のら猫の三文小説

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香奈とコシロの子供たち No.103

2013-09-09 00:00:12 | 香奈とコシロの子供たち


スイスカナコインも大ブレーク




香奈は、実はスイスコインの取り扱いに苦慮していた。香奈のこっそりとした隠し会社の積もりで、スイスの秘密口座の窓口会社で金の保管会社の積もりだったが、前の暴落では二千億も儲け、今回の大暴落では驚くことに六千億も儲け、今までの儲けを併せるとついに現金が、一兆の大台に近づいていた。年寄り運用チームはある程度儲けると利益を確定し、更に回転させながら儲けていた。為替でもチャの指示の基に、年寄りたちは、細かく売買し、やたらと利益を上げた。とても隠し会社ではなくなった。スイスコインの年寄り運用チームの意気は上がり、チャもココも二匹がハイタッチするほど儲けていた。チャとココは、鯛の活け作りを喜色満面の顔で食べた。




しかし、香奈も歳だし、スイスコインの年寄り運用チームの前途はバラ色とは云えなかった。とりあえず年寄り運用チームの運用金を二千億円相当として、チャ用ではあったが為替と株式先物は、運用金をそれぞれ一千億円相当として、運用金額の半分を損すれば、取引は止める事にして、運用手数料を上げて、15%として、運用枠の拡大もしなかった。
猫と老い先短い年寄り運用チームが、今更若僧たちと一緒に話してやっていけるのも難しかった。猫と年寄り運用チームはこれまで稼いでいたので、その労を無視する事も出来なかった。勿体ないが、運用額はなくなるものと超高齢の香奈は覚悟していた。年寄り連中も意外にあっさり承諾した。



金もやたらと貯まっていた。仕方なしに、今までのジブスイス貴金属の地続きのスイスの山間部に思い切り広い土地を買い、大きな保管庫をジブスイス貴金属に近接して作り、スイスジブ貴金属に保管料を少し渡して管理してもらう事にした。回りには、エンジェルスターも栽培し、池の近くにパワースターも栽培した。その場の勢いで、近くにあった腐ったような小さいワインの醸造工場やブドウ畑まで買いとって、良質のワインだけを作り、スイスコインが全量買い上げる約束をした。運営は今までのワイナリーの人に任せた。金の廃鉱なども含まれていた。思い切り広い土地を買ったので、牧場まで作り、乳牛まで飼った。簡単な低温殺菌の加工工場も作り、みんなで牛乳を飲む事にした。テツダウーノが牛乳を好きと言う単純な理由だった。



日本にも留学し、日本の猫を連れて帰ったほどの猫好きの教育関係者であるネコスキーノが、テツダウーノに相談に来た。牧場の近くに小さい全寮制の学校を作りたいと言ってきた。親がいない子や親が育てられない子供を教育するための学校だった。そして猫好きのネコスキーノは、一杯捨て猫を拾ってきて、町中の家のご近所から白い目で見られていた。それでなくても、日本からの連れて帰った白い猫は、雌猫だったので、子供や孫そしてひ孫の猫までいる猫軍団を抱えていた。損害賠償騒ぎまであった。


自分の家も売って近くに引っ越して学校の寮と云うか寄宿舎の世話もしたいと言った。この白い猫が高齢になり、歯も抜けてきた。ゆったりした環境で最後を迎えさせたいとも言っていた。その話を聞いた香奈は何故だか、酷く感激し、スイスカナコインとして学校と寄宿舎とネコスキーノの家を寄贈したいとテツダウーノに言った。気の大きくなっていたテツダウーノは、小さい学校と言っていたのに、大きな寮と大きな学校を作り、ネコスキーノに運営を任せ、広い家と大きな庭のある家まで作り、ネコスキーノの宿舎とした。


スイスカナコインとジブスイスは同根であり、ジブスイスはジブスイス財団を作り、町に託児所を作り、ネコスキーノに運営を任せ、託児所の運営費として利益の5%を寄付する事にした。スイスコインは学校だけでなく、同じようにスイスカナコイン基金として運営費を利益の5%をジブスイス財団に寄付し、学校関係の運営を任せた。


かなりの大儲けをした年だったので、基金は膨大なものになった。ネコスキーノは、単なる猫好きだけでなく、初等教育の専門家でもあった。託児所を運営すると共に、身よりのない子や帰るべき家のない子を全寮制の学校に引き取り、自分で寄宿舎を管理しながら、託児所の運営もした。 



ネコスキーノの学校の生徒は、猫と触れあいながら、子供たちと一緒に暮らした。日本から持ってきていた茶色の猫の骨も自分の庭に埋めた。親と暮らせない子供達も猫と触れあう事で寂しさを緩和する事が出来た。日本からきた白い高齢の猫も元気になっていた。


この猫も幼い頃に母猫と離れて暮らしていたので牛乳好きであった。白い高齢の猫は子供たちを励まし、その白い高齢の猫の子供たちも生徒を励ました。猫たちと子供たちは、少人数で生活していたが、仲良く暮らしていた。



スイスカナコインが買った牧場や加工工場は、土地もあったし、拡張にそんな大きな投資は必要なかった。儲けた株屋は太っ腹だった。加工場も広かったし、設備も整えた。ブドウ畑や牧場などの手伝いを、ネコスキーの学校の生徒もする事もなかったので、少しは手伝った。