のら猫の三文小説

のら猫が書いている、小説です。
質問があれば
gmailのnaosukikan
まで連絡ください

香奈とコシロの子供たち No.119

2013-09-25 00:05:59 | 香奈とコシロの子供たち


世界は好景気に





再び世界的に好況の波が押し寄せ、世界各地で好況になった。日本も若い世代が増え、子供たちも高齢者も増え、日本の個人消費も伸びていった。医療費全額国庫負担は、基本的な医療にはお金が必要ないと云う事であった。従来のように、病気になった時の心配がなくなり、しかも所得税と保険料は統合されていたようなものだったので、それぞれの所得に応じての負担になって。逆進性は改善されていた。


世界のどこかの地域では、問題が起きる事はあったが、それが大きく世界に波及する事はなかった。日本の内需も増え、消費も増え、外需先行型の経済は変わっていった。元々日本は内需が強い国だった。外国頼みの経済ではなくなっていた。


ジブトラストの新宿で保有していた会社も伸びたが、会長枠で保有していた会社や不動ファイナンシャルが株を保有していた会社は、大きく伸びた。日本の人口も伸びていった。


ごきげんソフトは、商業用のソフト会社として、大きく伸び、会社実務のパッケージで管理する中小企業診断や経営相談までする会社になり、ネットでの相談は急増していた。それに研究所の研究プラットホームまで作り、通信回線もジブトラストのジブテレコムと組み、回線リセールも行い、通信まで入り込み、元ハッカーまで雇い、大きなソフト会社となっていた。


ジブトラストから最初に支援を受けてから、ジブトラストの出資も増え企業規模は、段々大きくなり、ジブトラスト関連専用のOSまで作り、やがてオーダーメイドOSを各企業宛に開発し、そのOSに合致したアプリケーションソフトを安く提供すると云う手法で業務用ソフトの大きな分野を手にした。ゲームしたり、AVビデオを再生する機能なんかは省いた特殊なOSだったので、ハッキングや盗聴されにくいのが売り物の会社だった。




製薬の子会社の種苗会社は、遺伝子研究センターと快適農作物研究所と共同して、開発した、収穫量の多い農作物は世界の食糧事情を変えつつあった。医学も大きく進歩した。難病と言われた病気も治りはじめ、疾病率も大きく落ち、医療機関では、直接の医療活動よりも検診や健康指導が増えてきた。世界中活気が出て、株も持っているだけでみるみる間に上がった。



「どこも景気が良くて、財団も子育て講習とか赤ちゃんの育児相談なんかをしているよ。外国の人まで相談にくるよ。昔みたいな深刻な悩みは影を潜めたよ。

香奈「少し行き過ぎのような気がするよ。確かに世界の各地で発展しているけど、経済はやはり波があるものなのよ。深刻ではないと思うけど、調整はあると思うよ。」

「運用会社は、凄く儲けているらしいね。テレビでも言ってたよ。ジブ関連では毎年、二十兆を超える利益が入っている筈だと言ってたよ。」
香奈
「みんなやたらと儲けているよ。でも神子ちゃんは少しずつ売ってるよ。加代子ちゃんも先物の売り残が増えているのよ。切人も沙織さんも売り残が増えているのよ。売れる所は売っているよ。信用の売りも増えているのよ。なにか起こりそうな気がするのよ。」、

「そうかね。」




香奈とコシロの子供たち No.118

2013-09-24 00:00:14 | 香奈とコシロの子供たち




沙織と神二郎は不動総合企画と

不動工業団地を作った。






沙織も加代子の外出と同じ頃、結婚して以来、始めて外出し、新しく作った不動工業団地を見に行った。神二郎が言っていた、中小企業を集め、集約した大きなビルを作り、関係する企業が一つの柔らかな企業のようにまとまるものであった。ただ企業の独自性とか、それぞれ企業の技術レベルの違いとか問題は大きかった。


沙織は、久しぶりの敷地外で興奮した。タバコを久しぶりに吸おうと思い、コンビニで買おうとしたら、もう30の半ばも過ぎなのに、年齢確認の書類をみせてくださいと言われ、買えなかった。



「加代子ちゃんが、アメリカにいったね。大丈夫なの、子供たちが心配していたよ。迷子になったら、どうしようとか言っていたよ。」
香奈「大丈夫だよ。ホテルは、エレガントホテルでよく頼んでいると綾子ちゃんも言っていたよ。それに昼間は、ジブカヨコトラストにおいておくと神三郎君も言っていたよ。トラストの人も面倒見てくれるよ。相場が始まれば、加代子ちゃんは、しゃきとするよ。」、

「沙織さんも外出したね。珍しいわね。高校生みたいに見えるような若い格好していたよ。」

香奈「結婚して始めてといっていたよ。不動ファイナンシャルとして、全て持つ始めての会社だもの。不動総合企画と云って、不動工業団地を持って、管理とか企画とか営業まで請け負う会社らしいよ。


沙織さんは、妊娠する度に若くなるよ。タバコ売ってくれなかったとぼやいていたよ。姫子ちゃんの会社に頼んで、勝のロボット工学研究所のロボットまで入れて、未来エネルギーシステムの発電システムでハクテク工業団地を作り、技術だけと言った、神二郎君が援助していた会社を集めたらしいよ。うまくいくかねえ。みんな文句の多い職人みたいな人が多いからね。でもこれで神二郎君もこの会社の中で出資したり、援助すると言っていたから、沙織さんも楽になるよ。結構お金も入れたらしいよ。」 



不動総合企画は、資金繰りから、営業活動、税務や管理まで一貫して面倒をみていた。この不動総合企画を窓口にして、製造と技術だけの企業を集めて総合工場を作ったのが不動工業団地だった。


不動総合企画は、多くの中小企業の営業窓口のような会社だった。製造、企画、資金繰りから受注、資金回収までして、利益の中から、一定の口銭を貰う会社だった。新宿では、利益ベースの仕事にはなったが、神二郎は資金だけでなく、多くの支援体制が必要だと新宿Bチームの活動で分かり、この会社を作る事にした。単なる経営コンサルではなく、実際に一緒になって仕事を支援していく会社だった。


この会社が、職人肌の人たちを宥めたり、すかしたりして、一つの会社のように仕事を進めていく事になった。相談したり、説得したりする仕事なので、そんな人たちが多く必要だったので、人も集めだした。この会社が出来た事で新宿Bチームの仕事がしやすくなり、善作の夢のような話も具体的な手順をより求めやすくなった。


ここでBチームは、質的に変換した。


単に運用会社が出資するだけの存在ではなくなり、企画、営業等あらゆる事まで斡旋できる事になった。おまけに海外展開をしていった快適の創立メンバーだった有村が、海外進出の相談も受け、知り合いの多い、快適交易やジブトレーディングと調整までした。


有村はなんやかやと敷地内に遊びにきて、奥さんまでつれて、善作の家に同居し、一族専用だったマンションまでやがて借りるようになっていたので、調整は容易であった。


それに「転んでも金を掴む」聖子も儲かる仕事なら快適も一緒に参加した。有村は高齢だったので、短期間のパートやアルバイトのような積もりだったが、奥さんも含めてやたらと元気になり、しぶとく新宿で働き続けた。




香奈とコシロの子供たち No.117

2013-09-23 00:00:43 | 香奈とコシロの子供たち


神元は相場師だったので、相場に専念



ジブカミのヨーロッパの会社では、出資比率は、10%まで上がってきたが、ジブカミとスイスの貴金属会社は切り離された。そのため神元はファイナンシャルとして、商品相場で稼ぐ利益の5%程度は、金を安い時に買って、貴金属会社にジブカミ分として保管して貰っていた。冶部一族は、なぜか、金を保有しておくのが、当然のように感じている不思議な一族だった。


神元は生粋の相場師だったので、金の保有以外では儲かりそうな貴金属であれ、何の商品であれ、複数の市場で、取引し、為替も取引し、儲けるだけに専念した。せこい儲けの実業や取引能力の低い奴らに任せるよりは、自分一人で取引していく事を選んだ。取引では儲け続け、年間では、運用した額の5倍の利益を得る事もあった。実際の取引の処理とか管理手続きだけを現地法人からの人に任せていた。

 


聡美は、株式保有も始める




聡美は、語学のセンスがなく、ヨーロッパのマーケットでは、先物しか取引しなかった。神子や神代のレポートに基づき、自分の感性と相場の流れだけで、先物の売買をしていた。元々聡美は、株や先物と云うよりもゲーム感覚だった。そして先物を取引するうちに、いくつかの手法を知るようになった。それは、所謂、罫線屋に近い感覚だった。株式や先物も所謂生き物だと思うようになり、チャート分析が得意だった。


先物は会社が判らなくてもよかったが、株式は別物だった。株式をしたくても、第一会社の名前も分からず、何をしている会社なのかも分からなかった。アソコが丸見えで取引しているので、切人の妻のジャンヌが時々毛布やショールを膝に掛けてくれた。そしてジャンヌと話をするようになった。


ジャンヌの個人会社から始まっていたマリアホープでは、ヨーロッパの株式も保有しており、上がりそうな株などを保有していた。聡美も見えをはって、貯まってきたジブカミファイナンシャルの自分のお金で買いたくなり、この株は上がるわよとジャンヌが云っていた会社の株も少し買ってみようと思った。


聡美もパッパラパーとは云え、相場をしている人間なので、チャートを見て、低い時に買う事にしようと時々覗いていた。先物感覚でも全体の流れは上向きなのに、なぜか言われていた会社の株は下がり、チャートから見ても底のように見えた。


先物取引は好調だったので、先物取引の合間に、取りあえず買っておいたが、三つの財布で複数のマーケットで、先物の取引をしていたので、先物が忙しくなり、買った事すら、忘れてしまった。聡美は気前よく、一週間、安値で買いを出し続けた。ただ取引してくれと言ってきた証券会社をみんなお義理で、金額の差があるものの、みんな使った。


ジブシステム外の証券会社を使う事は、ごきげんソフトの総合口座システムに違反する行為であったが、聡美は先物専門だったので、特に意識もせずジブカミとして証券屋を使い、個人売買のような形で購入していた。ジブカミも管理は、現地法人に管理費を払い、管理して貰っていた。


聡美は、株は分からず、ただジブカミファイナンシャルの聡美分は、大量に貯まり、聡美は、ジブカミトラストと同量程度運用していたので、ジブカミファイナンシャルの口座残高は、余っていた。


ジャンヌの云った食品会社とは違い、オーストリアの鉱山会社の株と云う事は、初めから気がついていなかったし、倒産も噂され、猛烈な売りが続いていた事も知らなかった。当然発行株数も知らなかったし、50%を超える株を買っていた事なんか知るすべもなかった。聡美があまり買うので、浮動株もなくなっていた事なんか知らなかった。






香奈とコシロの子供たち No.116

2013-09-22 00:00:49 | 香奈とコシロの子供たち

神帥は、独自の会社群を作り上げていった。




神帥は、直属の子会社である貴金属会社への出資を制限されたこともあり、ジブカミスイファイナンシャルとしても、相場の安い時に金を保有し、貴金属会社に金の保有を頼んでいた。


ジブカミスイトラストが儲け、ファイナンシャルも儲け、ファイナンシャルの現金や保有する金も増えてきた。預かって貰っている貴金属会社とは別に貴金属会社が必要になっていた。




神帥は、金を保有する貴金属会社を探していた。偶々敷地内に帰ってきた羽朗と会い、売りに出ていたブラジルの宝石貴金属店を買うように頼んだ。貴金属会社は別に作り、保管庫や工場を作り、買っていた金を保有させ、貴金属店には販売していくように手配を頼んだ。


ジブカミスイファイナンシャルが完全に保有するブラジルジブ貴金属とした。神帥は、相場師だったので、貴金属会社や貴金属店は、快適に運営を任せ、快適ルールに従い、利益が出れば、利益の10%をジブカミスイファイナンシャルに戻し、残りは現地で保留したり、投資したり、事業を拡大するなどの運営も任せるようにした。


神帥は単に貴金属の保有会社を持って、ぼつぼつ販売する貴金属店を作った積もりだった。ジブカミスイファイナンシャルの利益の5%を貯めて、相場の安い所で金などの貴金属を買い、ブラジルジブ貴金属に、買った貴金属を増資の形で、出資していくようにした。


神帥は金以外でも、銀やプラチナなどの貴金属を安値と思えば買い、ブラジルジブ貴金属に保管させた。後はこれらの会社に任せた。羽朗の妻のハナが進めていた南アメリカでの子供を助ける運動にも、ジブカミスイファイナンシャルの利益の5%を寄付し、運動の基礎に援助する事になった。



ブラジルにいた羽朗は、神帥から頼まれてブラジルジブ貴金属とブラジルジブ宝石貴金属店を作った。ブラジルジブ宝石貴金属店で販売するための貴金属加工の作業場を持ち、金などの貴金属の溶解や精錬したり、宝飾用に加工するための工場も作った。


ブラジルジブ貴金属は、神帥が貯めていたニューヨークの金を神帥からの出資の形で引き取った。神帥は、ジブカミスイファイナンシャルの利益の5%の枠内で、相場が安い時に、金や貴金属を購入し、ブラジルジブ貴金属に送っていた。


羽朗は、ブラジル快適の社員を、ブラジルジブ貴金属の運営にあたらせ、宝石貴金属店にも人を送りこんだ。快適では未経験の分野だったので、慎重に運営した。ブラジルは発展し、富裕層や中間層も増え、貴金属の需要も膨らんでいた。神帥の買っていた金の値段は大分安かったので、ブラジルジブ貴金属で保有する金を、聖子流に、市価つまり相場より少しだけ安い価格で販売した。


何故か、思いがけず多量に売れ、ブラジルジブ貴金属にもお金が入った。パンツやシャツそしてオレンジなどは、思い切り安くしてもそんなに売れないのに、金を少しだけ安くすれば、こんなに売れるとは、羽朗や快適の人たちには、意外な事だった。


神帥は儲け続け、保有する貴金属は増え続け、金などの貴金属の価格も上がり、ブラジルジブ貴金属も販売量が増え、お金も貯まってきた。貴金属店でも、溶解や精錬設備もあるので、金地金も売り、売った金地金も少し市価より値を下げて購入したり、金製品や宝飾品も金含量に比例して、金の市場価格から、一定の比率を引いて引き取る事を約束して販売した。


単に毛利貴金属の方法を真似しただけだった。すると金は上がり続けているのに、金を売る人もいて、ブラジルジブ貴金属の金の保有量はそんなに減らなかった。ブラジルジブ貴金属は、金や金の宝飾品を一般の貴金属店にも販売していった。


ブラジルジブ貴金属や宝石貴金属店はお金が貯まり、運営費や経費を除いて、利益の10%は神帥に渡し、残りは、貯めておいた。相場より少し安くしただけなのに、そのお金はあっという間に貯まり出し、直ぐにブラジル国内で幾つかの宝石貴金属店を買い取り、お店も増えてきた。ただ貴金属店なので、店舗の数をそんなに増やす事はしなかった。やっぱり安売りスーパーとは違うと思っていた。



ブラジルジブ貴金属には、神帥が儲け続けるので、神帥が買う貴金属と販売していったお金が貯まっていった。羽朗は、自分たちのよく判る分野で、貯まったお金を運用しようと思い、南米の快適の食品会社を総括できる、研究所も持つ大きな食品会社を、快適本体と合弁で、作ろうと思って計画を始めた。


南米では、快適は農園も増え、食品関係の会社も増えていたが、乳製品の食品会社がなかった。大きな牧場と乳製品の会社と工場と総合食品研究所を造る構想を立てて、詳細な計画を立てた。


ブラジルには快適も出資したブラジル資源開発もあり、化学工業の会社であるブラジル快適化学を作り、日本の安倍化学とアフリカの快適化学と協調して、大きな会社になり、快適洋服も工場を集約して、効率的な生産を行う、大きな工場を作っていた。




ブラジルジブ貴金属は、貴金属の保有が増え続けていったので、神帥は、ニューヨークの貴金属会社で保有している金やブラジルで保有する貴金属については、貴金属相場専任のスタッフを置き、取引させる事にした。


ブラジルで保有する貴金属は増え続けており、貴金属の先物相場に必要な資金は、ジブカミスイトラストとブラジルジブ貴金属が保有量割合で分担して提供する形で実質的には、ファイナンシャルが貸す事にした。


専任の担当チームの基本給はファイナンシャルが出し、運用手数料として利益の10%を払って、先物ヘッジをして、残った利益を融資分を精算して、それぞれ返す事にした。貴金属相場は、専任のチームが、保有量を見ながら、ヘッジしていった。神帥は、このチームに前年度のファイナンシャルの利益の5%分の貴金属の現物の購入もさせた。


貴金属相場については、独立したチームが、ファイナンシャルやトラスト分を併せて取引した。神帥は、その取引状況の管理をする事になった。商品相場は、それ以外に食品相場と非食品相場のチームを作り、それぞれ独立させ、貴金属相場と同様にしていった。


食品相場や非食品相場のそれぞれのチームも、貴金属のチームと同様に、現物を安値で買い、販売したくなり、神帥に頼み、それぞれの仲買会社を買い取り、ファイナンシャルが完全に支配するジブカミスイコーポレーションを作った。


ここでジブカミスイファイナンシャルは、単に商品相場だけでなく、それぞれの商品の仲買会社も持つようになり、神帥自身は商品相場を単に管理監督するだけとなり、為替チームをチームと云うより為替会社のようにして為替に専念していった。




香奈とコシロの子供たち No.115

2013-09-21 00:04:37 | 香奈とコシロの子供たち
この時期、ジブトラストは好調だった



ジブトラストは、更に驚異的な儲けが続いていた。流石に為替からの異常な儲けはないものの先物や商品相場では高水準の儲けを持続していた。トラストの運用枠の数倍も儲けていた。しかも、日本に金を還流させ、ごっそりと税金を支払っていた、こっそりと、それなりの対策は取っているとはいうものの、儲けた金を税金の高い自国に還流させていた。税金払うために稼いでいるファンドとして海外では有名だった。


香奈は、そんなに異常な利益は続く筈もなく、安全に運営していく積もりであったが、香奈の予測とは違い、その後も直属の子会社と云うよりも独立した会社は儲け、子会社自身も切人のチームが儲け、その上直属の子会社からの配当も入り、更に利益が上がった。


本体の管理下に入った孫会社は、神子、神代そして神之助の管理とそしてカミカミの運用をする事で利益は高水準を持続していた。みんな好調を持続し、運用利益は増え続け、運用枠の何倍も利益が出ていた。更に、孫会社は直属の子会社からの配当を貰っていたカミカミファイナンシャルの現地法人も、お金が貯まり、そのお金は又、孫会社にも一部回り、神子、神代そして神之助は、孫会社を管理しながら、指示を出すだけでなく、カミカミとしても運用していった。



特に独立したジブカヨコトラストなどの直属の子会社は、時には、運用元金の数倍近く、利益を上げ続ける驚異の成長をして、一定の運用額だったトラストよりも、加代子、神帥、神元や聡美の家族会社である筈のファイナンシャルの資産は、大きくなり、それを運用して更に大きくなった。


トラストがファイナンシャルから資金提供を受け、運用していたが、ファイナンシャルが大きくなり、逆のようになった。スタッフの報酬なども自由なファイナンシャルが、運用利益の比例率を上げて、利益比例の付加給を増やしていった。


本来ジブトラストの子会社であるトラストも運用利益の付加給を利益比例で負担する筈だったが、ジブトラストの定めた比例率は低く、ファイナンシャルがすべて、利益比例の付加給を負担するようになった。これは何も善意だけでしなかった。トラストの利益によって、ファイナンシャルの運用も左右される傾向もあったからである。トラストの最終利益の90%は配当されるが、残りの10%は、変動準備金として運用しないお金として備蓄される。変動準備金がある程度たまれば、運用枠への一時的な転用も認められた。運用に余裕度が出た。









加代子は、エンジェルホープ財団を作り、

病院も作った。



加代子が、敷地にきて、結婚してから6年ぶりに敷地外に、外出する事になった。しかもアメリカに行った。幼い子供たちも心配した。ジブカヨコファイナンシャルのお金も貯まり、神三郎がエンジェルホープ病院となる候補病院を見付け、エンジェルホープ財団もアメリカで立ち上げる最終打ち合わせに行く事になった。子供の世話は、みどりがしていていたが、加代子が5日以上、神三郎と接触しない事は危険だったので、加代子もついて行った。


エンジェルホープ病院の候補病院は、廃院予定だった大きな公立病院を買い取り、貯まっていた赤字も負担し、医療援助するエンジェルホープ財団も予め、日本からも、清香の事務所が斡旋して、ほとんど目途がついていた。


ただ神三郎もやっと取った一週間の休暇なので、自由に動きたかったので、加代子の世話は出来ず、ジブカヨコトラストを一緒に訪ねて、加代子を預かって貰う事にした。加代子は、もはや伝説の人となっており、ジブカヨコトラストとジブカヨコファイナンシャルは、保有株も多く、ジブアメリカの近くにジブカヨコファイナンシャルは、ビルまで所有していた。


ビルの中に大きな事務所に構えて、トラストとファイナンシャルは一体となって取引していた。加代子の伝説に惹かれて、ある程度の運用枠を持つ何人かのディラーも集まっていた。加代子の手口を参考に取引していた。管理の人も専任のスタッフまでいた。もうアメリカの会社そのものだった。


加代子は、早速取引を始め、加代子が取引を始める時に、翼のようなを持つ青白い炎が、一瞬にして、社内に充満した。そしてその日から、加代子以外のディラーも社内では鬼になった。加代子は、日本に帰る前に、車でエンジェルホープ病院の候補病院を一瞬だけだが訪れ、事務局まで見た。青白い炎は、病院の中を駆けめぐり、加代子は日本に帰った。



神三郎は、病院を決め、エンジェルホープ財団は、ジブカヨコファイナンシャルの利益の10%の寄付を受ける事にした。そして財団の安定化の為、ジブカヨコファイナンシャルの保有する会社の株の半数を財団に寄託するようにした。


エンジェルホープ病院には、「ジャパンドリーム」も多用した治療を行うようにもした。神三郎は日本人だったので、日本人の医者も集まった。そしてこの年のジブカヨコトラストの利益は大暴落時の時ほどでもないが、画期的なものとなり、ジブカヨコファイナンシャルも病院や財団への拠出もあったものの、画期的な利益を上げ、神三郎が持っていた財政的な不安もやわらいだ。


初代次平の試みた無利子無担保無期限での貸し付け制度の医療をアメリカでするので、不安が一杯であった。そのため神三郎は、10%以上のお金、想定される3年分程度の医療補助に相当するお金を財団に寄付して基金を作り、財団の安定化を図った。


思いがけずエンジェルホープ財団が株を保有していた、がめつい筈のアメリカの製薬会社や他の会社も、病院や財団に寄付してくれる事まで起きた。不思議な事だった。単にこんな人や会社から寄付を貰いましたと張り出していただけだった。加代子は、それから数年間は、又敷地内から出ず、ボーとした状態は、少しずつ改善していった。