のら猫の三文小説

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香奈とコシロの子供たち No.120

2013-09-26 00:00:33 | 香奈とコシロの子供たち

世界経済は、少し調整模様




満ちれば欠けるように、過熱感が充満して、世界的に調整色が強くなった。今回は、そんなに長引かなかった。日経平均も3万円をつけた後、一ヶ月間下落し、二万五千円をつけて底になり、やがて又上がっていった。世界も基本的には、経済の枠組に問題もなく、よく似た傾向で上がっていった。



ジブトラストもカミカミファイナンシャルも香奈ファイナンシャルそして不動ファイナンシャルやマリアホープなどは、主に保有する現金だけが増えた。


ジブの先物は、正子の影響を多少なりとも受けて、基本的には、売りには強かった。日経平均が下落すると、利益は膨れ上がった。準備金も貯まりだした。各地の直属のジブも子会社も孫会社も利益が凄く出たので、配当の安定化を図るために、運用しないお金を、出資金の2倍の配当準備金と出資金に同額の資本準備金を、つまり出資金の3倍の準備金を持つようにしていた。


それが貯まれば、税引き後利益の10%を準備金として置く事を止め、5%だけを変動調整金として貯め、この二つの準備金つまり、配当準備金と変動調整金がなくなれば、取引も一旦中止する事にした。


又3期連続赤字になっても取引を一旦止める事にした。子会社や孫会社にそれ以上保留しない事にして、配当も急減する事も避けようとした。配当は、出資金相当額、5割、2割そして1割と減っていって、配当が突然減る事を防いだ。半年ベースなのでそれ以上の配当は、もう考えなかった。それすら貯まりだし、配当率も上がった。




スイスカナコインは安定




スイスカナコインは、ジブトラストとは全く別の組織だったので、神子や神代のお告げもなく、年寄りたちの調査や情報収集に基づいて長年この世界で生きていた年寄りの感性とチャの感性だけで取引した


しかし、コッソリートの作った証券会社は、各種の情報を提供して取引高の維持を図っていた。香奈も、報告は受けるが、時々取引の指図をするだけで、そんなに頻繁に指図しなかった。


チャは細かい取引などはしたくても出来なかった。年寄りもそんなに機敏には動けなかった。ただ変に情報は詳しかった。どこで集めてくるのか判らないような話も香奈に報告してきた。掘り出し物の株も見つける事もあった。先物もチャに言われなくても中期的に取引した。突然の株式のボロ儲けとコツコツとした先物を重ね、運用枠の半分程儲け、チャも同様に枠の半分程儲け、ココもスイス情報と持ち前の感性で国内の香奈ファイナンシャルで儲けていた


スイスコインとして安値で買った株は、一部は保有するようになり、香奈もそれは特例として認め、運用枠から除外した。そうすると年寄り運用チームは配当がいい会社を選び、稼ぎの中からこれらの会社の株を少しずつ買って、特例を増やし、保有株は増え、配当で稼ぎを底上げすると云う、こすい方法を考えた。


思い切り大きな高層ビルや思い切り広いと土地を買って金の保管庫などの多大な出費をしたので、折角一兆の大台を目の前にして、大きく後退して、長らく足踏みしていたが、やがてスイスコインの現金も一兆になり、半分程度はジブトラストのスイス金融センターに為替運用を委託する事にした。


香奈のスイスの秘密口座構想も少し変わっていた。神之助の影響下のジブトラストの孫会社に、金の先物のための資金も金の保有金額の10分の一ほどは、貴金属先物として、運用を委託していた。これらの為替や金先物は、チャと年寄り運用チームとは別系列だった。



コインのお店はそんなに繁盛したとは云えないものの、豊富な資金力で、金貨やプラチナ貨そして銀貨のコレクションが出来ていた。ブラジルジブ金属やドイツジブ金属に持ち込まれた金貨も金として買う交渉をした。税金は要ったが、掘り出し物もあり、金貨コレクションは更に充実した。


コレクションの一部は販売し、コインのお店は、ビルの管理会社も兼ねていた。ビルは結構収入があった。


ワインは限定品となり、スイスコインの年寄りや香奈だけが飲むのでなく、少しは市販し、高値で販売するようになった。ワイン用のぶどうも快適農作物研究所が交配し、品種改良が進み、快適も南米でワインも作りだしていた。



スイスコインもぶどう畑を少しずつ広げ、ワイン工場も少し大きくした。調子に乗って学校や牧場まで作り、牛乳は学校関係者やスイスコインの中だけでこっそり飲んでいたが、来客が飲み、美味しいと云われ、牧場も広げ、設備をすこし拡大して市販する事にして、スイスコイン直属の乳業会社になった。スイスコインは益々、利益を上げ出していた。


全寮制の学校は、はじめ、親のない子や育てられない子供たちの為の学校だったのに、生徒はやたら秀才ばかりになり、親がある子供や金のある家庭の子供までは入るようになり、普通の学校のようにもなった。誰が教育補助や生活補助を受けているかなどは判らないようにした。


猫たちも元気で走り回っていた。学校の授業を聞いているような猫もいる程だった。子供たちを励まし、勇気づける猫たちだった。日本からの高齢の白い猫も益々元気になり、牛乳を良く飲んで、孫やひ孫など一杯の猫たちを引き連れて、のんびり過ごしていた。