏しい。
- ダ・カーポ(榊原まさとし、広子)「イカ採りの唄」
▼小坪いかとり歌(花童舞踊)