織田信長が、尾張平定の報告のため、義輝将軍に謁見した際
将軍から「ワシに何かして欲しいことはあるか?」と訊ねられ
駿河の今川義元が、美濃の斎籐義龍と手を組み
今にも尾張に攻め入らんとしているので、兵を引くよう命じて欲しいと頼むと
将軍は「あいわかった」と答えたものの、直接命令するのではなく
信長に、今川義元より上位の官職を授けると告げたため(苦笑)
信長は「それで今川が引き下がりましょうか?」と不満顔(苦笑)
更に「引き下がらぬようなら、将軍家の相伴衆になればよい
相伴衆なら今川も手を出すまい」と家臣たちを見回し…
(って、この場に光秀がいるのはナゼ?(笑))
「皆、そう思わぬか?」と同意を求めるも、誰ひとり頷く者もなく(汗)
「今のワシには、それくらいのことしか出来ぬ」とため息をつく将軍…
かつては「麒麟がくる」ような世の中にしたいと願いながら、それがまだ叶わない現状に
「道は遠いのう…」と自らの非力を責め、涙していたのが
今は非力を通り越して、すっかり無気力になってしまったような気が…(汗)
ともあれ…謁見後に光秀と顔を合わせた際にも
「ワシが相伴衆になれば、今川が手を引くと思うか?」と訊ねる信長
「いえ…」と首を振る光秀に「今川は尾張に入り込んで、出城を築こうとしておる
こちらは手も足も出ぬ。それで上洛したのだが、将軍も苦しんでおられるようだ
今の世はどこかおかしい…尾張が心配じゃ
ワシは帰る。いずれまた…」と奥さん胸キュンの小走り(笑)で去って行ったんだけど
その前に、松永久秀に会い、三好長慶の領国である摂津と
自らの尾張を取り替えてくれと頼んでいたことが判明(笑)
例によって(笑)光秀が聞き手となり、視聴者にこの件が知らされた訳ですが
「それにしても、あれは奇妙な男じゃのう」と松永さま
「何を考えておるのか?本気なのか戯れ言なのか、よう判らん
あれは、一体どういう男なのじゃ?うつけだとは聞いておる
確かにうつけかも知れんが、ただのうつけではないな」と信長を評すると
光秀は「亡き道三様は、信長様から目を離すなと申されました
道三様は、信長様のことを買っておられました」と明かし
信長が、将軍には「ガッカリした」と話していたと知ると
「私は、公方様が戻られ、京も落ち着いたであろうと思うて参りましたが
大名たちの争いの仲立ちも出来ぬご様子…
誠に京を治めているのは誰なのか、判らなくなって参りました」とため息…
…が、この京への「おつかい」のおかげで、諸国の情勢に注意を払うようになったらしく
第20話「家康への文」の冒頭では…左馬助を尾張へ「おつかい(笑)」に出していたみたいで
今川勢が尾張との国境の城を取り込み、出城化していることや
三河の兵が大高城の守りを固めているとの報告を受けると
「今川は、尾張と戦をする時、必ず三河の兵を先陣につける
…となると、戦は近いぞ。今戦えば尾張は危ない
今、三河の主だつ武士の中で、今川義元に近いのは誰か、存じておるか?」
…と、すっかり軍議モードに入り(笑)
左馬助が「以前、尾張の人質だった松平竹千代殿が、今川様に大事にされている」
…という帰蝶情報を伝えるや、かつて道三に命じられ
信長の父・信秀のケガの具合を探るために尾張へ潜入した際に
「我を三河の刈谷まで連れて行ってくれぬか?
母上がおられるのじゃ!母上の元へ行きたい!」と訴えて来た少年を思い出し…
って、奥さんは、この回想シーンの竹千代さまに萌え~(笑)
光秀は「今川と五分に戦う手立てが…!」と帰蝶に文を書き
左馬助は再び尾張へ「おつかい」に…(笑)
その頃、今川氏は、今は亡き参謀・太原雪斎が治療を受けていた医師・望月東庵を呼び寄せ
その治療のあとに…「ワシは、元康を大事に思うて、元服にも手を貸し
岡崎城主の子であったことを配慮し、今日まで育てて来た
先の初陣もワシの命を受け、見事に戦こうてみせた
三河の武士の棟梁に相応しき器じゃとワシは見ておる」と成長した竹千代さまを絶賛
が…「ただ万が一、元康が尾張へ寝返れば、我が身が危うい
元康は信ずるに足る若者と思うが、どうじゃ?」と訊ね
東庵が「医は仁術と申します。人を見るのが仕事でございます
元康様は裏表のないお方。殿がご案じになるようなお方ではないと存じます」と答えると
「よう申した!安心したわい」…と、長きに渡り元康の将棋相手を務めて来た
東庵のお墨付きを得てホッとした様子…といった伏線が張られたトコで
尾張では、喧々諤々の軍議に嫌気が差した信長が
「熱田宮へ行く」と言う帰蝶を見とがめ
「この戦の最中にか?熱田宮でお祓いでもして来るのか?」と問い質すシーンに移り…
「今川勢は2万5千、こちらはせいぜい3千余り
美濃の父が兄・義龍に敗れた折と同じでございます
勝てぬまでも、負けぬ手立てを講じませぬと…」と帰蝶
「熱田に松平竹千代殿の母君・於大殿と伯父の水野殿がおいでになるのです」と明かし
「松平竹千代?そうか!そなたが呼んだのか?
誰に知恵をつけられた?」との質問には
「その知恵の良し悪しはまだ判りませぬ
されど、重臣たちのように、やいのやいの騒ぐだけでは何も見えて参りませぬ」
…と返し、先を急ぐ振りで答えず(笑)
信長は「元康の母親と伯父を動かして、元康をこちらへ…そういうことか」と合点し
帰蝶の前に回り込んで「重ねて訊く!その知恵をつけたのは誰だ?」と再び質問するも
笑って傍らを通り過ぎた帰蝶の背中に「察しはつくがな(笑)」とニヤリ(笑)
その熱田で、信長夫妻は、水野信元と於大の方と対面
信元が「この火急の折、私と妹に御用の向きがあるとの知らせを頂き
まぎれもなく元康のことであろうと察しましてございます」と話を切り出し
信長が「今川に放った間者によれば、元康殿は先鋒を任され、すでに三河に入ったと聞く
このままでは、水野殿は私と共に甥御と戦うことになる
そこをどう考えておられるのか、お訊ねしたい」と返すと
於大の方が「私は元康の母親でございますが
水野家が織田様の味方になったゆえ、今川方の松平家を離縁され
水野に戻って、そのまま元康とは16年会うておりませぬ
顔も忘れ、声も忘れ、もはや母と言えるか、子と言えるか…」と明かした途端に
「ワシが元康殿なら、16年会わずとも、20年会わずとも
名を聞けば胸を刺される…母は母じゃ」と説得力のある発言(苦笑)
「そうしたものでございましょうか?」と言う於大の方に
「ワシならそう思う」と太鼓判を押すのを帰蝶が気がかりそうに見つめていたけど
おそらく?視聴者全員が同じ気持ちだったんじゃないかと…?
於大の方が「実は、こういうお話もあろうかと思い、元康に拙い文をしたためて参りました
『もはや、道ですれ違ごうても、我が子と判らぬ愚かな母であるが
この戦で我が子が命を落としたと聞けば、身も世もなく泣くであろう』と書きました」と話すと
信元は「されば、この文を元康に渡し
すでに元康の身辺に送り込んである者たちに
『何としても今川から離反するよう』説得させまする
ただひとつだけ、お願いの議がございまする
以後、尾張は三河の国に野心は持たぬと
必ず、三河の者は三河に戻すと、お約束頂きとうござる
元康もそれなら納得致しましょう」と当然の要求を出し、信長も「判った。約束しよう」
…って、まあ元々、信長は、兄と竹千代の人質交換の話が出た際に
竹千代を今川方に引き渡すのを反対していたし
この母の文によって、元康が尾張についてくれるなら、お安い御用でしょうね?(笑)