甲斐バンドと甲斐よしひろソロとでは、楽曲やライブに対する考え方が違う…という
甲斐さんの説明をお聴きになって、武内さんが
「ナンでしょうね?バンドでやる時は、またバンドでやる時で…
あのー、甲斐バンドの時と、お一人でやる時っていうのは
そういう意味で、もっとチャレンジングっていうこと…?」とお訊ねになると
甲斐さんは「うん、そうそうそう!それじゃないと面白くないですもんね
ナンか…おんなじようになって行くじゃない?
そうじゃないと、こう…切り口も変えないと…
でもね、でもね、バンドはメンバーがいて
自由度としたらさ、ちょっと不自由じゃないですか?ね?
色々、メンバーと一緒にやんなきゃいけないから…
で、ソロは自由なんですよ、何やっても…
すると…すると、自由すぎると不自由だってことが、すごい気がついたの!(笑)
(『自由は不自由だー!(笑)』と武内さん)
何やってもいいってのは、ちょっとコワイことなんですよ
(『そうですよねー!イヤ、試される感はありますよね、何やっても…』)
だから、やっぱり、独身よりもこう…こう…ちゃんと相手がいるとか、家族になって行くとか
そういう…そういう方が、ねぇ?やっぱり楽しいですよ、ある程度…(『なるほど…』)
まっ、それはバンド上がりだからかも知れないですけど、僕はね」とお答えになってましたが
「バンド上がり」云々というより、甲斐さんが「人間好き」でいらっしゃるからじゃないかと…?
ソロで活動なさる時でも、例えば、ビルボードシリーズや「愛ろく」ツアーで
「やりたいチャレンジ」のために、適任と思われたメンバーの皆さんを集められたとはいえ
「甲斐よしひろとそのバックバンド」ではなく
やはり、1つの「バンド」「仲間」として、ツアーをなさってるような気が…?
それはともかく…武内さんが「でもね、バンドやってらっしゃる時も
あのー、なかなかね、テレビにお出にならなくって…」と言いかけられたトコで
「まあ…まあ、そういうのはね」と甲斐さん
「ねぇ?テレビ…あの頃、お出にならなくて
私、歌だけ…音は聴いてるけど、どんなバンドなんだろ?って…
あんまり…いつも、あのー、音楽番組(ザ・ベストテン)で、ガラガラダダッン!って
(回転ボードがめくれて)いったら、誰も出て来ないっていう…」との武内さんの言葉に
「うん…僕、あの…ナンだっけ?テレビが開局の時に生まれてるんですよ(笑)
(『えっ!?ホントですか?』と武内さん)
そうですよ、28年4月だから…(『テレビの申し子!(笑)』)
でもね、もう…もう、とにかくテレビ好きなんですよ(笑)
それが由来してるかどうか知らないけど(笑)
だから、テレビは観るものなんですよ、出るものじゃないですよ
ところが、ある時に、ナンかこう…ちょっとずつ、ちょっとずつ出るように…
まっ、プロモーションのためには出るじゃないですか?効率よく出てたんですよ
したら、ある時に…『もう、甲斐さん、ホンットに出ません?』って言って
僕、ある番組(バイキング)のコメンテーターを1年半やったんですよ
で、それ、毎週はナンなんで…『2週間に1回だったらいいよ』っていう条件でね
(『ハイ、私がラジオ始めた年です!』)…そう!そう!そうだ!そうそう!
…っていう時に、僕、1年半やってたんですよ
でも、それを…2週間に1回しか出てないのに
『イヤー!毎週出てスゴイねぇ!』とかって(言われて)…イヤ、毎週出てませんけど…
だから、やっぱ態度がデカイから、毎週出てると思われてるんですよね(笑)」
…と自虐ネタで返されてましたが(笑)
武内さんが「イヤ、でも、そのー『どうしてテレビ出なかったんですか?』って
以前にお伺いした時に…『イヤー、もうそんな…バンドで上手くなりたかったから』…」と
真面目な理由に触れようとなさった途端に
「ああー!そうそう!それはそうです」と甲斐さん
でも、武内さんの「『ライブ…そんなテレビ出るヒマがあったら、ライブやって
俺は上手くなりたかったんだ!』っておっしゃって…
それで、私、アーティスト観が変わったんですよ」という告白はスルーなさって(苦笑)
「あとね、テレビって、どうしてもその…上体から上しか撮らないじゃないですか?
(『あっ!そうですね』と武内さん)…全身…全身…だから、アレにずーっと…
テレビに…まっ、出るね、出て歌うって世界、もちろんいいんですけど
そうすると、だんだん、全身…下半身とか使わなくなるんですよ
僕、そこがイヤだったんですよ、ナンかこう…
(『退化してく感じが?…使わなくなるんですか?』と武内さん)
全…うん、やっぱりそう…そうなりますよ
(『あっ!でも、そうかも?見えてるトコだけカッコよく、ちょっとね』)…そうそうそう」
…と「全身を鳴らして歌う」ボーカリストらしく説明され
更に…「やっぱり、ナンての?ライブで躍動感…『武道館まで行く!』みたいな感じが
最初からあったから、だから、あのー…(『武道館に…』)…そうそう
そういう風なトコまで行きたい訳だから、やっぱりね
1万5千なら1万5千(人)の前で、躍動するような感じだと
ああ、ずっとライブでやった方がいいかなと思ってたんですよ」と
「スタジアムバンドになる!」という目標を持っていらしたことにも触れておられました
そして、武内さんが「今もライブ史上主義ですか?やはり…」とお訊ねになり
甲斐さんが「そら、そうですよね」とお答えになると
「イヤ、でも、もう甲斐バンド…ホントに伝説の5日間、ね?
コンサート(チケットが)完…即完売して、そして…」と
86年の解散ライブの話を始められたのへ「あっ、武道館ね、最初のね」と甲斐さん
「スタジアムバンドになる!」という思いに触れられたあとでいらしたからか?
甲斐バンド「最初」の武道館ライブと勘違い?
それとも「最初の解散」という意味かなあ?(笑)…と思っていたら
「…っていうことが伝説の解散の時です
今日は、甲斐よしひろさんにお話を伺っております!後半もよろしくお願いします!」
…という武内さんの言葉で、一旦、収録音源はストップ(苦笑)
現在のスタジオ生放送に戻ったらしく?いきなり、リスナーの方からの投稿へ…
まあ、番組公式ツイッターには…「甲斐よしひろさんの『カフェトーク』
後半もお楽しみください」とアップされていたみたいだけど…
武内さんは「甲斐さんの声にドキドキして来た」とおっしゃる方には
「ホント、ドキドキしますよねぇ!この…そしてフランクなこの感じがステキですよね」と返され
この日のメールテーマである「私のソロ活」として
「子育てが一息ついて来た50代から、甲斐さんのライブに行くことでした
『でした』っていうのは、途中から甲斐友さんが出来て
今ではグループ活動になって楽しんでいるので…」との一文をお読みになった途端
「オイ!入れて欲し~い!」と叫ばれ(笑)
「40年前、甲斐バンドの箱根の野外ライブに参加させて頂きました」という書き出しには
「わあ!皆さん、色んな経験がおありだ!」とビックリなさって(笑)
「当時の彼女と一緒に、夜行バスで箱根まで行きました
今でも、箱根の山にキラキラ光るミラーボールが目に焼きついています」と読まれ
「すごいコンサートですね(笑)野外…ねぇ」と反応され
そして…「その時の彼女が今の奥さんです」という一文には「あら!もっとステキ!」
「今でも甲斐バンドの大ファンです!甲斐さんの熱いメッセージを
夫婦して今でも感じ取っています」との言葉に
「もうサイコーじゃないですか!」と武内さん(笑)
「中学校の時、クラスメートの好きだった男の子が、甲斐バンドの大ファンで
影響を受けて、好きになりました」とおっしゃる方には
「私とおんなじパターンだわ(笑)」と明かされ(笑)
「そして、人生初めて買ったLPが『甲斐バンドストーリー』…何回も何回も聴きました
NHK-FMの『サウンドストリート』も聴いて
私がラジオ好きになった原点でもあります」
…と読み終えられると「ああ、もう皆さん、熱いメッセージありがとうございます!
ホントにもうね、今でも熱くて、体鍛えてらして、声も全っ然、変わってないですよね
相変わらず楽しい甲斐よしひろさん、もう後半も、あの…どうぞご期待下さいませ(笑)
皆さん、どうぞステイチューンで…」とまとめられ
「えー、2時27分になりました、ねぇ…ここで、音楽をお聴き頂きながら
所によって、交通情報をお送りしましょう」って、ボクのスマホの録音音源には
きっちり交通情報が入っていたので「ああ『所』だったんだなあ…」と…(笑)
交通情報に続いて、ニュースも流れたあと、再びスタジオに戻り
「『ごごカフェ』…2時33分になりました。武内陶子です
さあ、今日は、ミュージシャンの甲斐よしひろさん…
先日お話を伺った回、お送りしております
後半、どうぞお楽しみ下さい」とQを出されたんですが、続きはまた次回に…(笑)